「警察が手を出せない悪をぶち殺す映画かと」デス・ウィッシュ うそつきカモメさんの映画レビュー(感想・評価)
警察が手を出せない悪をぶち殺す映画かと
ブルース・ウィリス。言わずと知れた『ダイハード』のジョン・マクレーンにして、『アルマゲドン』『12モンキーズ』『隣のヒットマン』など、役柄も様々に、たくさんの主演作を残してきた稀代の人気者。
組む監督ごとに、ちょっとずつ違う顔を引き出しながら、これだけ多くの主役を演じられたのも、ただ人気者なだけではきっと無理だったろう。今回の主人公にしたって、外科医でありながら、復讐に身を焦がす父親という、そこそこ特殊な設定でいて、やっぱりブルースのものになっている。例えば違う俳優だったらどんな映画になっていただろう?なんて想像すれば、よくわかる。彼がいかに自らのキャラクターに役を引き寄せているかを。
銃の扱いは素人で、腕っぷしが強いということもなく、失われたしあわせに胸を痛める一人の男は、それでも粛々と復讐を遂げていく。いくつかの偶然と、外科医という特殊技能を生かし、最終的に彼が手に入れたものと、失ったもの、そして成し遂げたことが、映画における語るべきことのはず。ところが、そこを飛び越えて、ブルースの見せる顔はやっぱりいつものブルース。映画館を出るころには、「ブルース・ウィリスを見た」気分になっているのだ。
この映画が大きく意識しているのが、地域社会における人々の織り成すドラマで、ヴィジランティズム(自警活動主義)に対するアメリカ社会の考え方に始まり、格差社会、人種の壁、警察の限界、風評と自尊心、そしてSNSの在り方を織り交ぜて、巧みにストーリーが進行していく。
太り過ぎを気にしてグルテンフリーの不味いお菓子を我慢して口にする刑事や、金の無心に来る弟など、「何かの伏線だな」と感じさせるものが実はエンディングに至るまでその時点での主人公の立ち位置を分かりやすく観客に知らしめるための存在で、主人公の喪失と成長を示してくれる。伏線かと思ったらただのキャラだったのだ。惜しむらくは、敵の存在がひどく衝動的で統率のないギャングくずれに過ぎず、もっと狡猾で強いキャラクターではなかったことだろう。そのことで、生き残った時の達成感のようなものが得られない。言葉を選ばずに言えば、娯楽性が薄い。しかし、制作者のこだわりのようなものが感じられる堅実な作りの映画だった。
それにしてもR-15のレイティングは解せない。興行成績は、おそらく惨敗に違いないと思うが、それは映画の出来やレイティングによらない。今求められているものがこの映画に有るや無しや。そこに尽きる。法で裁けない、行政で取り締まれない悪い奴らを、目を覆いたくなるほどの徹底した暴力描写でぶち殺す。そんな映画を想像していたが、違った。先述した通り、客観的に自分がどう映っているかを、常に俯瞰で見せる手法がとられている。その分暴力描写は薄められ、何なら、無かったとしても映画が成立するほどだ。そこに監督のこだわりと、小さなことの積み重ねで語っていくブルースの新境地を見た。
最後に映画あるある。「エレベーターに割り込んで乗る男は必ず悪いヤツ」
2018.10.22