人魚の眠る家のレビュー・感想・評価
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人魚の眠る家
脳死が人の死になりうるか?
脳死が人の死ならば、娘を殺しても殺人罪としては問われない。だが、もし脳死が人の死でなければ世間に脳死はまだ生きていると証明することができる。それなら喜んで殺人犯として刑を受けよう、と。
確かに人の生死を見極めるのは難しい。人間が完璧でない以上、人間が作り出した法は完璧であるはずがないから。今後、不老不死や脳細胞だけが生きていく時代が来るのかもしれない。いやいつの日か来るのだろう。自分たちにも関係のある話だと思ってもう一度見直したい。
映画館で観なくてよかった
公開当時、観たいと思っていたが、結局機会を逃した。
それを今日、たまたまテレビで観ることができた。
重いテーマだとはわかっていたが、タイトル通り「映画館で観なくてよかった」。
映画館で観ていたら、嗚咽を続けてしまい、周りから引かれていたに違いない。
自分には子供はいない。
だが、もしいたら。
自分の子供でなくてもいい。
自分の愛する人が同じ状態になったら。
脳死だと言われても、それを理解しても、
それでも「やっぱり生きている」と思いたいだろう。
この重い映画の救いは、3つ。
終盤で、娘が母親に、「今までずっとありがとう」と言ったシーン。
そして、担当医師が、「あなたの娘さんは、この世界のどこかで生きています」と言ったシーン。
最後は明るい青空のシーンで終わったが3つめ。
いい映画だった。
原作を裏切らない
個人的に家族構成が同じこともあるが、共感することがいっぱいで、役者、子役の演技も素晴らしくて映画としても本当に良かった。
子供が脳死状態と言われても、心臓が動いていたり、握った手が動いたら絶対に死としては受けいれることができない母親の気持ちや、周りの家族のそれぞれの複雑な思いも細やかに描かれていて、素晴らしかった。
原作がよく出来ているお話ということもあるけど、そのお話にも負けない表現力がこの映画にはあると感じた。
身近な人の死を受け入れるには時間が必要
身近な人の死を受け入れるには時間が必要
休日の朝から観てしまいました。「脳死」を真正面から対峙した意欲作。重いテーマでしたが起承転結上手くまとめてあると思います。医療科学技術の進歩と共により多くの葛藤が生まれる社会的警鐘的な意味もあると感じました。子役を含めて役者陣も素晴らしいと思います。臓器等移植提供意識表示カード持とうと思います。
東野圭吾原作未読。フジTVの映画なのね
実際にあったよねそんなプールの事故
脳死と臓器提供
臓器移植をしないなら脳死判定はしないとは知らんかった
脳死と心臓死
一度は臓器提供しようとするのね
弟おるんや
動いた?やっぱり土壇場で変わる人おるよね
ラザロ兆候
横隔膜ペースメーカー
松坂慶子もつたないながら協力、あたりがきつい
ANC
脳が出す信号は人工的に作れるの!?
反射は無理
広い家で社長やから出来る
科学技術は人を救える
身体障碍者を救う技術を脳死患者に使う無意味さを問うものも
エコー現象
動くと思うと欲張っちゃう
成果が上がると夢中になっちゃう
季節感
もんじゃ焼き屋でデート かっぱ祭り
やっちゃだめだってのに披露しちゃうしバラしちゃうし大丈夫??
あんな言い方したら不安になっちゃうよね
雨の降らせ方尋常じゃないね
エコー現象キターーーー
おいおいホラーチックに
社長に対して反発が
人のエゴが発展を生んできたが神の領域に手を出すのは・・・
コントローラーで動かす技術が上手くなったおかん
これは怖い
まさにエゴ
さすがにおやじも怖くなってきた、研究やめさせるわな
これもある意味エゴ
それが嫉妬と取られても無理ないか
男は勘違いしがちよね
ここで再び臓器移植をみせる
母孤立する
夫婦喧嘩に浮気の対応持ち出された。あきらめるのが嫌っていわれてもねぇ
あ、拡張型心筋症のこ亡くなったひどい
オカンのアップちょっと疲れ気味でよかった
脳死している娘を殺したら殺人ですか?
死んでるいうたり殺すないうたり
俺が偽りの希望を与えた
いとこ衝撃の告白
ひどいな弟まで泣き出したよ
警官はええ迷惑やな
川栄ちゃん優しいね
毎日のように散歩してた理由が明らかに
うわ目開けた
感謝をいうてことは死ぬてこと!?
尿崩症
脳死判定
ガーデン葬式
この世界の何処かで彼女の心臓は動いている
提供された子供が広い空き地に
東金市
山梨県
考えさせられるテーマ
脳死に関しては様々な解釈があり、永遠の課題。
技術の進歩により、脳死のあり方に変化が生じていることから、考える家族や周りの人によっても見解が分かれることをテーマとしている。
人はいつ死ぬのかなど、改めて考えさせられた。
子供を持つ親の立場としては、起こしたくない事故から始まり、自分ならと想像せざるを得ない作品。
深く長い色んな感情が溢れる作品
東野圭吾さん、大好きです。
今回はこれミステリーではないですよね?
ヒューマンでもない。
娘が水難事故で脳死状態になり
家族はどう受け取りどのように向き合っていくのか
それを見た周りの人たちは何を思うのか
綺麗事だけじゃ見れない作品でした。
篠原涼子演じる母親の気持ちにどうしても立ってしまう。
自分ならどうするだろうか、、
正解なんてない。
たとえ事故で死んでいたら?
突然、いなくなる悲しみは痛いほどわかる
だけど、これからいなくなる悲しみは
それはそれは深く長く悲しみつづけるのだろう
ほんと篠原さんが演技うますぎてめちゃくちゃ高評価です。
軽い気持ちでみると受け入れにくい作品だと思いました
個人的には高評価です
人間性を問われる思いテーマを正面から描き出した良作。篠原涼子演じる薫子が我が娘を愛するあまり、狂気の道に踏み込んでいく姿が観ていて辛い。
冷え切った夫婦(西島秀俊演じるIT機器メーカー社長と妻、薫子(篠原涼子)の関係性がこの作品の根底を成しているのは観れば分かる。
実に切ない物語ではある。
会場内のあちこちから啜り泣きが漏れていたのを思い出す。
救いのない物語で終わると辛すぎるなあと思いながら観ていたら、最後は少しだけほっとできた。
松坂慶子の熱演と、矢張り篠原涼子の凄さに瞠目させられた作品でもある。
<2018年11月16日 劇場にて鑑賞>
科学の倫理か?親の愛か?
レンタルDVDで鑑賞。
原作は未読。
親としては、それがどんな形であれ、子供に生きていて欲しいと考えるのは当然のだろうな、と…。しかし正しいやり方なのか。そこから生まれる葛藤に考えさせられました。
私は独身だし、子供を育てたことが無いので想像するしかありませんが、相当苦悩するだろうし、わずかな希望に縋り、あらゆる手段を講じて延命を図ると思います。
しかしながら、人工の電気信号で手足を動かし、笑わせるシーンを観たら、さすがに考えが揺らぎました。「まるでロボットじゃないか」と思ってしまったからです。
果たしてそれは「生きている」と言えるのか?
考えれば考えるほど難しいテーマだと思いました。
やっぱり答えなんて出そうに無い。
[余談]
「科学の倫理に迫る」と言いつつも、迫りきれていない感じでした。この手の作品の常なのか、つくり手としての答えは提示されないまま終わってしまいました。
確かに一筋縄ではいかない問題だし、答えを出すこと自体間違いなのかもしれません。ひとりひとりが考えて、意見を持つことが重要じゃないかなと思いました。
※修正(2024/05/26)
長期脳死だった息子の母です
突然、眠りっ子になった息子との在宅の5年間を思い出しました。大学生と高校生だった娘たちと痰の吸引や経管栄養の手技を覚え、二時間おきの体位交換したり、オムツ交換したり…ドクターは脊髄反射と言っていたけれど、息子は蹴飛ばしたり、手を繋ぐと握り返してきたりと様々な反応で、「僕は生きているよ」と伝えてくれました。在宅になってから、その反応が多く出てくるようになりました。うっすら笑みを浮かべることさえありました。うちみたいに長期脳死の子供と幸せに家庭で暮らす家族もいるのだということを知って欲しいし、脳死状態になっても、在宅を選ぶ選択肢もあるのだということを知って欲しい。脳死は人の死ではありません。たとえ脳死状態であろうと、かすかに自発呼吸している場合もあるし、家族の気持ちを受けとめてくれています。おうちに帰ると、動きが増えて、いい表情をしてくれました。いろんな感想があるとは思いますが、私は映画を観て自分の経験と篠原涼子扮する母親の生活、気持ちが被ってしまい、ずっと泣いていました。あまりに共感できたので…おうちの医療機材等も、「うちもああだったなぁ」と、懐かしく観れました。映画の中のような家族は日本にはたくさんおられると思います。在宅の選択は、私たち家族にとって、息子と幸せな時間を少しでも長く過ごすためのベストな選択であったと確信しています。とてもよい映画だったと思います。
誰にでも起こりうる問題
医療の進歩によって脳死と言うものが生まれた
それによって残されたものの苦悩が描かれる
眠り続ける娘を介護する母親を誰が責めることが出来ようか?
自分の子どもが夫が脳死になったら、息をしているけれど
目覚めることはないと医師に言われても
ああ そうですかと あっさりと認められるだろうか?
身内が自分が脳死になった時 どうすべきか
考えさせられる
余談ですが 予告編で「お母さん ありがとう」と言う
シーンを紹介しているのですが、これはしてほしくなかった
劇場で初めて知って泣きたかった
そして いつ何が起こるかわからない
だからこそ 家族とはしっかりと向き合っていきたいものだ
四葉のクローバー・・誰かのために残しておくって。
映画「人魚の眠る家」(堤幸彦監督)から。
原作が、東野圭吾さんの同名ベストセラーだったから、
ストーリー的には、ラストまで安心して観ていられたが、
なかなか難しいテーマを、よくここまで表現したな、と感じた。
「(今の日本では)極端な言い方をすれば、脳死と心臓死、
どちらの形で命を終わるか選ぶ権利があると言うことです」という
医師の説明に、妙に、日本らしいな、とメモをした。(汗)
植物人間に刺激を与えて、脳波とは関係ない伝達手段で、
体の一部を動かす行為が、
「人間の技術が関われることを許される範囲」かどうか、
それとも、神の領域なのか、いまだに分からない。
ただ「植物人間状態の人間を殺して、殺人罪に問われるかどうか」
これも「人は二度は死なない」という台詞に、私の心は揺れた。
「臓器提供」の問題についても同じで、自分の意見が定まらない。
そんな中、こんな話がメモに残されていた。
母親が父親に事故にあった娘の性格を伝えるシーン。
「前に公園でね、瑞穂が四葉のクローバー見つけたの。
『それ見つけたら幸せになれるんだよ、持って帰れば?』
って教えたら、なんて言ったと思う?」
「瑞穂は幸せだから大丈夫。誰かのために残しておくって、
そういう子だから・・」と泣き崩れるのだが、私も涙腺が緩んだ。
そしてラストシーン、彼女の臓器は、誰かのために役に立つことに。
重たいテーマだったけど、いい作品だっなぁ。
刹那、その愛、狂おしいほどに…
たとえこの幸せが刹那のものであろうとも
だからこそ、今を、この瞬間を生きる…
かつてのわたしなら、観ることをためらったであろう作品。
たとえ意思の疎通ができなくても、
言葉を交わさずとも、お互いに【心と体】が引き合ったり
サインを発しあったりする事があります。
それは日頃気にしていないにしろ
生き物には本来備わっている感覚なのだと思います。
そして時に、思考や理屈を越えた “なにか” がヒトを突き動かす衝動に変わり
他人はもちろん自分でも分からない行動に及ぶ、それを【本能】と言うのだろう。
篠原涼子さん演じる母親が娘の死を受け止めることをせず
たとえ見せかけだけの〈生の執着〉にすがったのは
はたして【母性本能】なのか、それとも【ワガママ】なのか…
本作『人魚の眠る家』の主要人物たちはいわゆる「ブルジョア階層」で
まぁ、お金持ち!
映画の見せ方で言うのなら、財力あっての延命処置であり
また手足を動かせる技術の持続につながっているのだから
最初わたしは、やっぱり【ワガママ】な部分を感じていました。
でも終盤に進むにつれ、事件の真相が明らかになり
母親も感情を出し切り、気持ちの整理ができた段階にきての
『もう、いくのね…』
『おかあさん、ありがとう。うれしかったよ…』
のシーン。もうわたし号泣!!
最後はやっぱり【心と体】がもたらした【母性本能】
だったんだなぁと思いました。
あと、オープニングからアバンタイトルのシークエンスが
ラストシーンへとつながるところ、古典ではなくむしろ様式美
であるとわたし個人は強く思うのでありました。
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さて、今回はいつも以上にさらに語らして!
パーソナルな部分と個人的見解。
毎度のことながら、ほかの作品から引用させて下さい。
わたしは作家〈上橋菜穂子さん〉が好きで、ほんとうに好きで
著書『獣の奏者』の文庫版が発刊された際
すぐに手に取り書を読み進めました。
ですが後半、つらくて読むのをやめてしまいました。
なぜならば、本書の主人公の女性が戒律を破ってでも
真実を追い求める過程で、亡き母の残した足跡をたどるうちに
徐々に母のその思いを知っていく…
という物語の構造がとても悲しすぎたからです…
そして本作『人魚の眠る家』では、娘を思う母の視点で描いていますが
【母と娘】との関係性のカウンターとして『獣の奏者』とを重ね合わせて
わたしは観てしまいました。
母と娘と、さらにその子供という世代を超えた【思い】はきっと
つながっていく。いや、つなげなければいけない。
それは長く連綿と続く生命の営みなのだから…
だからわたしは【もうひとりの母】松坂慶子さんもすごく不憫に思い観ていました。
そして本件に関わった、これから母になるであろう川栄李奈さん演じる女性も
すでに母親になる覚悟がすわったから彼氏、坂口健太郎をゆるし「おかえり…」
と声を掛けたのかもしれません。
最後のカット、かつてあった『人魚の眠る家』が空き地になっていたのが
皮肉にも悲しかったなぁ…
さて、ここで言う【人魚】とは数々の伝記から想起される
個人の《永遠の生命》ではなく
ヒトからヒトヘの《普遍的な生命》のイメージなのだと
ラストの少年が教えてくれた気がしました。
2018/11/29 劇場にて鑑賞
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