「フェリーニの映画を子供に見せる・・・?」日日是好日 penguinさんの映画レビュー(感想・評価)
フェリーニの映画を子供に見せる・・・?
すぐ理解できることはすぐ行き過ぎていくけれどもすんなり入らないことはゆっくり入っていく・・・ようなセリフが最後の方に出てきます。
映画の冒頭にフェリーニの「道」という映画を見たエピソードは映画の途中と最後の方に出てきますが、先のセリフとフェリーニの映画を子供に見せることと話は違うと思うのです。そこが最初引っかかってしまってのどに魚の骨がひっかかるような違和感が映画を見ている間ずっとありました。
お茶の作法に意味があるか、順番を覚えることに一生懸命になっている主人公たちですが続けることによって理解できてくるところがある、そういうことなのだろうと思います。私は子供のころ習字を習っていましたが、高校生の授業の時に書道をしたときは墨をすって授業の開始を待つまでのひと時が心を落ち着ける作業なのだと自然と理解できていきました。子供のときに墨汁で半紙に書いていたときとはまるで異なりました。無駄な作業のように思えることも実は無駄ではなく、儀式でもなんでもそうですが、それに伴う作業や衣装をみにまとっていくことによって普段の自分から少し離れて、心構えのようなものができていくのだ、と今では理解しています。
最近ソロキャンプが流行りで動画を見ると小川のせせらぎに癒されるというコメントが多く見れます。私もその一人です。この映画ではさまざまな水の音を聞かせてくれます。わいたお湯をお茶碗に入れる、水をお釜に入れる、季節ごとの雨のさまざまな音。さみだれ、しぐれ、はるさめ、日本語にはたくさんの雨の呼び名がありますが、雨の呼び名に限らず、言葉の種類が多い対象はその言語を使う人種とのかかわりが深いのだと聞いたことがあります。昔の日本人は雨を単なる「天気が悪い」現象とは思わず、家の中でその物音を聞きながらゆっくり生活をして思いを巡らしてつきあってきたのだと気づきました。
茶道から生まれた言葉「一期一会」。映画の中でも語られますが、昔は今ほど簡単に会うことはできない、特に遠方の人とは、もう一生会うことは無いかもしれないという出会いは現在よりもっと多かったであろう、だからこそ生まれた言葉なのでしょう。現代よりも昔の人の方が1日1日を大事に生きていたのだろうと思いをはせました。この映画のタイトル通りだと思います。
あまり興味を持って見始めた映画ではなかったのですが、思わぬ拾いものをしました。これは樹木希林さんに負うところが大きいと感じます。お茶を点てる姿、正座している姿、手をついておじぎをしている姿、どれも自然体で演技ではなく、にじみ出てくる感じでした。いい役者さんでした。