「涙が止まらない」人魚の眠る家 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
涙が止まらない
東野作品を何十冊か読んだ中で、この作品と「時生」そして「ナミヤ雑貨店の奇跡」は涙を誘う作品だと思う。
ナミヤ雑貨店の奇跡は、その構成要素が多すぎて映画でははしょられた部分があって、最後の感動シーンにやや物足りなさを感じた。これが私が今までこの「人魚の眠る家」を見なかった理由だ。しかし見てよかった。
生死判断とは面白いもので、「社会死」以外はすべて医師によって「死」は確定される。
しかし脳死と死は、作中でも言っているが臓器移植の希望とその後行われる脳死判定によって決定する。
生きているのかもうだめなのか…
この作品が投げかけている大きなテーマだ。
最初からこの問題を医師から問われ、やり場のない狼狽状態となる。
しかしミズホの手が動いたことで「この子は生きています」と力強く答えるのだ。
こここそが、まず最初にあるべき思いであり、立ち位置であることが強いメッセージとなっている。
夫がブレインマシンインターフェイスの社長だったことで、研究員の一人がしている電気信号で体を動かす技術に頼り、彼の研究を娘を動かすことで進行させる。
自発呼吸のような横隔膜ペースメーカー。そして背骨に殿筋号を送って手足を動かす装置。
その様子を見た夫は違和感を覚えるのだ。
そして級友に出会い、友人の子供が心臓病でドナーを探していることを聞き、100万円を寄付して募金活動を手伝う。
やがてこのことは妻の癇に障る。妻は「あなたはもうミズホが死んだと思ってるんでしょ。100万の献金はあの時ミズホを脳死判定しなかった罪悪感からでしょ」というが、おそらくは図星なのだ。
こうしてミズホのことについてもう一度話し合うことになる。夫婦間に大きな亀裂が入る。そのとき電話が鳴り、心臓病の女児が死んだこと知らされた。
ミズホのことについてさらに考える時が来た。亀裂が入っていたのは夫婦だけではなく、長男、妹とその子、母ともそれぞれ少しずつ意見の差が重なり続け、長男に至っては学校でのいじめのネタにされていたのだ。
生きているのか、死んでいるのか? これは、国が決める…?
すべてのひずみがまるで妻一人に集中してゆく。包丁を持って訴える妻。
「この子を殺せば殺人か?」「この子は生きているのか?」「でも脳死だ」
そしておぼれた原因が明かされるが、それはもうどうでもいいことなのかな…
やがて家族で抱き合って泣きじゃくる。
研究員の星野は、静かに家を出て彼女の仕事先へ向かった。
「人の心」 科学がいまだ介入しようとしていないものに、その大きなものに触れたことで、彼の意識が変化したのだ。
ミズホの様子は変わらないまま時間だけが過ぎてゆく。
ある日家族で出かけた先で、あの日ミズホが絵で描いた場所にたどり着いた。
長年の後悔が癒された瞬間だ。
そして間もなく、妻は夢を見る。ミズホが目を覚まし「お母さんありがとう。いままでありがとう」彼女はアラームで目覚める。
病院では延命治療の継続について薬品投与する提案をされたが、二人は臓器移植を希望した。
窓から差し込むまぶしい光が印象的なシーンだ。
時は過ぎ、心臓移植を受けた少年があの家に向かう。
向かわせたのは間違いなくミズホの魂だ。
その場所には何もなく、広大な敷地があるだけだ。
やがて少年の視点は空に浮かびしばらくはその土地を映し出し、やがてどこかほかの場所へ移動していく。
もうそこに人魚はいない。だから人魚の住む家もいらない。ミズホの魂は大空へと旅立ったのだろう。
この作品の素晴らしさは、人の命とお別れするには「これだけの時間がかかる」ことを意味しているのだと言っているように感じた。
そしてお別れに必要な、考えざるを得ない要素がたくさん積み込まれているのだ。
普通の死は割と短く、だからその後のお別れする気持ちにも時間がかかる。
生きているのか 死んでいるのか
法的なことはある。しかし、科学でも測れない人の心の問題は、紆余曲折を経験しながら、納得するまで右往左往してもいいと思う。
いい作品だった。