「ネタバレです」ゲティ家の身代金 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
ネタバレです
二重の誘拐ストーリー
ゲティにとっては、孫のポールは二重に「誘拐」されている。
一義的にはもちろん誘拐犯に。
そして息子の別れた妻のゲイルに。
従って、この誘拐事件は、ややこしい二重構造となる。この重層性が、本作の見所。
よくある誘拐モノにある犯人との交渉に加え、この映画では、ゲイルとゲティの交渉を描くことにも比重が置かれることになる。
だから、物語の前半で、ゲイルはいかにして子供たちをゲティから「奪ったか」をていねいに描く。
本来は離婚に伴う慰謝料など、ごっそり請求できるところ、ゲイルはすべてを放棄して、我が子の監護権を手に入れる。
「値段がつかないものは、この世にはない」という信条を持つゲティにとっては、到底太刀打ちできない交渉条件であり、ゲティは孫を奪われてしまう(と同時に、ここではゲイルがネゴシエーターとして大胆かつなかなか手強いことが描かれる)。
死を意識しつつあるゲティにとって最も重要なことは、自分が築いた財産を出来るだけ散逸させずに相続すること。
ゲティは、「二重に誘拐されている」孫のポールをどう奪い返すか、という難題に直面する。
単純に身代金を出せば、孫は生還するだろう。しかし、それではポールを遺産相続人にはできないのだ。
結局、ゲティは身代金を払う。
しかし、それを決心させたのは「耳の記事」が載った新聞でも、元CIAの彼の部下チェイスの説得でもない、と解釈した。
そうでなければ、「監護権の譲渡が行なわれなければ身代金は払わない」、という条件設定をする意味がない。この条件こそが、ポールを「二重に」奪い返す妙手だった。
本作は、この二重構造を、ゲイルを起点としたことで、単純には見せず、結果、物語に奥行きをもたらしている。
こうした構成を実現しつつ、テンポよくストーリーを運ぶ演出は、さすがはリドリー・スコット。
美術品に溢れた世界一の大富豪の家も見応えがあり、映画館の大画面で観る楽しさがある。
原題All the Money in the Worldがしめす通り、最後は結局カネなのか。表面的には、そう描きながらも、ゲティが希求したのは親族への遺産相続だったことから、本作は家族を描いた映画だった、と言える(ゲティの死後、ゲイルは「ミセス・ゲイル」と呼ばれていたことに注意、彼女とチェイスとの家族に関する会話も効いている)。