「お別れの期間を、決められるからこそ生じる葛藤」人魚の眠る家 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
お別れの期間を、決められるからこそ生じる葛藤
様々な視点から、何を「生きている」とするのか、考えさせる作品。
プールで沈んでしまった従姉妹の指輪を拾おうとして潜り、脳死になってしまった、小学校受験を控えた瑞穂。
夫が浮気し、それでも子供の環境をベストにしたいと小学校受験を考えるのだから、元々、母である薫子は希望を捨てずベストを尽くして頑張りすぎる傾向があることがわかる。
一方、バランスを取るように、物分かりの良い夫。
「あなたは泥にまみれない」
そう言われるとおり、浮気した事よりも、そのあと「それでも家族の元にいたいんだ」となりふり構わず言えなかった夫に、薫子は離婚を決意した経緯がある。
娘の瑞穂が脳死状態になった時から、瑞穂の弟の生人の生活は、瑞穂の介護中心になっていただろうし、どれだけ技術を駆使して瑞穂の身体をいつ生き返っても良いように保っておいても、脳が戻ることはない。
そこを重々わかっていても、一縷の望みがあるのかもしれないと薫子は願いを込めながら、毎日瑞穂の身体を保つ介護を続けていく。
技術で身体を維持できることで、家族が万が一の希望を持てると知る夫の和昌。
夫が社長として継いでいる会社で、反射神経に信号を与え身体を動かす技術研究をしている星野は、脳死状態の瑞穂に動きを与えると、死とされている肉体でも身体は健康を保てたり、家族に希望を与えられるという技術の喜びを実感し、使命感とやりがいを感じていく。
でも、瑞穂のお顔が、脳からの司令で笑う事はもうない。瑞穂の心が動くことは、もうない。
その現実を、客観的に関わる者ほど受け入れられるが、脳死かどうかすら臓器判定すると決めない限りわからない家族にとっては、身体が刺激に応えられるうちは命があると捉えるだろう。
脳死状態の娘の身体を在宅介護で維持する生活を、異様や不気味と思うよその目も、身体あるうちは家族の一員として暮らそうとする気持ちも、どちらもよくわかる。
でも、実際に、脳死状態の瑞穂の生命反応を止めようとすれば、皆がやめろという。
瑞穂の存在は、生き続けているから。
もしも在宅せず病院に置いていたら、病院のベッドで事前に心停止するまで眠り続けていたのかもしれない。
それを自宅で眠る事にした場合、できることがあるうちは、できるだけしたいのが親だろう。
でも自然に任せないそれは、人間がして良い領域なのか?
心臓移植を待つ父親が、国内ドナー提供が現れず海外での移植に向け募金活動を行う矢先、限界を迎えた子供の命が亡くなる。
瑞穂の心臓を差し出すべきか?
一瞬でもよぎる父親和昌に、移植待ちの父親は「脳死でもその子はご家族の中では生きている」と話す。
生きていた命のその存在は、皆の心の中でどこまでも生き続けると確信が持てるまでは。
皆がその命の肉体とのお別れを受け入れる覚悟ができるまでは。
誰にも脳死を死と思えなくて仕方ないと思う。
何年も在宅介護を続けて、夢で娘がお別れに来たその日、薫子は瑞穂とのお別れを受け入れ、その日を命日とした。
瑞穂が脳死状態になってから、弟の生人が小学校入学しお誕生日を迎えるまで時は進んでいるので、おそらく2年半程度経過しているのでは。
その間、お世話を続けた母薫子の気持ちの葛藤、体力と精神の消耗は凄まじいだろう。
なぜそんなに頑張れたかって、目の前に我が子の命があるからにすぎない。
大病中の子供の看病と、親としてすることは違わない意識なのだと思う。
目の前の妹親子の若葉ちゃんがどんどん成長し、身体とともに思考も大人びてきて発言もお姉さんになっていく過程と、瑞穂の容体との対比をさせられるのが、見ていてとても酷だった。
でも、若葉ちゃんは心も成長してきて。
全く悪気のなかった瑞穂の事故なのだが、一因を持ってしまった時、どんなに罪悪感に苦しんできただろう。
そこで、正直に話し、大きくなったら瑞穂の介護を手伝うと言い出せた勇気。
脳死状態の瑞穂を見続けるうち、周りも様々な想いを抱き変化していく。
弟の生人も、外の人間が脳死状態の姉を見る目にもろに晒されて、家では祖母も母も瑞穂につきっきり。
寂しい気持ちを思うと、辛くてたまらなくなる。
皮肉な事に、目の前のその人に本当にいて欲しいと思う気持ちは、薫子の中では、和昌に対してよりも、健常な生人に対してよりも、瑞穂に対しての方が大きかったのでは?
でも、瑞穂に関してそれぞれが気持ちを打ち明ける事ができて、話し合えた時、薫子と妹も、祖母と薫子も、薫子と和昌も、家族になれた気がした。
受験や離婚や娘の脳死状態を通してもなお、家族に当事者としてぶつかることをしなかった和昌が、何をもって死とするかの実感があったのは、心臓が止まった時だった。
ところが、心停止したあとの瑞穂の心臓は移植され、物理的にも別の子の中で生きている。
脳が死に、心停止してもなお、瑞穂は生き続ける。
瑞穂との記憶や想い出や存在感も一生、生き続ける。
心の中にどんなに生きていても、肉体の死は受け入れ難い。
でも、肉体をどんなに生かして笑顔に操作しても、心からは笑わせられない。
心からの笑いは、脳が生きているから。
生きているうちに、生きている家族や周りと、
心を通わせよう。脳を通わせよう。
お別れが突然の死でないからこそ、
判断が生命に影響してしまうからこそ、決められない。