ゲティ家の身代金のレビュー・感想・評価
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稀代の守銭奴
子は厳しく育てたとしても責任のない孫にはデレデレ、猫かわいがりの爺さん婆さんというのが相場と見聞きしていただけに、ここまでの守銭奴爺さんは実話でないとしたらどっ白けでしょうね。
ただ、元CIAの警備主任を差し向けたのだから何もしなかった訳ではありません、彼が登場するお蔭で誘拐サスペンスものと期待して観てしまったわけですから・・、実際にもっと有能だったらこうまで拗れずに解決していたかもしれません。
結局、金で解決してしまうなら、とっとと片づけて欲しい話を延々引っ張るだけだから疲れました。
金が人を変えてしまう話はよく聞くし、実話としても雲の上の億万長者の悲劇では醒めた目で観てしまいがち、クリストファー・プラマーさんは代役、ピンチヒッターだったようですがケビンスペーシーさんより存在感があるし、名演でした。
いろいろ破綻しちゃってるクソ映画
ポールの耳が切り落とされているのに全く急ぐふりも見せない警察、母親とCIA
ジジイは親権欲しいって身代金払う代わりに母親に親権寄越せって騙すようなシーンが描かれるが、直後肝心の身代金4億のうち、1億しか節税のために払わないってお粗末な展開。
目的達成するためにそういう手段とるほどの冷淡さを描いてるつもりだろうけど、肝心の結果(ポールを手に入れる)をたかが3億のために棒に振る判断するってありえないから、脚本のつめが甘いのばれちゃったシーンですね。
プライド高い(計算高い)人間が弁護士あんな集めて払う(母親に無条件で親権まで放棄させて)
のに、その直後に節税できる金額間違えちゃったので全部じゃなくて100万ドルまでね(テヘ)って
ねーだろー・・ただの小悪党して描きたいのかよ。
世界一の金持ちですよね?
孫に帝国継がせたいんじゃないの?3億けちるって、、。
脚本雑すぎ。
主人公らしき元CIAも全く操作に役に立ってない割には後半なぜかジジイにブチキレるが意味不明。
ポール等にそんな思い入れないですよね、ポールの妹と積み木で遊んでたくらいっすよね?
なんかしてましたっけ?
4億に身の代金を値切った場面も描かれてないから、さらっと言われてもオメーいつ交渉する機会あったんだよ、ってツッコミしかでてこない。
しかも母親はその値切り交渉知らなかったみたいだから、独自の交渉ルートあったんすか?
ならもうちょっと仕事しろよ、
切り落とされた耳が送られてくるまで何してたんすか?
挙げ句のはてはいきなり石油危機がきたから町に車が一台も走らないって、、そんな数日でそこまでいくかよ、、。しかもその直後の解放シーンではバンバン車走ってるし。
なろう小説だってもうちょっとマシな理由付けするんじゃねーの?
母親役の女優の演技も変な含み持たせた顔つきばっかするから、耳切り落とされるまではチンクなんとかとポールと母親がグルの狂言誘拐かとマジで思ってた、共産主義グループその2とか出てくるのかと思ってたら、結果なんの捻りもない結末でただあの女優の演技がイモ臭いだけだったという。息子の耳送られてきたらちょっとは発狂しろよ、、。「あぁ、息子は生きてる!(ちょい笑顔)」じゃねーだろww
リドリースコットだと思って安心して見てたが中盤からあまりの糞脚本にイライラして後半ほぼ飛ばして見ちゃいましたよ。
まれにみる糞映画でした。
演技うまい役者集めてるんだろうけど、本のせいで全員イモ役者に見える。
できそこないのインディペンデント映画みたい。
これ絶賛してる人いるならどこが面白いのかまじで教えて欲しい。
無駄な2時間過ごしました、、風呂掃除でもしてればよかった。
ホントの所は
どこまでフィクションか分かりませんが、世界一の富豪なら
「金の事は心配するな」でしょう!
母親のミシェル・ウイリアムズが犯人と強欲爺さんとの
板挟みで辛そうだった。
犯人の1人は優しかったのに、解放されて助けを求めた市民が
冷たかったですね・・
タイトルなし
クリフトファー・プラマーのドケチぶり、金への執着の怪演がすごい。しかし、テンポはあまり良くなかった。母親役ミシェル・ウィリアムスの誘拐された息子への焦りがあまり伝わってこなかった。マーク・ウォルバーグでなくても良いかも。
値段を見極めるために人は苦労するんだ
映画「ゲティ家の身代金」(リドリー・スコット監督)から。
冒頭「実話に基づく物語」と表示されて、ドキュメントに近いのかと
思っていたら、けっこう脚色されている気がした。
(まぁ、それは映画だから、それはそれで良しとして・・)
まだ事件が起きるだいぶ前、アメリカの大富豪ジャン・ポール・ゲティと、
その孫が、初めて出会うシーン。
さりげなく、そしていて事件のキーワードどもいえる、
「モノの価値」について、語る台詞があった。
「どんな物にも値がある。値段を見極めるために人は苦労するんだ」
このフレーズは、孫の命の価値ともいえる、誘拐犯の身代金でも同じ。
それが「高いのか、安いのか」の判断は、その人の考え方次第だ。
特に「人の命」(それも孫)となると、その見極めは難しい。
だからこそ、この2人のはじめての会話が、のちに輝いてくる。
冒頭のナレーションで、誘拐された本人(孫)がこう呟く。
「ゲティ家の者は一般人とは違う、祖父が僕にそう言ってた」と。
だから僕が誘拐され身代金を要求しても、祖父は応じないかも知れない、
そんな思いがあったのかもしれない。
人の命だけでなく、絵画などの美術品、彫刻等の芸術作品でも同じこと。
「本当にそれ相当の価値があるのか」は、常に念頭に置いているはずだ。
言い換えれば「値段を見極めなければ、人は苦労しない」とも言える。
さて、どんな生き方がいいものやら・・。
オール・ザ・キングス・マネー 【本文修正】
'73年に実際に起きた誘拐事件をリドリー・スコット監督が映画化したサスペンススリラー。
石油等で財を成した実業家ジャン・ポール・ゲティ。その17歳になる孫が誘拐される事件が発生。
※同姓同名でややこしいので本レビューでは祖父を主に老ゲティ、孫をポールと表記する。
誘拐犯はポールの母親であるゲイルに1700万ドルを要求し、ゲイルは義父である老ゲティに
身代金の工面を懇願するが、老ゲティはマスコミを通して「一銭も払わない」と宣言。
ゲイルは、老ゲティに雇われた元CIAの探偵チェイスと共に、息子を救出しようと奔走する。
...
実業家ジャン・ポール・ゲティは史上初めて個人資産が5億ドルを超えた人物
ということで、当時における、正真正銘、世界一の大富豪だったそうな。
しかし映画で描写される彼の倹約ぶりは、“世界一の大富豪”にしてはあまりにみみっちい。
電話代節約のため自宅に公衆電話を置いたり、ホテルの洗濯代5ドルを渋って自ら衣服を洗ったり……。
まあそこまでなら「ドケチ!」と呼べば済む話かもだが、あろうことか彼は人の命を、
それも、血を分けた自分の孫の命をも値切ろうと企てる。
老ゲティは、自分の損得が絡まない限り決して動かない。
身代金交渉の場でも、それをだしにゲイルから親権を取り上げようとしたり、
身代金に発生する税金を渋ったり、怒りを通り越して呆れかえるほどの守銭奴ぶり。
「一度払えば他の孫が誘拐される」というのは冷静な道理と言えなくもないが、
孫の誘拐を聞かされた時も株価の書かれたバカ長い電報を読むのに夢中だったり、
身代金は一切出さないが美術品にはあっさり数百万ドルを支払ったり、
常人とは価値観が違い過ぎるというか、いや、ほとんど狂っている。
(最終的に老ゲティが支払ったのは290万ドル。
これは、所得税が控除される最大限度額の220万ドルと、
息子に年4%で貸し付けた70万ドルの合計額だそうな。)
遅々として進まない交渉の間、孫のポールの置かれた状況は刻一刻と悪化。
マフィアに売られるわ耳を削ぎ落されるわ、ちょっとした地獄巡りの様相。
監禁場所からの逃亡シーンや、最後の市街逃走劇なんて心臓バックバク!
この辺りはさすがにフィクションだとは思うのだが、闇の深い映像とキレの
良い演出で、ゾクゾクするほどサスペンスフルな見せ場に仕上がっていた。
最後は誘拐犯チンクアンタが危険を顧みずにポールを救うが――
なんというか……ゲイルを除き、血の繋がった家族よりも赤の他人の方がポールのことを
心配していたというのは……温かい気持ちにもなるが、反面やるせない気持ちにもなる。
...
近年のR・スコット監督作では、王のように権威を振るう人間が個人を蹂躙する構図がよく見られる。
今回の老ゲティとゲイルの関係性もそうだ。
壮麗な遺跡を歩きながら、ゲティは自分がローマ皇帝ハドリアヌスの生まれ変わりだと語る。
有り余るほどの金、その金に裏打ちされた絶大な権力。それでもなお止まぬ、金への執着。
そりゃ、僕も到底金持ちとは言えない身分なので、大金は欲しい。家族が一生 衣食住を
心配せずに済むくらいの金が転がり込んでこないかと考えることは往々にしてある。
だが、家族すら信用できず心の安寧を失うほどの金なんて、
自分や家族や大事な人を幸せにする為に使えない金なんて、
そんなものにいったい何の価値がある?
本当に信頼できるのは金と物だけ。
愛する息子や孫さえも所有物としてしか扱えず、
他人の行動すべてが利益目当ての打算に映る。
それってどれほど孤独で虚しい人生だろう。
広く暗い屋敷を彷徨い、親子の温もりにすがるかのように、
聖母マリアとその赤ん坊の絵にしがみ付いたまま息絶えた老王ゲティ。
救いようがないほどに強欲で傲慢な人間だったとは思うのだが――
どうしてもっと普通に家族を愛せなかったのかと、堪らなく悲しくなった。
...
物語の最後、古の王達の胸像と並べられるように置かれた老ゲティの胸像。
怒りとも恐怖ともつかない表情で、その亡霊のように真っ黒な顔を見つめるゲイル。
己が王であると信じた男の底知れない強欲と傲慢に背筋が冷たくなる、見事なラスト。
監督特有の、陰影の締まった美しい映像、そしてキレのあるサスペンス演出の数々、
壮麗なのに奇妙に滑稽なゲティを表すかのような、重厚かつ軽妙なスコア、
C・プラマー、M・ウィリアムズ、M・ウォールバーグら主演陣のパワフルな演技……
メチャクチャ面白かったです。大満足の4.0判定で。
<2018.05.26鑑賞>
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長い余談:
老ゲティ役は元々ケビン・スペイシーが特殊メイクで演じ、映画も完成していたそうだが
(彼の登場する予告編もある)、件のセクハラ騒動を受け降板。本作の公開が危ぶまれるも、
公開1ヵ月前にC・プラマーを代役に立て、9日間で再撮影して上映にこぎつけたというから、
R・スコットはじめスタッフ一同プロ根性がハンパ無い。おまけにプラマーは
アカデミー賞助演男優賞にノミネートまでされたのだから恐れ入る。
実は個人的にC・プラマーがメチャクチャ好きなので結果オーライだったりするのだが……
私生活に問題があるとしてもK・スペイシー自身は優れた俳優だと思うので、
彼のバージョンもいつか観られるなら観てみたいものである。
K・スペイシーに対する非難の嵐はメディアでも取り沙汰されたが、本作の追加撮影では
M・ウォールバーグとM・ウィリアムズのギャラ格差も槍玉に上げられた。
某記事によると、ウィリアムズとウォールバーグの芸能事務所は同じなのだが、
ウォールバーグの契約の方には「共演者を選ぶ権利」なる要綱が含まれていたそうで、
ウォールバーグの代理人がこれを盾に再撮影のギャラ100万ドルを要求したという話らしい。
ウォールバーグ自身はこの件が取り沙汰されるまで事情を知らず「とても気まずい
思いだった」と語ったそうな。(その後ギャラ分を寄付に使ったのは周知の通り)
まあ彼が本当に関わっていなかったかどうかは僕には知る由も無い訳だが、
ギャラは役者ひとりに支払われるものではないし、役者自身が決めるものでもないので、
これはさもありなんといった話ではある。そうだとしたら、彼にとっては気の毒な話。
セクハラ/パワハラ/不当な格差は大いに問題だと思うが、
それをどこまで作品と切り離して考えるかというのは悩ましい点。
自分はなるべく切り離す方向で、点数を付ける人間なのでご了承されたし。
We are look like you, but we are not look like you. ハズレの方のリドリー・スコット
リドリー・スコットが名監督なのは間違いないにせよ、アタリハズレの多い監督なイメージ。で、本作はハズレの方でした。
実話をベースにしているからかもしれないですが、何ともテンポが悪い。結構退屈な割りに133分と少々長め。うーん、久々に観ててしんどかったです。
マーク・ウォールバーグがいかにも優秀そうな感じで出てたのですが、結局何もしてないのでは!?
ケビン・スペイシーからクリストファー・プラマーへの代役が話題になった本作ですが、肝心の映画自体があまり話題にならなかった事に妙に納得でした。
孫の誘拐期間中にも高額な美術品を買い漁っていたことや、来客用の公衆...
孫の誘拐期間中にも高額な美術品を買い漁っていたことや、来客用の公衆電話の存在など、ゲティ氏のケチぶりが伝わるような生前エピソードの描写にかなりの時間が割かれていたので、その点を「展開がスロー」と感じた人もいるのかもしれない。実話に基づいた作品は、アベンジャーズに代表されるようなハリウッドのアクション映画とは性質が異なる。
ただ、私的には最後に何がゲティ老人の心を動かしたのか今ひとつ説得力に欠けた。これほどドケチとして筋が一本通っている人物が、「全額支払い」に意思が転じた動機の描写は今ひとつだった。
でも総じて良い作品
家族のつながり
離婚の際に見せたゲイルの交渉力から、これからどんな風にゲティと闘うのだろうと期待が高まったのでちょっと肩透かし。そんなに交渉しなかった。
お金に取り憑かれた悪魔の話ではなく、家族の話なんだと思う。
ゲティは子や孫たちを家族(血族)として大事に思っているが、この映画で家族のつながりを成し得るのは血の繋がっていない人々だ。
チンクアンタはポールを家族のように思い、守ってしまう(彼のその後を思うと胸が痛む)。チェイスは彼らを守ることで家族になる。ついでにイタリアマフィアは女性が身の回りの世話を焼く擬似家族だ。
聖母子のような純粋な家族愛を求めたゲティ。彼がお金で買えなかった家族のつながり。
ゲティは実際、孫を守ろうとしているし、その判断は的確だ。イタリアの警察が全く頼りにならず信用もできない中、優秀な交渉人がいたのは大きい。
「母の愛」や「母は強し」のような母性愛礼賛でなかったのは意外だったが、良かった。部屋に飾ったイーストウッドのポスターは彼が監督したチェンジリングへのアンサー?
パパラッチの描写がしつこく描かれて、観客の視点がゲイルと同化し、画面に向かってフラッシュが焚かれるショットはほんとに不快。監督も恨みがあるんだろうなと思った、なくてもいいショット笑
マークウォールバーグがすっかり歳を取っていて驚いたが、この映画のウォールバーグは魅力的で、ブギーナイツのころを懐かしく思う。そしてチンクアンタはロマンデュリス!!そういえば彼のこと好きだったことを思い出した。
wikiでみるとゲティ家はみんな幸福というわけでもなく、お金で買えるものは限度があるのかなとは思う。ポールのその後の人生も「幸福な」と形容されるものではなかったようだ。
ネタバレです
二重の誘拐ストーリー
ゲティにとっては、孫のポールは二重に「誘拐」されている。
一義的にはもちろん誘拐犯に。
そして息子の別れた妻のゲイルに。
従って、この誘拐事件は、ややこしい二重構造となる。この重層性が、本作の見所。
よくある誘拐モノにある犯人との交渉に加え、この映画では、ゲイルとゲティの交渉を描くことにも比重が置かれることになる。
だから、物語の前半で、ゲイルはいかにして子供たちをゲティから「奪ったか」をていねいに描く。
本来は離婚に伴う慰謝料など、ごっそり請求できるところ、ゲイルはすべてを放棄して、我が子の監護権を手に入れる。
「値段がつかないものは、この世にはない」という信条を持つゲティにとっては、到底太刀打ちできない交渉条件であり、ゲティは孫を奪われてしまう(と同時に、ここではゲイルがネゴシエーターとして大胆かつなかなか手強いことが描かれる)。
死を意識しつつあるゲティにとって最も重要なことは、自分が築いた財産を出来るだけ散逸させずに相続すること。
ゲティは、「二重に誘拐されている」孫のポールをどう奪い返すか、という難題に直面する。
単純に身代金を出せば、孫は生還するだろう。しかし、それではポールを遺産相続人にはできないのだ。
結局、ゲティは身代金を払う。
しかし、それを決心させたのは「耳の記事」が載った新聞でも、元CIAの彼の部下チェイスの説得でもない、と解釈した。
そうでなければ、「監護権の譲渡が行なわれなければ身代金は払わない」、という条件設定をする意味がない。この条件こそが、ポールを「二重に」奪い返す妙手だった。
本作は、この二重構造を、ゲイルを起点としたことで、単純には見せず、結果、物語に奥行きをもたらしている。
こうした構成を実現しつつ、テンポよくストーリーを運ぶ演出は、さすがはリドリー・スコット。
美術品に溢れた世界一の大富豪の家も見応えがあり、映画館の大画面で観る楽しさがある。
原題All the Money in the Worldがしめす通り、最後は結局カネなのか。表面的には、そう描きながらも、ゲティが希求したのは親族への遺産相続だったことから、本作は家族を描いた映画だった、と言える(ゲティの死後、ゲイルは「ミセス・ゲイル」と呼ばれていたことに注意、彼女とチェイスとの家族に関する会話も効いている)。
金が仇の世の中なれど…
クリストファー・プラマーのはまり演技が凄すぎで、とても代役とは思えません。山積みの新聞が風に煽られ乱舞するのをスローで追いかけるシーンは、シェイクスピアの舞台を見ているような鬼気迫るものがありました。
ゲティ老だけでなく、息子の命、人質の命、切り落とされた耳のスクープ権、全てを使えもしない金で換算する世の中の不気味さと滑稽さが切ない作品でした。
イタリア式誘拐狂想曲
実話ということだが、この大富豪がおよそ落語にしか出てこないような極端に因業な人物で、現実の人間とは思えない。金がないならともかく、唸るほど持っていながら払わない。表明する理屈も、テロリストの要求を政府が拒絶する際に言うならわかるが、親族が命の危険にさらされている時に口にするようなものではない。
細部もよくわからないことが多い。顔を見られた犯人の一人が殺された経緯とか、人質の売り買いをした二つのグループの性格や“赤い旅団”との関係とか。
最近実話ものが多いが、映画そのものの評価とは別に実話であることによって価値が水増しされている部分はあるように思う。
ロマン・デュリスは「タイピスト!」や「ムード・インディゴ」の時も悪党づらだなぁと思っていたが、今回本当に悪役だった。
金にとりつかれた哀れな人間
これは実話にもとずいた話だそうだ
大富豪の孫が何者かに誘拐され身代金を要求されるが
その爺ちゃんは「金は払わない」と突っぱねる!!
そこから話がはじまる「ゲティ家の身代金」
物語を観て 人間はどうしてこうお金に執着するのか
お金欲しさに人の命なんてどうでもいいのかと
思ってしまう
しかし世の中には金銭のことで殺傷事件が後をたたない
悲しいことである
この物語では損得で動くやからが多く存在するが
誘拐されたポールの母親ゲイルの存在に救われる
誘拐前の話があり
ゲイルは夫と離婚するのだが
その時に慰謝料はいらないから監護権(日本では聞きなれない
言葉だが親権のようなものなのかな?)
くださいと大富豪のじいさんに言うのだ
母親だったらその気持ちが痛いほどわかる
よくぞ言ったと私は思った
しかし彼はその言葉が理解できない
お金がいらないなんて信じられないと言う
気の毒だったのは誘拐されたポール
この話はネタバレすると面白さが半減するので
やめますが
彼こそ金のとりつかれた人間により
犠牲になった哀れな少年です
ストーリー展開は面白く全編緊張が走り
最後までドキドキだった
さすが リドリースコット!!
ゲティを演じたクリストファー・ブラマーは
いかにも大富豪と言う貫禄あるお爺さんで良かった
しかし 本当はこの役はケビン・スペイシーが
演じているかもしれなかったと聞いてまたビックリ!!
ケビンだったら どんな富豪を演じていただろうか
それも観てみたかった
身代金を拒否する世界一の富豪で守銭奴(ケチ)の実話
実話だが、製作陣たちが細部まで調査したと言うだけあって予想できない展開に、本当にこんなことが起こったのか?と思わせられるストーリーで目が離せない。思わず調べてみたくなる作品。
で、Wikipediaを見てしまったが、ゲティ家は結構奥が深かった。誘拐されたゲティ3世は16歳で、約5ヶ月間もの間誘拐監禁されていた。生きて帰って来れたのは、本当に奇跡だった(映画でも何度も、もうダメなのかと思わせるシーンがあった)。幸運の持ち主と言える。
J・P・ゲティが生涯を掛けて買い集めた美術品が、カリフォルニア・ゲティ美術館にあるようなので、見に行きたくなるが、少々遠い。
淡々と
一代で身を立てた爺さまがゴネてポックリ。諸行無常也。
イタリア南部の、とても伊達男とは言えないむさいオッサンたちが沢山出てきます。
最後の山場もさらりと描き、あっさりと脱出。「ミッドナイトエクスプレス」を想起した。
焦点の定まらない物語。誰に向けて、何を伝えようとしているのか?
今回も掴みどころの解らない作品でスコット御大に煙に巻かれた思いが残る。
ブラック・コメディにするべきだった
リドリー・スコットの硬派で手堅い演出と、役者陣の充実した演技とで、なかなか見ごたえのあるクライムサスペンスであり心理サスペンスだったかな、とは思う。ただ、どうしても貧乏人の僻み根性が出てきてしまい、途中からは金持ちが繰り広げる常識外れのパワーゲームにうんざりしてくる自分に気づいてしまった(同じ理由で「ウォール街」も苦手)。最も常識人であろうと思われた主人公ミシェル・ウィリアムズさえも中盤からは金持ちの価値観に毒されてしまい、誘拐された孫には悪いが、もう勝手にやってろよと思うしかなくなっていた。作り手もそれを危惧してか、冒頭で「これは大金持ちの普通ではない家族の物語だ」というようなエクスキューズを掲げてくるが、そんな言い訳じみた文句を映画の冒頭で語る時点で映画の弱気を感じてしまってよろしくない。
クリストファー・プラマーの圧倒的存在感と演技力が作品をぐっと引き締めるものの、ドケチな偏屈ジジイというにはプラマーの威厳が立ちすぎて、終盤でマーク・ウォールバーグに真っ向から逆襲されてもプラマーの威厳の前では青二才の負け惜しみにしか見えないほど。いっそのこと、セクハラ騒動で本当の下衆だということが証明されたケヴィン・スペイシーが演じた方がきな臭くてよかったのかも?なんて思ったり。いやでもプラマーは作品の救世主。80歳を過ぎてなおフットワーク軽く9日ですべてを仕上げてしまうあたり、熟練を感じずにいられません。
これだけ「カネ・カネ・カネ」と言っている映画の裏側で、セクハラ騒動だけでなく、撮り直しのギャラにまつわる騒動もあって、ハリウッドのカネ問題まで浮き彫りにしてしまったこの作品。株を上げたクリストファー・プラマーと、同情を買ったミシェル・ウィリアムズ、そして撮り直しのギャラを釣り上げて批判され、後出しジャンケンの如くセクハラ撲滅運動にギャラを全額寄付したマーク・ウォルバーグという、3人のそれぞれの立場を見るだけでも、金って人をおかしくさせるよね?と、作品とは関係ないところで思わずにいられなかった。
リドリー・スコットの手堅い演出を褒めてはみたものの、私個人の意見では、この映画はブラック・コメディとして製作されるべきだったと思う。登場人物はクセ者だらけで、特に大富豪のゲティ氏なんてブラック・コメディにお誂え向きのキャラクター。それ以外の人物も(誘拐犯含めて)それぞれにズレた人たちが多く、金持ちのズレた価値観を笑いにするブラック・コメディにしてくれればすんなり受け入れられるのに、それを大真面目に演出しているからただズレた人たちで終わってしまうという皮肉が生じていたように思う。同じ題材でも、コーエン兄弟あたりがブラック・コメディとして仕上げていたら、きっと面白かっただろうなぁと、見終わって真っ先にそう思った。
感情移入出来なかったです。
実話を元にしたストーリーとのことですが、ゲティの最期の心情の変化やあっけなさ、ポールとチンクタンクの情の所等、私には理解出来ない部分がありました。
ハラハラするシーンも特には無くて、ちょっと退屈に感じました。
一応ハッピーエンドで終わったので良かったとは思いますが、消化不良感は否めないです。
海の向こうの富裕層の黄昏
この話を何故にリドリー・スコットが手懸けたがっていたのか、小一時間位問い詰めたい程の、題材である。もしかしたら、ジャンポールゲティ役のケヴィン・スペイシーありきの作品だったのであろうか。それ程、この偏屈ジジイの役は、キャラが濃い人物である。所謂金持ち偏屈爺さんとしてのプロファイリングのベースとなっているこの実在の人物と、その孫の誘拐事件実話ベースに、フィクションのエッセンスを蒔いたようなストーリーである。活躍するのは母親と、たまたま巻き込まれた様な形の爺さんのボディガード。そして、誘拐側の一味の一人。実際に起こった事なので、実はこういう内幕だったという匂いを撒き散らしたような展開である。勿論、色々な解釈があるし、あくまでもイマジネーションの域を出ないので、ハッキリとは演出していない。解釈というか、ネタバレを醸し出すシーンはあっても、しかしそのどれも決定打としては程々遠い。要は、この事件、母親と子供の命をかけた狂言をやり遂げた壮大な復讐劇、若しくは一発逆転劇としての側面を表わしているストーリーなのであろう。勿論、そんな都合良く事が運ぶなんて、漫画じゃあるまいし、全くの絵空事と捉えるのも有りである。というか、その曖昧な伸びシロを観客に提示して、風呂敷を拡げてこの物語は終わるのである。wikiで調べたら、その後の孫の悲惨な人生も又、この作品を益々不可解な世界へと彩るスパイスになっている。余談だが、テレビ等で使われる写真素材の管理会社であるゲティイメージの創設者はこの孫の弟だそうだ。そういえばイタリアマスコミのパパラッチ振りが今作品の時代背景を表現しているが、それと関係があるのだろうか、そういうのも愉しむ素材になっている。
結局、この石油王は、人徳の無さ故に、継いでくれる子孫にも恵まれず、会社は売却されたようだが、こういうステレオタイプな話は、その後のパターンとしてのドラマツルギーとして脈々と続いていくのだろうね。返す返すも、ケヴィン・スペイシー版の本作を観たかった次第である。 そういえば、『ミノタウロス』の話もなにかメタファが挟まっているのかな?
うーん。1800円の価値はないなぁ。
思った日時で映画に行けない事情があり、安い日に見ることができず、1800円払って日曜に見ました。
えー、あきずに見たけど、で?という感想でした。
耳を削ぐシーンは直視できなかったけどそれ以外はそんなにビビることもなく普通に見られる。
爺さんゲティが酷いなぁ、アビゲイルお母さん気の毒やなぁとは思ったけど、内面に迫ることはなく、出来事をなぞる進行の為、誰かに寄り添う気持ちは産まれず。
麻薬に溺れた息子(アビゲイルの元夫)が情けないなぁ思ったくらい。
マークウォルバーグがなんでアビゲイル派になったんかよくわからんかったし。
チンクアンタがロマンデュリスだったとは気づかんかったわ。きったなくしてて全然わからんかった。
1100円でも高いと思ったかも。
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