ルイ14世の死のレビュー・感想・評価
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死は凡庸で究極の平等
タイトル通り、ルイ14世の死を描いた作品であり、良くも悪しくもそれ以上でもそれ以下でもない。太陽王の死が以下に社会に波紋を広げたかなどとは描かれないし、彼の功罪を問うような姿勢もない。 あるのは、一人の老人の凡庸な死だ。ルイ14世ですら死ぬ。当たり前のことだが、その当たり前に我々は意味を与えすぎている。そこに誇張や神話が入り込み、事実が歪んでいく。 映画は死を誇張することなく、ロングテイクでじっと寝たきり老人であるルイ14世が衰えていくさまを捉える。劇的な要素は極力排除される、死にドラマを与えたくなるのが映画作家の自然な反応だと思うのだが、死はただの死でそれ以上でもそれ以下でもないのだと言わんばかりに、監督は淡々と見せる。 退屈なくせに、ある考えに行き着くと妙なカタルシスを覚える。あのルイ14世も死ぬのだ、我々と同じように。どれだけ偉大な人間にも死は平等に訪れるだと。それはなんだか僕には安心できる事実だった。死は究極の平等だ。この世界にもまだ平等があったのだ。
何かわからないのですがとても興味深いです。
とても淡々と人の死に行くさまを観測していて、、、だいぶ前に見たのですが、何を見たのかわからなくて放置しておりました。 物語としての緩急は排除され、これは映画として面白いのか?面白くないのか?それさえも判断つかず。 ただ、時間がたってぐるぐると何周かしたところで、作り手の熱量がすさまじい映画でそこを鑑みるととても興味深い珍しい作品だと思いました。 昔は、『自分が好きだから作った』というものもありましたが、今は興行ありきが強いので、これほど自分本位にわがままにつくられた作品を見たのは久しぶりでした。 物語としての評価は難しいですが、今の時代に自分本位であれる監督に魅力を感じました。
『次はより慎重に診断しよう』
フランスブルボン王朝ルイ14世の死の直前の数週間の出来事を、ほぼその寝室を舞台に繰り広げられる一種の舞台作品のような構成で進められている。フランス革命前のヨーロッパ史に興味がある、若しくはその勉強を経験した人ならば俄然興味が湧くのだろうが、生憎自分は門外漢だったので登場人物については主人公の王様以外は存じ上げていない。しかし、もしこれが日本の武将、例えば『豊臣秀吉』であったらと思うと、親近感が湧いてくる。そうであるならこれはフランス版大河ドラマの一話なのかもしれない。やたら『Majesté』が台詞の頭ででてくるのも、『殿下』に近い意味なのだろうという当てはめが鑑賞後に調べて分かるので、近作品、実は予習が重要だということをHPで教えて欲しかった。
ストーリーを通して薄く流れる時計の秒針の効果音が、死へと突き進むルイ14世及びその取り巻きの焦燥感、諦観、黄昏、憂鬱を全て暗示している。wikiで確認してみるとルイ14世は相当頭の切れる人だったらしく、特に組織観に関しては手が込んでいて、複雑な思考を張り巡らせていたようで、そういう神経戦が得意だったようだ。絶対君主制を構築した歴史に名を残す稀代の君主だけに、その死期に際しての取り巻きの右往左往は、傍から見ると喜劇だが(実際コメディとしての要素が充分)、本人たちからしてみれば、純粋に振る舞ってる対応なのであろう。例えば、王が食事をする度、拍手。例えばベッドの上で帽子を脱いで挨拶で、拍手。これは正に王が長い間配下に躾けた賜物なのである。日本人以上にヨーロッパ人の周到なそして陰湿な性分のなせる業なのかもしれない。否、この王様だけか・・・
いずれにしてもギャグにしか捉えられない、まるでシチュエーションコメディそのものである顛末、まだまだ医学が発達していない時代だからこその構成なのだろうと、まるでキングオブコントを見せられているようにも思われるが、しかし大真面目に演出され、尚且つ長いシーンの連続、一瞬の場面転換の手法等により、面白いのかシリアスなのかどんどん迷いが生じるその演出に不思議と飽きがこないのは歳なのだろうか?w
表題はラストシーンの台詞だが、取り巻きの責任逃れの言葉が、結局この滑稽な茶番劇を物語っていて、なかなか痛烈な皮肉を込めた作品である。
死を真正面から受け止めた映画
監督コメントもあったので分かりやすかったですが、太陽王のおっきな存在が死に向かってシュリンクしていくという映画。 カトリック文化を知らないと分からないところも多いかもなー
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