「「社会」という閉域」未来のミライ マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
「社会」という閉域
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「通過儀礼」図式のストーリーで、離陸→混融→着陸を通して、くんちゃんが大人になるビルドゥングスロマン(成長物語)だ。しかし、肝心の「混融」にあたるエピソードが断片的すぎる。
また、周囲の大人たちの過去を知って成長するという展開が説得力に欠ける。相米慎二監督『お引越し』も、やはり「通過儀礼」図式の物語だが、「混融」にあたるエピソードは、「社会の外」との接触だった。社会の外=「世界」に開かれて、社会に帰ってくると大人になっている。
『未来のミライ』でも、たしかにくんちゃんは不可思議な体験をするのだが、徹頭徹尾「社会」の域を出ない。すべてくんちゃんが生きる時間軸の上にある出来事ばかりだ。それでは体験として弱すぎる。宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』を意識したのかもしれないが、遠く及ばない。
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