「SF感は希薄」アンダー・ザ・ウォーター odeonzaさんの映画レビュー(感想・評価)
SF感は希薄
2095年の近未来、海面上昇や塩分濃度の急激な高まり、真水の希少化により多くの動植物は死滅し人類は苦しんでいる。北欧の某国ではQAEDAと呼ぶ特殊な人間は時間移動が可能になっている。QEDA(Quantum Entangled Divided Agent:「量子もつれ」で分割されたエージェント)は原題でもある。
なんと映画の冒頭で前提を一方的にテロップで告知するだけ、よほど予算が無いのだろう・・。
海面上昇なら国土沈没の方が大問題でしょうに、なんと水不足がテーマだった。
私などは地球温暖化による影響かと早とちりするが普通氷山や氷河が溶ければ海水の塩分濃度は下がるはずだし合点がいかないのだがどうも生態系のバランスが崩れたらしい。
水の確保には海水を真水に変える方法が必要、昔、変異したオキアミを使った浄化方法の研究者がいたが飛行機事故で死んでしまいタンパク質の組成が不明、そこで過去に行って探って来いとQEDAのファン・ルン大尉に指令が出る。そんなことしなくても逆浸透法膜フィルターを使えば良いと思うのだが持続性と言う意味では自然の有機物に頼るのが安上がりなのでしょう。
過去との行き来は湖にブラックボックスを浮かべ輪を作って行っていた、なぜタイムトラベルに多量の水が関わるのか説明はありません、唯一SFチックなのはトラベラーが量子分裂し分身が過去に行き現代の分身と量子もつれのテレポーテーションを使って意識の共有をはかるというところくらいでしょうか。とんでもない拡張解釈ですが量子コンピューターにも使われる用語なのでつまみ食いしたくなっただけでしょう。分身が死んでも、もう一方は無事というシーンは監督の個人的興味に思えます、人体実験はご法度ですよ・・。
オキアミの研究者はファン・ルン大尉の曽祖母だからファミリーヒストリーのような趣き、分身が彼女に関わった事で歴史が翻り子孫の大尉も分身ともども存在しなかったことになる古典的パラドックスでTHE END。エンドロールで動物園が出てきましたが自然保護へのメッセージが強いわけでもなく感傷的で凡庸なタイムトラベルものでした。