「使い捨てカイロ」ドント・イット 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
使い捨てカイロ
この映画A Dark Songの邦題「ドント・イット」は「ドント・ブリーズ」と「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」を融合させたものと思われる。とうぜんDon't BreatheやItの人気にあやかろう、あるいはDon't BreatheもしくはItと間違えて見てくれることを狙ったものだろう。
このような姑息な陽動作戦は邦題命名の定石であり“ノーバンで投げた”みたいな釣りとヒット作品の柳の下の泥鰌をうかがって“ジェラシック”を加えましたみたいな杜撰さが邦題の宿命になっている。──ことは言うまでもない。
しかし今どきA Dark SongをDon't BreatheやItと間違えて見る人がいるんだろうか。ドント・イットだからドント・ブリーズあるいはイットと似たようなやつなんだと期待する人がいるんだろうか。
われわれは既に邦題というものがうんこ臭を放ってくることを知っている。知らない者はいない。いるとしたら命名者だけだ。
そもそもA Dark Songの製作年度は2017年のItより前、Don't Breatheとおなじ2016年である。いや、そんなことより“どんと”とは大日本除虫菊株式会社(金鳥/KINCHO)が製造販売している使い捨てカイロの商品名である。消防団をやっていた時、どんとの大量消費者だったゆえにどんとと書かれていたらそれはホッカイロでしかない。
プロモーション用画像にはDon’t Itと書かれ『“それ”がやって来たら、終わり』というコピーがある。いったいなにがここまでうさん臭くさせるのか。邦題はEBPMを取り入れるべきだ。個人的見解では配給会社がタイトルを弄ぶ行為は犯罪に相当する。
A Dark Songはじっさいはユニークな独立系ホラー映画だが、うんこ邦題をつけられてしまったホラーの末路をたどり、安価なZ級の廉価かごに放り込まれた。
Z級と一緒くたにされると熱心な人以外に見られにくくなるし見られても適当にあしらわれてしまう。
将来、配給会社の邦題の名付け親になんらかの罰が科せられますように、と呪って早30年である。
Imdb6.2、RottenTomatoes91%と62%。
いくつかの批評家の言説が紹介されている中からひとつをあげると──
『見ず知らずの2人が荒廃した邸宅の中で自らを世界から切り離す?それはすでに私が見たい映画だった。しかし、ひとたびA Dark Songが愛、喪失、信仰、突然の悲劇に対する人間の自然な反応といった問題を掘り下げ始めると、それは斬新なコンセプトから真に力強い作品へと開花した。』
(Wikipedia、A Dark Songより)
RottenTomatoesでProsに共通する語は“斬新さ”や“変わり種”。批評家は一様に特異性を褒めている。すくなくともドント・イットなんてつけられて廉価かごに放り込まれるようなホラーじゃなかった。
──
幼子を失い深い悲しみを負った女性が、なんらかの蘇生術をつかうオカルト研究者に死者との交流を依頼する──という導入を経てふたりは隔絶された場所でその儀式にいそしむ。
このプロットがエロチックに見えるのは男が女の必死さを利用するプレデターにも見えるところ。
死者との交流を成し遂げるためにはソフィア(Catherine Walker)は導師であるソロモン(Steve Oram)の言うとおりにしなきゃならない。ソロモンはカルト主宰者のように降霊にはセックスをしなきゃならないとか言うし、黒魔術がほんものなのかうそなのか、いかがわしく且つ疑わしく話が進むこと自体がA Dark Songの面白さにもなっていた。
なんらかの苦痛あるいは仮死によって福音がおりてくる──という殉教のような概念はあるが、お互いに疑心暗鬼なふたりの密室劇から、想定外の超常現象へ話は進んでいく。とてもユニークなホラーだった。
ちなみに2018年のフランス・モロッコ映画のAchouraは本作と無関係ながら『ドント・イット THE END』と命名され勝手に続編にされていた。マイナーホラーの邦題は配給会社のやりたい放題だ。