心と体とのレビュー・感想・評価
全79件中、61~79件目を表示
許して女神ヘラ ここにはいられない
ハンガリ-版ラブコメwithチョイグロ。
所謂、屠殺場が舞台という特殊な設定に何やら不穏な感じを抱くのだがアバンタイトルは森中の牡牝の鹿。これがかなり綺麗に撮れている。凛とした白基調の背景に2匹の息使いや動きの繊細さ。これが今作の大きなシンクロニシティである。
場面転換で食肉加工工場での屠殺のショッキングな映像。頭を落とされる牛のシーンが何とも物語を濃くしている。只直接的には余り意味を持たさず専らヒロインの検査官の女性の無機質なロボット的行動が描かれる。工場内での窃盗事件での心理アプローチからの聞き取り捜査からもう一人の主人公である財務部長と同じ夢(冒頭の鹿)を観ていたことから互いに意識し始め、そこからの紆余曲折が繰り広げられるのだが、このプロットは日本の漫画によくあるパターンだ。愛情が巧く表現出来ないヒロインがドタバタ劇を繰り広げるコメディタッチは東欧でもお馴染みなのだろうか。ヒロインの健気でいじらしい努力も又、男心が動かされ、中々キュートな演出である。
ラスト前の二人の諦めからの自殺未遂のシーンはかなりキレキレのジェットコースター展開。かなりエグく縦に手首を斬るのも、凶器をわざわざガラス戸を割って(いつもガラス越しに外界を観ていた事への復讐のように)使うのもやけにリアリティを表現していて、前半のとさつされた牛から噴き出す血のそれと同じように心が締め付けられる。女神ヘレの悪戯か思し召しか、CDplayerの故障と彼からのスマホの着信で、切なさから180度転換のトキメキは、病院での治療もそこそこなシーンで辛口のギャグを演出させていてクールだ。
しかし今作品、ラストはハッピーエンドには終らせないオチになる。二人で過ごした翌朝の食事シーンでの明らかに性格の差異の落差の絶望観に先が思い知らされる気持ちにされてしまうのだ。あの夢も観なくなるのも幸福とも不幸とも取れる、観た人に委ねる作りである。メタファ-とダブルミーニングが散りばめられた本作、色々と解釈し甲斐のある良作である。
追記:ヨーロッパに於ける『鹿』は生贄の意味を持つそうだ。なので、映画に於ける『鹿』はマグガフィンとして『犠牲』がテーマになるのだが、本作品における犠牲は、食肉牛なのかな?否、やはりヒロインの恋心が犠牲になるラストだと思ったりするのだが・・・
あなたはとても美しい
まともなコミュニケーションは取れず、何事も極端で不器用すぎて異質なマーリア。
記憶力や視力に長けていたし、彼女は発達障害的な性質なんだろうな。
最初はそのあまりの融通の利かなさに引いてしまったけど、密かな会話のシミュレーションや医師とのやり取りから彼女なりの努力が見て取れて胸打たれた。
鹿の夢の役割と意味が分かってからは、ドキドキしてたまらなくなった。
二頭の鹿の目が映るたびに、言葉が無いからこそ伝わる何かを伝え合っているような気がして。
少し不思議な密会を覗いているような気持ちになる。
恋心を自覚してからの、「普通」の枠から外れたマーリアの努力の仕方が一々おかしくて可愛くて、もう応援が止まらない。
小さな少女の成長を見守っているような愛しい感情が湧いてきた。
マーリアはもちろん、エンドレもあまり表情豊かな方ではないので、二人が顔を見合わせて微笑むたびにギュッとなって涙がこぼれてしまう。
本当に些細な瞬間も特別なことのように思えた。
きっとこの先も難しいことがあるかもしれないけど、共に朝を迎えた二人の笑顔と現れなくなった鹿の夢から、ささやかな幸福の未来が満ち満ちていることが伝わってきた。
冬の森の中の鹿、食肉工場、窓に映る姿など、映像がとても綺麗だった。
食肉工場に流れる血液と一度振られたマーリアが手首から流した血液の映像が重なって、でもその血の意味は全然違うことにハッとした。
音響とコロコロした音楽も素敵。
些細な音も丁寧に拾ってくれるのでASMRのような心地良さがあった。
人を受け止めて、優しくなれそうな映画。
静かにドラマチックでユニークさに溢れていて、とても好き。
私には合わなかった!
予告編の鹿の映像が美しくて、
同じ夢を見る男女と言うのも如何にもヨーロッパ映画的で
惹かれたし…とりあえずそこに星一つ。
他の方の評価は高いけど
私の性分として、
自分が好きになれない人物に主人公が恋をすると、
そこで拒否反応を起こします。
この映画の男優さんのビジュアルが全く好きになれないタイプ!
でもでも、見た目はダメでも、
その役柄に良いとこがあれば惚れる気持ちが解るんだけど、
冒頭から、相手の女性を男目線で見てる感がバリバリで
そう言うのは男性の習性で仕方ないのかもしれないけど
女性が初出勤の日に、早く職場に馴染んで貰う為と言いながら
社員食堂でいきなり真正面に座って声をかけて来る上司って!!
イタリア男の様な陽性な女好きは許せるんだけど
正反対のなんかヌル~っとした空気感で~。
私的にはもう、気持ち悪いパワハラ親父!でしか無かったです。
そんな親父に自分の夢を知られたく無い!ここでシャットアウト!
女性向きの映画では無いかも〜
月に10本程、映画館で映画を観る中途半端な映画好き的には
鹿の映像が繊細で美しくてそこはおとぎ話の様なんだけど
食肉屠殺場と言う、紛れも無い死の工場との対比が
夢と現実の落差として結構凄い感じです。
そこに面接に来た
血なんか全然平気と言い放つ若者に面接官が
「殺される牛への哀れみも無い人は、いつか心をやられてしまう」
とか
人に触れる事、触れられる事に精神的な嫌悪を抱く女性主人公が
やがて殺される牛に触れて、
命の感触や温かみに慣れようとするシーンは
なにかとても象徴的な気がしました。
心に引っかかったのは、そこだけ。
若くて美しい女性が、
愛すべき美点の見つからない中年に惚れてしまうと言う脚本は
単に男の妄想を形にしただけの
マスターベーション的な作品に思えて全然好きになれないんです。
だから私の評価は低いです。
@もう一度観るなら? 「二度と観たく無い!」
5/16追記
この映画がまさかの女性の脚本家兼監督でちょっと信じられない!
好みの差なんだろうか?
兎に角、私には合わなかった!
連続する写真作品のような固定フレーミングの美しい映像
かなり変わった設定だが、まぎれもなく惹かれあう男女を描いたラブストーリーである。
2017年の第67回ベルリン国際映画祭の最高賞、"金熊賞"を受賞を受賞しただけてなく、先日の米アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされている。日本では小規模な公開だが、世界的評価の高い作品である。
ブダペスト郊外の食肉処理場が舞台。毎日、食肉牛が屠殺されている。そこで欠員補充のため臨時採用された代理職員のマーリア。若く美しいが、人間関係が苦手で孤独な独身女性である。また上司の部長エンドレは片手が不自由な中年男性で、バツイチの独り暮らし。エンドレは職場に馴染めないマーリアを気にかけている。
そんなある日、職場で起きた事件がきっかけで、2人がたまたま同じ夢を見ていたことが明らかになる。夢の中では"雌雄の鹿"が登場して、その風景も行動も一致している。その夢は一晩だけでなく、翌日以降も夢でつながる2人は、徐々に近づいていく。
職場も私生活も孤独で不器用な2人は、いわゆる"面倒くさい部類の人間"かもしれない。マーリアは美人なのに恋愛ベタな"こじらせ女子"である。そんな2人の様子が滑稽で、ほのぼのとする。
牛の屠殺は、それを食肉として活用する"つながる生命"の比喩であり、淡々と血が流れる風景がたびたび使われる。雌雄の鹿、人間の男女の営みも"生命"の象徴である。
鹿を捉える映像が美しい。高画質な映画である。計算され尽くしたフォーカス移動は、実にプロフェッショナルな仕事だ。
固定カメラで被写体を捉えるフレーミングが印象的。ほとんどパン(レンズを振ること)を使わず、定まったカットはひとつひとつが美しい。まるで連続する"写真"を見ているような完ぺきな芸術性に唸る。
そんな監督は、18年ぶりに長編を手懸けるハンガリーのイルディコー・エニェディ。約30年前のデビュー作品「私の20世紀」(1989)は、カンヌ国際映画祭カメラドール(最優秀新人監督賞)を受賞している。新作が18年ぶりになった理由は、予算をはじめ、単に製作条件が揃わなかっただけらしいが、久しぶりで"最高賞"というのも凄い。
(2018/4/25 /新宿カリテ/シネスコ/字幕:西村美須寿)
不器用な大人のおとぎ話に震える
2人の関係は痛々しくて神々しい。
心が震えるとはこういうことか。
ヒロインが足先を斜陽の線から影に引き込むショット。美しいショットだ。
鹿の夢は神様のいたずらか。
不器用な大人の現代のおとぎ話に最後まで目が離せなかった。
痛々しいくて神々しい。グロテスクな自傷場面。牛の殺傷場面。カメラは遠慮なくそのままを直視させる。
しつこいぐらいに。
ヒロインが本当の自分の人生に気付き、目覚めて、本気で生きたい!と強く渇望する時。
一生懸命自分から脱皮しようとするけなげさが胸を打つ。
私達は痛々しくて、滑稽で、かっこ悪い事はいやだけど。どうしても恋をすると自分をコントロール制御できなくなる。
でもそれが周りの人に共感され、思わぬ人の優しさを引き出す。
その無様さが愛しかったり…
鹿の圧倒的な美しさはなんだろう?
説明なんてできない。自然と地球と美しく共存している姿は圧巻で圧倒的だ。
鹿の眼差し。吐く息。森を駆け巡る力強さ。
あの映像がなければこの映画はここまで美しくならなかった。
想像を超えた世界に連れて行ってくれた作品に感謝です。
悲しみに寄り添う映画。
自分で自分の心がつかまえられない。
自分で自分の体がつかまえられない。
苦しい。ほんとに苦しい。
誰かがいてくれてはじめて、自分の心も体もつかまえられるのかも知れない。
孤独が無音を運んでくる。悲しみや苦しみを逃れようと慣れた手つきでガラスを割り、手首を切るシーンが怖ろしかった。悲しかった。
世の中にはこんな世界を生きている人がたくさんいるのだろう。
自分も身に覚えがある。死に誘われるような経験がある。
この映画はそんな世界に寄り添っている。
ラストはあまりにハッピーエンド過ぎるが、そんな『寄り添う』というやさしさが満ちあふれていて素晴らしい。
そのやさしさの象徴である主役の男性がよかった。痩せ我慢の紳士ぶり、かっこよかった。ちょっとイーストウッドの男っぽかった。エッチで紳士、痩せ我慢。
素晴らしかった。
面白い
シナリオや設定が面白かったが、自分には演出をもう少し明るくして欲しかった。
好みの問題だと思いますが。
でも最後のシーン良かった。何か二人して霧が晴れたような解放感を得たような。
発達障害者の話
心にじんじんくるラブストーリー
人を豊かにするのは、やはり人
不思議な魅力と幸福感
恋をしようよ
夢占いとかはできませんが、本作で描かれた2頭の鹿が雪に覆われた森の中で優しく触れ合う夢は、主人公の2人に対して「恐れないで恋をしようよ」と伝えているように感じました。上質なラブストーリーだな、との印象です。
ヒロインのマーリアがとにかくいじらしくて可愛いです。可愛らしさは『恋の惑星』のフェイ・ウォンに迫るレベル。マーリアは非常に繊細であるがゆえに人との接触に恐れを覚えていますが、一生懸命にそれを克服しようと頑張っている姿にキュンとします。レゴを使っての対人コミュニケーションの練習をするシーンとか接触の練習シーンとかは、とにかく健気で可愛いい。その姿が本当に真剣だからピュアな魅力があるように感じました。
一方、エンドレおじさんは微妙でしたね。久々のガチ恋で恐れてしまったのか、マーリアとのやりとりで過剰反応して冷たい態度を取ったりと、だいぶ年上のクセに包容力がなさすぎ。投げやりになってセフレ呼んで夜中に帰そうとするなど、結構なドグザレ野郎です。
おそらくエンドレは心の奥底で「自分は愛される資格がない」という信念に縛られているタイプで、これまでも同じパターンで恋をぶっ壊して来たのでしょう。片腕が不自由なため、『心の不自由さ=マーリア、体の不自由さ=エンドレ』の図式が成り立ちそうですが、いやいや、エンドレも十分心の問題を抱えてましたね。今回彼が勇気を出せたのは、不器用な者同士の恋だったので、ペースが合っていたのかもしれません。
マーリアは関係性への恐れ、エンドレは恋への恐れを抱いているため、夢の中の鹿のように安らかに触れ合うことができません。鹿の夢は、大丈夫、触れ合えるんだよ、と2人に教えてくれているのだな、と思います。そしてそれこそがこの映画の主題なのかなぁ、なんて感じています。
丁寧な作品ですが、演出面ではやや気になる面も。マーリアのサヴァン症設定とか微妙すぎます。発達だから特殊能力あり、みたいな描写は時代遅れ感あり。しかし、もっとも顕著なのは薬盗難事件の際に登場した女性分析医。
あの状況で性や夢の話を聞くというのも変だし、性にまつわるステレオタイプな質問自体が意味不明(今更精神分析への批判?)。そして情緒不安定でエロを強調しているも色気ゼロというバカ丸出しのキャラ設定。そのくせ最後は意外とまっとうなことを言ったりして、アイツなんなんだ!
マーリアとエンドレの夢が同じだ、ということを両者に判らせるためのマクガフィンなのかもしれませんが、この静謐な映画の中で浮きまくりです。まぁギャグなんだろうけど、あまりにも違和感が強い。アイツの存在は永遠の謎です。
夢とか意識で繋がる感じの物語は、惹かれるし心地よい。 夢の中で鹿と...
タイトルなし(ネタバレ)
☆☆☆★★
夢に登場する鹿のカップル。
一見すると「交尾するのか?」…と見えるのだが、特に何もしない。
牛の食肉処理場で働く男。
彼には少々不自由な悩みを抱えている。
そこへ新しく採用された彼女。
人一倍「愛されたい」…との願望を持ってはいるが、その人付き合いの苦手さで周りから誤解を招く。
そんな2人は、夢の中で森の中を彷徨いながら。ひたすら時を過ごす日常の鹿の様でも在る。
映画は演出上に於いて2人の心境等、詳しく説明していない事で、今1つ観客側には伝わり難い状況が発生して部分が多々おり。その辺りが観ていて少しもどかしい。
特に年齢差を越えて惹かれ合っていた…とゆうのが、最後の最後に観客側に分かるのですが。ソレに対する詳しい説明描写は無い。
どちらかと言えば、お互いにお互いを「厄介な人」…とゆう目で見ている様にも映る。
いや!もしかしたら、惹かれ合っていた描写は有ったのかも知れないのだが。だったら寧ろ、演出上で「別に理解して貰わなくても結構!」…と言った感じにさえ受け取れてしまう。
それらの、何故!年齢差を越えて惹かれ合ったのか?等の疑問は。最終的に、観ている観客側の判断に任せたのかも知れないのだが。
お互いに人を愛する事に不器用な2人。
ただただ、「どうしたら良いのか?」分からない日々が過ぎて行く。
そして…。
彼女の絶望が頂点へと達し、遂に決行した《その行為》
だがそれは、彼が不自由を感じていた同じ箇所でも有り、その時にちょっとした出来事が起こる。
それは、何気ない日常が奇跡へと繋がる瞬間でもあった。
2018年4月17日 キネマ旬報シアター/シアター1
異色のラブストーリー
ハンガリー映画はおそらく本作が初。アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされていたので鑑賞。
ストーリーは障害をもつ男女が同じ夢を見ることから親しくなり、恋に発展してゆく…というもの。
まず、脚本は自分の好みだった。今までありそうで無かった異色のストーリーで、二人の男女の感情が繊細なタッチで描写されている。とてもわかりやすいストーリーだし、テンポも割とスローなので気兼ねなく見れる。
アレクサンドラ・ボルベーイの演技はかなり良かった。精神的に障害を持った女性を見事に演じていた。
カメラワークなどの演出も良かった。演出からもポップな雰囲気も伝わってきたし、自然光を使っていたからかナチュラルだった。
「心と体と」この題名の意味は、恋愛をするためには相手と心と体を通わせ合う必要があるということだろうか。それとも、恋愛を通して心と体が成長するということであろうか。いずれにせよ、恋愛には何かしらの変化が伴うということを意味しているであろう。
その心と体の変化の描写が本作ではユニークで、見ていてどこかほっこりする。
一風変わった恋愛映画を見たい方にはおすすめ。
彼女を「不思議ちゃん」で片づけないで欲しい。
こんないい映画のレビューがまだないのに驚くが、まあいいでしょう。
いろいろこの映画についてのレビューやらを見受けるけど、概して主人公マーリアを「不思議ちゃん」扱いしている向きがあり、それが残念。できれば、いい女ぶってるとか、恋愛に鈍感とか、そういう視線で見ないで欲しい。はっきり言う、彼女は健常者ではなく、アスペルガー症候群であることを。知能はけして低くなく、むしろ特定の分野において特出した能力を持ち、その分、他人の気持ちを察することが不得手であったり、何かに固執したりする特性があるのが彼ら彼女らなのだ。それに気付けば、定期診療を受けている医師の存在や、一見不可解な彼女の行動が理解できるのではないか。ソーシャルスキルが欠如した彼女は、世間に適応する方法として、人形やぬいぐるみを使ったシミュレーションをして「予習」をするのだ。僕は、それらのシーンを見ながら泣いてしまった。彼女が自分を知っているからこそ、片手の不自由なさえないオッサンのエンドレとの距離を近づける努力が健気なのだ。
たぶん自分の感情さえもコントロールできない彼女は、自然に笑うことなんてしたことがなかっただろう。だからこそ、最後に柔らかい笑顔をエンドレと交わす姿が、とても情熱的にみえた。彼女が自分の心に素直に笑えたからだ。そして、こぼれたパン屑が気になるところが、結局彼女は彼女のままだってことで、こんな彼女をこのまま受け入れられるかなあ?と心配になりながらも、彼女のようやく見つけた幸福を祝わずにいられない気分だった。
全79件中、61~79件目を表示










