心と体とのレビュー・感想・評価
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かつてない不思議で神聖な余韻をもたらしてくれるラブストーリー
ハンガリーから届いた本作は、心と心とが静かに繋がり合っていく、そんな不可思議だが美しい瞬間に満ちたラブストーリーだ。20年ほど前、『私の20世紀』というモノクロ映画で高評価を獲得した監督が放つ久方ぶりの新作。奇しくも『レディ・プレイヤー1』や『ジュマンジ』では登場人物がゲームやバーチャルリアリティ内で異なる姿へと変身を遂げるが、本作における「夢」の中で見ず知らずの男女が何故か鹿になって出会うという設定も、これらと少し似ているのかもしれない。そこではあらゆる外見やハンディキャップを超えて、彼らは心と心を寄せ合い、自ずと惹かれあっていく。一方で男女が働く生肉処理工場は、命のやりとり、食の現実、そして魂そのものにも目を向けているかのようで、綺麗事だけではない崇高な視座や余韻をもたらしてくれる。おかしくて、可愛らしくて、しかし時々、厳粛な気持ちにも包まれ・・・こんな映画、他では滅多に出会えない。
ヨーロッパの映画、特に、観客に媚びてはない、伝統的な北欧や東欧の映...
久しぶりに見た佳作
地味な映画ですが、いくつか斬新なアイデアがあり、余韻が残る良作だなと感じました。舞台は食肉工場、人間の食物として動物の生が差し出される場所が舞台。もう一つは、夢に出てくる情景だけど、雄鹿と雌鹿のペアーが雪のある森に現れる。
相手が気になる場合、ついつい目線が向いてしまうって極めて古典的な始まりなのですが、たまたま、同じ夢を見ていることを知り驚く彼と彼女、食肉工場で処方される交尾薬もスパイスのように効いていました。これについては解説がほとんどなく、視聴側の判断に委ねられます。死の前に交尾?3分で済む?せっかくこの世に生を受けたのだから、せめて交尾をさせてやりたいって、残酷でもあり、思いやりでもあるか、と私は解釈しましたが、そういう神経がないとこの仕事は務まらないと主人公の男性も考えています。そして捜査にきた刑事をサーロインステーキ用の肉で釣って、なあなあの捜査にさせてしまう。やりますね。
ヒロイン役の女優さんが綺麗でした。喜怒哀楽の感情がほとんどなく、サヴァン的な特性の女性。しかしひとたび、そうしようと決めて行動する健気さが余韻に残りました。
メタファーの難しさ
2018年ハンガリーの作品
非常にメタファーで解釈が難しい作品
物語は屠殺場の財務責任者のエンドレと、出産休暇の代替としてやってきたマリアの物語となっている。
屠殺の瞬間は映像にないが、その直後の映像は見る人に大きな影響を与えるのは間違いない。
そしてそれらのことがあって我々は肉を食べることができる。
牛という生き物が肉というモノに変えられる瞬間があの場所
エンドレは面接に着た若者に「憐れみを感じないならば、この仕事は不向きだ」というが、確かに正気を保っているのは難しい気がする。
この場所をモチーフにしたのは、これが人間社会の仕組みで、最も酷な場所であって、心を閉ざさなければならないことで、加えてその延長線上にいる人間は少なからずその影響を受け続け、心や体が壊れてしまうという暗示なのかもしれない。
左腕が不自由なエンドレ
心が不自由なマリア
マリアは人との身体的接触を極端に避け、感情表現も非常に抑制している。
彼女は自閉スペクトラム症に近く、感覚過敏や社会的コミュニケーションの困難さがある。
彼女が手を握られることに強い拒否反応を示す場面などは、まさに接触恐怖症的だろう。
「鑑定士と顔のない依頼人」の主人公と同じだ。
二人は同じ夢を見ていた。
シカ
シカはおそらく自由の象徴
心や体の不自由さから自由への憧れをシカに例えたのだろうか?
社会構造が身体的自由を奪い、また心の自由を奪っている。
物語はその不自由さをAIとブレインマシンインターフェイスに置き換えた「攻殻機動隊」のようには持っていかず、お互いの欠点を認め合える世界に方向を向けた。
さて、
エンドレは老人であり妻とも別れ性的にもステージから降りた人物だ。
彼は娘がお金の都合を依頼してもOKせず、孤独な日々を過ごしている。
それはマリアも同じだが、何故この二人が主人公なのだろう?
何故親子ほど離れた年齢の二人だったのだろう?
エンドレは元妻か元カノかを呼んでSexし、やるだけやって「帰れ」という。
そこには満たされない気持ちと、マリアへの未練がある。
それ故に、「友達でいよう」と言ったにも拘らず電話を掛けてきた。
手首を切り血が溢れ出していたマリア
携帯電話に着信したのは間違いなくエンドレだとわかった。
絶望からの光
接触恐怖症を何としても克服したい彼女は、積極的に取り組んだ。
ただ、時間が必要で、ずっとモヤモヤしていたエンドレには少し長すぎたのだろう。
結ばれた二人はもうシカの夢を見なくなった。
不自由を克服した二人には、シカはもう必要なくなったのだろう。
この作品は、
人間社会のしている事実を背景に、命をモノにしてしまう構造と、それを知らない無数の人々は、動物たちの無言の声によって心も体も壊れていくのではないかと警鐘を鳴らしている。
そしてその壊れた体と心は、許し合い認め合う人間性によって補うことができると言っているのかもしれない。
エンドレが老人だったのは、老人にも未来はあると言いたかったのだろう。
最後の歌は、失恋を謳っているが、それは戦争によって引き裂かれたことを告げていた。
戦争も人間社会も否応なしだ。
このどうしようもない世界の中で、最後に通用するのが「許し合い認め合う人間性」なのだろう。
今回は完全に妄想的解釈だった。
寝ましょう
マーリアとエンドレ二人とも生きづらそう
少なくとも人生を謳歌してるようには見えない。マーリアの特性は生まれつきのものでしょうか。とても有能なんだけれども神経質な面もあり、周りと上手くコミュニケーションがとれない。本人も手詰まり状態なのか子供のころから診てもらっているDr.にちょくちょく相談しています。対するエンドレは後天的というか生きてるうちに段々人生を諦めちゃってる節がある。もういい年だし、手もこんなだし、って。でもやりきった後の清々しい明らめではない。マーリアに嫉妬したり、同僚の話にイラついたり、胸をチラ見したり。じゃあ我慢せずにやりたいように生きればいいのに、傷つくのを極度に恐れあと一歩が踏み出せない。もう無くすものなんか何もないのに、命綱は自分だけだから、壊れちゃったらと思うとやはり怖い。
後半マーリアは恋が失敗に終わったと勘違いし死を選択します。第三者から見ればお嬢ちゃん何も死ななくてもいいんじゃねとか、エンドレのおっさん何やってんだよ腰が引けてんだよあんな美人もうないよ人生最後のチャンスだよと思いますが、いざ自分が当事者になってみるとそうですよねわかります。恋は命をも喰らう諸刃の剣です。
追記)ラストのエンドレの幸せそうな顔あんな表情あったんですね。
ものすごく好きなのに、伝わりきらない
心と体は人間が「生きる」ということの両輪だ。「心と体と」で出逢うマリカとエンドレは、その片側に複雑さを抱えているのが興味深い。
エンドレの場合はわかりやすい。登場人物たちからの言及もあるし、少し観ていれば「左腕が動かないんだな」とすぐにわかる。
また、年齢を重ねたことで自分の魅力についても自信がなく、人生の実りの時期を迎えて「愛は自分のもとを過ぎ去った」と感じているであろうことも想像に難くない。
一方のマリカは内面に複雑さを抱えているので、最初は彼女の事がよくわからない。単に几帳面なのか、思いやりに欠けるのか、人付き合いが苦手なのか、判然としないのだ。
徐々にマリカという人物を理解していくのは、エンドレも観客である私たちも一緒である。
そんな「普通」と一線を画した二人が親密になるきっかけが「同じ夢を見ている」という事実だ。
しかも、互いが雌雄の鹿として互いの夢に登場するという不思議さ。
簡単に言うと、「夢で逢っている」状態だ。
こんな状況で運命を感じないわけがない。
エンドレは夢の中での逢瀬をきっかけにマリカに恋愛感情を抱いているのがすぐにわかる。
で、マリカも同様にエンドレに夢中になっていくのだが、それが全然エンドレに伝わっていないのだ。もどかしすぎる!
レゴの人形でのリハーサルや、雑貨店での化粧水のやり取りなど、細やかで繊細なディテールがシンプルなストーリーと美しい映像にマッチしていて、全く観ていて飽きない。
精神的にはお互いを求めて止まない状況なのに、夢の中では野生の鹿としていつも行動を共にしているのに、精神が肉体を媒介にした目覚めの瞬間から二人はすれ違い続けてしまう。
肉体があることで、愛しあうという純粋な行為に社会性やコンプレックス等の不純物が混ざり、愛を伝える困難さが浮き彫りになる仕組みがとても面白い。
ピュアで王道のラブストーリーを堪能しつつも、いかに私たちの社会が「普通」を前提に成り立っているか痛感させられる。
体が「普通」で、心が「普通」な人間たちだけで構成されているかのようなシステムからはみ出した二人を、応援したくなる良質な恋愛映画だ。
鹿のシーンがとびっきり
相当独特なラブストーリー
美しい肢体のアレクサンドラボルベーイ
夢の中、駆け巡る
舞台は食肉加工場
施設のトップであるエンドレと、新しく派遣された品質管理師のマーリア
コミュニケーションが苦手なマーリア、行動には規律や予習などの根拠を必要としている
対してエンドレは他人との距離は保ちつつもこれまでの人生での経験から、妥協や方便でうまく世渡りしている
家畜や食肉に対する問題に対して人が持つ感情を体現しているようにも考えられる
お互いがそれぞれのやり方で寄り添うことで、課題も残るものの共同生活を始めることになる
夢における2人は言葉を交わさずにただ行動を共にする
美しい景色とともに描かれるそれは2人の理想なのかもしれない
意外にも本筋はラブコメ
屠殺場でも夢のシーンでも、動物の眼が印象的に何かを訴えかけてくるように撮られていて、さらにハンディを抱えた主人公が登場した序盤では、メッセージ性が強く難解でとっつき難い作品なのかと思った。
しかし、見終わってみれば本質的には古典的で良質なラブコメと言って良いような内容に感じた。
1人の時、仕事の時、異性を前にした時、それぞれの心情やキャラクターがよく出ていて、そんな2人がすれ違いを繰り返しながら前進していき、これからもすれ違うんだろうなーとニヤニヤした。
全般的にタッチが芸術的で、見る側に緊張感を与えておきながら、例えばマーリアが音楽を試聴するシーンで流れたメタル曲や、ポルノを見ている姿や、例えば洒落にならないぐらい流血している時に告白されちゃう間の悪さや。
切実でありながらも、それが故にシュールで味わい深いユーモアを感じた。
それも含めて、見終わった後に妙に何度も反芻してしまう、味わいの深い作品だった。
フレンチ・アート・コメディ
テンションひっくいなー
同じ夢
女性がキレイで美しくてファンタジーなのかと思いましたが……違いましたね
二人の寡黙さがよかったです
言葉よりお互いの事を思いやれるから
……あなたは美しい……雄鹿が優しくて(あなたが好きです)と言っている様に思えた 彼女は彼女なりに一生懸命アピールしてたし考えてた
同じ夢をみることはあるのだろうか
不思議な気もしますがそこもおもしろいと思った
彼女は彼と共通するところは同じ夢だから
雄鹿の優しさを彼に投影していた(わからないけど)
包み込む父親みたいな彼が彼女にとっては心地よさもあり話す歩調が合っていた(何となく)
鹿の夢を見なくなったのは二人が心と体がひとつになったから(年が離れていても思い合える人がいる)
彼女の微笑む顔が明るい
明らかなネタバレあります。『心と体と』は間違い『心と体』だ。何故?『と』
あり得ないメルヘンだ。
映像が綺麗。いくつかの話が一つにまとまり、矛盾なく描かれていると思った。
小さな恋のメロディの大人版。
やっぱり、監督は女性でしたね。こう言う映画こそクールだと言いたい。
ある意味でグルーミングだと思うが、そこを乗り超えて、見るべきかなぁ。
3月25日 Amazonの配信終わるので、二回目鑑賞。
『この世界に残されて』と似た様な作りになっているが、ベクトル的には全く逆。この二人は夢の世界に入ったって事かなぁ。哲学的に奥が深いと感じる。
兎も角、僕の解釈が間違っていたとしても、終わり方が満足できる。
一回目の鑑賞の時、グルーミングの話をしたが、女性諸君には俯瞰して言いたい。『例えイケメンであっても、言い寄る相手には下心があると認識すべし。』
しかし、もし、その悪しき現状を訴えたいのなら、こんな汚い初老の俳優は使わなかったと思う。こんなかわいい子にこんな汚い老人。女性の監督が描く構図ではない訳だから、意図する所は、題名にあるように『心と体』だと思う。
動物のセックスは目と目を合わさない。いわゆる、背後から、彼女達も人のそれとは違っていた。
薄っぺらい表現を多用して、涙だけを誘い、興行だけを目的とする映画。同じ脱亜入欧をするなら、こう言ったヨーロッパもあると、空気を読めない日本人には分かってもらいたいものだ。配信を止めてしまうなんて!言語道断だ。あの映画なんて、劇場で未だにやっている。嘆かわしい。
すごくきれいな映画
冒頭の鹿のシーンがキレイだなぁと思ってたら、
それが夢につながるなんて。ストーリー展開もキレイ。
その鹿のしぐさの愛くるしさや、動きのキレイさ。
この映像を見てから脚本作ったのかと思うほど。
色使いと距離感(カメラアングル)がとても上手い。
コミュニケーションが苦手で人付き合いができない彼女と、
人付き合いが面倒でコミュニケーションを放棄した彼。
寡黙な二人なので、心の変化を色合いや小物、距離感やアングルで表現。
映画は映像で語ってこそ映画。
初めて彼の家に行くシーン。
「眠れない」は、
彼の方は興奮して眠れないで間違いない。
彼女の方は?雑音がうるさいから?
他人への対応や、エアーベッドへの切れ方、
嘘の付き方、元家族への接し方など
彼の人間性が垣間見える。
せっかく心と体が結び合ったんだから、
どうか汚さないでおくれ。
彼女の。
心と体と。
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