ザ・スクエア 思いやりの聖域のレビュー・感想・評価
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不平等と無関心
困った出来事が連鎖してゆき、浅はかな対応の滑稽さに笑いました。
そこでこうしたら良いのに、もっときちんと話したら良いのに、とモヤモヤもしましたが。
平等と思いやりをコンセプトにしたアート展示に力を入れながらも、目の前の困窮した人々には無関心という皮肉も面白いと感じました。
スマートで紳士的な振りをしながら、きちんと対話をせず適当にあしらい、無意識の差別感覚が浮き彫りになる、シニカルなユーモアがある作品でした。
YouTubeの宣伝動画は、何だかんだ言ってバカな炎上商法かよ!と、あまりのヒドさにかなり笑いました。
アートって何?、という揶揄も感じました。
避けられない分断
偶然なのでしょうか。
最近、評判の良い欧州映画を観ると、ほぼ必ず、民族、移民問題が背景として描かれているように思います。
移民を抱え、経済も右肩上がりではない社会の状況がまず息苦しいです。
税金で近代アートの美術館を運営できるのに、道にはたくさんの物乞い。
恵まれたエリートは夜遊びもしますが、場所は雑然としたナイトクラブ、下手すると薬物も入り込みそうな、あやしげな佇まい。
携帯を探しに行った移民の多いエリアでは、エコカーを止めているだけで車をからかわれる治安。
そして、知的エリートが集うはずの美術館。そこでの仕事も殺伐としています。一人一人が自分の任務しか見ていない。注目を集めるためになりふり構わぬ手段に出る広報と代理店、組織の保身を第一に考える理事たち、そして、自身の才能に寄りかかり好き勝手をする主人公のキュレーター。
唯一の希望は子供たち。抗議に現れた少年。主人公の二人の娘たち。彼らは全力で前を向いて生きています。最後の姉妹の行動と表情に観る価値があります。
シニカルコメディ
感想
正直人には勧められない。
広告がどちらかというとドタバタコメディ路線ぽかったけど、結局は差別問題。あとは表現の自由?
意味の分からない女のシーンの猿は子供の暗示かなー。
オランウータンマンは広告への反動なんだろうけど、長い割には特に。
全体的にとっ散らかってるのに、時間は長いのでもっと何を書きたいのか考えて90minにおさめたらええんちゃいまっか。
本当の人間を見たような。
スクエアな社会をあぶり出す
タイトルがサークルでなくてスクエアなのは、何か意味があるのかもしれない。英語のスクエアには四角四面で融通が利かない人というイメージがある。四角形には円にはない角があり、場合によってはボクシングよろしく、コーナーに追い詰められる。
非常識なアイデアを実行した主人公が逃げ道を失って四方八方から叩かれる様子は愚かであり間抜けであるが、決して他人事とは思えない。あれはまさに、かつての自分ではないか。いや、もしかしたら現在の自分、或いは未来の自分かもしれない。
主人公は自律の能力に欠けていて、小さな欲望が抑えられなかったり、くだらないプライドが傷ついただけでつい怒鳴ってしまったり、他人に責任を転嫁したりする。典型的な俗物そのものである。
そんな俗物が社会の格差についてモノローグのように語り、富の再配分を解説する。苦しい言い訳にも聞こえるが、さすがにインテリゲンチャだけあって、言っていることは実に当を得ている。社会保障が充実しているイメージのスウェーデンで街の至るところにホームレスがいるのは、彼の言う通り、セーフティネットが機能していない可能性がある。
主人公は救いようのない人物かもしれないが、映画は必ずしも彼を見捨てない。むしろ全力で彼を肯定しているようにさえ感じられる。
スクエアという思考実験は炎上マーケティングによってよくも悪くも注目を浴びる。その結果、異端を排除しようとする精神構造が世論の中心になっていることが明らかになる。それはまさに、社会全体がスクエアな人々で満ち満ちていることの証左ではないか。
身に詰まされた
不条理
「フレンチアルプスで起きたこと」のリューベン・オストルンド監督が、2017年第70回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した作品。151分と比較的長い作品でもある。
こう来ましたか。タイトルと、宣伝内容から、“スクエア”が物事の焦点になるかと思いきや、必ずしもそうでも無かった気が?騒動のきっかけでもなく、結末でもなく。
リューベン・オストルンド監督の他の作品で「フレンチアルプスで起きたこと」がありますが、そちらが不条理劇であったのと同様、こちらも不条理劇ですね。時々映画館の中では笑いが出ていましたが、それは素直な笑いと言うよりは、皮肉な笑いという感じでした。
良く分からなかったのが、物語終盤の晩餐会の場面。この場面は、何を描きたかったんですかね??猿に扮した人物が、乱暴狼藉を働いただけですよね?“オチ”がわかりませんでした。展覧会の炎上PR動画で、“表現の自由”の問題について焦点が当てられようとしていましたが、これも、“表現の自由”なのですかね?
うーん、これがパルムドールか。カンヌの観客、目が肥えてるな。
現代美術ディスってんのかと思った
主人公が現代美術館の館長だからね。現代美術の胡散臭さをおちょくってんのかなと最初思ったの。まあ、おちょくってるところもあると思うんだけど。「『タブーを壊せ!』みたいなこと言うけど、そこまでの覚悟ねーだろ!」みたいなのもあるしね。
言いたいことは何かあるのか解らないな?と思いながら観てくとね、少年に向けた動画撮影するところで、テーマが出てくんのね。そういうことだったんだあっていう。
スクエアの中では「すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」ってことになってるんだけど、ここは地球全体がスクエアに入ってると考えるんだろうね。その中に爆弾もあるんだね。
美術館に展示されてる現代美術作品のパロディもうまいね。実際のいくつかの作品を組みあわせてる。掃除係が砂利を壊しちゃったときに「適当に直しておけ」と館長が指示するんだけど、これは、本当にそうなんだと思うよ。コンセプトが合ってれば、細かなところはどうでもいいから。
その展示で好きだったのは入口で「あなたは他人を信じますか?」で「信じる」を選ばせといて、入ってすぐのところで「ここに財布とスマホを置いてください」ってやるところ。「信じたなら置けよ!」ってことだけど、置けないよね。
猿人間のところも面白かった。みんな、自分達の領域に入ってこない間は友好的だよね。そこをはみ出してきてさ「これは、もう犯罪だ!」ってなると「殺せ!」ってなっちゃう。
作り込み過ぎ?
スクエアが公平と平等の象徴であるがゆえ、この映画のストーリーは、スクエアから逸脱する、様々なノイズで覆い尽くされている。ノイズをノイズとしてしか聞くことができない時、私たちはスクエアの意味などわからないのだ。
まぁ、それは、わかる。
でも作り込み過ぎている分だけその分気分が悪い。自分を投影しても気分が悪い。そうじゃなくとも気分がわるい。で、だからこそ、この映画は「成功している」と考えると、もっと気分がわるい。
情欲に身をまかせることも、フォーマルな場での獣的な狂気も、今ここしか見られない幼児的な偏執さも、全てはスクエアからの逸脱したノイズでしかない。
そもそも、スクエアの意味を問うことが、高尚な偏見の極みそのものだ。
と読み解いたところで・・眠い映画はやはり眠い。
なんて言えばよいのだろ
アートそのもののような映画
自滅
注目を集める現代アート美術館長とその周辺の騒動と災難。
アートについても判ったつもり、持ち上げられて出来る人間と勘違いしていて、自分を持たずハッキリしない主人公が巻き込まれる自業自得な面倒臭い話の数多をシュールにみせて行くストーリー。
面白気な空気感だけど唸る程のものは無いし、笑ってしまうところは一つもない。
劇場で声を出して笑っていた人がいたけれど、そういう場面の殆どは比較的ベタなところであって、この映画の本当にみせたいところではないという、そこを面白いと言ったらこの美術館や館長を持て囃し斬られる残念な側の立場っていうね。
大した黒さも深さもないし振り切ったところもなくて、描写は違えど同じ様なことの繰り返しだし、何より長過ぎる。
肉薄する作品
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