「二人の思いそれぞれに強く共感した」ファントム・スレッド talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
二人の思いそれぞれに強く共感した
二回目鑑賞したら、一回目とまるで異なった気持ちになりアルマの言葉に涙してしまった。(2024.10.14.)
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レイノルズのルティーン、特に朝の身支度に見惚れた。ダニエル・デイ=ルイス自身も毎朝やってるんではないかと思わせる滑らかな手の動きと集中力、頭のてっぺんから靴下&靴のつま先までバシッと決める。イギリスだから朝食に拘りがあるのは当然。hungry boyの主たる栄養源は朝食に違いない。「お腹すいた」を繰り返す大人はマザコンだろう。
別荘の近所にあるVICTORIA Hotelのレストランのウェイトレスのアルマは、若い、かわいい、垢抜けていない。すらっとした姿の彼女が思わずこけた姿がガツンとレイノルズの心を掴んだ。注文の品は全部暗記しているし手書きのメモも小生意気でシャープ、頭も良いアルマ。頼んだ紅茶はラプサン(朝食時にいつもレイノルズが中国茶風のポットと茶碗で飲んでいるのもラプサンだろう)。初対面の日のその晩のディナーに誘われたアルマ、アルマを眺めるレイノルズの笑顔はこのうえなく優しい。そして共に朗らかに、にこやかに別荘へ向かう、アフェアでなくレイノルズの仕事のために。
レイノルズの姉・シリルは黒パンプスのヒールの音をコツコツたててフレグランスの香りを辿りながらアルマに近寄った;「サンダルウッド、ローズウォーター、シェリー、それにレモンジュース?」怖い!レイノルズがアルマを採寸する時間ジャストに別荘の仕事場に到着して採寸メモを始めるシリル。「彼にとって理想の体型ね」胸が無いのも肩幅があるのも美しい、たとえアルマにとってコンプレックスでも。「弟はお腹が丸いのが好きなのよ」
嗅覚で受け入れられないものも嫌だがそれ以上に耐えられないのは音だと思う。アルマがたてる音は私にも耐え難く有り得なかった。不快感を覚えても口に出すのは少し後というこのあたりのダニエルの間合いと表情はよかった(怖かったが)。繊細なことだから文句を言うのにも繊細さが求められる。鈍感なアルマを呪った。でもアルマは最後にはお水の入ったピッチャーを高々と掲げグラスに注ぎ豪快な音をたてるのだ、わざと。神経質で完璧主義で自分にも人にも厳しいレイノルズを自分の世界=彼の夢の中の母親になってあげる=に招待してひとときの休息を与えるために。
アルマはレイノルズ自身もレイノルズが作るドレスも心から愛した。彼に作ってもらったドレスは彼女に本当によく似合う。ネックレスを全くつけないデコルテが輝いている。アルマが最高のミューズで理想のモデルであることもレイノルズはわかっている。レストランで自分に夕食を誘ってくれたレイノルズの笑顔に嘘はないとアルマは最初から確信していたと思う。シリルの心はもう掴みシリルもアルマのことが好きだ。あとはレイノルズと自分の繋がり。私は人体模型ではない、なぜ恋人なのに二人きりの空間と時間が持てない?弱った彼は赤ちゃんみたいに頼りなく優しくオープンで私だけが彼を看てあげられる、元気にしてあげられる。仕事一途の生活は緊張を強い心身が疲弊し神経がやられ人を抜け殻にする。アルマが勝った。次はアルマの手の内を知った上で彼女の世界に自らの意思で足を踏み入れたレイノルズが勝った。
25~30才程の年齢差の二人は交代に、相手圏内に足を踏み入れ自分圏内に入ってもらいを繰り返し、レイノルズを苦しませていた死の重みと香りは遠のいていったのかも知れない。それともレイノルズはもう既に死んでしまったのかも知れない。それでもアルマは必ず彼を見つけその世でまた共に生きるんだろう。
あまいラブ・ストーリーではない。デュ・モーリアの小説『レベッカ』の空気感と同質のものを感じた。映画の最後の微笑ましいシーンは、監督からダニエル・デイ=ルイスへのプレゼントなのかもしれない。美しい音楽が頭の中をまだ巡っている。
ダニエルの映画俳優復帰のニュースに喜びを禁じ得ない。願わくば二枚目半の役を、そして役にのめり込まないで欲しい。
おまけ
アルマ役のビッキー・クリープスは映画「エリザベート 1878」(2022)の主役シシィを見事に演じた。ビッキーも監督・脚本のマリー・クロイツァーも肝っ玉が据わっている映画人。二人ともシシィが求めていた自由をこの映画で叶えさせた、シシィと一緒に笑いながら。