「欲望と憎悪と駆け引きだけ」ラブレス 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
欲望と憎悪と駆け引きだけ
この作品を観る数日前に「レッドスパロー」を観たので、アメリカから見たロシアとロシア人みずから見たロシアの違いがよく分かった。
ロシア人の生活はアメリカ人が考えるほど政府に束縛されておらず、何を考えても、どこに行って誰に何を喋っても大丈夫である。もはや祖国という言葉も、その概念さえも意識から失せているように見える。いまだけ、自分だけよければいいという精神状態はロシアにも蔓延しているようだ。
明日のない親に育てられる子供は、未来について何も描けない。自分をなくしてしまうこと、いまという時間を抹殺することだけが彼の取りうる唯一の行動である。
親から愛情を受けずに育った子供は人を愛せない人間になる。人に対する思いは欲望と憎悪だけだ。憎悪し合う夫婦。欲望を満たすだけの愛人。他人の精神に無関心で、ただSNSの中で虚栄心を満たしていく。いなくなった息子を探すのは、世間体のためだ。見つかろうと見つかるまいと構いはしない。しかし死なれていると困る。生きているうちに見つかるか、それとも見つからないかのどちらかだ。
見つかったのは息子だったのか。そうだと認めれば自分たちは息子を見殺しにした親になる。DNA鑑定は当然拒否し、子供はいつまでも見つからないままにしておく。罪の重さに戦くが、それでも子供を愛せないのは仕方がない。子どもだけではない、誰のことも、自分のことさえも愛せないのだから。
役者たちはこうした精神構造を卓越した演技力で表現する。愛人が産んだ子供も、子供には変わらない。やはり愛せないのだ。人を愛せない人間は世界中に存在する。そして増加の一途をたどっているように見える。世界から優しさが消え去れば、欲望と憎悪と駆け引きだけの世の中になる。この作品はその警鐘なのかもしれない。