「ロシアを愛してるぜ(棒で叩きながら)」ラブレス つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
ロシアを愛してるぜ(棒で叩きながら)
脚本も担当しているズビャギンツェフ監督は政治問題に口を出すつもりはないと言っているが、ロシア政府はそうは思わないだろうな。だってあからさまにモロ出し批判なんだもの。
あまりのことに思わず最初に書いちゃったけど、とりあえず政府批判のことは置いておいて、表面的に見えることから順に書こうと思う。
同監督の作品はこれが2作目だが、全体的にスローで静かなのは変わらずだった。
それでも「父、帰る」のときの、何を感じればいいのかわからない感覚はなく、非常に入り込みやすかったのは良かった。
音楽なのか効果音なのかわからない印象的な音使いも効果的で、不思議な緊張感の高まりは見事だったと思う。
親からの愛を受け取れなかった父ボリスと母ジェーニャは、息子のアレクセイを愛することが出来ずに自分のことばかり考えている。
対照的に愛することを継承している親子の姿も描かれている。
この辺の描写の細やかさ、丁寧さは、クドイほどで、過剰描写ではないかという気持ちも出るけれど、後半の変化していく兆しを見せ始める夫婦の揺らぎに対してボディブローのようにじわじわ効いてくるんだよね。何かあるんじゃないか、何か変わるんじゃないか、という期待に逆説的に効くって感じで。
それで、普通に面白く観られたんだけど、愛されなかった子どもでも愛せる大人になれるのではないかと、愛の継承について軽い嫌悪感が出たところで、これは人間の話ではないですよとドーンと来ちゃうんだからビックリするよね。
ソ連の本体が今のロシアで、ソ連の一部だったウクライナがソ連の子どもだというならば、ウクライナはロシアの子どもだ。
ロシアはウクライナに愛を注げているのかと問いかけているわけ。失ってから気付いても遅いぞと。
エンディングの場面でロシア軍がウクライナに進攻しているのだから愛を注げているわけないんだけどさ。
ボリスとジェーニャがロシアで、アレクセイがウクライナだったんだ。
何か変われそうだけど結局何も変わらない、自分のことばかりで他を愛せないロシアを夫婦二人が表していたわけだね。
つまり、もっと旧ソ連の国々を愛せとロシアを批判しているのだが、さすがにラストシーンのジェーニャに「RUSSIA」の文字が書かれたジャージを着せるのはやり過ぎだったと思うな。メッセージがモロ出しすぎるでしょ。
「政治問題に口を出すつもりはない」監督談。これもまた皮肉かジョークの一種なのか?
ズビャギンツェフ監督はロシア政府から映画製作の資金援助を受けられないそうだけど、まあ、そりゃそうだって感じだよね。
だけど、この人からはロシア愛を凄く感じるんだよな。「俺はロシアを愛してるぜ!」みたいな。
ちょっと愛情表現がひねくれてるけどさ。