「ボケていなかった」ハッピーエンド よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
ボケていなかった
ミヒャエル・ハネケの映画は、安易に観客を登場人物へ感情移入させない。
大きな屋敷に住まい、うわべだけの言葉のやり取りが続く家族。
その象徴が、母親との生活を離れて彼らの屋敷にやってきた少女への問いかけであろう。映画の中で何度も彼女は「何歳なのか」という質問を受ける。その他のことを訊かれることはないのだ。
耄碌している(ふりだと、後に分かるが)ジャン・ルイ・トランティニャン演じる祖父にも、二度も年齢を訊かれる。だが、最初の問いかけの後、この祖父は孫娘に対して「13歳にしては幼い」と、思春期の子供に向けてずけずけとした物言いを続ける。
ここでこの祖父が実はボケているのではなく、この少女をつぶさに観察して、その所感を率直に述べているのだということに気付いた観客はほとんどいまい。ずっと後に孫娘と互いの秘密を告白し合うまで、家族の中でこの老人が最も疎外されているように感じた。
しかし、映画の後半では、新参の孫娘のことも含めて、家族のことを俯瞰しているのはこの老人だけなのだということが次第に分かるようになる。
それにしてもこの孫娘を演じているファンティーヌ・アルドゥアンが素晴らしい。あどけなさ、冷酷さの両方を持ち合わせ、つかみどころのない映画の前半におろおろする観客に対して、かろうじて視座を与えてくれるという難しい役回りを演じ切る。
この映画は物語を次へ進める事件を敢えてスクリーンには映さない。もしくは何が起きているのかがよく見えない、聞こえないロングショットでしか観客には情報を与えていない。映画はストーリーテリングの媒体であるという思想をあざ笑うかのように、ハネケは劇的なシーンを省いて進んでいく。映画の中に入ろうとする観客に容易く追いつかせることをしない。
非常に集中力を要する作品であり、その分、ストーリーの展開ではなく登場人物たちの人となりに観客の厳しい目が注がれることになる。