劇場公開日 2018年5月26日

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「めくるめく」ファントム・スレッド cmaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5めくるめく

2018年7月19日
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鑑賞方法:映画館

この監督、この俳優。そして、「毒」というキーワード。この物語はどのような結末にたどり着くのだろうと、観る前から空恐ろしい気持ちでいっぱいだった。切り刻まれるのは男か女か、もしくはお互いか。どれほどに陰惨な修羅場が繰り広げられるのか…と、頭のすみに覚悟と緊張感を常備。けれども、まるで夢から醒めるように、すっと映画は結末を迎える。 どこまでも、甘く。なんというハッピーエンド、と思えたのは、彼らの振りまく毒にすっかりやられたせいだろうか…と、かえってぞくぞくした。
この映画のクライマックスは2つある。まずは、完璧なデザイナー、レイノルズが自ら否定し、破り、汚したドレスの復活。本人は自分がしたことを察する間もなく熱にうさなれ、かつて自分が贈ったドレスを纏った、若き母の幻影に出会う。そんな幻をあっさり打ち消すのは、田舎のウエイトレス上がりのアルマだが、レイノルズは成すすべもなく、一寸の隙もなく看病に徹する彼女を受け入れるよりほかない。夢と現実が入り交じったような暗い密室の外では、まばゆいほどの光の下で、新たなドレスが着々と形づくられていく。その指揮を執っているのは、彼でもなく、完全無敵の姉でもない。見えない糸であやつられているように、主人不在のまま整然と立ち働くお針子たちは、不思議な存在感を放っていた。
そして更なるクライマックスは、終盤の食卓。アルマは優雅な動きで(レイノルズが嫌悪する)バターを惜しげなく使った料理に毒を盛り、彼もまた、それを優雅に味わって見せる。フレームの中では、第一のように彼が苦しむ様子は描かれない。毒を盛る人・盛られる人が、まるで共犯者のように共鳴し合っている。実は毒は幻なのか、平然としているのが演技なのか。毒を盛る・盛られる様子が演技なのか。真実はフレームから押し出されているだけなのか。突き詰めようとすればするほど、物語の糸は絡まり合う。真実を求めるのではなく、自分にとっての真実を選び取れ、と迫られているように思えた。
第二のクライマックスの後、薄暗がりの中で、新たなドレスがつくられる。姉も、お針子たちも、もういない。そこにいるのは、レイノルズとアルマだけだ。華やかな諸々から隔絶されたような2人が、これまでになく満たされ、ほのかな光さえ発しているように見えた。
思いがけないラストに遭遇し、ふと、塚本晋也監督の「六月の蛇」を思い出した。仕事も人生も駆け出しだった当時は、その結末に戸惑うばかりだったのだが、なぜかこの映画に引かれたという職場の大先輩は満足そうだった。「最後に、倫子さんはしあわせになってよかったよねえ…。」予想もしないシンプルな感想に、衝撃を受けた記憶は今も鮮やかだ。久しぶりに「蛇」を観返してみたら、今の自分はどんな感想を持つだろう。そして、あの先輩も、の映画をどこかで観ていたらと願う。

cma