「冷凍豆」アリー スター誕生 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
冷凍豆
主演監督はクリント・イーストウッドの弟子筋であるブラッドリー・クーパー。ヒロインはビヨンセも候補になったと言うが、あの有名なレディ・ガガ。おして原作はもう何回もリメイクされ続け、その派生も又生まれている、所謂『金持男を踏み台にして成り上がる女』プロットの作品。それこそ有名なのは“プリティウーマン”じゃないだろうか。
そんな王道の作品なので本来ならば鑑賞パスなのだが、なにせCMや予告編でやたらと主題歌『Shallow』が流れているからどうしても気になってしまい、“飛んで火に入るなんとやら”状態で鑑賞してしまった。
で、今作品は完全なる“音楽劇”である。主演の2人が歌を通して台詞を交わし合うことで、その関係性を濃厚にしていく構成だ。
ミュージカルではないのだが、その歌の歌詞がそのままストーリー内容に於ける役柄の心情や印象、そしてストーリーテリング的にも担っている。なので観客に対してのエモーショナル度合いが倍増してくる演出になっている。そして今作に於ける主軸はやはり“ジャクソン”であることは間違いない。ガガはあくまでも彼に化学変化を起こさせるトリガーである。その爆発力が余りにも強いので、彼の変化がそれこそ良くも悪くも“劇的に”変わっていくのをスクリーンを通して見守るしかない。勿論、生い立ちや家族との愛憎、ハンディキャップと、酒ドラッグへの逃避と、天才故について回る様々なものに、アリーは直接にはコンタクトせず、歌を通じてのみ愛情を素直に届けることで、ジャクソンは癒されていく。しかし死の影が彼を掴んで離さないのは、冒頭のバーを探すシーンでの、酒場のネオンに掛かっているネックハンキングロープの絵が物語っている。
自分の存在が愛する女の華々しい人生に足を引っ張ると思う感覚は、今作品に於ける否定論を持つ人達には理解出来ないと思うが、自分は充分に痛い位解る。それはまさに森鴎外『高瀬舟』に近いのではないだろうか。安楽死ではなく相手を思いやって、否、そう思うことで自分が救われたいと願う自己陶酔は、安易な逃げではあるが自己完結としてかなり快楽的である。
そして、今作品のこれまでの長いフリを回収する重大且つたった一つのポイントが、クライマックスの『I’ll Never Love Again』。
ステージ上から急に場面転換で、2人がピアノ前での歌唱からの抱き合うシーンで、不覚にも涙腺がちょぴっと・・・(泣
これもまた、歌詞がそのまま2人の愛情の深さを語っているのだから感情を揺る動かす以外に何も出来ない自分がそこにいる。
映画の演出、表現方法としての新たな形を作り上げたブラッドリー・クーパーに拍手である。
余談だが、予告では確か、喧嘩中にジャクソンが、実はそんなに鼻は好きじゃなかった的な台詞が売り言葉に買い言葉で言い放つシーンがあったと思ったが、本編ではその台詞がなかったので、そこが一番の救いであった。なにせ容姿のコンプレックスを超越した部分が作品のキモの内の一つであるから。
それと、ガガのサービスショットがチラッとあるのはニクい演出である。“だいしゅきホールド”は背の小さいガガだからこそピッタリな体位だなw