「満杯の劇場でこの映画を観られる奇跡」カメラを止めるな! カミツレさんの映画レビュー(感想・評価)
満杯の劇場でこの映画を観られる奇跡
※「追記:『ラヂオの時間』との比較」に加筆修正を加え、レビュー本文中に挿入しました。また、それに伴って本文を「ネタバレあり」に変更しています。(2018/08/23)
ここ1、2週の間で公開規模が一気に広がり、ようやく観に行くことができました。実際に本作を観た経験上言わせてもらいますと、鑑賞するにあたっては、
➀ゾンビ映画を撮影している人たちの話らしい。
➁途中で“何か”が起こるらしい。
➂37分ワンカットのシーンが出てくるらしい。
これだけ知っていれば十分です。いずれも、作品のホームページを見れば、すぐに分かることですが、これ以上は何も知らない方が本作を楽しめると思います。公式の予告編ですら、中盤以降で明らかになる重要なネタを割ってしまっていますので、見ない方がいいです。
ここまでの紹介を読んで興味をもたれた方は、ぜひ今すぐにチケットを予約して、劇場に向かってください。劇場は今が最高にホットな状態で、本作を観るのに最適な環境になっていると思います。満杯の劇場で、たくさんの観客のみなさんといっしょに笑いと興奮と感動を共有することができる──これだけ客席の一体感が味わえる作品も珍しいと思います。「劇場で映画を体験する」というのは、本来こういうことではないでしょうか。
※これ以降は、主に本作をすでに観ている人向けに、もう少し突っ込んだ話をします。直接のネタバレになるようなことは書きませんが、勘のいい人や映画に詳しい人であれば、本作の“仕掛け”について、なんとなく察しがつくかもしれません。未見の方はご注意ください。
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本作を観て真っ先に思い出したのが、内田けんじ監督の『運命じゃない人』です。
内田監督は、後に『アフタースクール』や『鍵泥棒のメソッド』などのヒット作を生み出しますが、13年前の当時はまだ無名の新人監督でした。➀無名の新人監督による超低予算映画で、➁有名な俳優も全然出ていないにもかかわらず、➂数々の映画賞などで高い評価を得た作品である、という意味で、本作『カメラを止めるな!』と『運命じゃない人』との間には数多くの共通点が見られます。
さらには、内容の面でも共通する部分が多くあります。➀どちらもコメディ映画である。➁作品全体に大胆な仕掛けが施されている。➂物語が三幕で構成されていて、二幕目と三幕目で一幕目の意外な真相が明らかになる。
『運命じゃない人』も当時は画期的でしたし、今見返してもとても良い作品だと思いますが、はっきり言って『カメラを止めるな!』の方がはるかに面白いです。以下に、本作が『運命じゃない人』よりも優れている二つの“熱々ポイント”について解説したいと思います。
一つ目は、作品の構造が予算の少なさや役者陣のネームバリューのなさをカバーする造りになっているところです。また、脚本を役者に当て書きしているので、本人のキャラクターが活かされていて、演技がきわめて自然に見えます。
アイデアを凝らすことで、低予算であることを観客が全く気にしなくてもよい、堂々とした造りになっているところがまず素晴らしいと思います。
二つ目は、本作がしっかりと“汗をかいて”作られた映画であるところです。
本作を最後まで観た人であれば、冒頭の37分ワンカットの映像を撮るのがいかに大変であるかがよく分かると思います。気が遠くなるほど綿密に段取りを立て、役者もスタッフも何度も練習とリハーサルを重ねたであろうことが容易に想像できますし、パンフレットによれば、あのワンカットのシーンは全部で6テイクも撮影したそうです。
作品の全貌が見えると興を削がれるどころか、あらためてもう一度見返したくなるのが、本作の大きな強みだと思います。
また、多くの方が本作と「似ている」と指摘されている、三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』と比較することで、本作の強みがよりはっきりと見えてきます。
『カメラを止めるな!』と『ラヂオの時間』は、テレビとラジオという違いはさておき、たしかに生放送番組というシチュエーションは共通しています。しかし、両者には決定的な差異があります。それは、作中のスタッフ・キャストたちの番組に対する意識の違いです。
『ラヂオの時間』では、作中のスタッフ・キャストに「良い番組を作りたい」という意識がありません。誰もが番組を最低限成立させることしか考えておらず、ただの辻褄合わせに終始しています。その結果、ラジオドラマはどんどん滅茶苦茶になっていく一方です。演者の単なるわがままや、スタッフのその場での安易な思いつきによって元の脚本が歪められる様子は、今見るとただ不愉快なだけです。
それに対して、『カメラを止めるな!』では、拙い部分や失敗、ハプニングはあれど、基本的には役者もスタッフも「良い番組にしたい」という共通の目標に向かって動いています。そのため、ハプニングや役者のアドリブ(暴走)が、結果的に作品にとってプラスに働いている部分がたくさん出てきます。
上田監督自身が三谷監督の大ファンであることを公言していますので、当然『ラヂオの時間』も意識されていると思いますが、私は、『カメラを止めるな!』の方が、より気持ちの好いコメディ映画になっていると思います。
最後に本作のタイトルについて述べ、本レビューを締め括りたいと思います。
『カメラを止めるな!』には、きわめて困難な撮影に挑む作り手たちが、自らを鼓舞する意味合いが込められているのではないかと思います。何が起こっても演技を止めない!いかに不可能と思える状況であっても決してあきらめない!──そのような決意がタイトルに刻み込まれているように感じるのです。
また、本作のストーリーやその在り方自体がそうであるように、『カメラを止めるな!』というタイトルには、映画に携わる全ての人たちへ向けた「映画を作ることを止めるな!」というエールが込められているように思います。映画に対する力強い賛歌でもある本作が、多くの観客に受け入れられ、多くの劇場に広がっている現状には、思わず胸が熱くなります。
満杯の劇場でこの映画を観られる奇跡を、ぜひ体験してください!
素晴らしいレビューですね。全面的に賛同します。一つ付け加えるとすればこの映画は映画製作者だけではなく、理想を持っていながらも現実の厳しさに押しつぶされてほぞを噛んだことがある世界中の人々に向けられていることだと思います。
コミピコさん、マイページを更新されていましたね。
「心情変化」について伝わらなかったのは残念ですが、
コミピコさんがご自身の好みを明確に表明されたこと、うれしく思います。
恥ずかしながら、井口昇監督の作品は観たことがなかったので、今度観てみようと思います。
「その心情変化」というのは、「作り手たちが制作の過程を通じて変化(成長)することや、心情が動くこと」というような意味でしょうか。であれば、『カメラを止めるな!』には、そのような場面がたくさんありますよ。
まず、一番分かりやすいのが監督の日暮でしょう。『ONE CUT OF THE DEAD』の制作に入る前の、再現VTRの撮影現場での適当っぷりが本編と対比されており、本作の中でも最も明確に変化が描かれています。
終盤、ラストカットのカメラワークをめぐって、プロデューサーの古沢が「そこまで見てないですって」と言うのに対して、「見てんでしょうが!」と思わず本心をぶちまける場面は最高にアツくて感動的です。
また、日暮家の晴美と真央は、撮影が進むにつれて徐々に本性を現し(良い意味で)暴走していきますし、主演の松本逢花と神谷和明の2人も、現場での周りの熱気にあてられ、最後には無心になってお芝居を続ける姿が印象的です。
あと、特筆すべきはラストの人間ピラミッドでしょう。酔っぱらいの細田も、胃腸の弱い山越も(特にこの細田と山越は前半部分で番組に危機をもたらした2人です)、気の弱い山ノ内も、意識の高い神谷も、おてんばカメラ助手の松浦も、全員が一丸となってラストカットの映像を作り上げていることが、セリフではなく画面として伝わってくるのが本当に素晴らしいと思います。
コミピコさんはこの作品に対して批判的なようですが、では、どのような作品や監督、俳優が好きなのか教えていただけませんか。
マイページを拝見させていただきましたが、何も書いておられないので、コミピコさんがどのような立場から意見をおっしゃっているのかが見えてきません。
他の方のレビューに対しても、結構突っ込んだ内容のコメントをされているようですが、ご自身の立場を明らかにしないまま意見を述べるのはフェアじゃないと思いますよ。
コミピコさん、コメントありがとうございます。
まずは『ラヂオの時間』に対する私の考えをもう少し詳しく述べますね。
コミピコさんは「ラジオの時間は最初仕事をそつなくこなそうとしているスタッフが原作者の想いに呼応しどうにか応えようと奮闘していく物語」だとおっしゃっていますが、私はそうは思いません。
スタッフが原作者の想いに応えようと行動するのは、せいぜいクライマックスの「ドナルドが地球に帰還する件り」ぐらいのものです。
そこでも、スタッフ・キャストたちは決して一枚岩ではありません。演者の浜村(細川俊之)がスタッフの説得にも応じず帰ろうとしたり、ギリギリまでセリフを言いたくないと駄々をこねたりする姿や、のっこ(戸田恵子)が突然のアドリブに腹を立て、へそを曲げてしまう姿が象徴的です。
また、そもそもここでのディレクターの工藤(唐沢寿明)による脚本の改変が、まともな解決にはなっていないと思います。「宇宙で消息を絶ったはずのドナルドが、飛来する物体に“またがって”メアリーの元へ帰ってくる」というストーリーは、これまでの辻褄合わせが馬鹿らしく思えるほど完全に破綻していますし、最後にドナルドが帰ってきたところで、これまで散々脚本がねじ曲げられてきた事実が変わる訳でもありません。
今見返すと、『ラヂオの時間』で優れているのは、番組を視聴する一般の人(本作ではトラックの運転手)の視点が入っているところぐらいだと思います。
syu-32さん、コメントにお返事いただき、ありがとうございます。
ジョルジュ・メリエスについては、『ヒューゴの不思議な発明』で見ているはずなのですが、ほとんど覚えていませんでした(笑)
「荷馬車と霊柩車」のエピソードに関しても初耳でしたので、勉強になりました。ありがとうございます。
映画の起源というと、やはりリュミエール兄弟による「シネマトグラフ」の発明ということになるのかなと思います。
最初期に公開された作品の中では、駅のプラットホームに蒸気機関車がやってくる情景を撮影した『ラ・シオタ駅への列車の到着』が有名ですね。
……なんて、映画の起源にまで思いを馳せたくなるぐらい、『カメラを止めるな!』は映画愛と情熱に溢れた傑作だと思います!
カミツレさん、はじめまして。
素敵なコメントを下さりありがとうございます!
「荷馬車と霊柩車」の件ですが、小学生の頃に読んだ映画の本に書いてあったことをうろ覚えのまま書いてしまいました。
不確かなことですみません。
本当にこの作品は映画愛に満ちていますね!
>“汗をかいて”つくられた映画
大納得です。その通りだと思います!
スタッフ・キャストから迸る熱量がスクリーンから溢れるハンパない傑作ですね!
素晴らしいレビューですね♪
『カメラを止めるな!』
このタイトルにはカミツレさんのレビュー通り、映画製作に携わる人たちへのエールと共に、
「映画を見るのを止めるな!」「映画好きである事を止めるな!」…と、我々映画を好きで映画を見る側にも訴えている気がしました。