志乃ちゃんは自分の名前が言えないのレビュー・感想・評価
全110件中、61~80件目を表示
運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか
漫画読んで泣いてしまった。
ので
すごい気になってた映画、、
内容分かってたので、最初の自己紹介の場面から
半泣き状態に…(涙腺弱っ!)
あの女の子ふたりに泣かされぱなっし!
最後の方は漫画と違うような感じ
したけど
映画の終わり方、、こっちもなんか好きやわ!
うん うん これから始まるやな始まってるんやな!
おっちゃんも頑張らなアカンなぁー!
ロック
志乃ちゃんのラストの独白、実にロックなメッセージ。「わたしがわたしを追いかけてくる」加代ちゃんに、作詞のセンスを見込まれただけある。ロックとは何か?この作品のモチーフ、裏のテーマかもしれない。
自信がなく、殻に逃げこむことで安堵する。加代を取られたという感覚じゃなくて、「こんなつまらない私ではなくて」と投げ出す感じかな。「二人でやろう」は志乃ちゃんにとっては解ではない。自分と向き合い自分を動機づけられるか?自閉に寄り添った深い脚本と演出、素晴らしいできばえである。
深いと言えば、驚くべきキャラに進展する菊地。演技、演出が実にきめ細かい。衝撃的な高校デビューから半年、周りの菊地に対する態度の変化が画面から滲み出る。菊地のキャラ作りは完璧。志乃ちゃんの菊地に対する頭部死球のような仕打ちは、罪はないにしろ、菊地に寄り添わなければならないとは、想定外の展開であった。
鼻水
自分は『どもり』である。だからこそ今作品の当時の上映時は敢えて避けた。それは自分にとっての幾つかのコンプレックスの一つである問題に今更向き合う事を馬鹿馬鹿しく思ったのが原因である。
そんな気持の中で、33回高崎映画祭にて上映される本作を観ようと思ったのは、心のどこかに引っかかるモノがあったからだ。
ストーリーは、3人の男女が、いわゆる通常の人間ならば当然のように持ち得ていて悩むことなどない能力がそれぞれ欠けている特徴を背負ってしまったが故のそれぞれの青春期由来の自意識さと相まった“こじらせ”を爆発させたコンセプトになっている。主人公の女の子の“吃音”が常に痛々しさ、居たたまれなさ、羞恥を色濃く作品に落としながらストーリーはそれこそつっかえつっかえ進んでいく。自分と同じ症状がこうしてクローズアップされる作品は本当に初めてであり、始終相当心に疲労感を覚える。ホラー作品が昔よりも怖がらなくなった鈍感さを感じている自分でも、この屈辱はスクリーンをまともに直視できない程である。劇中でもエクスキューズしていた母音が苦労する件はまさしく自分も同じで、そして自分もまた母音のせいで名前が未だに聞き取り辛い筈である。そして周りの奇異の目が常に自分を苛み、生きている価値を益々奪っていく。肉親である母親が良かれと思って勧めた催眠療法でさえ、そのデリカシーの無さに憤りを覚えるのも充分理解出来る。自分も市町村の児童相談所に母親に連れられていった過去があるから。そんな傷だらけの高校生達が、一緒にバンドを組む事で世界の転換を目論むのだが、そんな簡単には“こじらせ”は治る訳でもなく、直ぐに3人の関係性は崩れる。そしてそれが結局元に戻ることなく作品はエンドロールを迎える、非常にクールで突き放す収束に仕上がっている。前半の謝罪時の涙と鼻水は屋外の太陽の下の煌めき、そしてクライマックスのそれは、屋内のライトに照らされての嗚咽。その対照的なシーンは夢と希望とは違うビターな現実を物語る意味合いを充分演出している。主人公の女の子にとって、他の二人の抱えている問題である“音痴”や“ADHD”は取るに足りない障碍であるのだろう。少なくても二人はそれでも前向きに生きようと努力している。要は打たれ強いのだ。それに比べて自分の自己嫌悪を吐出す件は、そういうときに限って“どもりが”治まる。要は自分を曝け出すことでしか正常に話せない不条理さに、自分を呪うばかりなのだろうと思う。本来ならばそんな条件が無くても人は普通に話すことが出来るのだから。
ラストの、それぞれの道を示唆するカット、そして主人公へのジュースのプレゼント、それはいつかは又3人が邂逅するかもしれない、そんな淡い願いをそっと偲ばせた清々しいエンディングである。
クライマックスで、ホール内の何人かの客のすすり泣きを耳にした。その感情の由来は、彼女への憐憫なのか、それとも同情なのか、それは解らない。しかし今作品は決して哀れみを共有して欲しいと作ったのでは無い筈。多分、一番訴えたいテーマは、『想像力の育み』であろう。自分と異なるモノへの安易なシャットダウンが進歩を阻む最大の悪因であるとストレートに提起している大変良質な作品であった。
思春期の心の距離
吃音(きつおん)にコンプレックスを抱える少女が、音痴コンプレックスを抱えている少女と出会い、成長していく物語。
吃音であるが故に、うまく人間関係が結べない少女。
自らの心が若いが故に彼女の心にづけづけと侵入する同級生。
私は大人だから分かってると勘違いして接してくる先生。
そんな中、1人の少女と出会い、映画は徐々に心の狭さ、豊かさを観る側に与えてくれる。
路上ライブにて唄う姿はザッツ青春。
挫折理由もあるある。
最後も好きよ私。みんなハッピーエンドにするよりかは、これからが始まりって感じで。
完全に泣かせにくる映画よりかは、この様な心の距離を描く映画の方が好きだ。人と人の距離感も上手く映像で表現。
別映画「聲の形」にも似たような感覚。
この作品も私は若い人達に観て頂きたい。
どんな頭が良くても、心が養えていない大人は多い。
心が養える映画。
「あの、素晴らしい愛をもう一度〜♫」
こんな映画が増えて欲しい。
今、学校では道徳性のある映画観賞など実施しないのかねぇ…
有名俳優出ずしも、良い作品は創れる。
おすすめします。
苦手だが好きなシーンも多い
キラキラして、切なくて、染みる感じ。
前から気になっていた作品で、公開があらかた終わってから、観なかった後悔と猛烈に観賞意欲が沸いて、ポスターの画像を観る度に“映画館で観たかったなぁ…”と思いが募り、他府県に遠出して観ようかと思っていた矢先に下北沢のトリウッドで上映される事を知り、観賞しました。
鑑賞前の期待値をかなり上げてましたので、少し肩透かしはありますが、それでも切なくてなんかキラキラして羨ましく思える。
それぞれの苦手な事にコンプレックスを抱くのは思春期の女の子なら当たり前で、志乃が心の底から泣くシーンはまさかの鼻水を出しての号泣。それが2回もあって、思春期の女の子にここまでやらすか!?のまさかの泣きの表現にビックリ。
志乃の吃音も加代の音痴も途中からまさかの合流の菊地の空気の読め無さからくる孤立もそれぞれが抱えているコンプレックスに悩んで葛藤しているけど、志乃がそれと真正面から向き合えなくて固く殻にこもってしまう。
しのかよの解散も個人的には志乃の頑固で多大なワガママが原因に映ります。
だから、余計に加代が男前に映って、加代が可哀想。
ただ、10代の頃の感情の爆発とコントロールが出来ない葛藤って、誰もが経験していると思うし、いろんな事が重なりあって、1つの理由では説明がつかない事の方が多々ある訳で、その気持ちは十二分に分かるんですよね。
勇気を出して取り組もうとしても、解決できないコンプレックスに自分でもどうしょうも出来なくて、落ち込んで、自ら孤立していく気持ちが切なくて、そんな青春の理不尽があるから、はつらつとした場面が対比してキラキラに見える。
この映画の陰日向がいとおしく感じます。
ちょっとした台詞の言い回しも好きだし、加代に“なんか面白い事を書いて”と言われて、まさかのお○ん○んと書く志乃の下ネタにもビックリw
でもクスッとしてしまう。
ただ、ラストは現実的にこういうもんだよなぁと思いながらも、個人的には志乃と加代の仲直りの場面を期待してたので、ちょっと残念。
それでも沼津の海辺の綺麗な風景や90年代の音楽シーンも良くて、加代と志乃の自転車を漕ぐシーンはやっぱり良いんですよね。
あと、ブルーハーツは偉大だなぁw
観たかった作品が観れたのと久しぶりに良い青春映画が観れて満足です。
クソ映画(これは映画とは呼びたくない)
かよちゃんがイケメンで良かった
ブレイクスルー:志乃ちゃんの鼻水は美しい。
開始3分くらいから泣いてた。目覚まし時計がなる前から起きて、名前をいう練習をしながら歩く志乃ちゃんがもういじらしくて切なくて、泣いた。
ミッシェルガンエレファントにブルーハーツ。
ウォークマンにカセットテープだし、携帯電話が出てこない。
加代ちゃんちのCD棚からニルヴァーナとオアシスのモーニンググローリーが見えた。
懐かしい。モーニンググローリーは今も聞いてるよ。
なんかすごく同世代感…と思ったら原作者が同い年でした。どうりで。
ミッシェルもブルーハーツもあたしにとっては友達が好きだったバンドです。でも何曲かは知ってて、世界の終わりと青空は知ってる曲だったので懐かしかった。しのかよと一緒に歌いましたよ小声で。志乃ちゃんの清らなか声が新鮮でよかった。
私世代の(田舎の)中学生男子は麻疹にかかるようにみんなブルーハーツにはまりました。タブ譜とアコギが先輩から受け継がれ、中学の文化祭では三年ともブルーハーツのコピーバンドが発生しました。
ミッシェルは故郷ではだいぶコアな音楽好きだけが知るバンドだったような。高校の友達が文化祭でバンドを組んで、ミッシェルやってたなぁ、知らん曲って顔してる子が多かったなぁと思い出しました。
私の思春期ど真ん中と、どうやら同時代らしい志乃ちゃんたちの世界。
15歳の気持ちと36歳の気持ちが混ざり合いながら、志乃ちゃん、加代ちゃん、菊池くんの一生懸命を見届けました。
名前が言えない程に上手く話せないこと、
ミュージシャンになりたいのに上手く歌えないこと、
みんなの中に居場所が欲しいのに空気が読めずにウザがられること。
私の悩みじゃないけど、私の悩みだと思った。
15歳の頃には上手くできないことが多くて、辛かった。
自分で自分を憎みすぎて辛かった。
壁を越えるやり方は、教えようがないんだよね。
1人づつ違うと思うから。
やり方もわからないまま、彷徨う世界はまさに荒野。
でも超えた瞬間はわからなかったけれど、がむしゃらに走って転んで血だらけになった果てに、超えていたことに気がついた。
できるようになったことも増えた。
今も荒野にはいるけれど、技が磨かれた気がする。
サバイバーとしての自信がついた。
大人になるってそうゆうことかなって思う。
荒野を生きていく術を持つ者。
さまよい、苦しんだ経験を内包している者。
志乃ちゃん、加代ちゃん、菊池くんは、今1つのブレイクスルーを果たした。
これからだよ。一歩づつ、ひとつづつ、自分のやりかたで。
キーワードは自分を好きになること。
菊池くんのことは、最初はこの子無理って思った。
掴みを決めようと初日の自己紹介からはしゃいだけど、だんだんクラスメイトにウザがられる様子が、痛々しく、可哀想だけど仕方ないって思った。
しのかよに割り込み、そのことが志乃ちゃんをよりいっそう傷つけはしたけれども、でも、その後はもがいてるなぁがんばれっておもった。志乃ちゃんにゾウリムシに謝れって言ったのは、かっこよかった。その通りって思った。きっと空気の読み方、これからわかるし、居場所見つけられる。つか、空気読めないままでも居場所は見つけられるよ。がんばれ。
加代ちゃんは本当に強いね。1人で舞台に立ち、歌いきった。逃げた志乃ちゃんを責めずに、待ってるよって言っていたように思った。そしていい詩を書いたね。魔法がなくても遠くに行ける。私もそう思う。
(でも魔法を歌った加代ちゃんは、そんなに音痴でもなく、もうちょい破壊的な音痴を貫き通す感じか欲しかった)
志乃ちゃんのコンプレックスは、そら辛いだろうなと思う。
菊池みたいなちゃかし方されたら、死にたくなると思う。
つか、よく学校来てるな、文化祭もよく来たなぁと思ってた。
志乃ちゃんは気の毒さと傲慢さと弱さと強さが思いっきり詰まっていて、情けなくってかっこよかった。
加代ちゃんの歌を聴いて、ついにみんなの前で自己紹介を叫んだ志乃ちゃん。
かっこよかった。垂れる鼻水も美しく、神々しく思った。
志乃ちゃんは気の毒なコンプレックスを持つ不憫な子ってだけでなく、加代ちゃんの音痴を笑う傲慢さもある。初めての友達を憎っくき菊池に取られそうになってヤキモチからしのかよからも逃げた。切ないだけではない、厚みのある描き方もとても良かった。
志乃ちゃん、加代ちゃん、菊池くんの3人とも演技うまかった。菊池くんの中の子だけ初見かな?
あんまりにも泣いて泣いて泣いて、帰宅してすぐに原作漫画をポチって読んだ。短編を映画的に上手く膨らませていて、映画の方がめちゃよかった。
青春の輝きと痛み
コンプレックスがある「本当は友達が欲しい」3人が動く様が良かった。
体育館で志乃ちゃんのセリフの中で『自分で自分を恥ずかしいと思っている』みたいなセリフがあった。学生時代自分もそう思ってた。
友人が当たり前のようにいて、ちょっとケンカして恋愛するような映画と比べてほしくない、教室日陰民が織り成す最高のキラキラ青春映画。
自分の青春はここにあった。かよちゃんみたいな友達がほしかった。
私を恥ずかしいと思っているのは私。
学生の頃、人との距離感が
わからなくて、
ノーガードでぶつかりあいながら
同じ思いをもっている友達を
見つける話。
同じ思いというのは、
自分をさらけ出しても、
理解してもらえる友人が
欲しいという思い。
ただ本作で、本人達には、
それぞれ一般的には、劣等感をいだく
個性がありました。
吃音と音痴と場を読めない個性。
この作品がとても好きになったのは、
彼等がそれらを含めた
自らのもつ全身全霊の人間性を
どうやって表現したかというところ。
その生身の言葉や行動に
笑ったり、ふるえたりしました。
ひとつめは、
勇気をだして、初めて加代に
声をかけての
筆談のやりとりのシーン。
てっきり、うんこかなと。
ふたつめは、
志乃が加代に、自分が頼んだ
ギター演奏に笑ってしまったことを
詫びたシーン。
みっつめは、
初めての野外演奏で、ひびった
志乃に、加代がかけた言葉。
最後は、志乃が
文化祭で、「魔法」を唄う志乃や
みんなに向かって、叫んだシーン。
本当に、頭がじーんとしました。
鼻水垂らしながらの
本気泣きを久々にみました。
私の親父も、少しつっかえながら
話します。
でも、
それが、恥ずかしいことだと
思ったことは、ありません。
それは、話しにくいのを
あえて話す言葉に重みを感じてた
からで、
食事の時など機嫌のいいときでも
つっかえてました。
キャラとしてとらえてました。
まぁ、
子供のころから母親に
この人は、しゃべる時は
こんなだけど、
やるときはやるだの
考え方が正しいだのといろいろ
洗脳されてたからかもしれません。
まぁ、理解者なんですね。
だから、
文化祭で
志乃が今までいえなかった
自分の気持ちを
自分の言葉で語った後、
ステージから加代が微笑んだことや、
いままで話したことがない
クラスの子から、ジュースをもらって
話しかけられてたシーンは
好きです。
自分のありったけの願いをこめた
思いは、
どこかで必ず受け止めてくれる
人がいるよ
というメッセージに思えて。
おすすめです。
違和感
過去の自分を見ているような気がしました
結論から言うととても満足出来ました。
吃音、音痴、ADHDを抱えた3人のコミュ障の物語ですが、生きづらさが凄く共感出来ました。
そういえば自分も高校生の頃息苦しかったなぁ、と。
ちょっと気になるところもありました。
話の中で筆談するシーンが何度か出て来ますが、文字が小さくて何が書いてあるのか全く見えませんでした。
テレビやDVDではテロップか字幕を入れて欲しいなぁと思いました。
何で志乃ちゃんは自転車に乗らないの?何で菊池を仲間に入れたの?とかも気になりました。
志乃ちゃんを菊池がからかったシーンは、菊池をもう少しアップにしないとからかったのが菊池だとは分かりにくいような気がします。
文化祭シーンは他のコメントにもあるように、映画ならではのハッピーエンドでも良かったような気もします。(原作読んでませんが)
志乃ちゃんが最後まで加わらない方がリアルではありますが・・・。
フラグ回収されないまま終わった掃除のおじさんは要らなかったような気もします。
文句が多いですがとても満足出来ました。
アニメ以外の日本映画を映画館で観たのは久しぶりでしたが、遠くから時間かけてまで観に来た甲斐がありました。
すべてがいい
「人間」が詰まった作品
子役が女優にメタモルフォーゼする瞬間の青春音楽映画
吃音(きつおん=どもり)によってコミュニケーションがうまくとれない女子高生・志乃と、ミュージシャンになりたいという夢を持っているものの、音痴な同級生・加代の友情を描く青春映画。その設定から音楽映画としての側面も持っている。
これはけっこうな佳作である。特筆すべきは、志乃役の南沙良(16歳)と、加代役の蒔田彩珠(まきた あじゅ/16歳)の絶妙なキャスティング。撮影時は2人とも14歳でこの難しい高校生役を演じているというから感動だ。
まだ2人は無名に近いが、南沙良は三島有紀子監督の「幼な子われらに生まれ」(2017)で、父親・浅野忠信の再婚相手の連れ子・薫役を演じていた。今回は全編にわたり、ドモリのあるセリフを発しつづけるのだが、歌を歌うときはその吃音は止まり、素朴で透明な歌声を聴かせる少女となる。歌がいい。
一方の蒔田彩珠は、是枝裕和作品の常連で、「海よりもまだ深く」(2016)、「三度目の殺人」(2017)に出演。さらに「万引き家族」(2018)にも、松岡茉優演じる亜紀の本当の妹役を演じている。
つまり2人とも"子役"だったわけで、本作でまさに"女優"への変身の瞬間を見ることができるという貴重な1本。
作品は"吃音"を単なる病気として描くのではなく、思春期の友人関係におけるコミュニケーション問題と結びつけている。コンプレックスからなかなか打ち解けられない志乃のようすは、自我(アイデンティティー)の確立過程で少なからず経験する、人間関係の苦い経験を思い起こさせるのだ。志乃が自身のふがいなさに号泣するシーンでは、南沙良の演技に引き込まれる。
クラスメイトとなった志乃と加代は、ひょんなことから近づきはじめる。ギターを弾く加代が、志乃の歌声の魅力に気づき、ストリートライブをしようと誘う。
フォーク/ロックの名曲がカバーされる。THE BLUE HEARTSの「青空」(1989)、赤い鳥の「翼をください」(1971)、加藤和彦と北山修「あの素晴しい愛をもう一度」(1971)、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「世界の終わり」(1996)など、その歌詞のひとつひとつがストーリーとリンクして胸に突き刺さる。
2人の関係が音楽によって最高潮に達するときの眩しいばかりの輝き。 本作が素敵な音楽映画でもある瞬間だ。
そんなある日、2人の駅前ストリートライブを同級生の男子・菊地が偶然見かけてしまう。菊地は、志乃の吃音をからかっていた男子だ。しかも菊池は強引に2人のバンドに加入したいと言い出し、その結果、志乃のコンプレックスが再現する。やがて微妙に狂いはじめる2人のゆくえ・・・。
ちなみに本作は押見修造による漫画の実写化である。"吃音"は、押見みずからの実話ベースの話であり、そこにリアリティが伴っている。また脚本が「百円の恋」(2014)の足立 紳というところも注目である。
ゴールデンコンビ
メインの三人の演技といい演出といい素晴らしい青春映画だった。
減点は文化祭の志乃のシーンだけ。
あそこも原作にこだわらず映画ならではの表現に変えちゃって良かったと思う。
「私が私を追いかけてくる」とかあそこだけセリフに聞こえてしまった。
しかしそれ抜きにすれば思春期の危うさや煌めきがタイムスリップしたように甦ってきて胸を締め付けられた。
しかしあの繊細な押見ワールドを完璧以上に表現した湯浅監督には脱帽。
またこのコンビの作品が観たい。
惡の華やってくれないかなあ。
天下取れると思う。
全110件中、61~80件目を表示