「#選択するなら優しさを」ワンダー 君は太陽 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
#選択するなら優しさを
エンドクレジットを最後まで見ると、最後の最後に「#choosekind」の文字が出てくる。ハッシュタグ以下を直訳すれば「親切を選べ」であり、これはオギーが初登校した日のホームルームで担任教師が黒板に書いた格言の一部「選択するなら優しさを」である。それを見た時に私は合点がいった。確かにこの映画は、常に「優しさ」を選択する映画だったと。
遺伝子異常児として生まれ、繰り返された手術の結果、特殊な容姿になった少年オギーを巡る人々の悲喜こもごもが描かれたこの物語。登場人物は概ね「善人」だらけで、ひねくれ者の私はつい「そんなにうまくいくかよ」と冷めた気分になる瞬間があったことを否定しない。最初はちょっと嫌なヤツだと思った登場人物も実は根は優しい子だったり、という展開も、斜に構えれば白々しく思えないこともない。けれども、それでもこの映画を見て、心が優しく、まあるくなっていくのを実感していたし、最後のオギーの授賞の瞬間にとても心地よい涙がこぼれたあの気持ちを私は否定したくないと思った。そしてこの映画が、演出でも演技でも脚本でも、あらゆるすべてのシーンにおいて、最優先されるべきは「優しさ」であると、常に優しさを選択し続けてこの映画が完成したのだということが心底理解できた。観客に白々しいと思われても、出来過ぎだと思われても、それでもこの映画は優しさを選ぶぞ!という強い信念のようなものまで感じるようで、その信念が私のように捻くれた人間さえ優しい気持ちで包み込み、優しい涙を誘いだしてくれたのだろうと素直にそう思った。
オギーが主人公であることに違いはないものの、実は映画はオギーだけを中心に描くのではなく、その両親や、姉や、親友や、姉の親友など、オギーを取り囲む人々の胸の内までしっかりと掬い取って物語にしている。オギーも含めたすべてのキャラクターが確かに存在する世界がこの映画の描く世界であって、オギー中心の世界では決してないところにも非常に好感を抱いた。本当に、偶然登場人物の一人が遺伝子異常児だっただけ、という風に自然と感じられてくるほど、オギー以外の登場人物のことも丁寧に描いていて、それぞれ魅力的で親しみを感じて、全員のことを友達のように感じた。少し話はずれるけれど、この物語は案外テレビシリーズ向きかも知れないなとも思った。日本のテレビドラマではなくあくまでアメリカのテレビドラマシリーズとして。それぞれの登場人物に魅力と背景とドラマがあるので、遺伝子異常児を持つ家族とその友人たちを中心にしたホームコメディのようなテレビドラマシリーズになっても、数シーズンは十分成立しそうな内容だな、とぼんやりと思ったりもした。
かつての「アメリカの恋人」ジュリア・ロバーツも、優しい大らかな演技でとても良かった。女優が年を取ることがネガティブに捉えられやすいハリウッドにおいて、しかも「アメリカの恋人」だった女優がこうして順調に老いているのをこんなに安らかな気持ちで見られるのもうれしいことだった。もし同じ役を、ボトックス顔フィラー顔の女優が演じたらまったく台無しになってしまう。目尻の皺を指して「これは最初の手術の時」、額の皺を指して「これは最後の手術の時」と、愛する我が子の手術に顔を歪めた記録がこの顔の皺なのだ、顔は人生の記録なのだ、と語るシーンをジュリア・ロバーツが演じて説得力があるというのは、とても素敵なことだと思った。