ファースト・マンのレビュー・感想・評価
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無言の男の秘めたミッション
大まかなストーリーはわかっているにもかかわらず非常に緊張感のある面白い作品だった。
アップの多用、早いカット割り、すごい手ブレ映像にドキュメンタリーのような映像と、多くの工夫を詰め込んで魅了したデイミアン・チャゼル監督は、「ララランド」の時に思った魔術師かもしれないという疑惑を確信に一歩近付けた。
主人公ニール・アームストロングは自身の心の内を全く語らないが、それでも彼の想いが透けて見える気がするのは、演じたライアン・ゴズリングの演技力なのかチャゼル監督の魔術なのか、それとも2つの融合なのか、とにかく良いものを見させてもらった。
娘を失ったニールは、その埋め合わせをするかのようにNASAの飛行士に志願し、ジェミニ計画とそれに続くアポロ計画に参加することになる。
厳しい訓練とテストの中で仲間を失い、ニールの喪失感は増していく。
犠牲を払ってでも計画を続行するのか?いいや質問が違う。犠牲が出ているからこそ計画を続行するのだ。
彼らの想いを紡いで月へ行く。行かなければ心の穴はぽっかり開いたままだ。
中盤を過ぎ、作品の方向性が見えたあたりで、おそらくラスト付近で描かれるであろう有名なアームストロング船長の言葉とバランス悪くならないかと心配になった。
脚本のジョシュ・シンガーは有能なのでイケるかなと思ったのだが、やっぱりちょっと上手くいかなかったね。
作品内のニールは喪失、特に娘の喪失が原動力になっているのに対し、実際のアームストロング船長の言葉はフロンティアスピリットによるものと思う。
喪失感と開拓者精神は中々に親和性が低い。
一番目玉になりそうな「有名な言葉」の瞬間に感動出来なかったのは肩透かしで少し残念だった。
とはいえ作品の方向性は全くブレない。
娘の喪失により、危険な月へ向かうミッションの前ですら息子たちと話せないほどに家族と上手く向き合えていなかったニールが、妻と無言で正面から向き合うエンディングは秀逸だ。
娘がいるかもしれない月に降り立った時に、やっと本当に弔うことができた。心を整理することができた。
ニールの喪失感は埋められ、かぐや姫を迎えに行くミッションは終わった。
肯定の仕方が謙虚
「月に行きました!!」感、満載で来るかと思いきや
結構地味
国旗立てるところなんてカットしてるし
最後は無言で見つめ合ってヌルッと終わる
映画公開後ステフィンカリーが行ってないと公言したけど
世の中にある行ってない論争にもっと匙投げて欲しかった
月面着陸を違った角度から描いた作品
月面着陸を華々しく描いた作品と思いきや、主人公や家族の苦悩にも焦点を当てていて、これまでのこのテーマの作品とは違う感動を味わえた。
とは言え飛行シーンは、やはり常にハラハラで、アゴが疲れた…(汗)
無言のラストシーンは、この映画の全てを物語っている感じがした。
喪失からの再生
おかえりなさい、はやぶさ2!
カプセルの中から何が出てくるのか楽しみですね。
世界中が宇宙の神秘に思いを馳せているところで
今日はデイミアン・チャゼル監督による『ファースト・マン』のお話を。
人類で初めて月に降り立った宇宙飛行士ニール・アームストロングの半生を映画化した伝記ドラマです。
ニール・アームストロングを演じるのは『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリング。
ジャズピアニストからいきなり宇宙飛行士とは、彼も幅広い。
いや、てっきり音楽系の映画を撮りまくると思っていたデイミアン・チャズル監督のふり幅こそ驚きに値する。
時代背景が60年代とあって、ロケットなんか今どきの近未来SFに出てくるそれとは桁違いのアナログ感。息苦しいほどに狭い船内はがらくた級に古めかしく、壊れんばかりに軋むさまには否が応でも緊張させられる。
こんなので宇宙に行こうとは正気の沙汰じゃない。
当時のミッションがいかに無謀だったかと驚愕するが、この迫力と臨場感を映像にしたことにも拍手。
一方月面着陸シーンは思いのほか穏やかなのが印象に残る。
アームストロングの偉業を称える伝記とするなら、もっとエキサイティングかつエモーショナルに盛り上げてしかるべきだが、デイミアン・チャズルの演出はひたすら静かだ。それは本作が主人公の喪失と家族との再生を辿るというパーソナルな側面を持っているからだろう。
娘を亡くしたとき、ニールは妻の前で泣くこともしなかった。
ジェミニ計画に関わったのは、「そこに問題があるなら解決したい」と願うニールのエンジニアとしての性(さが)であると同時に、喪失からの逃避でもある。
ジェイソン・クラーク演じる仲間のパイロットがカレンのことを話そうとするのを即座に遮るシーンにも、ニールが数年たってもまだ娘の死を受容していないことがうかがえる。
夫婦で悲しみを共有できなかったことは、妻ジャネットとの間に溝を生じさせることにもなったに違いない。
月面着陸は、ニールにとって家族の絆を取り戻すためのミッションでもあったのだろう。
月面でカレンの小さなブレスレットを捨てる瞬間は、『タイタニック』で年老いたローズが海原にダイヤを捨てるシーンを思い出す。あの瞬間、ニールは喪失を乗り越えたのではないかな。
ラストシーン、ガラス越しに対面する二人にはまだ溝を感じたけれど、ようやく重ねた夫婦の指先にかすかな希望が宿ったようにも見えた。
小さな一歩。家族の再生はこれから・・と。
公開後も作品の評価は分かれていたと記憶してるが、私はこれ好きだな。
音楽がやっぱり『ラ・ラ・ランド』なところが特に好き。
予備知識があれば、最高の映画になる可能性もある
凄くリアルに作られている映画でした。
宇宙飛行士の人間性や家族とのエピソードも凄くリアルに表現されており、どんな凄い偉業をなした人間も、普通の人で本人は勿論その家族には多くの困難や試練が待ち受けてことが表現されていました。
冒頭のX-15を飛行禁止処分になるシーンまでを見たら映画好きの方は分かると思いますが、この映画は人によって見方を選ばなければいけません。
宇宙のことなんてなんにも知らない人は、映画を見終わるまで、宇宙の「う」の字も考えないほうがいいです。大事な事を見逃してしまいます。
例を上げるならX-15のシーンは難しい事に一生懸命挑戦したけど、報われない結果だったね。くらいで十分だと思います。
次にマーキュリー計画やジェミニ計画、アポロ計画は勿論当時のロケットや(アメリカの)宇宙船の構造など宇宙に関する知識が豊富な人は、通常の映画のように、細部まで舐めるように鑑賞しましょう。
凄く楽しめると思います。
私はX-15再突入のシーンで、完全に鷲掴みにされました。
月に行くことで亡くなった娘に会え、大きな喪失感を彼女の形見と共に葬れた
高揚を抑え偉業を淡々と冷静に描く演出、及びニール・アームストロングを演ずるゴスリングの感情表現を減じた演技には好感を覚えた。
デイミアン・チャゼル監督による2018年公開の米国映画。脚本はペンタゴン・ペーパーズで知られるジョシュ・シンガー。原作はジェームズ・R・ハンセンによるニール・アームス
トロングの伝記。撮影と音楽がラ・ラ・ランドのリヌス・サンドグレンとジャスティン・ハーウイッツ。製作総指揮がスティーブン・スピルバーグら。配給はユニバーサル。
出演は、ライアン・ゴスリング、クレア・フォイ、ジェイソン・クラーク、カイル・チャンドラー、コリー・ストールら。
テスト飛行時の異常高度到達で映画は始まる様に、ニール・アームストロングの個人史に忠実な様だ。緊急事態が発生しても決して動ぜず、幼い娘が脳腫瘍で亡くなっても人前では涙見せないゴスリングによるアームストロング像に、リアリティを感じた。特に、アポロ計画でのランデブーの軌道と速度に関する理論的講義に面白さを感じる感性の描写で、後に大学教授となる彼の資質を上手く表現していた。
加えて、多軸制御訓練での気絶後の再度チャレンジや死亡事故に関する憶測的発言の強い否定が、ファーストマンになり得た優秀性をさりげなく示し、良い脚本と思った。
メインテーマは米国映画らしく家族への愛、中でも亡くなった娘に対する大きな愛と喪失感。葬儀の日に月のアップ映像が挿入されるが、どうやら月に行くことの意味は娘に会え喪失感を葬れるという解釈らしい。娘の形見をクレーターに投げるゴスリングの姿が、映画のクライマックスの様であった。映画全編に散りばめられる家族のシーンでのハーウイッツによる甘く美しい音楽に、情感を揺さぶられた。
宇宙飛行士の妻の、命懸けの仕事を見守る苦しさも丁寧に描かれていた。映画の中でも5名の宇宙飛行士が死亡し、ニールも月面着陸訓練機操縦で死亡寸前ギリギリの脱出。明日は我が夫かと思う妻の苦悩はもっともで、それを演じたクレア・フォイによる演技のリアリティはお見事。特に月に向かう前に、息子達への説明を強く要求するクレア・フォイの姿は、母として健気でもあり、妻としては重要な仕事前の夫には嫌なところでもある。そういえば、葬式の時に手伝う妻1人置き去りにして、さっさと自分一人で帰宅する妻に配慮をしないニールの姿も描かれていた。
そして最後、マスコミの前では笑顔見せていたクレア・フォイは、ゴスリングとのガラス越し再会で笑顔一つ見せない。今一つ自分にはしっかりと理解出来ないが、たとえ英雄として帰ろうと、蓄積した事故への恐怖は彼女の許容量の限界を超えてしまったのだろうか?二人は実際、離婚するらしいし。ただ彼女の青い眼球のアップ映像の意味するところや指の重ね合いは、ゴスリングの地球に及び家族の元に帰ってきた安心感を象徴している様にも見えるのだが。
誰が人間が月に行くなんて考えたのだろう…
事実のため、派手さは無く、感情移入する暇もなく、物語は淡々と進むので、前半は特に映画的なエンタメ要素はない。それだけに人類が月に行くのに、どれだけの時間と命の犠牲があったのか、ライトスタッフ同様に描いている。娘を亡くし、心に傷を負う主人公ニールはロケット試作途中に仲間を次々と亡くし、葬儀を終え、逃げるように出ていく。親友をも亡くした彼の胸中はどうだったのだろう。誰も行ったことのない未知なる宇宙に命懸けで行く彼を奮い立たせるものは何だったのだろう。夫を送り出す妻も然り。妻も戦っている。当たり前になった現代でも、こんなに事故が起きていたら、行きたくない。。宇宙開発にソ連が先行していた為、アメリカの焦りがあったり、国民、特に貧困層は失敗ばかりする宇宙開発に莫大な税金が投入されることをよく思わなかったり、かなりのプレッシャーがあったこともよく描かれている。自分が他の宇宙飛行士よりも先に行きたいなどの争いなどはなく、チームとして団結力を感じる。飛行前記者会見時、過去の飛行のお陰で今日があるというニールの言葉は本当だと思う。後半は結果は分かっているが、期待感というより、これから死にに行くような物凄い悲壮感、緊張感が漂う。帰還後、妻と隔離室のガラス越しで、泣くわけでも笑い合うわけでもなく、帰って来れて良かったというひたすら安堵、疲労感すら漂う終わり方はリアリティあった。コリー・ストールは嫌な奴の役がよく似合うw
もうちょっと濃く、
みんなが知ってる、月に最初に降りた宇宙飛行士の話。
その個人のこと、時代背景、打ち上げまでの過程などしっかり描かれているも、どうも物足りなさも個人的には感じた。
そして残念ながら、宇宙に出て月に向かう途中もあっけないかんじ、着陸して月面での時間もそこまで割くわけでもなく、また、帰り道の帰路を描くでもなく、あっけなく終わってしまった感はある。
こんだけいい話、歴史的なストーリーなんだから、もうちょっと内容や描き方が濃くてもよかったんではないか、と思う。
とても良かった
ああこれは、映画館で観たかった・・・
娘さんの死は、どのくらいニールさんが月へ向かう動機になっていたんだろう、実際のところは分からないけど、この映画の中ではそれは強く結び付いていて、娘さんの影がちらつくのは死の匂いのする場面であり、オカルト的な物語にもなっている・・というようなことを、町山智浩さんが映画その他無駄話の中で言っていて、実在する人物をモデルにして創作する時に、どうやって物語るのかというのは、難しいけれど面白い、人の内面は本人すら把握出来てない部分もあるくらいに、深くて広い、宇宙のようなものだなぁ。
アポロ1号の事故の場面が恐ろしい。これは実際にあったことなんだなと、知らなくても思わされて恐ろしい。
最後の場面、触れ合うけれど、観ていて伝わってくるのは温もりではなくてガラスの冷ややかさ。冷ややかさの中の温もりかな?どちらともとれるけど、私は冷ややかさの方を感じて悲しい気持ちがするラストだった。とても良かった。
自分と他者との距離は、月ほど遠い。
アポロ11号の船長として、人類史上初の月面着陸を成し遂げた宇宙飛行士ニール・アームストロングの物語を描く、伝記を基にしたヒューマンドラマ。
監督/製作は『セッション』『ラ・ラ・ランド』の、オスカー監督デイミアン・チャゼル。
製作総指揮は『インディ・ジョーンズ』シリーズや『ジュラシック・パーク』シリーズの、言わずと知れた巨匠サー・スティーヴン・スピルバーグ。
主人公ニール・アームストロングを演じるのは、『ラ・ラ・ランド』に続き、チャゼル監督作に2度目の出演となるライアン・ゴズリング。
第91回 アカデミー賞において、視覚効果賞を受賞!
第76回 ゴールデングローブ賞において、作曲賞を受賞!
個人的に宇宙について興味がないため、アポロ計画などの知識はほとんどゼロ。そんな人間でも楽しめるのか不安でしたが、取り敢えず鑑賞。
結論からいえば、ストーリーに関しては正直つまらなかった。
専門用語も多く入り込みづらかったし、敢えてこのような作りにしたのだとは思うが、脇役のキャラクターが書き割り的で魅力に乏しく物語に入り込めなかった。
しかし、この映画においてストーリーはあまり重要ではないのだと思う。
アームストロング船長が月面着陸に成功したという歴史的事実は誰もが知っていることであり、監督はその物語を描くことに興味がなかったのだろう。
月面着陸に至るまでの物語を深掘りするのではなく、ニール・アームストロングという人物の抱える心の闇とミッション成功への執着に焦点を当てることによって、コンパクトで綺麗な纏まりを持った映画になっている。
ニール・アームストロングを演じるライアン・ゴズリングの演技には流石の一言。
数多の死を経験したことにより、闇をみつめるように月へのミッションへ没入していくようになるニールを演じ切っています。
あのトロンとした、何を考えているのかわからない目が良いです。
彼を月へと突き動かす契機となった娘の死も、語りすぎることなく、映画の冒頭でサラッと扱うのが良い。
彼女が入れられた棺桶は宇宙飛行士たちが乗り込む宇宙船を連想させる。
それにより宇宙船が死と隣り合わせの閉ざされた空間であることを比喩的に表現しているところなど、流石デイミアン・チャゼル、上手い!と感じました。
ジェミニ8号やアポロ11号の描写も、あくまでニールの乗り込んでいるコックピットに焦点を当てて撮られており、この映画が彼のミニマムな物語を描くものであることを確認させているのと同時に、観客に宇宙という未知の空間に放り出されたクルーの恐怖を体験させる効果も生んでおり、実にスマートでクールだと感じました。
ジェミニ8号の場面は映画館で観たかった!
宇宙船の爆音と宇宙空間の無音を対比的に描くという撮り方も効果的。
何より、全編にわたり暗い影が映画を覆っている感じが、世間的な名声とは対比的なニールの闇を表している様で、哀愁を誘います。
ニールがミッションに没頭するにつれ、妻との心の距離はどんどん離れていく。
月面着陸という偉業を成し遂げた後の彼と、その面会に来た妻がガラス越しで向かい合う場面では、ニールと妻の心の距離が決定的に離れてしまったのだということを、両者が確認した様に見えます。
ガラス一枚で、地球と月を思わせるほどの遠い距離を表している、非常に上手いとしかいえないクライマックスが切ないです。
とにかくかっこいい映像を撮ることとと、常人とはかけ離れた天才を描くことに長けたデイミアン・チャゼルらしい映画でした。
ストーリーはつまらないとは思いましたが、映像と演出、そして丁寧な主人公の心理描写に惹かれる、非常にクオリティの高い作品。
デイミアン・チャゼルの次回作にも期待!
命を懸ける仕事って
淡々と、偉業に挑む男の姿を見せてくれた。
娘の死から話が始まり、恐らくそれが動機になっている、本人も作中で影響はあると言っている。
個人的な動機はそれだが、国家としては国の威信。
対ソ連の勝たなきゃいけないという。
○
初めは同じ目標に向かう仲間とどちらかというと明るい希望に満ちたお話が続く。
そのうちに一人また一人と仲間が命を落としていくなかで心に微妙な変化が生まれてくる。
家族ともしっくりいかなくなっていく。
結局は奥さんの説得で家族とも絆を確かめ、偉業に挑んでいく。
結果、ファースト・マンにはアームストロングがなるが、そこに至る人々も丁寧に描かれていた。
最初からギクシャクしていたオルドリンとチームを組んで最後のミッションに臨むのはなんとも皮肉な巡り合わせ。
とても丁寧に作られていたと思う。
奥さん役だけが
みんなよく演じていたと思ったが、奥さん役だけがしっくりこなかった。それだけが残念。最近このアポロ関係の映画を良く観た。ソ連には負けられないと勇んで成し遂げた偉業。ベトナム戦争で亡くなる友人達。月上陸を夢見て果てる仲間。多くの犠牲の上に今があるんだな
"喪失"こそがライトスタッフ
こんなにテーマと監督が合致している作品も珍しい。
デミアンチャゼル監督の作品はセッション、ラ・ラ・ランドと過去2作拝見している。彼の描きたいテーマは「自分にとってかけがえの無いものを失った喪失感こそが本人を何者かにさせる」である。
過去2作、共に物語中盤で主人公が自分の理想の為に恋人を捨てる。そしてクライマックス、主人公はなりたかった自分になりエンドロールという流れだ。
私は過去2作の主人公達にどうしても乗れなかった。自分勝手に映ってしまい恋人を失った喪失感を見せられても自業自得だろと思った。
しかし、本作は違う。主人公ニール・アームストロングは不治の病で自分の子供を失う。過去2作では何かを失うか、失わないかの選択権が主人公にあったが本作には無い。また、失うものも恋人、言って終えば他人では無く肉親、かけがえの無い子供である。本作の喪失はニールには避ける術がなく深い。
この物語だけで無く月は死の世界の象徴である。この物語は月に行く=死に触れることと捉えて描いている。
この物語には3回死が出てくる。
パイロット仲間のエリオット・シーとエド・ホワイトそして娘・カレンの3人の死だ。
娘・カレンを失った悲しみを埋めるようにニールは仕事に没頭する。しかし彼の仕事は月に行くこと、つまり死に触れることなのだ。
エリオットとエドの二人は死に触れようとして帰ってこれなかった、死に引き込まれてしまったように映る。
エリオットが搭乗した描写の後のジェミニ8号の座席、エドが搭乗した描写の後のアポロ11号のハッチ、どちらも電気椅子と棺桶にしか見えない。
いやパイロットにはこう見えているのだ。
アメリカ宇宙開発史は栄光の歴史だ。だからそれを描く映画も成功の輝きに満ちている。
だが、本当の宇宙開発はそんな綺麗事で済まされない。宇宙開発は死と隣合わせの挑戦、いや死も業務結果の1つなのだと分らせてくれた。
この作品、とにかく観客に内側を見せる。この映画の中で我々がテレビでロケット発射を見るときの、全体像が写って下から炎を吹き出しながら上昇するあの定番の画が無い。NASAの伝記映画なのに!
じゃあ何を見せるか?ロケットが打ちあがる時、その時パイロットは何を見ているのか、パイロットの目線を徹底して見せてくれた。
そこで描写されたのは成す術が限られた中で拘束され宇宙に打ち上げられる、運が良ければ生きて帰ってこられる極限の環境だった。
ニール・アームストロングのウィキペディアにはジェミニ宇宙船の回転を止めて地球に帰還したとか、幼い娘を病気で亡くしたとか文字で書かれているがそれを実際、彼はどう感じたのか。
彼はずっと娘の亡霊を感じていたし、宇宙船の回転が1秒間に一回以上ってああいう回転になるというのを徹底して観客に見せる。
そして!月の世界も観客に見せる。
NASAの伝記映画でここまできちんと月着陸を描いた映画は無い。凄い、本当に凄い。この映画を見れば月を旅行しているようなものだ。
この月の世界でニールは娘、そして死に触れる。彼は肉体は生きて帰ってこれたのだが、なんか魂は月に置いてきたような気がするのだ。
ラスト、奥さんと窓越しに再開する場面が二人の心がもう繋がれない、俗世に居る奥さんと魂は死の世界に行ってしまったニールのように映る。(史実として後に二人は離婚する)
恐らく普通の映画でニール・アームストロングを語ろうとすると冷静すぎて感情に起伏が無くよく分からない人になってしまう。
しかし本作は避けようの無い喪失と徹底したニール目線、そして月(死)の世界を見せることでニールに深く感情移入出来た。
本作でデミアンチャゼル監督は一皮剥けたと思う。喪失の描き方が一段レベルが上がった。
次はアカデミー賞獲れると思う。
人類で初めて月面に到達した男の伝記映画としてこれ以上無い傑作。素晴らしい作品です。
月面着陸についての懐疑が払拭された(笑)
思えば、名作「カプリコン1」という映画がホントのところ原因だった気がするが、アポロ11号は月へは行けていない!という疑惑は私には根強くあった。
(しかもアームストロング船長の息子という人も疑わしいと言ってる事に反論してない様子に見えた)
何故か。
いろいろな指摘はあるものの
その後まったく月に誰も行ってないから、という理由は大きい。
アポロ11号が月へ行ったのが1969年。
あの頃 人々は、その約30年後の21世紀には月にはアパートが建ってて様々な人が住んでいる事を確信していたし
まして2020年に誰もが月を放ったらかしてまだあの頃と同じように地上から眺めるだけに留めているなんて思ってもいなかったんだから。
2001年には宇宙の旅が実現しており
いろんな惑星からの生き物との交流が実現したり。
なーんて全然ですから。
戦後、我が国は連合国(特にアメリカ)にこっぴどく負けた反省から、もう絶対に戦争はしませんと誓い、戦後教育に於いては日本さえ反省してれば世界は平和なんだくらいのことを植え付けられた(信じられないかもしれないけれど本当)
まさか21世紀になってもまだこんなに揉め続けているとは思っていなかった。
そりゃ宇宙どころじゃないよねえ。
と言ったような理由で私は長らく、アポロ11号は月面着陸してはいないという考えを支持しておりました。はい。
この映画はアームストロング船長の自伝本が原作であるらしいが読んだ事はないし、その存在を知っていたとしても読む気にはならなかったと思う。映画にしていただきありがとうございますといったところだ。
しかし実話だと思えば、亡くした娘の遺品を月の海に落としたのは事実?フィクション?どっちなんだろうか とか
確か、ニクソン大統領から電話が来てやるべき用が出来なかったって事あったよね とか そう言った部分の答え合わせ的なものを求めてしまって
その邪念に映画としての楽しみの邪魔をされるのもよくある事だ。
ここで、まったく関係のない自論を ちょっと宇宙つながりでひとつ。
そもそも人類は
宇宙人というものにロマンを持ちすぎると思う。
宇宙人が地球にやってくる理由
それは侵略以外にありますか?
新大陸として南北アメリカ大陸に移住したのもオーストラリア大陸に入植したのも
侵略そのものだったじゃないの?
何の用事があって はるばる遠くの宇宙の彼方から地球に来ますか?
と身も蓋もないけどそう考えている。
そうなって初めて地球は一致団結できるのかな。
いやいや
ロシアか中国のどっちかがな〜んか裏切りそうに思えてならぬ。
世界的な興奮と熱狂の向こうで
人類史上最高の偉業の一つである月面着陸を、こんなにも物悲しい視点から描いた作品だったことに、ただただ言葉を失ってしまった。しかも、監督・主演は、「ラ・ラ・ランド」の二人である。かのアカデミー賞作品は、アンハッピーなエンディングが賛否両論の評価だったように感じるが、本作は、延々とアンハッピーな空気を纏ったままで終始する。
ライアン・ゴズリング演じるアームストロング船長の視点を中心としたカメラワークが、狭く、息苦しいアポロ11号からの眺めと、宇宙服のフードごしの寂寞とした月面を、観る者に追体験させる。
あの時、彼は、本作のようにノスタルジーに心を奪われたのだろうか。亡き娘の忘れ形見を、眼下のクレーターにそっと葬ったのは実話なのだろうか。月面に偉大なる一歩を記してからの数分間のシーンが、切なすぎてえもいわれぬ感情に襲われた。彼が月面を目指したのは、亡き娘カレンに会うためだったのだ。なぜか、そのように思えてならなかった。
生前の彼を知る人々は、どんな切迫した状況にあっても常に冷静で、富や名声に執着しない、謙虚で、見方によっては全く面白みのない人間だったと語っている。世界的な興奮と熱狂の向こうで、人の営みやいのちの儚さを達観していたのだろうか。ゴズリングのあの物悲しい眼が、本人以上に多くの哀しみを語っていたように感じた。
表と裏、光と影、地球と月
劇場へも観に行きましたがアマプラで
また観る機会がありましたので思い出しながら
書いてみようと思います
アメリカ屈指の冷静男のニール・アームストロング
が月面に降り立つまでの葛藤、苦悩をつぶさに描きながら
人類未曾有の偉業を辿っていきます
宇宙船のきしみ音、月の静寂がいやがおうに
ニールの心情を表現する手法には
引き込まれるものがありました
公開当時その描き方に保守層から批判もあったそうですが
もはや古典になった周知の大偉業だからこそ別の視点から
追いかける意義もあると思います
ヒトラーが再評価されているように
結局この物語の一番辛いところは
ニール自身はアクシデントを切り抜けるごとに
冷静に対処し問題なく対応できたと思っているところへ
そう思っていないマスコミや妻が全く違った視点から
ニールを糾弾する部分
ソ連に開発を上回れ、ベトナム戦争は悪化し
他のパイロットの犠牲は増えという情勢では
それらの糾弾も無理はないのです
でもニールには関係ない
亡き娘との約束を果たしに月に向かう
決意と信念で訓練に臨んでいるのだから
他人の評価や見解で自分の行動を変えるのは
それが最善と思えばこそですが
結局人類史に残る偉業はこういう人が
成し遂げる現実から学ぶことが何かあると
思われされます
イチローも
「相手に合わせて自分を変えるのは一番恐ろしいこと」
とかつてコメントしていたのを思い出しました
ソフトや配信で観るチャンスがあれば
是非おすすめしたい作品です
この映画によって映画館で映画を観る
習慣に興味を持つことが出来た気がします
規定や手順で『管理している』と思うだけ
映画「ファースト・マン」(デイミアン・チャゼル監督)から。
私たち世代(60歳代)にとって、宇宙飛行士といえば、アポロ11号で
人類で初めて月面に足跡を残した宇宙飛行士、
ニール・アームストロング船長しか思い浮かばないくらい有名。
その彼の半生を描いた作品とあって、ワクワクドキドキ感が先に立った。
また、月面着陸50年周年を機に、新たに発掘された映像と音声で
アポロ11号の9日間を描いたドキュメンタリー映画
「アポロ11 完全版」の話も耳にしていたので、是非、
その前に観たかった、という私の想いも強かったのかも・・。
しかし私のメモは、地上に残された妻や家族の不安感が文字として
残されていた。
突発的な事故などの情報は、NASAがコントロールし、
一番心配している家族は情報が遮断され、不安を大きくさせる。
物語でも、そんなシーンがあった。
アクシデントに巻き込まれた夫の状態を知りたい妻が、
NASAの職員に、情報開示を求め詰め寄る場面。
「事態は我々の管理下にある」とNASA。
「冗談でしょう」と、苛立ちながら妻が叫ぶ。
そして、やや冷静になって、こう言い放つ。
「規定や手順で『管理している』と思うだけ。
模型が好きな男の子と同じよ。何一つ管理下にない」
何も言い返せないNASAの幹部職員たち・・印象的だった。
事件は現場で起こっているんだ・・の台詞を思い出した。
退屈でつまらないが
人類初月面着陸の偉業をなしたニールアームストロングの自伝的映画。しかしこの映画の中心的要素は人類未踏への「挑戦と栄光」ではなく、「最愛の娘を失った男の悲しみ」である。チャゼル監督過去作で語られていた「夢への挑戦と犠牲」でもない。と思う。
全体的に淡々とドキュメンタリーチックに描かれる今作品は演出に起伏がなく、盛り上がりに欠けエンターテイメントとしてはあまりにも退屈。くしくも題材がアポロ11号月面着陸という歴史的にもセンセーショナルでドラマチックな内容ゆえに「偉人ニールアームストロングの挑戦と栄光」を期待する。しかし開けてみれば淡白で味気なく、陰鬱で暗い展開の数々に拍子抜けするだろう。驚くことに今作品はニールアームストロングの輝かしい部分には焦点を当てない。(少なくとも彼の優秀さなどは強調されず、無愛想な気難しさばかり)ニールアームストロングという「一人の男の悲哀と再生」の物語という風に作品を捉えることができれば映画の印象は大きく変わる。以下ネタバレ
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冒頭から幼い病弱な娘の死で始まる。娘に対して献身的だった男ニール(娘のために田舎に住み、仕事よりも娘の治療優先)。そんな男ニールが娘の死をきっかけに変わってしまう。
娘の死後、悲しみから逃れるように仕事に没頭し始める。そして月面着陸という前代未聞のチャレンジに挑戦するニール。見事月面計画候補生に選ばれ、厳しい訓練を通じて気の合う同僚との交流を重ねる。ニールは笑顔や冗談を言いあえるほど精神的に回復する。
しかし同僚の事故死が起き、娘の死がフラッシュバックしてしまう(葬儀場にて娘の幻影を見る)。実際のところニールは妻のように娘の死を受け入れられておらず(彼は同僚や妻にすら娘のことを話すことができていない)、今度は妻や息子に無関心となるまで仕事にふさぎ込む(娘に対してあれほど献身的だったニールとはまるで別人)。
その後ニールは実験飛行での事故に見舞われるも間一髪で生還を果たす。相次ぐ事故や社会情勢の変化に伴い世論が月面挑戦へ懐疑的になる。一方で冷静な事故対応が評価され、月面挑戦へのステップを駆け上がるニール。着々とパイロットとしての信頼を得ていくにつれ、精神的に落ち着きを取り戻し妻や息子とも向き合い始める。そして同僚にも娘の死のことを匂わせ(ブランコ)、ついにその死を受け止められるかに思えた。そんな矢先、またもや同僚に悲劇が起こってしまう。
度重なる同僚の死、無表情で無愛想に拍車がかかり不気味さすら持ち合わすニール。相次ぐ事故に不安を感じる妻。それでもニールは仕事一辺倒でアポロ打ち上げ直前にすら家族と頑なに話し合わない。そんなニールにしびれを切らした妻は彼を叱責し家族と話し合うよう促す。妻に叱責され出発直前に息子たちと会話をするニール。しかし会話するにも心ここにあらずで最後まで不器用なまま家族との別れとなってしまう。
そしてアポロ11号で月に向かうニール。(発射と着陸だけで宇宙空間での移動や生活など全く描かれない)ついに月面に着陸し、かの名台詞(人間にとって一歩転々)を吐く、がどこか投げやりで無味乾燥とした演出がなされる。(歴史的出来事であるのに)
人類初月面着陸という偉業を成し遂げ辺りを見回すニール。その胸中では歴史的達成感でなく個人的な感覚、最愛の娘と家族が浮かぶ。(正直このシーンを見るまではニールという無表情で無愛想な男の胸中は見当がつかない。それゆえニールの印象同様映画全体が無感動で退屈な雰囲気で進む。ニールの娘についても示唆的で曖昧な表現が多かったがこのシーンを通じニールが娘の死に囚われ向き合えていなかったことがはっきりと演出される)月面にてやっと心から娘を意識しそして涙する。(序盤の娘の死から徐々に徐々に感情を失い機械的で無機質な男となっていくニール。そんな作品ゆえのニールの純粋な涙、カタルシスを感じさせるほど素晴らしい展開だと思う)娘の形見であるブレスレット(アポロ打ち上げの会見でも触れられていた「月面に持っていくとしたら」が実は娘の形見であり、描写はないがニールがこの形見を大切にしていて常に肌身離さず持っていたという可能性すら妄想できる)を月面においていきニールは地球に帰還する。(大切にしていたであろう娘の形見を手放すことで娘の死からの開放克服が暗示される。)
月面から帰還すると検査のため隔離措置をとられるもTV を通じて世間の称賛を実感する。隔離措置のためガラス越しに妻と二人っきりで再開するニール。出発前の喧嘩別れを引きずり、ぎこちない両者。そんな中でニールから妻に対して愛情を示す。ニールを変えてしまったあらゆる呪縛から解き放たれ、その後の人生が明るいであろうことを想像させつつこの映画の幕切れとなる。
全編を通じて眠たくなるような退屈な映画ではあった。しかし月面着陸後の演出は感動的でそれだけでも今作の評価を大きく引き上げるに足る。と思う。「大偉業に挑戦する偉人」ではなく「悲しみに囚われる個人」という形に映画を鑑賞できれば多少は今作も見やすくなる。
疑似体験
随分昔だが下田のホテルのレストランで秋山(宇宙飛行士)夫妻と偶然居合わせたことがあった、彼が飛び立つ数か月前の夏休みシーズンだったと思う、夫妻は会話も無く黙々と食事をしていたのが印象的だった。
人類初の月面着陸の偉業なのだがチャゼル監督はありきたりのロマンや冒険譚ではなく歴史の傍観者的な冷めた視点で綴っている。主人公は危機に際しても終始冷静沈着、映画の中でも多くを語らない。船内の映像は無機的な計器、スイッチが所狭しと並び窓も小さく垣間見る宇宙もあえて美景を排しているようだ。視覚効果なのだろう、日常からは想像もできない熾烈なストレスを疑似体験させられた。
彼の並外れたストレス耐性は資質もあるのだろうが愛娘の死や同僚たちの死による極限の苦しみから備わったものと暗示される。帰還後の夫婦の再開シーンがガラス越しだったのは意味深だ、謝罪と寛容にも思えた。
初男
日本人の誰もが知っている?
アポロ11号の人類初の月面踏査を描いた映画です。
前評判で、意外と地味な展開だと聞いていましたが
お話しの展開は淡々と進み地味です。
画面も16ミリ撮影で、クローズアップの場面が多く
IMAXで観たのですが、あまりスケール的な壮大感
は感じられませんでした。
そして、淡々と進むので、つい2、3回うとうとと。
私的には、主演のライアン・ゴズリングは、「ラ・ラ・ランド」
のイメージが強くて、ニール・アームストロングには見えません
でした。今にも踊り出しそうで。
ゴズリングの演技は非常に抑えた演技で、感情的になる場面は
ほとんどありません。幼い娘を難病で亡くした場面以外は
同僚が事故死しても動じません。
ニール・アームストロングか実際にそういう人だったと
いうことらしいですが、そうでなけば、生きて帰って
これないミッションに挑戦することはなかった?のかも
しれません。
初期のX-15航空機やジェミニ8号での実験の場面は、
機体を外から映す場面はほとんどなく、狭いコックピット内の
様子がリアルに描かれています。
このリアルさは、機体が大気の圧力で縮んでミシミシいう音や
エンジンの爆音も激しく、臨場感はありました
(4DXでも楽しめると思います。)
この点は、IMAXで観てよかったです。
ただし、閉所恐怖症のヒトには耐えられないと思います。
閉所感は堪えがたく、おすすめしません。
※この時期に、なんでアポロのお話しを敢えて作ったのか
あまりよくわかりませんでした。アメリカ万歳という
感じで作っているわけでもなく。
※実はアポロは月に行ってなく、全て映画セットで
撮影されたフェイクだという都市伝説がありましたが
現在は都市伝説は完全否定されています。
ただし、アポロ計画の初めのうちは実際に月に
行っていましたが、後半は予算不足で、映画セットで
撮影したという説も出ています。
そんな都市伝説も今回のお話しに絡めてほしかった
です。
※若い女性グループが、遊園地のアトラクション
感覚で観ていたらしく、終わった際の様子は
ポップコーンを両手にしたまま、へこんでいる
ように見えました。
※ニール・アームストロングの奥さんが
目力も含めて非常に怖かったです。
ニールがアポロ11号の船長となり、家族と
別れて基地に出発する前日に、ニールに
2人の息子に対して、今回の挑戦で戻れない可能性
があることを、パワハラ的に説明させます。
他にもニールの上司にブチキレる
場面もあります。
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