「もう一つの響が見てみたい(駄文長文御容赦)」響 HIBIKI サンダンスの幽霊さんの映画レビュー(感想・評価)
もう一つの響が見てみたい(駄文長文御容赦)
「痛快!スカッとした!気分爽快!」
「自分を曲げず汚い大人をやっつける彼女の生き様に共感」
「平手友梨奈は鮎喰響そのもの」
この映画の高評価レビューの大勢はこんなところか。
映画を見た受け手の多くがこう感じたのなら、アイドル主演映画としてまずまず成功した部類に入るのだろう。言ってることは正しい(っぽい)が、やってることは社会通念とかけ離れるので、「大人の常識なんてクソくらえ!」と単純にスカッとしたい人であれば、キャストのファンであるなしに関わらずそれなりに楽しめるはず。彼女の物言いに「そうだ!そうだ!」と相槌ちを打つのは簡単にできる構成だからだ。更に言えば平手友梨奈のファンなら文句なく☆5満点だろう。登場シーンは豊富でドアップも満載だ。
私自身も、もしこの映画を『天才的ともいえる小説家としての才能を秘めた女子校生-響-の巻き起こす、大人へのアンチテーゼをテーマとした痛快活劇』…として観るならそれほど悪い評価はつけない。
但し、主人公からなにか共感を得るといった類ではなく、深く考えずに女子校生がスカッとゲスな大人をぶっ飛ばす様子を喝采しようではないか…といった見方にはなるが。
104分のストーリーには主人公の信念や生き方に関する背景描写がほとんどなく、天才感も悲しいほど乏しい。原作を読んでいればある程度補完されるものの、実は原作でもそれほど彼女のバックグラウンドは説明されていない。小説を投稿しただけで一気に響は天才認定され、いきなり破天荒な行動が全面に出てくるから、特に原作未読の人は彼女の生き様をスクリーンに写る行動や言葉から勝手に妄想せざるをえない。
また、エピソードが雑多で一つ一つは浅薄だから主人公の個性を際立たせる面ばかりが悪目立ちしてしまい、ややグロテスクに感じてしまうのは残念。実は普通の高校生でもあるんですよといったシーンも挟まれてはいるが付け焼刃な印象。もっと高校生らしさをスポイルしない演出方法はなかったか。
主演は欅坂46の平手友梨奈。
実際に多弁ではなく、朴訥と喋る人物像は主人公の鮎喰響にピッタリといった声も決して的外れではないと思うが、如何せん平手友梨奈がセンターを務める欅坂46の楽曲の風味がキャピキャピの色恋ものでなく、「反大人」だったり「自分に正直に生きる」などのメッセージ性の強さにあることを考えると若干のあざとさを感じざるを得ない。鮎喰響に嵌る役者がいたというより、今の平手友梨奈に嵌るキャラを探してきましたと言ったら少し嫌味かもしれないが。
演技力は…過去のアイドル主演者(デビュー当時の原田知世や松田聖子など)と相対評価をすれば確実に及第点。セリフを一言二言喋っただけで「大根!」と叫びたくなるような人も大勢いたが、彼女にそれは当てはまらない。鮎喰響の演技は相応に出来ていたといって差し支えない。但し、絶対評価で言えば、まだまだこれからの人。現時点で上から目線の強者は演じられても、おそらく歯を食いしばって生きる弱者は演じられない…といった印象である。
共演陣は豪華な配役。
北川景子は影の主人公であり、響をただの道化にしないように随所で常識ある大人を演じている。演技は普通。
小栗旬と柳楽優弥は特別出演的な配置だが、物語の構成上は重要な役回り。さすが主役級。短時間でも存在感が凄い。
不満は高嶋政伸。彼の責任ではないが悪役っぷりが足りない。彼の冷淡な演技はもっと下衆な役柄じゃないと活かされない。
「お嬢ちゃん…うちでゴーストライターやらないか?…金なら払うぜゲヘヘ…」くらいがちょうどいい。
長くなったのでこの辺で評価を総括すると、残念ながらチープなアイドル主演映画の枠からは出られていない。
一部のコアな観覧者は「アイドル映画」としてのレッテルに拒否感があるようだが、映画の構成、宣伝を含めてアイドル平手友梨奈を提供側が推しているのは明白だから仕方ない。公式サイト、雑誌、TV、ラジオと過剰に平手友梨奈を露出させたのは逆効果だったように思う。せめて公開前は平手友梨奈=-響-をビジュアルを含めてもっと「謎めいた人物」としておけば印象はまた違ったかもしれないが。
ここまで映画評 ☆3
=======================
ここからは蛇足
月川監督はこの映画をどのような作品にしたかったのだろう。本当にこの-響-で満足しているのだろうか。
原作者がどうプロットを考えているかは判らないが、自分には物語の根底にある本来の主人公は鮎喰響ではなく、取り巻く大人のように思える。
守るべきものがあれば、自分の信念を傷つけるものがあれば、手段を選ばず行動する。自由奔放で自分を偽らない高校生-鮎喰響-を触媒として、彼女に触れた者たちが少なからず自分の人生の立ち位置や失った自由を見つめ直す…そんな大人たちの群像劇。
真にフォーカスされるべきは鮎喰響の生き様ではなく、俗に堕ちた大人たちの悔恨と僅かに取り戻す未来への光であると。もし、そこを軸にもっと深堀して描いたなら冒頭に書いたような「響ありきの痛快劇」ではない-響-がそこにあるはずだ。
勝手なことを書いた。
もちろん商業映画だから大人の事情は察するし、公開された-響-とは関係ない話だ。原作とも離れてしまうだろう。だから蛇足である。けれども…。
もし、一切の先入観を持たずに済む無名の女優が鮎喰響を演じ、山本と鬼島の心の変遷をもっと深堀した-響-があったなら是非観てみたいと思ったのも事実なのだ。
月川監督とどこかの飲み屋でばったり会ったら「本音ではどう作りたかったの?」と聞いてみたいくらい惜しく、素材としては面白そうな作品ではある。