劇場公開日 2018年7月20日

  • 予告編を見る

「アニメーションの手法を用いた発育ドキュメンタリー」未来のミライ ヨックモックさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5アニメーションの手法を用いた発育ドキュメンタリー

2018年8月18日
PCから投稿

細田守が大衆向けのエンタメ映画との訣別を高らかに宣言した作品。ポスト宮崎などというものではなく、自分の信じる作品を、アニメ監督としてのオナニーで生きていくという覚悟を雄弁に語っている。
少なくとも中途半端に大衆向けに振った結果、気持ちの悪さが否めない「おおかみこども」や、ヒロインの存在がただ不愉快な「バケモノの子」に比べて地味ながら非常に芯の通った作品になった。個人的にはこれまでの細田守の作品のなかで最も好感をおぼえた。

本作はアニメーションの手法を使ったドキュメンタリー作品だ。弟ないし妹ができたどこにでもいる普通のホモサピエンスの少年の心理と成長を、子供らしいファンタジックでサイケデリックで美しい妄想世界を織り交ぜながら真摯に描き切っている。地味なことこの上ない。
そこにケレン味のある非現実的で陳腐なイベントは存在しない。両親が不仲で家庭崩壊の危機があったり、妹が誘拐されたり失踪したり、いじめにあったり重い病気を患っていたり、ありがちな設定は一切存在しない。
くんちゃんの空想や夢、あるいは過去や未来の登場人物が入り乱れる不思議な時空の歪みのようなイマジネーションの世界を除くと、この作品で描かれる全てのストーリーと場面と空間は、この日本中のどこにでもいる4歳児の半年間の生活でしかない。彼の生活空間は(保育園除いて)家から殆ど一歩も出ることがなく、重大な問題が起きることも起こすこともない。NHK世界のドキュメンタリーあたりで「子供の心身の成長メカニズムと記録」みたいな題名の番組で取り上げられそうな、美しくわかりやすいところを映像編集で切り取ってはいるものの、ごくごく平凡な男児の日々である。

地味でリアルな生活を描いているからこそ、その人物の挙動やオブジェクトの描写の機微は素晴らしい芸術的な域に達している。新海誠みたいなてらてらの綺麗な背景にキャラクターを特に工夫なく動かしているだけの子供騙しな演出ではなく、例えばそれは横浜に降る淡いぼたん雪の人欠片の描写だったり、飛んだり跳ねたりするたびに揺れる厚手の子供服の質感だったり、出産直後の母子の赤ら顔だったり、枚挙に暇がない。

作品タイトルやメインビジュアル詐欺をかましており、未来のミライちゃんの存在感は大したものではない。前述の通り本作は4歳児の空想あるいは不思議な夢を介在させたリアルなドキュメンタリー作品なので、『とある4歳児の半年間』とかそんな地味で面白みのないタイトルこそが相応しいはずだ。

作中で描かれる主人公の曽祖父や両親たちの人生の生き方が、誤解を恐れずに言えば非常に“まっとう”な設定になっていて、そこに変に凝ったものがない。
「普通の人間だったらこれくらいの年齢で結婚して家庭を作るもんなんだぞ? 独身でチャラチャラしてる連中は人として恥じろ」
というメッセージも、もしかすると一定込められてるのかもしれない。

細野のケモショタ性癖はもなや公然のものだが、今回はいまいちそのフェティシズムの狂気が感じられなかった。ケツに尻尾ぶっ刺したり、くすぐられてイク程度の別段騒ぎ立てるほどのことでもない描写が無理やりねじ込まれているようで「期待されてるからやってみました」レベルの要素にしか感じられなかった。細田監督は家庭を持ってどんどん完成が凡人化しているのではないかね?

ヨックモック