「相手が神父というだけで、不倫をなんとか踏みとどまった男女の物語とみても良いと思います むしろそれがメルヴィル監督の製作意図だったと思います」モラン神父 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0相手が神父というだけで、不倫をなんとか踏みとどまった男女の物語とみても良いと思います むしろそれがメルヴィル監督の製作意図だったと思います

2021年8月1日
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鑑賞方法:DVD/BD

1961年フランス公開、白黒作品
日本未公開で、日本で上映されたのは2009年の東京フィルメックスだけのようです

ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品
階調豊かな白黒の映像、テンポのよい編集
客観的視線のカメラ
もちろん撮影はアンリ・ドカエ
そのようなメルヴィル節があります

とは言っても本作はメルヴィルの名前から連想されるフィルムノワールではありません

本作の主題は、愛してはいけない人を愛してしまったならどうすればいいの?
あるいは親身になって相談にのっていたら危うく不倫になりそうになったらどうする?です

舞台は第二次大戦中のフランスの田舎町
男どもはみんな出征して街には女子供だけです
男は老人か神父しか残されていません
男日照りで、女なのに女性に関心がいく始末です

逞しい男はこの街を占領する兵隊ぐらい
イタリア軍、ドイツ軍、アメリカ軍と次々にこの街に兵隊どもは現れては去って行きます

敵兵とは流石に、仲良くはなれません
案の定、ドイツ軍が撤退したあと、敵兵に靡いた女どもはアタマを丸刈りにされて行進させられる運命です

バーニーは信心深くもないのに、教会に行ってしまったのは、やはり神父であっても男に近づきたいという欲求に外なりません

モラン神父と主人公のシングルマザーのバーニーとの間に交わされる宗教問答はどうでもいいものです
単にバーニーがモラン神父と話をするための口実に過ぎないのですから
一見理屈ぽいことを言うので、モラン神父もつい真面目に問答に付き合い、宗教書まで貸し出してしまう始末
彼女にのせられて気がつけば彼女の家に出入りしています
小学校低学年程度の娘を上手くあやすので、何かこの家に父親が現れたような雰囲気になってしまうのです

しかしモラン神父は破戒坊主ではなく、至って真面目な青年
彼女の信仰心を取り戻すために親身になっているだけなのです

次第に彼女の本心に彼も気づいたのか警戒を始めます

彼女の家でのテーブルに着席してのシーンは見事な演技でした

宗教問答がどんどん耳に入らなくなり、奥の寝室のベッドに視線が行き、神父の腕を掴もうとしたとき
まるで暗殺者の刃を寸前で避ける剣士のように神父はその手から逃れて立ち上がるのです
ここのカメラと音響の使い方は流石メルヴィル!と唸るものでした

映画は彼女に取って救いのない形で終わります
彼女自身は会社の移転に伴いパリに引っ越しが決まり、モラン神父も寒村に異動することになるのです

映画はそこでいきなり終わります

宗教の映画ではありません
愛してはいけない人を愛してしまうと互いに傷つくというそれだけの物語です
相手が神父というだけで、不倫をなんとか踏みとどまった男女の物語とみても良いと思います
むしろそれがメルヴィル監督の製作意図だったと思います

妻帯者が、健気に生きているシンママに親身に相談に乗っているうちに気がつくと深みにはまってしまう
そんなお話は世間にいくらでもあります

自分がモラン神父のように振る舞えるかどうか?
でもそんな自信はあまりないのです

そもそもなんで相談にのってしまうのか?
それはやっぱり異性として魅力的だったからです
傍観できなかったのです
モラン神父は仕事として関与しなければならなかったとしても、一歩踏み込んでいます
仕事は仕事として果たす
でも、それ以上は君子危うきに近寄らずで良かったのです
やっぱり彼もまた彼女に惹かれていたのです
相手を猛烈に意識しているからこそ、あのテーブルで彼女が手を伸ばしたときパッと身をかわせたのです

深みにはまる危険は彼自身の中にもあったのです
彼もまたブレーキが効かなくなる自分自身を恐れて、彼女よりも自分自身を警戒していたのです
彼女の手が触れたなら、自分の歯止めが効かないだろうと恐れていたのです

このような心の動きは若い時には全く読み解けませんでした
人生にはいろいろなことが起こるものです

あき240