「解説。」未来のミライ チョコミントさんの映画レビュー(感想・評価)
解説。
一見しただけではわからないが、実は脚本がよく出来ているなと感じたのでそこを書いてみたいと思います。
細田監督は人は夏に成長するというテーマを描いてきた。
その象徴が入道雲。
夏に高く伸びていく雲は、人の成長を表現するには、ぴったりのモチーフだ。
夏には特別な経験をし、それが人を成長させる。
くんちゃんの独特な家の中庭、1本の木のある庭でファンタジーが生じる。
この特別な経験がくんちゃんを成長させる。
妹の誕生で両親の愛情を奪われ嫉妬していく中で、様々なファンタジーを通じて最終的に兄として成長していく。
この映画は5つのパートで構成されている。
くんちゃんに大きな不満がたまり、ファンタジーが生じるという構成。
この同じ構成のパートが5回繰り返される。
ただし構成は同じだが、内容が変化していく。
(構成を同じにする事で、変化を感じ取れるようになっている。
同ポジといって同じ構図の映像を別のシーンで撮る事で、変化を表現するというカメラの演出法を使う事で知られる細田監督だが、
今回は脚本でも同じ様な演出をした)
くんちゃんは家で両親と生まれたミライちゃんを待っていた。
(くんちゃんは風邪をひいていたから病院には行けなかった。お母さんが風邪は治った?と聞いていたから。それでおばあちゃんが看病と子守りに来てたんだろう)
雪が降ってきて中庭から空を「ふしぎー」と見上げるくんちゃん。
(この美しいシーンはこれから起こるファンタジーを予感させるような演出)
母親が帰った来た時に、くんちゃんは四つん這いで歩いて犬の鳴きマネをして、喜んでいた。
(犬に変身するファンタジーの伏線がはられていた)
待ちに待った母親はミライちゃんのことばかりで、全くかまってもらえなくなっていた。
寂しさや満たされなさでついにミライちゃんをドクターイエローで叩いてしまった。
(ドクターイエローがくんちゃんの心情をうまく表している。
ドクターイエローは線路の不具合がないか点検する新幹線。
暴力はいけないことだが、くんちゃんの心に大きな不具合が起こってるという事を訴えているようでもある。
攻撃であり、助けを求めた叫びだった(このシーンはラストにつながる事をのちほど触れる))
泣きながら部屋の外へ出た時に突如、庭でファンタジーが生じた。
庭がいつの間にか別の場所に変わっていた。
飼い犬のゆっこが擬人化していた。それでくんちゃんがミライちゃんに嫉妬していると教えてくれた。
かつてはゆっこもこの家で愛を一人占めしていたが、くんちゃんが生まれた事で同じ様に追いやられたという事も告白された。
(この映画のテーマがくんちゃんに教えられたのと同時に、観客にも教えられた。
両親の愛を一人占めしていたくんちゃんが、ミライちゃんの誕生によりその座を奪われ、精神的な危機を迎える。
親に依存している子どもにとって、その危機は自分の存在を脅かす程のもの(自分の存在を完全に否定されたように感じられた)で、くんちゃんはミライちゃんへの嫉妬に狂う。
この嫉妬が最後まで続く)
そして、くんちゃんが犬に変身して家の中を走り回る事で不満が解消された。
ファンタジーによって一時的ではあるが不満が解消された。
(細田監督は「おおかみこども」や「バケモノのこ」などで人ならざる者を描いてきたが、くんちゃんがファンタジーで犬に変身する事で本作でも人ならざる者を描いた。
人としての制約から解放され、家の中を自由に走り回る犬のくんちゃんは爽快である。
直前までのくんちゃんの鬱屈した気持ちが吹き飛ぶようだ。
また下の子に嫉妬した4歳児は、ある意味バケモノだろう。
くんちゃんが終始獣のように泣きわめくのもバケモノを描くという細田監督のテーマと一致する)
ミライちゃんは泣き、お母さんは鬼ばばのように怒り、くんちゃんは泣き叫び、お父さんは顔面蒼白。家庭の大混乱がファンタジーによってすっきり解消される様は見ていて痛快だった。
雛祭りの時期になり、じぃじとばぁばがやってくるが、ミライちゃんの動画ばかり撮ろうとする。
一生懸命にかわいいポーズをとるくんちゃんが痛々しい程ミライちゃんばかり。
両親は赤ちゃんを未来と命名。
(この時お母さんがたい焼きにわざわざバターを塗って食べていた描写がいい)
母は職場復帰、家に残されたくんちゃんだがお父さんは仕事で全くかまってくれなかった。
ミライちゃんの顔にお菓子をのっけるいたずらをし終えて庭の前を通ると、ファンタジーが生じ未来から中学生になったミライちゃんがやってきた。
(のちに高校生のくんちゃんが出てくるし、4歳で妹が生まれているのでミライちゃんは中学生だろう)
雛人形を出しっぱなしで婚期が遅れるのを防ぐためにやって来たのだという。
この時くんちゃんがミライちゃん結婚するの? かけっこするの?と聞いた。
(ひいじぃじのエピソードをさりげなく出すうまさ)
さらに好きな人がいるの?と聞いた。
(くんちゃんが両手で作った輪からミライちゃんを見ながら聞いた。
まるで双眼鏡で詳しく観察してるようでもあるこの演出がいい。
この時ミライちゃんはひどく照れて焦っていた。
おそらくミライちゃんは初めて本気で人を好きになったんだろう。
恋で頭がいっぱいの思春期真っ只中の中学生ミライちゃんは、迷信でも雛人形の事が気になって仕方がなかんじゃないんだろうか。
この年代の女子が占いとかおまじないにハマるみたいに。
因みにくんちゃんを保育園に送り届けるシーンで、さりげなく男子生徒に夢中になっていた女子生徒たちが描かれていた。
ミライちゃんの恋を暗示しているのかも)
蜂ゲームをしたが、この時のミライちゃんの両手の人差し指を立てて頭の上に持ってくるポーズがかわいらしい。
(細田監督は、女の子の可愛いしぐさを描くのがうまい。例えばサマーウォーズの冒頭のセンパイの女の子のしぐさ。(のちにもう一度女の子の可愛いしぐさ演出が出てくる))
ゆっこと未来のミライちゃんとくんちゃんは協力して雛人形を片付ける事が出来た。
まったく遊んでもらえなかったくんちゃんが、楽しく遊ぶことが出来た。
現実の遊んでもらえない不満が、ファンタジー(人になったゆっこと未来のミライ)によって解消された。
現在のミライちゃんには嫉妬しているが、未来のミライちゃんとは共同作業で仲良くなれた。
(ミライちゃんが現在にやって来た隠された目的は、くんちゃんを助けて家族(自分)を好きになってもらうことかもしれない)
(前回のファンタジーは犬になって一人で遊んでいたが、複数遊びに発展している)
母に片づけられない事を叱られたくんちゃんにファンタジーが起こり、また未来からミライちゃんがやってきた。
お母さと仲良くするように言ったミライちゃん。
この時くんちゃんは自分はかわいくないと言った。
(今まではミライちゃんを攻撃するのみだったが、今回は新たに自己否定の感情が生じた。
怒りの背景にある悲しみが表現された。)
魚の大群に飲みこまれ、今度はなんとくんちゃんが過去の世界にタイムリープしてしまった。
そこには泣いている子どもの頃のお母さんがいた。
くんちゃんはその子の頭を撫でてあげた。
(まるで妹を守る(ラストにつながる)兄のようだった。くんちゃんが兄としての成長のあるシーンだ)
この時、過去のお母さんはウソ泣きだったが、その後の舌を出してこの事を説明する時の感じがとても可愛い。
(やっぱり女の子の可愛いしぐさ演出は秀逸)
おばあちゃん(くんちゃんからはひいばぁば(ラストのインデックスに出てくる))に猫を飼ってもらうお願いの手紙を書いていたのだった。
そして二人で家の中を散らかし放題にしたが、お母さんはばぁばにこっぴどく怒られた。
(前回、前々回と同様に暴れまわって不満を解消したが、その後に過去のお母さんがばぁばに怒られた。
単に不満の解消だけではなく、自分の行動に責任を持つようにならなければない事を学ぶ機会でもあったんじゃないかな。
泣いてる女の子の頭を撫でてあげる優しいくんちゃんにとっては、一緒に暴れまわった女の子が怒られ泣きながら謝るのを聞くのは辛いことだったんだろうな。
自分が怒られるんじゃなくて、このようなつらい思いをして学んでいくんだろう)
ファンタジーが終わり寝ているくんちゃんに、お母さんは口づけしながら、くんちゃんはわたしの宝と言った。
くんちゃんをほったらかしにして、怒るだけに見えたお母さんだったが、ちゃんとくんちゃんの事を愛していた。
これに応えるように涙(理由はインデックスで明らかになる)をためて寝ているお母さんの頭をくんちゃんは撫でた。
(お互いにお互いの事を想っているが、それをお互いが寝ている時に表現したという演出がにくらしい)
(今回は新たにくんちゃんの感情が深まったり、女の子にやさしくしたり、つらい思いしたり、責任を学んだりした。
カッパを着ててわかりにくかったが、ミライちゃんの制服が夏服に変わっていた。
夏に人は成長するという細田監督のテーマを思い出す。)
お願いの方法を知ったくんちゃんは自転車を手に入れることが出来た。
くんちゃんは早速お父さんと公園へ練習に行った。
(自転車の練習は単に遊ぶのとは違い、技術を習得して自分の出来る事を増やす事でもある。
しかも父と息子の男同士の絆を作る事でもある。
それは女のミライちゃんでは決して出来ない、くんちゃんにとって特別な事だ)
しかし全然自転車が乗れるようにならないし、そんなくんちゃんをほったらかしにしてベンチで泣きだしたミライちゃんをお父さんはあやしに行ってしまった。
この2つの事にくんちゃんは泣くしかなかった。
家に帰ってきて、お父さんに八つ当たりして、庭でヘルメットを脱ぎ捨てた時にファンタジーが生じた。自転車用のヘルメットはバイクのヘルメットへと変わった。
前回、未来のミライちゃんからはぐれて過去にタイムリープしたが、今回はさらに時代をさかのぼった。
くんちゃんはそのことを知らずに、過去の父親の所へ行ったのかと思っていた。
そしてひいじぃじと一緒に馬に乗り、バイクに乗った。
父親との男同士の絆を取り戻すようだった。
そこで乗れなかった自転車の乗り方のコツを教えてもらった。
遠くをみる事、乗り物はみんな同じだとい事。
くんちゃんがかっこいいと言ったが、ひいじぃじは最初バイクの事を言っているのかと思った。
実は自分の事を言われているのだとわかると何とも言えない表情をした。(インデックスで表情の意味がわかる)
現在に戻ってきたくんちゃんはもう嫌になっていた自転車に再びチャレンジして、見事乗る事が出来るようになった。
(今回は父と子の代理の絆をファンタジーで得る事が出来た。さらに自転車の乗り方も習得できた)
コメントへ続く
解説がすばらしい。
ミライちゃんを叩こうとする列車のおもちゃがまさかドクターイエローだったとは。
パンフレット見返しました。
ありがとうございました。
となりのトトロ、ハウルの動く城の様な少し前の宮崎アニメを思い出しました。
観た当初は分かりづらい。
ただ、後々設定を聴かせられると「なるほどな」感がある。
そんな作品に似てますね。
続き
家族でキャンプに行く事になった。新しい家族が出来て初めての遠出だ。しかし家中に電車のおもちゃが広げられていた。(これから起こるファンタジーの東京駅のようでもある)
今回はミライちゃんに嫉妬するんじゃなくて、ズボンの色が気に入らない。くんちゃんはどうしても黄色いズボンが良かった。(ドクターイエローと同じ色。もしかした最初のパートと同じ様にくんちゃんの心のメンテナンスを必要としていたのかもしれない。様々なファンタジーでくんちゃんの心は癒され、少し成長したのかもしれないが、ミライちゃんを好きになるという所までは達していない。親に構ってもらえない不満もまだまだ残っているだろう。欲求不満なくんちゃんは満たされない分、わがままを言いう事で心を満たそうとしていたのかもしれない。それがどうしても黄色いズボンがいいという事だ。ドクターイエローと同様に、わがままだが心の叫びでもある。(暴力を振るわない分成長はしている事を見逃してはならない))
ついには家出をしようとした。(自転車に乗れるようになり自分の力で遠くへ行けるようになったくんちゃんは、行動も大胆になっていた)
だが親は自分を探そうともしなかった。
それはとても寂しい事でまるで親に見捨てられたかの様だった。
親に依存している子どもにとってそれは全ての人から見捨てられて、一人ぼっちの孤独の恐怖を味わう事に等しかった。
ファンタジーが生じ、どこかの田舎風の駅にいた。
そこには高校生の男子(未来のくんちゃん)が電車を待っていた。(もしかしたら未来のくんちゃんも家出というか、自分探しの旅でファンタジーの世界に迷い込んだのかな。横浜という都会に住んでるのに田舎の駅を出発しようとしているのがファンタジックに感じた。電車の行き先がファンタジーの東京駅だから、もうここからファンタジーは始まってるんだろう)
そしてくんちゃんの事をわがままだと文句を言った。
言い合いがエスカレートし「好きくない」と言い合うまでになった時に電車がやってきた。
その電車に未来のくんちゃんではなく、くんちゃんが乗ってしまった。
するとファンタジーの東京駅に来てしまった。
迷子になってしまったくんちゃんは、持ってきていたジュースを飲んで(これからの事に備えてエネルギーを補充するように)、仕方なく落とし物係の元へ行った。
そこでなくしたのは自分自身と言われた。
②
(くんちゃんは自分自身をなくし存在意義を失っていた。ミライちゃんが生まれてた時からそれは始まっていた。だから親の愛を一人占め出来ていた過去に戻りたかった。わがままやミライちゃんへの攻撃は存在意義をなくしたくんちゃんの抵抗でありもがきだった)
自分の存在を証明するためにこの不思議な落とし物係に家族の名前を聞かれたが、くんちゃんは答えられない。(親に依存する事は自分の存在意義にならないかのようだ)
答えられずにいると黒い新幹線に乗せられて一人ぼっちの国へ無理やり行かされそうになる。(存在意義をなくし家族に見捨てられたくんちゃんの恐怖を怖いデザインがうまく表している)
必死に乗らないように抵抗をしたくんちゃん。そこに突如、ハイハイしてるミライちゃんが表れた。くんちゃんはミライちゃんを助けた。
ここで自分はミライちゃんのお兄ちゃんだという新しい存在意義を見つけた。
(親への依存とミライちゃんへの嫉妬するだけだったくんちゃん。
昔に戻ろうとしていてもがいていた。
しかしファンタジーの旅の果て、こんな遠くまでやって来た末に、ミライちゃんのお兄ちゃんへと成長した。
ずっと続いていた嫉妬を乗り越えて成長したのだった)
落とし物係がミライちゃんを呼びだして未来のミライちゃんが時空に迷っていたくんちゃんを連れ戻しに来た。
東京駅を飛び去り、庭の木、家族の歴史のインデックスから現在を探そうとした。
探している内に他のインデックス、家族の歴史が見えた。
猫が燕を殺して泣いているお母さんがいた。(3パートで寝てる時に涙を浮かべたのは、ばぁばとの思い出話でこの記憶が蘇り夢に見たのだろう)
自転車になかなか乗れずに悔しい多いをしているお父さんがいた。(くんちゃんが自転車に乗れた時に、泣きながら喜んでいた。大げさすぎる喜び方にはこんな理由があった事があったんだ)
海で足を怪我したひいじぃじがいた。必死に泳いで助かろうとしてた。(自分が足が悪いから、それを埋めるためにバイクに凝っていたのかな。足が悪い事に強い劣等感があったのかもしれない。4パートの時に書いたように、くんちゃんがじぃじがかっこいいと言った事は大きな意味を持つ。足の劣等感を抱えているひいじぃじは人として自信を失っていた。そんな自分を純粋にかっこいいと言う言葉は、劣等感を克服させ自信に変えたのかもしれない)
③
求婚のかけっこをしているひいじぃじがいた。
(足の劣等感を克服したからこそ、以前は諦めていたプロポーズを申し込めたし、足を引きずりながらでも走り続ける事が出来たんじゃないだろうか。
評論家の方が指摘しているようにお父さんと間違われた事が結婚して父になる事をイメージさせ、後押ししたのもある。
ミライちゃんが未来からやってきたように、くんちゃんも過去へ行ってひいじぃじを救った。
ファンタジーによってくんちゃんが助けられているだけではなく、もしかしたらくんちゃんがひいじぃじ以外にも家族を助けていったのかもしれない。
ゆっこの追いやられた気持ちを聞いた。いいドックフードを買ってもらえるように言った。
ミライちゃんの恋心に付き合った。
お母さんが猫のショックな事を思い出した時に頭を撫でた。
お父さんの自転車に乗れなかった辛い気持ちを、自転車を乗れるようになって慰めた。
そして最後は、高校生になって何かの壁にぶつかって悩んでいた未来のくんちゃん。
自分探しの旅に出ようとしていた変わりに電車に乗って救った。(未来のくんちゃんが怖い新幹線に乗っていたのかもしれない)
余計な話だが、かけっこのゴールの木がくんちゃんの家の庭に木だったらすごくロマンチックだったのになと思った。ミライちゃんの手のあざのような目印があったらよかったのだけど)
そして家に戻ってきたが田舎の駅にいた高校生がいた。ミライちゃんはバナナを食べていた。
現在ではなく未来に来ていたのだった。
(ミライちゃんが生まれる前に戻りたいともがいていたくんちゃんが未来へ来れたのは、象徴的に前進したのを表しているようでもある。
しかもそこでは、くんちゃんが当然のようにミライちゃんのお兄ちゃんをしている様子が見られる。
現在に戻ったくんちゃんは、あれだけこだわっていた黄色のズボンには見向きもしない。
ミライちゃんの所へ行って、未来で知った好物のバナナをあげた。
(最初はドクターイエローでたたいが、最後はバナナをあげた。
同じ構図、黄色い同じ様な形のものをミライちゃんの前で持っているくんちゃん。
変化した点は暴力からやさしさ。
成長してお兄ちゃんになった)
二人は豪快に笑い合った。
今までは嫌だとか好きじゃないというネガティブな事を言い続けてきたが、最後はお母さんに呼ばれてはーいと肯定的な返事で幕を閉じた。
続きラスト
くんちゃんの声について、最初から違和感を感じませんでした。
細田監督は子どもっぽくしないでくれと演技指導してたみたいですね。
現実的な4歳児を描こうとしているのではなく、4歳児と通して人の持つ嫉妬や寂しさや怒りや悲しさやわがままや喜びや嬉しさを、原始的で本能的に描きたかったんだろうと思います。
4歳児が面白い出来事を体験するのではなく、体験を通じた4歳児の内面を描こうとしているので正しい演技指導と思う。
自分を抑え込んで4歳っぽくするのではなく、思い切ってありのままの声を出していかなければならない。
わんぱくでもあり寂しさも感じさせる声質もくんちゃんにぴったり。
だから大正解のキャスティングだと思います。
美しい映像、丁寧な登場人物の動き、音楽、歌、それに緻密な脚本。
とても素晴らしい作品だと思います。
評価が分かれているのは、作品として見ている人と、エンターテイメントとして見ている人がいるためだと思います。
カンヌでも評価されたように、作品としてはすばらしい。
しかし、エンターテイメントとしてみたら、4歳児という共感が難しい主人公、兄弟葛藤という馴染みのないテーマと、解釈を必要とする表現と、外的に派手な出来事が起こらないストーリーにより、残念ながら退屈な映画になってしまいました。