フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法のレビュー・感想・評価
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…?
この映画の良さは…きっと貧困のリアリティを描ききっているところなのかな…?あとは、映像?多分これ、アメリカの現代文化への理解や知識がある人というか、分かる人には分かる、という映画なんでしょうね。
全編通して母子家庭の苦しさと、そのために犯す過ち、でもそれを見守り、許してやる大人の存在…が、「つらつらと」描かれています。起伏はあまりないです。で、ラスト。少しだけ、子どもたちの友情に励まされるかな。健気です。
マジカルエンドという触れ込みが罪深いですね。酷い煽りコピー(笑)マジカルてなんなん…?!
ストーリー展開ではなく、前述の「リアリティ」と「映像」だけでもいいよ、という方にはオススメの映画です。
途中まではまあまあ良かった。だけど最後のシーンもうちょっと良い撮り...
途中まではまあまあ良かった。だけど最後のシーンもうちょっと良い撮り方あっただろwいきなりスパイダーセンス発動したのかと思ったわw
仕方ない現実
美しい紫のペンキ(2万ドル?)、管理人がマメにメンテナンスしている建物、プール、貧困といってもそれなりの尊厳が守られている印象。管理人が子どもたちに向ける眼差しもあたたかい。その中で子どもたちが伸び伸び暮らしてる様子はとても微笑ましく、このまますくすく育って欲しいと願うが、あのお母さんだと無理だろう。しょうがないね。太もものタトゥーは可愛いけど。数年間のいい思い出だけ残して離れた方がいいとおもう。児童相談所の介入、最初はツライけど、仕方ない、ムーニーは本当に可愛いし新しいファミリーにも馴染めるとおもう。ヘイリーが逮捕されたとしても、ヘイリーとその子どもを捨てた父親は逮捕されない、何の咎めも受けないことに、本当に理不尽さを感じる。なんてことを考えながら見ていた。
頑張れムーニー
ある底辺に暮らした子供達の日記
それ以上の意味を見出せなかったのだが、不思議と引き込まれる。
常識的な社会通念に照らせば、ムーニーは不幸な少女に違いない。住むにも食うにも困る生活。母親が抵触行為で得る現金。絵に描いたような底辺生活。
しかし、柄は悪いがムーニーはフロリダの太陽のごとくキラキラと、ケラケラと遊びまわっていて、不幸には見えない。いや、この生活しか知らない彼女は、幸せなんだと思う。ネズミの国に、現実逃避を求める必要もないくらいに。
堕ちて行く母親を誰も止められない。児童保護局の介入が、最悪の事態から救済はしてくれるはずだが、保証はない。
フロリダプロジェクトでの、おそらく最後の日、2人の子供は現実逃避の門をくぐり、ズンズンと奥へ進みます。夢の国に吸い込まれる様に消えて、映画は終わる。
夢無し、救い無し、ヒーロー無し。デフォーも期待ハズレ。僅かな救いは、ジャンシーがムーニーの手を引いて走り出したこと。状況を変える為に行動を起こしたのは、発達障害でもあるのではないかと疑われる少女で、これが物語の登場人物の中で、唯一、違いを感じさせるものなのだが、余りにも微力。
何かを変えたかったら行動を起こさなければ、とのメッセージとしては、弱過ぎるし、実際、何も変えられないだろう。
救いは期待するな。
頑張れ、ムーニー!
そう言うしかない、奇妙な暑苦しさを感じさせる作品でした。
魔法の国はふたりを受け入れたのかな?
映画を見てるのか、本当に生活している彼らをのぞいているのかわからなくなった。そこが良かった。
ムーニーはママのヘイリーとファンシーな紫の壁のモーテルに暮らしている。
1泊38ドルの宿泊料(家賃というとボビーが困るよね)で生きる。
30日だとして1140ドル。日本円で約114000円?
そんだけあれば家借りられないのかな?
家借りる方がハードル高いのかな?
ヘイリーはたしかにダメで、自業自得なんだけど、彼女も、よくない環境で育っていたならば、自業自得で片付けるのはどうだろうかと思う。
ヘイリーの育成歴は知らないけれどもね。
ディズニーワールドのすぐ側にある貧しい暮らし。
子供らは与えられた環境の中で、ただ順応する。
廃屋を放火したりね。
放火は多分悪いこと。やったらダメなことっぽいからで、私は廃屋だろうと民家だろうとやらない。
でもムーニーとジャンシーにはわからない。
スクーティーはちょっとあれって思ったみたい。
アシュリーは、スクーティーをムーニーから引き離した。
うん、責められないし賢明は判断。
ヘイリーはついに収入に困り、売春を始める。
売春中はムーニーを、お風呂に入れておく。
そのうちボビーにもアシュリーにも売春を咎められて万事休す。
無駄なプライド(最後の、ともいえるのか)が邪魔してなのか、これ以上見下されるのが嫌だからなのか、いうべきところへ助けを求めることもできないし、態度を改めることもできないヘイリー。
ついにムーニーを行政に引渡さないとダメになる。
ママと引き離されることを肌で知ったムーニーは、ジャンシーとディズニーワールドへ逃げ込む…
実際には逃げ込めないだろうけど、受け入れてあげてと、小さく祈った。
ヘイリーを責めて終わりにしたくない。
ではどうしたらいいんだろうか。
ヘイリーは悪いだけの母親ではない。
少なくともムーニーにとっては、十分。
なんでそれだけではダメなんだろうか。
いや、ダメなんだろうけど。
ボビーの気苦労には本当涙でそうだった。
変質者を追い出し、ヘイリー親子の外泊にお金を添え。
多分離婚してて、エレベーターで作業手伝ってくれてたの息子よね?
いいことありますように。
現実を理解した少女
アメリカフロリダのディズニーランド近くにある格安ホテル(モーテル)で暮らす母と子の物語。
「プロジェクト」には、低所得者層の住宅という意味があるらしい。
少女は自分が貧しい生活を送っていることなど知らず、毎日を友達と楽しく過ごしている。母親は、まともに働らくどころか部屋に男を呼んで自分の体を売ってお金を稼いでいる。そんな母親も少女にとっては優しい母親で大好きなのである。
映画全体が子どもの目線で描かれていて、決して悲しくもなく、暗くもない。ただ、それがむしろアメリカ社会における貧困層の現実を痛いほど感じさせる。
現実を理解した少女は最後、夢の国へと走り出すのだが、そこはあくまで夢の国。現実と向き合い、受け止め、生きて行くには時間がかかるのだろう。
ムーニーかわゆす
冒頭のシーンが好き‼︎
映像がとてもカラフルでカワイイ‼︎
貧困がテーマなんだけど
モーテルにも
何とか住めてるし
プールなんかあったりして
あのポップな感じだからなのか
貧乏なイメージがなかったんですけど
ラストは魔法にかかったね‼︎
日本より警察が信頼できる土地
Florida はこんなところか、と思いながら見た。よくある Motel.
“Magic Castle” という名前が可笑しい。言われてみると、本家では使っていない名前。
遊んでいる子供達の悪戯も、自分がやっても不思議ないものばかり。悪意を持ってやったことはなかった、と自己正当化しそうになったが、明らかに悪意があった例を思い出した。半世紀前の自分の鏡。
「ある出来事」は重大だが、あくまできっかけに過ぎない。摘発されたようには描かれない。日本だったら摘発されただろう、そこが違いか、と思った。
Motel で Bed worm が発見されたのが、大変なことのように言われるが、表面化されないだけで、大都会のホテル、例えば Manhattan でも問題になっていると聞く。マットレスを「厳重」そうに巻いているので、どう処理するのか期待していたら、ゴミ箱に入れて終り。巻いておかないと、収集してもらえない?
何度も映る “Seven dwarfs ln.” の “ln” が気になり、おそらく Orlando に実在するのだろうと探したら、あった。気にしたことがなかったが、やはり “Lane” の略か。:
Seven Dwarfs Ln
Kissimmee, FL 34746
https://goo.gl/maps/DQV7dXauMQn
撮影場所がほぼ特定できる。
近くに helipad があったが、それを Google Maps の地図ではみつけられなかった。合成?
実際には池が多い。この池の多さこそが、Florida なのだろう。
映画を見ながら思い出した。Florida には二度も行ったことがあった。Jacksonville と Tampa。
鉄道の管制センターの見学と学会発表で、ホテルと会場 (Tampa では同じ場所) しか知らないが、タクシー運転手の言葉が全然聞き取れなかったのを思い出す。でも、ホテルの名前は通じたようで、無事に着いた。
映画だからかも知れないが、「鈍っている」と感じたことがなかった。北部や場所不明の映画と同程度に、聞き取れ聞き取れない。子供達は学校に行っていないように思うが、言うことはよくわかる。子供に訛りの演技は無理ということか。現代、子役に出て来るような層には、訛りはない、と。
描かれているのは「底辺」ということになるのだろう。このどこに「Florida 性」があるのか、わからなかった。どこの州でもどこかにありそうな場所。
警察による摘発があった。同じことは日本でも違法だろうが、果してこの映画のように的確に摘発されているだろうか? 日本より警察が信頼できる土地、という印象を受けた。
『命取りだよ トリだけに』
アバンタイトルのクール & ザ・ギャング『セレブレーション』がご機嫌に流れる、フロリダの発色の強い原色の映像が眩しい作品。
テーマは、貧困層、そしてしたたかに生きる子供。正に、アメリカの影の部分を、フロリダの太陽が照らす内容に仕上がっている。
子役の天才的演技力に、ハリウッドの底力がヒシヒシと伝わってくる。果たしてここまでの演技が日本でも出来るのだろうか、正に『万引家族』との対決の様相を呈している演出だ。但し、『万引』との対比で考えた場合、今作はやはりアメリカでの話ということで、実感が湧かないというのが正直な意見。特にお母さんのあの気の強さ、そして子供の悪戯の演出過多は、リアリティに欠けるのではないだろうか。そこがついていけない一つの理由。他のレビューでも盛んに評論している、モーテル管理人の、助けてあげたい意識も、自分が観ると、単なる自己満足に固執しているように感じるのだが。。。 スクリーン一杯に建物を横長に撮す構図等、興味深い絵作りにはなっていたが、ストーリー的には、冗長なところも多かった。
今作品の白眉は、悪戯をしかけた家族の子供の成長なのではないだろうか。主人公の女の子がいろいろな悪巧みや冒険を彼女に経験させることによって、引っ込み思案だった暗さが段々と氷解してゆく。そしてラストの、今までのお礼とばかりに、行ける筈もない、目の前にある“ネズミのの王国”という天国へ誘う、それは多分、夢、幻なのであろう、幸せの妄想を、魔法に掛けたように二人に体験させる、そんなシーンである。『親友』だと告げられた彼女のあの焦点の定まった瞳、今までのフォーカスの合っていない力のない目からの変貌は、まさに“マジック”そのものである。
ちょっぴり物足りない!
子供の演技、演出が凄まじい映画だった。本当にあの子達がそこで暮らしているようにしか見えない。
ショーン・ベイカー監督は是枝監督作品の子役演出を参考にしているそうですが、子役に台本を渡さず現場で直接子役にセリフを伝えるスタイルの是枝監督と違って、ショーン・ベイカー監督は台本と演技を子役に叩き込んだ上でのアドリブを採用しているそうです。
素人同然のあの子役達からどうやってあそこまでの演技を引き出したのか。ベテランのウィレム・デフォーとその息子役ケイレブ・ランドリー・ジョーンズがまたいい味を出していた。
ラストシーンで一気に涙腺崩壊。是枝監督もラジオ番組で言っていたが、ここはもう少しじっくり堪能したかった。
さすがに長時間泣く演技はまだ難しかったのかな。あのシーンがあと30秒くらい長ければ、私の涙も出し切れた気がする(笑)
そしてラストのラストでこれまたすごい展開に。
ディズニー・ワールドの撮影は許可なしで、ゲリラ的に行われたそう。そこでiPhoneでの撮影!
友達の玄関先からディズニー・ワールドまでひとつながりで、子供達を背中から追っていく。本当に目と鼻の先に夢の国はあった。
現実から救い出してくれたようにも見えるし、生々しいしい人間ドラマを観た後なので周りの幸せそうな人達が嘘臭くみえる。二面性のあるシーン。そして唐突に終わる(笑)
最後の10分がすごい!とか色んな映画の宣伝文句がありますが、この映画が一番当てはまると思う。
対比
社会派な作品だった。
様々なものが双極であるかのように配置されてた。
ディズニーランドのあるフロリダ。
そのお膝元のモーテルで貧困に直面する母親と娘の物語。
印象的だったのは子供の明るさと逞しさ。
母親にも事情はあるだろうが、褒められたもんでもない。第三者的にみたら「毒親」と分類されてもしょうがない。
彼女の行いは褒められるものではないが、娘との絆は強かった。
ただ、まあ、子は親の背中を見て育つ。
良くも悪くも親の影響を多大に受ける。
彼女の世界には一般常識なんてものはない。
母親がルールで、善悪の基準だ。
娘は口も悪く、素行も悪い。
果たしてこの映画のラストは、どお捉えるべきか…。
娘は、児童保護法の元、母親と引き離されるのだが、当然嫌がる。
何より不安だろう…今までとは違う何かに飛び込むわけだ。彼女にとっての全てを奪われる。でも、正常な家庭ではない。
引き離すのがベターなのだ。
彼女はその手から逃亡し、親友の家に駆け込む。でも、その理由を告げられない。
異常な環境である事を気付きながら、母親から離れられなかった。
親友は彼女の手を取り、駆け出す。
向かった先は、ディズニーランド。
小さな子供が走っていける距離に夢の国はある。想像もつかない世界が広がってるのであろうし、今まで生活が異常だったという事実を夢の国で突きつけられるのかもしれない。
娘は母親と決別する勇気を持つのだろうか?
それが答えなのだろうか?
それまでの時間には、母親に疑問を抱きながらも笑ってる娘の姿がある。
作品のメッセージに矛盾を感じながらも、致し方のない現実と比較すれば、この矛盾こそがテーマなのかとも思う。
こおいう現実があるのです。
そおいう認識だけした映画だった。
なもので…後味は悪い。
ただ…子役のレベルがすこぶる高い。
母親が売春してる最中、その相手と蜂合わすのだが、その時のリアクションったら…どおやってアレを引き出したのか。
その辺はホントに魔法のようだった。
よかった
当たり前のように派手な刺青をみんなしていてアメリカの貧困層はそういうものなのかと思う。モーテルの宿泊料も毎月10万円くらい掛かっているし、もっと安い風呂なしアパートみたいなところを借りられないのだろうか。子どもがいたずらっ子で可愛らしかったが、生活があまりに綱渡りで、そういうところにも慣れてしまうのだろうか。
フロリダのような楽園で暮らしていてもつらいものはつらい。特に貧乏はつらい。
もうちょっとストーリー性が強い方が好みであった。
フロリダにトリップ
とにかくリアルで演技や脚本っぽいところが一つもなかった。実際にフロリダのモーテルで生活したかのような錯覚を抱いてしまった。
見終わった後に考えたことは3つ。
チラシの裏に書くような内容だが、自分用のメモのためにまとめておく。
1. 日本との文化の違い
状況だけみれば過酷なはずだが、なぜか終始明るくあっけらかんとした雰囲気で日常が流れる。ド底辺の人でも恥を捨てれば生きていける「余地」が文化的に用意されていることを新鮮に感じた。
2. ワルガキの心理
ワルガキがイタズラをするのは「自分には何でもできる」と思いたいからなのではないか。思いつく限り最高の悪いことをして、自分の存在感を強くアピールしたいのではないか。
でも実は子供は、大人に守られないと生きていけないことを潜在的に理解している。
だからムーニーはイタズラをしながらも、大人の考えや表情を驚くほどよく見ていた。本気で見放されないギリギリのラインを狙って悪さをしていた。
子供にとって一番恐ろしいのは、親と離れ離れになることなのだと思う。親に守られていた幸せをその時になってようやく痛感して、「自分には何も出来ない」という現実に対面させられる。ムーニーが見せる悲痛な表情と涙がそれ。
こうやって子供は自分の無力さを知って大人になっていく。ムーニーにとって大人になる前の最後の現実逃避が、夢の国ディズニーランドになったのだろう。
対照的にムーニーの親は最後まで現実を直視できなかったのが悲しい。
3. ボビーが素敵なオヤジ
常に余裕がある。難しい立場ながらも、周囲からの信頼を集めている。こんなオヤジに自分もなりたい。
綺麗な
綺麗な絵で。
悲惨なストーリーなんだけど、
淡々と日常を描くように語ってるから。
思ったより悲壮感は低い。
最後に主人公の女の子が親友にもう会えないかもと伝えるシーンで初めて音楽が入った。
ディズニーランドに。
先を考えない、今だけを生きる危うさ。
若い。
悲しい。
チラシの明るさと反対のストーリー。
そこからは読めないよな。
流石ウィリアム デフォー!
新しい目線の映画。 子供の目線。ムーニーがたまらなく可愛い。 最初...
新しい目線の映画。
子供の目線。ムーニーがたまらなく可愛い。
最初はとんだ威張り屋のいたずらっ子だと思ったが、、ママ大好き、友達を大切にする温かい子。
ディズニーワールドの外側で現実に起きているリアルな貧困生活。
その中、どうしようもなく考える余裕もないほど追い詰められている母親の行動。
世間では理解され難いが、監督はその現実も優しく描いている。子供を食わせるためにやらなければいけない母親を。そうするしか、他を考えてる余裕もない状況を。
離ればなれにされるシーンは辛い。
切ない内容だけど、カラフルに明るく描かれている。ラストは、更に子供の目線を考えさせられる。
ムーニーが初めて泣くシーン。
それをみて強く逞しくムーニーを引っ張るジャンシーにもグッと来た。
最初はおとなしかっただけに…。
観てよかったし、ベテラン俳優、初の女優など、キャストもすごく良かった。リアルな演技で他の作品も見てみたいと思えた。
しかし…普段、映画音楽は気になってサントラ欲しくなるほどハマることが多いのに、今回覚えてない。それほど内容とキャストに夢中だったんだろうか…
また音楽も含め、改めて観たいな。
いつの間にか子ども目線
冒頭では、車を汚されたオカンの立場で、なんだこのクソガキ超ムカつく!と確実に不快感を抱いたのに、いつの間にか、この子ども達の目線に自分が降りていく不思議な感覚。ムーニーが泣き崩れるラストは、完全に感情移入して、一緒にベソかきました。
オナラの音を手で真似たり、扇風機の前で声震わせたり、ってくだらない遊び、心あたりのある大人もいるはず。できれば関わりたくない、問題ある親子の現実を描いているのに、どこかノスタルジック。淡々と子どもの言動を追うこの展開に、どんなオチが待っているのか、考えながら、他の何にも例えられない世界観を楽しみました。
リアル
フロリダのディズニーワールドに近い安モーテル、マジックキャッスルで暮らす、シングルマザーと娘の話。すこぶる貧しいのだが、最低限の暮らしはできている。
娘のムーニー役の子が、めちゃくちゃ可愛い。映画の大半がムーニーとその友達スクーティ、ジャンシーが無邪気に遊んでいるシーンだ。ほぼ、子供の目線の少し下から撮られており、それが違和感なく観れるところが素晴らしい。
フロリダの底抜けに明るい陽光の下、貧しさに憂うこともなく、幼い3人は全てを楽しんで、遊びに変えている。
観光客からせびった小銭でアイスを買い、それを分け合って食べるといったことを、とても自然に、楽しそうにやっている。ムーニーの可愛い笑顔から、どぎつい悪態が出るので、最初はちょっと引くが、すぐに慣れて彼らの日常に入り込んだ感覚になる。
母親ヘイリー役のブリア・ヴィネイトは、映画初演と思えないほど堂々としていた。
ギリギリの生活の中でも悲愴感は無く、親子の生活を維持するためになんとかその日を楽しくしのいでいる。子供にやつあたりすることは決して無く、まるで友達のように同じ目線で接して、常にムーニーの味方でいる。教育としては最低だが、子供としては最高の親だろう。
しかし、現実は厳しい。最低限の生活は、少し歯車が狂うと、すぐに破綻する。ムーニー達が起こしたある事件から、全てがおかしくなりはじめる。しかも、その事をヘイリーは知らず、イライラしたヘイリーは過激な行動に出てしまい、それがさらに孤立を招く。そして、怒涛のラストへ。
一般的には、「夢の国のすぐ近くで、貧困故に起こった悲劇」といった内容なのだろうが、子供達を見ていると、そこはそこで「毎日が楽しすぎる夢の国」だ。それすら維持できない社会。資本主義の限界を露呈させている映画というのは、飛躍しすぎだろうか。
そして子供達は、世の中のしがらみに囚われず、本当のマジックキャッスルへひた走るのだ。
おもしろかった
いわゆるアメリカの貧困というものに以前から興味があったこともあり鑑賞。
このところ特に、アメリカでも日本でもあまりにも貧困に無自覚で抜け出そうという発想すらない層が増えているように感じています。
その部分に焦点を当てた映画は少ないように思いますが、この作品は正にそういった種類の人間を描くために撮られたのでないかと思いました。
主人公のムーニーはただ無邪気に楽しく毎日を過ごしています。
母親であるヘイリーはまるで小さな親友のようにムーニーを扱い、決して暴力を振るったりはしません。
でも、善悪を教えず他人から施しを受けることを当然のこととし、男性客を取るときも隣のバスルームに置いておく…
少しずつ目に見えない何かがムーニーから削り取られていくような気がしました。
ヘイリーにとってムーニーを愛し甘やかすことは自分を愛し甘やかすことであり、本当の意味でムーニーと向き合うことはすなわち自分と向き合うことであるという無意識の恐れがあったのかもしれません。
出演者の圧倒的なリアリティもあり、正直に言って救いのない物語だと私は思います。
でも、心を揺さぶられる物語です。
また、管理人のボビーの立ち位置も絶妙でした。
母娘のことを気にかけながらも立場に縛られ、結局は傍観者でしかない存在であること。
それは現実の社会における私自身の立ち位置でもありました。
とてもよかった
母親がちょっとアーシア・アルジェント似で凄く良い。この母と娘の、ささくれて、ヒリついた心象が、美しい陽光が照らす浮世離れした風景のなか、鮮明に浮かんでくる。そして些細なセリフの端々から、彼女やウィレム・デフォーの今までの人生が垣間見えるような仕掛けが上手い。
こんなコミュニティがあるのか、という驚き。希望への疾走が痛々しい。
ずっと心配しながら見ていたが、ワニは出てこなかった。
夢の国のそばでアメリカのリアル
ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートが所在するフロリダ州。夢の国の近くにあるモーテルが物語の舞台。ストーリーと呼べるものはあるようなないような。ただひたすらそのモーテルの中で起こる出来事が積み重なっていく。ディズニーが夢の国でモーテルが現実社会だ、と対極的に解釈することは簡単だが、この映画の場合、視点を子どもに置いたのがポイントで、子供の目からするとディズニーもモーテルも同じように不可思議で奇天烈なファンタジーの世界であり、変わりない遊び場である。私も子供のころ、お金のかかったアミューズメントもその辺に落ちていた木の枝も、遊び道具としては同じ価値で、まったく区別なく遊び楽しんでいたなぁと思い出す。この映画の「目」になる少女ムーニーが見るフロリダの風景は、ラベンダー色のモーテルも、パステルカラーの古い家も、ネオンで囲われた看板も、まるでディズニー・リゾートの中にいるかの如くカラフルで、毳毳しくて、嘘くさい。フロリダをカラフルに切り取ることで、夢と現実の境界線をわざと曖昧にし、夢の国を皮肉るでもなく、社会を風刺するでもなく、しかし夢の国をどこかで皮肉り、アメリカをさりげなく風刺している。
少女ムーニー役のブルックリン・プリンスちゃん(なんて可愛い名前!)が、映画の中で本当にキラキラと輝いていて、実に子供らしい子供の姿で登場する。子役臭さが全くなくて、てっきり台本もなにもなくてただただカメラの前で好き放題遊ばせてそれを勝手に撮影していただけなのでは?と思うほどだったのだけれど、最後、友達に涙ながら言葉にもならない「バイバイ」を告げるシーンを見て、いやそんなわけはない!と確信。あのラストシーンは、その意味が理解できていなければ表現できるはずがない演技だ。彼女はシーンの意味を理解して、それを「言葉にならない」様子まで演じて見せた。なんだか末恐ろしい子役を見てしまったという感じ。
そして、モーテルにやって来る様々な事情を抱えた客人たちを、時に厳しく常に温かく見守るウィレム・デフォーの存在感に胸が熱くなる。特徴のある容姿とクセのある演技から悪役や奇人役が多い役者さんだけど、今回はその強面の奥から溢れ出る優しさで作品を包み込み、ピリリと引き締めもする。突飛な芝居は一切使わず、ほぼ目配せだけでモーテル支配人の愛情を見せつけられた。さすがはベテラン。
現実も見方を変えれば夢の国だけれど、子どもたちには本当の夢を見てほしいと思ってしまう。でも本当の夢ってなんだろう?安全で安心な夢?少女が母親と過ごした最後の夏は、夢みたいな日々だったけど、同時に不安や恐怖と隣り合わせでもあった。これからも母親と生きていくのが幸せか、母親を引き離されるのが幸せか、何が夢で何が現実か、何が真実で何が魔法なのか。考えれば考えるほど、分からなくなりそうだった。
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