心と体とのレビュー・感想・評価
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かつてない不思議で神聖な余韻をもたらしてくれるラブストーリー
ハンガリーから届いた本作は、心と心とが静かに繋がり合っていく、そんな不可思議だが美しい瞬間に満ちたラブストーリーだ。20年ほど前、『私の20世紀』というモノクロ映画で高評価を獲得した監督が放つ久方ぶりの新作。奇しくも『レディ・プレイヤー1』や『ジュマンジ』では登場人物がゲームやバーチャルリアリティ内で異なる姿へと変身を遂げるが、本作における「夢」の中で見ず知らずの男女が何故か鹿になって出会うという設定も、これらと少し似ているのかもしれない。そこではあらゆる外見やハンディキャップを超えて、彼らは心と心を寄せ合い、自ずと惹かれあっていく。一方で男女が働く生肉処理工場は、命のやりとり、食の現実、そして魂そのものにも目を向けているかのようで、綺麗事だけではない崇高な視座や余韻をもたらしてくれる。おかしくて、可愛らしくて、しかし時々、厳粛な気持ちにも包まれ・・・こんな映画、他では滅多に出会えない。
寝ましょう
マーリアとエンドレ二人とも生きづらそう
少なくとも人生を謳歌してるようには見えない。マーリアの特性は生まれつきのものでしょうか。とても有能なんだけれども神経質な面もあり、周りと上手くコミュニケーションがとれない。本人も手詰まり状態なのか子供のころから診てもらっているDr.にちょくちょく相談しています。対するエンドレは後天的というか生きてるうちに段々人生を諦めちゃってる節がある。もういい年だし、手もこんなだし、って。でもやりきった後の清々しい明らめではない。マーリアに嫉妬したり、同僚の話にイラついたり、胸をチラ見したり。じゃあ我慢せずにやりたいように生きればいいのに、傷つくのを極度に恐れあと一歩が踏み出せない。もう無くすものなんか何もないのに、命綱は自分だけだから、壊れちゃったらと思うとやはり怖い。
後半マーリアは恋が失敗に終わったと勘違いし死を選択します。第三者から見ればお嬢ちゃん何も死ななくてもいいんじゃねとか、エンドレのおっさん何やってんだよ腰が引けてんだよあんな美人もうないよ人生最後のチャンスだよと思いますが、いざ自分が当事者になってみるとそうですよねわかります。恋は命をも喰らう諸刃の剣です。
追記)ラストのエンドレの幸せそうな顔あんな表情あったんですね。
ものすごく好きなのに、伝わりきらない
心と体は人間が「生きる」ということの両輪だ。「心と体と」で出逢うマリカとエンドレは、その片側に複雑さを抱えているのが興味深い。
エンドレの場合はわかりやすい。登場人物たちからの言及もあるし、少し観ていれば「左腕が動かないんだな」とすぐにわかる。
また、年齢を重ねたことで自分の魅力についても自信がなく、人生の実りの時期を迎えて「愛は自分のもとを過ぎ去った」と感じているであろうことも想像に難くない。
一方のマリカは内面に複雑さを抱えているので、最初は彼女の事がよくわからない。単に几帳面なのか、思いやりに欠けるのか、人付き合いが苦手なのか、判然としないのだ。
徐々にマリカという人物を理解していくのは、エンドレも観客である私たちも一緒である。
そんな「普通」と一線を画した二人が親密になるきっかけが「同じ夢を見ている」という事実だ。
しかも、互いが雌雄の鹿として互いの夢に登場するという不思議さ。
簡単に言うと、「夢で逢っている」状態だ。
こんな状況で運命を感じないわけがない。
エンドレは夢の中での逢瀬をきっかけにマリカに恋愛感情を抱いているのがすぐにわかる。
で、マリカも同様にエンドレに夢中になっていくのだが、それが全然エンドレに伝わっていないのだ。もどかしすぎる!
レゴの人形でのリハーサルや、雑貨店での化粧水のやり取りなど、細やかで繊細なディテールがシンプルなストーリーと美しい映像にマッチしていて、全く観ていて飽きない。
精神的にはお互いを求めて止まない状況なのに、夢の中では野生の鹿としていつも行動を共にしているのに、精神が肉体を媒介にした目覚めの瞬間から二人はすれ違い続けてしまう。
肉体があることで、愛しあうという純粋な行為に社会性やコンプレックス等の不純物が混ざり、愛を伝える困難さが浮き彫りになる仕組みがとても面白い。
ピュアで王道のラブストーリーを堪能しつつも、いかに私たちの社会が「普通」を前提に成り立っているか痛感させられる。
体が「普通」で、心が「普通」な人間たちだけで構成されているかのようなシステムからはみ出した二人を、応援したくなる良質な恋愛映画だ。
鹿のシーンがとびっきり
相当独特なラブストーリー
美しい肢体のアレクサンドラボルベーイ
夢の中、駆け巡る
舞台は食肉加工場
施設のトップであるエンドレと、新しく派遣された品質管理師のマーリア
コミュニケーションが苦手なマーリア、行動には規律や予習などの根拠を必要としている
対してエンドレは他人との距離は保ちつつもこれまでの人生での経験から、妥協や方便でうまく世渡りしている
家畜や食肉に対する問題に対して人が持つ感情を体現しているようにも考えられる
お互いがそれぞれのやり方で寄り添うことで、課題も残るものの共同生活を始めることになる
夢における2人は言葉を交わさずにただ行動を共にする
美しい景色とともに描かれるそれは2人の理想なのかもしれない
意外にも本筋はラブコメ
屠殺場でも夢のシーンでも、動物の眼が印象的に何かを訴えかけてくるように撮られていて、さらにハンディを抱えた主人公が登場した序盤では、メッセージ性が強く難解でとっつき難い作品なのかと思った。
しかし、見終わってみれば本質的には古典的で良質なラブコメと言って良いような内容に感じた。
1人の時、仕事の時、異性を前にした時、それぞれの心情やキャラクターがよく出ていて、そんな2人がすれ違いを繰り返しながら前進していき、これからもすれ違うんだろうなーとニヤニヤした。
全般的にタッチが芸術的で、見る側に緊張感を与えておきながら、例えばマーリアが音楽を試聴するシーンで流れたメタル曲や、ポルノを見ている姿や、例えば洒落にならないぐらい流血している時に告白されちゃう間の悪さや。
切実でありながらも、それが故にシュールで味わい深いユーモアを感じた。
それも含めて、見終わった後に妙に何度も反芻してしまう、味わいの深い作品だった。
フレンチ・アート・コメディ
テンションひっくいなー
同じ夢
女性がキレイで美しくてファンタジーなのかと思いましたが……違いましたね
二人の寡黙さがよかったです
言葉よりお互いの事を思いやれるから
……あなたは美しい……雄鹿が優しくて(あなたが好きです)と言っている様に思えた 彼女は彼女なりに一生懸命アピールしてたし考えてた
同じ夢をみることはあるのだろうか
不思議な気もしますがそこもおもしろいと思った
彼女は彼と共通するところは同じ夢だから
雄鹿の優しさを彼に投影していた(わからないけど)
包み込む父親みたいな彼が彼女にとっては心地よさもあり話す歩調が合っていた(何となく)
鹿の夢を見なくなったのは二人が心と体がひとつになったから(年が離れていても思い合える人がいる)
彼女の微笑む顔が明るい
明らかなネタバレあります。『心と体と』は間違い『心と体』だ。何故?『と』
あり得ないメルヘンだ。
映像が綺麗。いくつかの話が一つにまとまり、矛盾なく描かれていると思った。
小さな恋のメロディの大人版。
やっぱり、監督は女性でしたね。こう言う映画こそクールだと言いたい。
ある意味でグルーミングだと思うが、そこを乗り超えて、見るべきかなぁ。
3月25日 Amazonの配信終わるので、二回目鑑賞。
『この世界に残されて』と似た様な作りになっているが、ベクトル的には全く逆。この二人は夢の世界に入ったって事かなぁ。哲学的に奥が深いと感じる。
兎も角、僕の解釈が間違っていたとしても、終わり方が満足できる。
一回目の鑑賞の時、グルーミングの話をしたが、女性諸君には俯瞰して言いたい。『例えイケメンであっても、言い寄る相手には下心があると認識すべし。』
しかし、もし、その悪しき現状を訴えたいのなら、こんな汚い初老の俳優は使わなかったと思う。こんなかわいい子にこんな汚い老人。女性の監督が描く構図ではない訳だから、意図する所は、題名にあるように『心と体』だと思う。
動物のセックスは目と目を合わさない。いわゆる、背後から、彼女達も人のそれとは違っていた。
薄っぺらい表現を多用して、涙だけを誘い、興行だけを目的とする映画。同じ脱亜入欧をするなら、こう言ったヨーロッパもあると、空気を読めない日本人には分かってもらいたいものだ。配信を止めてしまうなんて!言語道断だ。あの映画なんて、劇場で未だにやっている。嘆かわしい。
すごくきれいな映画
冒頭の鹿のシーンがキレイだなぁと思ってたら、
それが夢につながるなんて。ストーリー展開もキレイ。
その鹿のしぐさの愛くるしさや、動きのキレイさ。
この映像を見てから脚本作ったのかと思うほど。
色使いと距離感(カメラアングル)がとても上手い。
コミュニケーションが苦手で人付き合いができない彼女と、
人付き合いが面倒でコミュニケーションを放棄した彼。
寡黙な二人なので、心の変化を色合いや小物、距離感やアングルで表現。
映画は映像で語ってこそ映画。
初めて彼の家に行くシーン。
「眠れない」は、
彼の方は興奮して眠れないで間違いない。
彼女の方は?雑音がうるさいから?
他人への対応や、エアーベッドへの切れ方、
嘘の付き方、元家族への接し方など
彼の人間性が垣間見える。
せっかく心と体が結び合ったんだから、
どうか汚さないでおくれ。
彼女の。
心と体と。
良い映画
神秘的と言っていいのか迷う
タイミング
孤独に生きる二人が
夢で出会い
現実でもひかれあう話。
もうだめだと思った時
聴く音楽は
何を選びますか。
そう訊かれたように
思いました。
せつない話。
途中までは…
ストーリーは、作中何回かある
ちょっとした不思議な出来事の連続が
好みです。
あれが無かったら
今は無いというような出来事。
多かれ少なかれ皆さん
体験したことあるんじゃないかな。
とくに、
最後に結ばれるまで
何回も絶妙のタイミングで起こる
出来事がいいですね。
プレーヤーが壊れて
着信音が聞こえたこと。
ある行為の途中で
途切れがちな電話の会話が
最後まで続いたことで
お互いの気持ちに気付けたこと。
初めてのお泊まりでは
眠れなかった二人が
心がつながったあとは眠ります。
眠くなりました。
寝ましょう。
眠ることが精神的に
つながることを意味する二人には
一緒に寝ることは
心と体が同化したことなんでしょう。
さまよっていた心が体に戻ったら
鹿になって湖畔に行かなくても
テーブルで二人は会えますね。
とても壊れやすいものを
そっと手でつつんだ心もちです。
おすすめ。
この映画、新しいジャンルの幕開け。
ちょっと重苦しいんだけど、
時々笑いが抑えきれなくなるの w
これって監督の映画作りの「観る者たちへの配慮や優しさ」ですね。
暗い画面と、ひそひそ話の舞台設定で、あー、このままじゃ最後まで観るの辛いなーと、その思いがピークになる毎に「笑い」を配置してくれて、一気にこちらは二人の応援モードに引き込まれるのです。
これは「シンプル・シモン」でも感じたことでした。「笑い」は心の緊張を緩めてくれます。緊張が緩むと人を助ける行為が少したやすくなります。
マーリアは今までセラピストとしか会話をしたことのない娘。だから職場の上司に自然に惹かれたわけでもなく好きになったわけでもない。
同じ夢を見た、それだけが彼女の心に何かを起こしたわけで。
上司のエンドレを頑なにシャットアウトしつつも内なる衝動を診察室やアパートの布団の中で自己分析し、初めての対人関係に向けての助走を試みて孤軍奮闘するマリアが見ものです。
そこに登場するCD屋のお姉さんや職場のお掃除のおばちゃんのマリアの“病状”への察し方。マリアに無理なく接するセンス。とても良いんだなぁ!
難しい付き合いになるだろうことは想像も出来るが、今は二人の笑顔をこちらも幸せな気分で見守る、それで良いし、それが良いのだと思う。何か再び事件が起こったときには我々がCD屋のお姉さんや掃除のおばちゃんになればいいんだから。
それにしても、
僕らの社会にはいろんな人がいるのだと教えてくれる映画が数多く作られる時代になりましたね。
そしてこんなにアーティスティックに、そしてスタイリッシュに対人関係障害やサヴァン症の人間を「社会人」として登場させることも出来る、そんな映画人が出てきたことは、新しい時代の幕開けという気がします。
【好きなシーン】
・ブラウスが淡い暖色になりボタンがピンクになるところ。
・リスカの彼女がエンドレの麻痺した片腕を持ち上げるところ。
・陽光を求めて人々が空を仰ぐ冒頭シーンと日陰に後ずさりしていたマーリアもエンディングでは日光を浴びる。
・テーマソング、ローラ・マーリングの「What He Wrote」。韻がとてもきれい。
ハンガリー映画。PG12はと畜、ポルノ、自殺シーンのせい?
セックスシーンも二度入るが扇情的ではないしポルノ動画もほとんど映らない。
性に振り回されてる。
つがいの鹿のシーンが冒頭、これがきれい。夢のシーンながら非常にクリア。最後の駆けるシーンもずっと静だったので何か良かった。
食肉牛と畜場で牛が肉になるまでを描写。そんなに詳しくはないけど結構あっさり人の手により断首
食堂のあるシーンが最後の晩餐の絵に見えた。
心に障害のある若い女性と 身体に障害のある中年男性 が夢で繋がる。
主演女性が おばあちゃんのアドバイスを受ける前後できれいになる。
姿勢は大事。服も大事
主演女優の裸あり。
割ったガラス 手首を縦に切ったらものすごいドクンドクン言うて血が出てきたのでぎょっとした。やるやるっていうぞっとする前段階演出
食べる、寝る、セックスと本能を描きながら夢を絡ませたりしながらシュールでもなくちょっとした仕草を切り取るところとか、時折入る劇伴とかに魅了された。
ヨルゴス・ランティモスのロブスターなんかよりは全然分かりやすい。
出てくるご飯が軒並みおいしくなさそうやったり貧相なのはハンガリーあるあるなのか。何か意味があるのか。
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