「Lunar Rhapsody」ファースト・マン いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
Lunar Rhapsody
小さい頃、初めての月面第一歩がアームストロング船長というのは知識としては知っていた。あの有名な「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」の言葉は物心つく前での出来事なのでリアルタイムの感動は分らない。あくまでもテレビや本での話しだ。
今作はそんなニールの月面への冒険譚というべき世界の偉業を描いた内容である。であるのだが、肝心の主人公はあまり感情を表に出す性格ではない。であるので、その主人公を取り巻く人や物、そして情勢や出来事をドラマティックに演出させるというかなり変化球な構成になっている。物語的にはいわゆる“伝記”モノだから粗筋は周知の事実。その中であまり語られることのない細かい出来事が重要なのだが、実はストーリーのキモである、夭逝した娘さんのブレスレットの件は、未確認らしいとのこと。このことからも、主人公の実直さが透けてみえるのだが、しかし映画としての素材はかなり薄くなってしまう。
そこを埋める最大の演出は、主人公を通しての様々な飛行の追体験である。4DXの映画館ならばもっとそれがバーチャルに体験できるだろうが、通常の2Dでも申し分ない程、その臨場感や没入感が体験できた。とにかく息が苦しく感じるのだ。ジェミニ計画での制御不能の状態や、月への着陸、そもそもの冒頭の戦闘機のテスト飛行でも、とにかくまるで自分がニールに成ったかのような感覚がたかが映画館のシートに座っているだけなのに置き換えられてしまう演出方法や、特撮技術のレベルの高さには舌を巻く。決して俯瞰でモノを見させない、当事者意識を強く叩き込む作りなのである。
そして、全体的に覆う『死』というキーワードを激しく同時に静かに訴えかける構成も又、実際の出来事ではあるが、過剰に印象付けされていく。度重なる仲間の宇宙飛行士の事故死がもたらすギリギリのプレッシャーの中で、静かだが内面に強い炎を燃やしているイメージを常に表現させている監督や役者のハードワークに感心しきりである。
“月”という題材を常に意識づけるように、劇伴にテルミンを用いたり、美しい月の明かりを映し込ませたりといった具合に主人公の外堀を過剰に作り込むことに徹しているように思える今作、また新たなアプローチの作品であると、その可能性に評価を与えたい。
静かにそして激しく それをどうやって表現していくか、今作は一つの試金石であろう。
ラストのガラス越しの夫婦の邂逅は、しかし決して一筋縄でいかない、複雑でリアリティ溢れる演技であった。諸手を挙げて万歳が出来ない、これからの二人を暗示しているかのような、本当の姿がそこにある。