劇場公開日 2018年8月31日

SUNNY 強い気持ち・強い愛 : インタビュー

2018年8月27日更新
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広瀬すず×池田エライザ×山本舞香×富田望生、「SUNNY」経て思い巡らすそれぞれの青春期

2011年に韓国で観客動員740万人を記録した「サニー 永遠の仲間たち」を、大根仁監督のメガホンで日本版として製作した「SUNNY 強い気持ち・強い愛」が、8月31日から全国で公開される。物語は現代パートと高校時代パートを交差しながら紡がれているが、映画.comでは1990年代のコギャル文化全盛期を劇中で駆け抜けた広瀬すず、山本舞香、池田エライザ、富田望生から話を聞いた。(取材・文/大塚史貴、写真/間庭裕基)

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韓国版「サニー」は、12年5月に日本で封切られ、ボニー・Mの「サニー」、シンディ・ローパーの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」、映画「ラ・ブーム」でおなじみの「愛のファンタジー」、Joyの「Touch by Touch」など、70~80年代を代表する洋楽ヒットナンバーの数々が見る者たちの“追憶”を刺激し、日本でもリピーターが続出。日本版では青春音楽映画としての世界観は踏襲しながらも、大根監督が90年代の珠玉のJ-POPや流行のファッションをちりばめながら脚本を再構築し、日本でしか描けない「SUNNY」を完成させた。

映画は、主人公の奈美(篠原涼子)が、末期がんに侵されたかつての親友・芹香(板谷由夏)と再会を果たすところから始まる。「死ぬ前にもう一度だけ、みんなに会いたい」。女子高生時代の仲良しグループ「SUNNY」のメンバーとの再会を熱望する旧友の願いをかなえるため、奈美が動き出す。

製作に際し、大根監督は雑誌「egg」の創刊に携わった米原康正氏にコギャル文化についてヒアリング。米原氏は、コギャルたちの間で流行していたヘアメイクやファッションについての資料を手渡すとともに、放課後の過ごし方などについてもレクチャーしたという。これはそのままキャストにも引き継がれ、広瀬ら高校生パートのキャスト陣にはコギャル文化に関する講座が開かれた。同パートの主要キャストは96~2000年生まれのため、当時の女子高生の“生態”を聞いてはいたものの、詳細を知って驚きを禁じ得なかったようだ。

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広瀬「この講座で、基本的には全ての情報を頂いたと言っていいくらいです。見た目のイメージはなんとなく分かってはいたのですが、いざ自分で考えるとなるとルーズソックスくらいしか出てこないというか……。考え方とか気持ちの面とかは講座で聞きましたし、分厚い資料も頂いていたので、『なるほどなあ』って感じていました」

池田「『egg』を作っていらした米原さんと大根監督の知識を交えての講座だったんです。米原さんが過去にやっていらした連載のコピーを頂いたのですが、女子高生たちがぶっちゃけトークをしているんですね。私たちは法で整えられた環境で育ったというか、私たちが育つ過程でそうなったんでしょうけれど、当時のギャルたちは『いつかはギャルをやめなくちゃいけない。だから今は遊んでいいんだ』とか、自分たちの行為を正当化するというか、それを正義だと信じる力がすごく強いなと思いました」

ガングロのコギャルが表舞台を“占拠”するようになるまでは、街の主役は男性だった。80年代後半から90年代前半の渋谷は、「チーマー」と呼ばれるグループが幅を利かせていた。それだけに、コギャルの出現は強烈なインパクトを放った。いわば、このタイミングが、ストリートの“顔”が男性から女性へと切り替わる瞬間だったと解釈することもできる。

当時を生きた世代が今作を見れば、スクリーンの中に“私”がいて、あちらこちらに見知った顔の“彼”や “彼女”を発見ことができるはずだ。山本が演じた「SUNNY」のリーダー格である芹香に至ってはあの頃、クラスの中に必ず1人はいた中心人物と言っていい程に、見る者の記憶の蓋を揺さぶってくる。

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山本「韓国版とは違うものを演じたかったから、どれだけオリジナリティを出せるか挑戦したいという思いはありました。あとは、山本舞香として、芹香として、どれだけこのグループをまとめられるかっていうのをすごく考えました。世代も、生きてきた環境も、仕事をしてきた経験値もバラバラ。その中で、どれだけみんなで仲良くなって、それを見ている人に伝えられるかを意識しました。だから、正直言うと撮影期間中はすごく追い込まれていたし、しんどかったし、生きていくのが辛かった。ただ、現場に来ればこのメンバーがいるから助けられたというのがあったし、だからこそこれまでお芝居をしてきたなかで感じたことのない楽しさを得る事ができた作品になったと思う」

富田「ルーズソックスをはいて、ミニスカートに茶髪っていう……想像以上の人たちって言うんですかね(笑)。当時の雑誌とかを見ていても、今こんなことを言ったら雑誌に書けないのかなっていうような内容もスラスラ書かれていて。そういう心の強さみたいなものが雑誌にも反映されていましたよね。コギャルだった方に実際お会いさせてもらったのですが、あの頃の話をすると、目をすごくキラキラさせて話されていたんです。楽しんで生きてきたんだなあって分かったので、自分も楽しもうって思いました」

日本中が空前のコギャルブームに沸いていた時代から、既に20年以上が経過し、平成の世も終わりを告げようとしている。今作に結集した実力派の若手キャスト陣は、青春時代をどのように過ごしていたのだろうか。口火を切ったのは、池田だ。

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池田「河原沿いをチャリ漕いで、川の近くでギターを弾いたりしていましたよ。福岡では、そういう放課後でした」

山本「中学生の頃の話ですけど、私は先生と『逃走中』をしていました(笑)。周囲に畑しかなかったんですね。畑のどこを踏めば汚れないかを自分が一番知っていたから、うまく逃げ切れていました(笑)。授業も先生も嫌いだったんです。ただ、今考えるとすごくいい先生だったなあって思いますね」

富田「私は問題児でした。最初の作品(『ソロモンの偽証』)に出合う前で、相当に心も荒れていましたから。田舎(福島)から震災があって上京したので、東京の学校でなめられたくないっていう気持ちがあったんでしょうかね。髪の毛も半分編みこんで、スカートも短くしていました(笑)。成島組では『芯から正せ!』って言われて、それで高校時代はすごく落ち着いて学校も楽しめました」

広瀬「みんなみたいなエピソードがないなあ。普通でした。中学2年でこの仕事を始めるようになって、高校生になってすぐ『海街diary』を撮り始めていたというのもあったのですが、あんまり目立つのが嫌で。ただ、当時もバスケットボールをやっていたのですが、仕事があると部活にいけないじゃないですか。それでうまくいかなくて、すごく悔しい思いをしたのを今でも思い出します。中学・高校というのは、常に葛藤を抱えている感じだったかもしれません」

内容は4者4様だが、「いいねえ~~」「分かりやすい!」「かわいい!」と互いに合いの手を打つ様子は、「SUNNY」そのものだ。そして話題は、青春時代によく聞いた楽曲へと移行していく。というのも、今作の映画音楽は90年代を代表するヒットメイカーの小室哲哉が担当。プレイリストは、「SWEET 19 BLUES」「Don’t wanna cry」(安室奈美恵)、「強い気持ち・強い愛」(小沢健二)、「LA・LA・LA LOVE SONG」(久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL)、「CANDY GIRL」(hitomi)、「survival dance ~no no cry more~」「EZ DO DANCE」(trf)、「そばかす」(JUDY AND MARY)、「これが私の生きる道」(PUFFY)、「やさしい気持ち」(Chara)、「ぼくたちの失敗」(森田童子)と圧巻だ。

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広瀬「私は『GReeeeN』ばっかりでした。『ROOKIES』の放送真っ只中で、バスケ部で歌いながらやるウォーミングアップを『GReeeeN』にしたり、クラスでも“帰りの会”とかで歌っていました。あと、『羞恥心』も人気がありました!」

池田「あったあった! (雑誌の)『nicola』でそういう企画をやったんです。踊ったもん! 私の場合は、まあまあオタクだったので、アニソンとか聞いていたんじゃないかなあ。『ゼルダの伝説』が好きなので、そのサントラとか。母がシンガーなので、スティービー・ワンダーとかジャクソン5とかも並行して聞いていましたし、とにかく音楽偏食なんです。なんでもかんでも聞くので、誰とでもある程度はお話ができるんですよ」

山本「私はゆずの『栄光の架け橋』! 小学校の頃に放送部だったんですが、いつもこの曲ばかりかけていました」

富田「小学6年生のころに東京へ引っ越してきたんですが、その時に『AKB48』がどんぴしゃで流行っていて、みんな踊っていました。それに追いつくためにCDを買って、DVDを見て、MVも見て、一緒にダンスを覚えたりしていましたね」

その後も更なる盛り上がりをみせたが、誰かが無理をするのではなく、それぞれが自分のテンポを維持しながら話す姿からは、各自が着実にキャリアを積み重ね、今作で対峙することが必然だったことを強くうかがわせる。5年後、10年後、彼女たちが公私共に充実した大人の女優へと成長したとき、再びタッグを組むことを願わずにはいられない。

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