「スター街道をかけ上がるヒロインの隣で凋落していく男のドラマ」アリー スター誕生 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
スター街道をかけ上がるヒロインの隣で凋落していく男のドラマ
そうだった。ジュディ・ガーランド版「スタア誕生」を観たことがあり(バーブラ・ストライサンド版と1937年版は未見)、なんとなくイメージの中でジュディ・ガーランドがスターに伸し上がっていく様子だけが印象として残っていたけど、改めて「アリー/スター誕生」を観て思い出した。確かにこの「A Star is Born」という物語は、スター街道を駆け上がり栄光を手に入れていくヒロインの横でそれと反比例するように凋落していく男のドラマであり、「スター誕生」というタイトルはむしろ皮肉のようなものなのだということを思い出した。そうだ確かにそうだった。
それと同時に思い出したのは、名声を手に入れた人が酒とドラッグとセックスに溺れる話が私は個人的な好みとして全く好きではないということだった。この作品の場合も見事に酒とドラッグに溺れていて、そういう男を私は間抜けだとしか思えず、そんな夫を配偶者として家族としてしっかり管理できないアリーも愚かに見え、こういう破壊的に生きる人にロマンを感じるタイプの人って男女問わず苦手・・・ってことだけしっかり確信していた。
ただこの二人の出会いのシーンは好きだった。スーパーマーケットの駐車場でアカペラで歌うシーン。右手には冷凍豆を括り付けているし、少しもお洒落じゃないしクールでもないのに一番素敵なシーン。二人が魅かれ合うのが良く分かるシーンだった。そして初めてステージに上がったアリーが歌うシーンの高揚感。背中がゾクゾクして体が熱くなったような気になった。この時のアリーの歌が一番良かった。デビューして以降、敏腕マネージャーにプロデュースされてからのアリーの歌は、ジャックが指摘した通りいかにもポップスターのそれになってしまい、アリーの生々しさが抜けてエネルギーを感じなくなってしまった。ストーリーとしてそこがもっとしっかり抉られて鋭く切り取られていくのかと思いきや、アリーはあくまでスター街道をのし上がる存在でしかなく、自分のスタイルを売って髪を赤毛に染めダンサーとステージで腰を振ることが肯定されているのが拭いきれない違和感として残った。追悼公演でスタンドマイクで歌い上げるアリーの姿にかつてのアリーを見るも、次のツアーではまたダンサーと腰を振っていそうな気がして・・・。歌と作曲力で才能を認められたのがアリーではなかったか?
そして劇中歌に関しても、聴いている間は凄く感動的に聴き入るのだけれど、映画が終わった後でどの曲も今一つ印象に残らない。辛うじてCMや予告編で多数耳にしていた「Shallow」が耳に残るも、それもせいぜいサビのフレーズくらいで、他の曲に関してはどれも「すごくいい曲だ!」と思って聴いていたはずなのに帰り道で口ずさんでしまいたくなるほどの印象がない。例えば「ラ・ラ・ランド」なんて帰り道に歌詞もおぼろげなのに何度もメロディーを口ずさんだし、「ボヘミアン・ラプソディー」を観た後なんてそのままカラオケに行ってクイーン縛りでもやりたい気分だった。そういう心理的なインパクトが歌曲から感じにくく、あるいは演出的に感じさせないものだったのかな?という気がした。いやレディ・ガガの歌声にまったく不満も異論も何もないのだけれど。彼女の歌にはただただ感嘆しかない。
いろいろ書いたけれど、結局私はこの映画を嫌いにはならない。レディ・ガガというアクの強いアーティストをヒロインとして起用していながらまったくもってしてガガのプロモーション・フィルムに陥ることなく、またガガ自身もしっかりと女優としてこの映画に臨んでいてスクリーンの中にいることに違和感がない(彼女の場合、レディ・ガガという存在自体も感覚としては演じているのでは?とも思う)。加えて早くもジェフ・ブリッジスのような雰囲気を漂わせ始めたブラッドリー・クーパーの渋い熱演(もはや「クレイジー・ハート」のジェフ・ブリッジスそのもの)とエモーショナルな演出力はもう見事なものだと思った。ラストシーンも好きだった。追悼公演でアリーが歌う歌にオーバーラップして回想シーンでジャックがピアノでアリーに弾き語る。実に感動的なエンディング。見終わった後の感覚はとても良かった。