トム・オブ・フィンランドのレビュー・感想・評価
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「○○フォーー!」
あのルックスを大衆まで認知させたのはレイザーラモンHGかもしれないが、そもそもあのキャラを確立させたのはトム・オブ・フィンランドことトウコ・ラークソネンである。で、その人の伝記ということだが、ダイバーシティが叫ばれる中、当然のようにこういう人もスポットを浴びせられる時代なのだろう。そして今レビューを書いてる場所から数十メートル先にはメッカ新宿二丁目があるというのも偶然の出来事かw
そもそもホモセクシャルだったのか、きっかけがあったのか、そのところは今作では描かれていない。あくまでも、第二次世界大戦時に兵士として参加していた際の過酷な戦場体験のPTSDの中で強烈なトラウマとなって、具体的にはパラシュート落下隊のソ連兵を殺害したことが、その後の筋骨隆々とした体、立派な口髭とのセットで脳裏に焼き付いてしまったから、そのことばかり表現したい衝動に駆られたという件である。“芸術”という概念が統一を持てないので、これをアートと評するかどうかは言及しない。ただ、描きたくて仕方がないというモチベーションは、作者も含めて不特定多数の人々が支持すればそれは存在して良いものだとは考える。勿論、最近の企画展「表現の不自由展・その後」の問題ともリンクする問題でもあろう。“表現の自由”と“公共の福祉”、観たい人と観たくない人、そして観せたくない人、それぞれが自身の信条が確立しているからこそおいそれとは譲れない。その中で自分の抑えきれない欲望をこうして貫き通す生き方は、こうして歴史の一つとして形作られる。結果論と言ってしまえばそれまでだし、猥褻物なのかそれともアートなのかの領域を超える作品はそれだけ白黒をつけられないパワーを帯びているものだ。自分としては日本のエロ漫画のあの多種多様な表現内容は是非守って貰いたいものである。エロティックでグロテスクであったとしても、その歪な愛にも意義はある筈だ。
作品中の戦地の絶体絶命時のシーンにおいて、フィンランドの唄をコーラスで歌う場面がある。あの豊かで流麗な歌声は、まさしく世界に誇れる文化だ。そして、多様性も又同じく世界が世界に自ら誇って善い文化であることを胸に刻んでよいのではないだろうか。演出その他は、一時期流行ったイマジナリーパーソン(幻のキャラ)をリアリティに映し出す技法が随所に埋め込まれていて、観やすい作りに仕上がっている。あれだけLGBTに寛容と思われていたアメリカがエイズ問題に対してナーバスになってしまったことを、飛行機の窓に戦闘機が墜落していくイマジネーションを重ねる辺りは心象シーンとしても興味深い、多層的な心情を表現している。それにも増してずっと主人公にお節介を焼きながらも献身的に支え続けた妹の存在が今作品の核ではないかとしみじみ感じる伝記であった。
Hard gay≠英語?
はっきり言って、個人的には、Nonlinear narrative形式をとっているにもかかわらず、シナリオ自体も面白くできているし、彼の半生をうまく描いていると思われるが、これを家族はどう思うかは、別として......? この映画、冒頭のフィンランドにおけるソ連軍との通称“冬戦争”と呼ばれる戦いや「Tom of Finland」という題名そのものが人の名前(ペンネーム)だとは、全然知らず、この映画に違和感を覚えたのだが。
Tom.......
This could be cover material.
We need something more. For a cover artist,
we need something more.
Tom......Tom of.....
Yeah, Tom of Finland. How do you like that, Frank'?
...................
Tom of Sweden would sell more.
But it seems Finland has bigger c〇cks.
この映画、登場人物が本人たちとよく似ている俳優をキャスティングしていて、彼の28年間連れ添った"Nipa”や彼の精神的経済的?サポートをしたと思われる唯一の近親者の妹?Kaijaなど実物の人間と主人公を含め似ている。
自伝とはいえ、死んでから描くというのは、あまり個人的には事情があるにせよ、あまり好ましく思わないでいるものにとっては、「パピオン(1973)」(生存中に撮影、死後、放映)や「キューリー夫人(1943)」など面白く脚色している映画史に残ると思われるもの以外は、その対象とはならないので、この評価を聞き流してほしいのだが、そんなのあたり前だという声が聞こえそうなんだけど。
つい半世紀前までは、アメリカではソドミー法なるものがあったし、それでも日本においては、いまでは、朝のテレビ番組に化粧で塗り固められたゲイの方がテレビに映るのは、どうかと思うし、子供のいるものにとっては。外国では、テレビにも視聴制限を設けて、子供に対して保護的な意味合いがあるけど、天下のNHKでもそんなことはしていない日本である。
その当時、アメリカのコメディ映画でも彼らのクラブを揶揄して、真っ裸にされた男の人が、ゲイクラブに放り込まれるのというものも存在した時代に“Leather subculture”や“Gay leather man”というものを社会的に位置づけたり、作り出すきっかけとなった方の映画なので、それなり性的な場面も多く出てくるので、その方面の興味のある方以外は、お勧めはできないが、多くの批評家からは高い支持を受けているので、私のコメントは考えなくてよいと思われる。
TOUKO LAAKSONEN DIED
OF EMPHYSEMA IN 1991
この"ハードゲイ”という言葉は、自分が売れるためにだけ、吉本の芸人が作った和製英語である。嫌な言い方だが?
heterosexualでただよかったのか、それとも....!? 海外では、どちらかというとゲイの方たちのほうが、優しかったような、個人的体験として。
エンドロールで流れる曲は、Sylvesterの "Take Me to Heaven"この方も夭折したジュディ・ガーランドのように薬物中毒で、また性的マイノリティの方々から、神と呼ばれているうちのひとりである。
余談として、「オズの魔法使(1939)」当初、20世紀フォックス社をV字回復させた功労者であり、のちにブラック大使として国に貢献したシャーリー・テンプルが演じる予定てあったが、表向きは、映画会社間の契約のもつれとなっているが、実は、映画のプロデューサーが、彼女の眼の前で下半身を丸出しにしたのが原因とされる。(彼の名前は忘れた、テンプルの自伝に載っている)そこで、13歳の時はすでに前出のプロデューサーの愛人であり、17歳にして"ON,OFF"人間となっていたガーランドが抜擢されたいきさつがある。
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