バトル・オブ・ザ・セクシーズのレビュー・感想・評価
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思ったのと違った
男をやっつけるコメディだと思ってたのね。だから何か微妙。
●たぶん女性の苦労をもっと葛藤として描いたら良かったと思うんだけど、前半がレズ浮気の話だから、後半のカタルシスをあまり感じない。
●そもそも行きずりにしか見えない愛人とは添い遂げる力強さがないので中途半端。夫を取るか愛人を取るかの苦悩もない。夫もただの良い人だし。ラスト字幕でその後を解説されてもなぁ。
●男の方も苦悩がないというか、差別発言するだけだし。賭け事好きで奥さんに逃げられた中年オヤジが敵キャラとして弱いんだよな。しかも金持ちでハングリーに見えない。勝って当然みたいな?まあ、史実だからしょうがないとしても、どうにかならない?乗り越える敵はジャックの方にした方が良かったんじゃないか?
楽しむ観点が違ったのかもしれない。
人生が生きる意味を問うてくる物語
プロテニスプレイヤーのビリーがテニスを通じて、男性の女性に対する差別や偏見に立ち向かい、女性の尊厳を勝ち取る物語。一つの試合をきっかけにビリーが人生に生きる意味を問われボビーと戦うことを決意する。試合に向かう中で女性かつレズビアンの性的少数者としての自分自身に迷い、苦しむのだが、そのことは試合の勝利がきっかけとなって新しい生きる意味となる。弱者に寄り添い、権利を主張する彼女の生き様に感動した。
ユーモアな死闘
男女平等の風潮がまだ乏しかった1973年。
露骨な男性優位の姿勢を見せるテニス業界に憤慨し、立ち上がった女子世界チャンピオンのビリージーンとかつての栄光を取り戻さんと動き出した元男子世界王者ボビーリッグスが男女の差を無くすと銘打ったテニス対決に挑む姿を描いたコメディながらも痛烈な訴えのこもった作品。
ララランドで一躍スターへとのし上がったエマストーンの次作は実在した女性プロテニス選手のビリージーン。
華やかなLAで女優という夢や恋に焦がれる素敵な女性を演じた前作とは打って変わって、地味なメガネ姿や造作のないヘアースタイルなど1973年という時代さながらの姿でテニスを通じて男女平等を訴える女性を演じる。
対するは元男子世界王者のボビーリッグスを演じるスティーブカレル。
自らを男性至上主義のブタと称し、メディアを全面に利用したピエロのような振る舞いをみせる。
性差別発言や女性軽視をメディアを通して繰り返すのにどこか憎めない小悪党のような存在にみえるのはまさにスティーブカレルのコメディアンとしての力量か。
その反面、家庭においての夫として父としての立場に苦悩する切なさもあって典型的なダメ男だがどこか愛らしさも感じさせる絶妙な演技でみせる。
他にも女性のスポーツ選手でありながら、スポンサー契約の為にガンガンタバコを吸う様子に時代を感じたり、ビリージーンの最大のライバルであったマーガレットコートがボビーに大敗を喫する様をTV中継越しに目撃し、女性の尊厳の為に立ち上がるビリージーンの少年マンガ的な熱さもあって、コメディ寄りながらも真剣なテニスの試合であって男女平等への強いメッセージ性のこもった作品だと感じた。
あとは何と言ってもビリージーンとマリリンの一夜のシーンがすごく胸高まって良かった笑。
エマストーンがバイセクシャルっていう設定だけでありがたやありがたや(おまわりさんこっちです)
一言で最高です。
エマ・ストーンの役へのはまり具合が最高です。本人に見違えるほどの演技力。そして最後のシーンの実際の写真と比べても雰囲気がそっくりです。
ユーモアがあって、生真面目ででも、テニスが本命。
本命が揺るがないからこその彼女の強さを感じました。
事実にもとずいているからストーリーもしっかり。ですし、オススメしたい作品です!
エマ・ストーンのジャージ姿に・・
個人評価:4.0
70年代のファッションや色使いのエマ・ストーンがとてもキュート。
フォックスキャッチャーとはうってかわったコミカルな演技のスティーブ・カレルとも絶妙な組合せ。
最初は男女格差や女性の権利の主張の為に、なぜ同じ土俵で体力勝負の試合をするのだろうと思ったが、時に主張を通すには、テーブルの上の話し合いだけではなく、身体と身体の激しいぶつかり合いによって、物事が進む事もあるのだと納得させられる。
LGBTの差別は、こうした時代時代で身体を張った人を目撃する事によって、人々は考え方を少しづつ変えていくのだろう。
それから、エマ・ストーンのジャージ姿がダサいのが、またキュート。
なぜか泣いてしまった。
正直、なぜ泣いたのか自分で理解できない。
ラストシーンに、どうしようもなく涙が溢れてしまった。
エマストーンと頭ではわかっているが、どうしてもエマストーンに見えない。
とてもバードマンの時のパンクガールと、同一人物なのか信じられなかった。本当に素晴らしい演技だった。
主人公はやはりとても強い人だと思う。
その強さは、自分の感情を貫く行動もそうだし、その感情を隠さないこともまた強さだと感じる。
70年代のスポーツウェアのカッコいいこと!
ロゴや、建築のデザインも最高だった。
差別問題を爽快に描く
様々な差別問題を爽快に描いた作品。最初から最後までエマ・ストーンの素晴らしい演技にひたすら浸ることが出来た。マリリン役・アンドレア・ライズボローもかなり存在感があって強く印象に残った。今後にも注目したい。
ラストに向けて徐々に気持ちが高揚する展開にも満足。勝利の瞬間は一緒に喜ぶことが出来て気分爽快でした。
2018-190
予告編ではわからないタイトルの意味
予告編見て、男尊女卑、男性優性、そうはいくかと異性間でのテニスの勝負、手に汗握る攻防の後、女性の勝利、フェミニストもしてやったりの男女平等社会の始まり。こんなストーリーかと思っていたらなんのその。今流行りのLGBTがほんとのテーマだったとは、びっくり。
テニスの試合自体はパワー&スピード重視の現代テニスから見るとスライス主流の少しかったるい感じですか、最後のバトルは爽快だったので、まあいいかって感じ。
ただ1970年代のユニフォームとかファッションって今見るとダサいわ。今のファッションも何十年たってから見るとダサいのかも。
エマストーンもLaLaランドとうってかわって、役作りで実在の人物に似せるのもいいけど、肌の質感とかおばさんぽくてオーラなしなのが残念でした。
すごいなエマ
ラ・ラ・ランドを最近観たばかりだったので、超キュートなエマのテニスをする姿を想像していたのに…度のキツそうな眼鏡(あの頃流行ってた形?)に黒髪。すごい変わりようにびっくり。
対するボビーは元プロテニスプレーヤーに見えなくて、コメディアンかと…ごめんなさい。
元プロとはいえ、すでに人生の折り返し過ぎのおじさん対現役の女子プロプレーヤー。
ここまでハンデがないと同じ土俵には立てないのだと、つくづく体力的な性差について考えさせられた。(本来スポーツでは立つことはないのだが)
女性の立場向上のために奮闘するビリーが、バイセクシャル(ていうのか?)に目覚め、結局は離婚したというオチはちょっと意味深?皮肉?
最後の試合のシーンは嘘っぽさがなくて良かった。観ていて力が入ってしまった。
ボルグとマッケンローの映画の予告もやっていたが、今テニスきてるのかな?
性差を超えた事情があったということね
ビリー・ジーン・キングは選手としての晩年に、クリス・エバート=ロイドに女王の座を明け渡した往年の名プレーヤーだったという記憶がある。その頃はまだ小学校低学年だったので、記憶違いかもしれない。
いずれ、マーガレット・サッチャーばりの鉄の意志を持つ女として、小学生ながら畏怖の念をもってテレビ画面越しに眺めていた。
テニスプレイヤーらしくない風貌にも感じたが、本編最後のご本人映像を見る限りはそうでもない。チャーミングな、というかエレガントな感じがする。それだけ自分も歳をとって、妙齢の女性に対する認識も変化したということか。
それと同時に、映画に描かれたようなマリリン(ライズボローが素晴らしい。カメレオン女優の仲間入りした感がある)との関係に悩める女性であったとは、当時は思いもしなかった。
かたやボビー・リッグスは、なんとエキセントリックな奴なんだろう。それなのに、人を魅了するのは、彼が実は無欲なというか、邪気のない人間だからだろう。子どもとの関係はそれなりだが、夫としての才はなく、テニスプレイヤーとしてはとっくの昔に盛りは過ぎた。博打癖がカウンセリングを必要とするほどの常習性を極め、もはや人生詰んでしまう寸前である。
男性至上主義のブタなんて自虐ネタで世間の注目を浴びようとするまでに追い込まれたのかと思わせておきながら、きっと彼は単にビリー・ジーンと共に世間を賑わせ、楽しいイベントがしたかっただけなのではないか。そしてそれが彼女を助けることにもなると、心のどこかで感じ取っていた節もあるのではないか。
なぜかそう考えたくなるほどの潔さなのだ。
リッグスの視点をもっと深く掘り下げれば、さらに深みが増したであろう好編だった。
最後の場面でゲイの専属デザイナーがビリー・ジーンをハグしつつ囁いた言葉と、ロッカールームで一人寂しく佇むリッグスの姿にグッときた。
伝説の一戦とフィラデルフィア・フリーダム
今年もテニスの全米オープンが開幕した。
会場であるナショナルテニスセンターは、2006年にその功績を讃えてビリー・ジーン・キングの名が冠せられた。
この映画は、そのビリー・ジーン・キングとボビー・リッグスとの間で行われた伝説的男女対戦にまつわる物語だ。
この一戦は、女性差別との戦いの矢面に立ったキング夫人の活動の象徴として語り継がれている。
映画のタイトルは、このイベントのタイトルそのままである。
この試合にキング夫人が勝利(3セット先取のストレート勝ち)したことで、女子ツアーが興行として成立するようになった。
折しも、現在開催中の全米オープンテニスにおいて、エリーゼ・コルネ選手が試合中にTシャツを着替えたことに主審が警告を与え、試合後に協会が警告は誤りだったと認めたことが話題になっている。(2018/8/28)
試合中の着替えは認められているのに、女子選手にだけ警告を与えるのは性差別という訳だ。
ま、これは余談。
この映画では、伝説の一戦がクライマックスになってはいるが、この試合を描くことばかりがテーマではない。
女性差別と戦い、その後同性愛蔑視とも戦うことになるビリー・ジーン・キングと、彼女を支えた当時の夫、同性愛に目覚めさせた恋人、女子テニスのツアーを立ち上げ自力で各地を転戦する選手仲間たちの姿を、愛情深く映し出している。
殿堂入りまで果たしたボビー・リッグスが、
本気で女性を蔑視していた訳ではなく、
もう一度脚光を浴びたくて自ら企画したアイディアだったというのは、恐らく事実だろう。
キングにとっては世間との戦いだったかもしれないが、リッグスにとっては自己再生の戦いだった。
あきれるほどに道化を演じるリッグスの姿が、過去の栄光を忘れられない引退したスター選手の哀愁を匂わせている。
態度や発想の不純さに反して、真剣にこのイベントに取り組む裏の姿も描かれており、疎遠だった息子、別れた妻との関係が修復されたことにほっとする。
久々にエリザベス・シューに会えたことにも感激!
また、仲間(あるいはライバル)の女子テニス選手達の複雑な思いもある。
プロとしての上昇思考とライバル意識、妻や母として過酷なツアーに参加することの負担感、自分達の未来を託した希望と友情。
彼女達全員(フィラデルフィア・フリーダム/byエルトン・ジョン…!)の戦いでもあった。
弁護士である夫キング氏の献身的な妻への思いやりにも敬服する。
自分も夫の立場ではあるが、妻に対してあれほど献身的にはなれない…と、反省しきり。
ライバルのマーガレット・コート夫人の横にも、寄り添い支える夫の姿があった。
試合のシーンは少し迫力に欠けるが、過度な演出がない分、物語性を損なわない。
最近のCGやクローズアップ(寄せ)を多用してスピード感や迫力を出す技法を使うことはできたはずなので、あえての演出だと理解する。
試合前のイベント演出がド派手だが、わりと忠実に再現しているようだ。
アメリカではよく知られているのだと思うが、かなり大々的に開催されたイベントだったようだ。
選手入場の実況アナウンスで、女優のように美しいと表現されるが、当時のアメリカではそんな評価だったのかなぁ?
インタビュー映像で一瞬映るクリス・エバートは美人だと思うが。
ふ〜ん
けっこう期待して観た。
でも俺は何を期待して観たんだろう。女性が男性をやっつける爽快さだろうか。男性が勝つに決まってると思い込んでいる古き男性達の鼻があかされる痛快さだろうか。
結果は、そういうのでなく、なんだかホロ苦かった。
キング夫人が試合に込めた「スポーツをする女性にも対等な敬意を払ってほしい」という決意はわかっているにもかかわらず、観ている自分の中では、試合での勝利に向けた高揚への同調が今ひとつだった。
。
想像するひとつの理由は、キング夫人が、自分の中のLGBTに気づく方の流れは、女性の権利への決意ほどまでには至っておらず、本人の中でもまだ困惑混じりの段階だったためだろうか。
つまり女性の権利の面では、テニスの試合の結果とその思いはシンクロして、ラストに向けてひた走っていくのだが、それとLGBTへの信念がリズムがあっていないせいかな。
そしてもうひとつの理由は、女性蔑視やLGBT差別がすでにマイノリティになった今、当時はきっと大盛り上がりだったであろうこの試合が、茶番に見えてしまったことかな。
そう自分が感じること自体が、自分もまだ女性蔑視やLGBT差別から脱して間もないということの証明かもしれない。ついこの前までの自分を見せられているような気になってしまい、落ち着かなかったのかも。
自分の振り返りに終始し、みんなへの参考にはならない感想になってしまいました。
ただ、キング夫人もコート夫人も「エースをねらえ!」で描かれていた絵によく似ていました。
『世界は全てを許すわけではない』
70年代のウーマンリブ運動の一つの闘いを描いた実話ベースの作品である。とはいえ、男対女という単純な構図ではなく、それぞれが人生を賭して自分の権利を勝ち取る情熱と清々しさを、スポーツという舞台で演じきった二人のテニスプレイヤーのストーリーだ。なんといっても特徴的なのはその映像のルックである。ポップでサイケなファッションとインテリアを惜しみなく映像に流し込んでいて、その時代のハイセンスを存分に楽しめる。
顔のアップのシーンが多用しているのは、流石エマ・ストーンならではである。
今作品の白眉は、ビリー・ジーンの人生だけでなく、キチンとその対戦相手であるボビー・リッグスを丁寧に描いたことであろう。男の悲哀を淡々と盛り込むことで、よりこの時代の空気感を表現できていると感嘆する。
もしできるならば、この後のシークエルがもっとドラマティックなので、そっちも盛り込んで欲しかったと思ったのだが・・・。
ビリー・ジーンが対戦前にインタビューで放った『敬意を払って欲しいだけ』という台詞に今作品の全てが凝縮されていて、世界中の人間がその意味を脳髄に叩き込むべきと強く感じさせられた作品であった。
女性蔑視と戦ったビリー・ジーン・キングにガッツポーズ
全編、イライラする程の女性蔑視が繰り広げられ、爽快なクライマックスにつながるというシンプルな構成ながら、名優スティーブ・カレルの怪演(ボビー・リッグス本人とくりそつ)、そしてビリー・ジーンをリアルタイムで見ていた我々世代からは「可愛い過ぎるだろう」と突っ込まれること必死なエマ・ストーンの魅力が今作を特別なものにしている。
隣で観ていた嫁さんのガッツポーズも記憶に残る快作だ。
なんてかっこいいんだビリージーン
テニスは好きですが、生まれる前のことは全く知らなくて、ビリージーンキングも、ボビーリッグスも、知りませんでした。
ビリージーンキングのかっこよさに震えました。
映画界での男女賃金格差が話題になった2017年ですが、スポーツの世界でも男女賃金(賞金?)格差はまだまだ存在するのが、現代です。
そんな中、先ほど軽く調べてみたのですが女子テニスの賞金ランキングは、男子とそう変わらない。スポンサー料などでの金額差はあるので、総収入では差がつくでしょうが、グランドスラムの賞金では男女同額です。
それってすごいことで、そのすごいことを実現するためにビリージーンキングは、ばかげた男女対決をやってのけて、勝ったわけです。
(日本の)賃労働の世界でも、男女格差は目に見えています。
女性が多い業界は、とにかく低賃金ですしね。
仕事の内容が易しいから低賃金ならば納得できるかもしれませんが、そんなことはない。
もっと戦わなくてはいけないのでしょうが、そのためのパワーが全然わかないんです、少なくとも私は。
なので、戦ってなおかつ勝利したビリージーンに、ありがたいなあという気持ちと、自分のふがいなさを感じました。
また、美容師ガールとの恋もいいなと思いました。
そして夫がいい人でした。彼はビリージーンを女、妻としてではなく、ビリージーンとして見つめていると感じました。
ボビーリッグスは残念な人で、彼本人が言動の通りの、男尊主義のくそヤローではないと思うのですが、周囲の求めに応じてピエロになってました。お金が欲しいから。
情けないけれど、そうとしか生きられなかったのかなあと思いました。そして妻がラストで許してたっぽいのがあめーよと思いました。
ビリージーンの本当の敵は、テニス協会のえらいさんでした。
笑顔で誹る本物の男尊女卑のくそヤロー。
彼は全く、女が人間であることを知らない様子でした。
人間である男とは同列にならない違う種が女だ、という感じ。
故郷に山ほどいるナチュラルボーン男尊女卑ヤローたちと同じ人種だなと。
これらと戦う気力を私は持てなくて、すごすごと都会へ逃げました。
いまでも陰口しか言えなくて、無力感を覚えます。
無力感から前進できる日が来るのかな。
ブルゾンちえみ With B
ラ・ラ・ランドのイメージとはほど遠いエマ・ストーンの容姿にビックリ。ビリージーン・キングの事は知らなかったが、度々出てきたクリス・エバートは知っているので、自分が知っているテニスプレーヤーの一時代前の話であった(私は1963年生まれ)。
ビリージーン・キングの夫役が、ブルゾンちえみのWith B(どちらかはわからん)にしか見えなかったのは自分だけか。
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