ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャーのレビュー・感想・評価
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なかなかに面白かった。視聴した結果、JDサリンジャーに更に大きな関心を抱いた。
ダニー・ストロング脚本監督による2017年製作(109分/G)のアメリカ映画。
原題または英題:Rebel in the Rye、配給:ファントム・フィルム、劇場公開日:2019年1月18日。
新海誠の「天気の子」主人公が持っていた「The Catcher in the Rye 」の著者JDサリンジャーが、日本でも大きな影響を与えてきた作家であることは知っている。しかし、彼の作品は読んだことは無かった。
全く予備知識が無しということもあってか、とても興味深く見ることが出来た。
大学(コロンビア大創作学科)の教授ウィット・バーネット(ケビン・スペイシー)が1学生であるサリンジャー(ニコラス・ホルト)と、小説創作で実際にあれだけ濃厚な関わりをすることがとても意外で、ビックリして見ていた。小説を書くことも、実は大学で学べるものだったんだ!と。そして教授自身が文芸誌「STORY」の編集長であることも、日本の文学部教員のイメージとは違っていて意外。
でも、思い出した。日本でも映画界では同様な事例が有り、黒沢清東京藝大教授の教え子(大学院生)が濱口竜介監督であったことを。
若きサリンジャーの恋人が、チャップリンの4番目の嫁になるウーナ・オニール(ゾーイ・ドゥイッチ)で、彼は戦場にいる時、新聞で二人の結婚を知る。恋人が新聞一面に乗るなんて何とレアと周りから慰められていた?のが印象的。
2回目の結婚相手でかなり年下のクレア(ルーシー・ボーイントン)との出会いも興味深く、彼女(2018年「ボヘミアン・ラプソディ」でメアリー役)の初々しさも良かったが、それだけにサリンジャーがただただ創作にだけのめり込んでいき、外部との関わりを遮断し、家庭も崩壊する様が痛々しかった。
米国の小説家というと、ヘミングウェイの印象が大きいせいかアクティブなイメージであったが、サリンジャーは生真面目で偏屈で孤独で、日本の小説家様なタイプに思え、少し親近感を覚えた。
監督ダニー・ストロング、製作ブルース・コーエン 、ジェイソン・シューマン 、ダニー・ストロング 、モリー・スミス 、サッド・ラッキンビル 、トレント・ラッキンビル、製作総指揮エレン・H・シュワルツ 、スコット・ファーガソン 、マシュー・サロウェイ 、クリスティーナ・パパジーカ、原作ケネス・スラウェンスキー、脚本ダニー・ストロング、撮影クレイマー・モーゲンソー、美術ディナ・ゴールドマン、衣装デボラ・L・スコット、編集ジョセフ・クリングズ、音楽ベアー・マクレアリー、音楽監修ジョナサン・ワトキンス。
出演
J・D・サリンジャーニコラス・ホルト、ウィット・バーネットケビン・スペイシー、ウーナ・オニールゾーイ・ドゥイッチ、ドロシー・オールディングサラ・ポールソン、ビクター・ガーバー、ホープ・デイビス、クレアルーシー・ボーイントン。
夢を追う中で
主人公の青年(サリンジャー)は、小説家になる為に毎日努力をしていた。
僕は、ライ麦畑を読んだ事があるけど正直に言うと名作と言われていたが少し難しく感じてしまった。
けれども、この作品は、読む歳や経験によってまた違った作品になるんだろうなとも感じています。
そういう部分に惹かれてしまうのかなと思いました。
この作品は、そんな後に歴史を残す作品を産んだ著者の半生を描いた映画作品です。
なので、「ライ麦畑」の映画化と少し勘違いしてしまいそうになりました。
学生の頃から小説を書き続けて、先生からも否定され続けてもそれでも書き続けた。
そんな中で女性との出会いや戦争というもの体験がどれだけ影響を与えたかは、計り知れないと思う。
この先生との出会いからなければ、これほどの作品も生まれなかったんだろうと感じました。
いい作品を作る為に家族や友人、そして自分にとって幸せと思える時間を全て小説に捧げる。
それによって多くの犠牲の上に作品があると分かりました。
そんな著者が普通の幸せとは、かけ離れた世界で孤独共に筆を握っていた。
それは、誰でも夢を追いかけて叶える事が大事だ!というメッセージの裏にある。叶えた事で多くの犠牲を払う事になってしまう。それでも君にその夢の中に生き続ける覚悟は、あるのか?
そんな強いメッセージを感じました。
夢を追う事と普通に幸せとは、両立する為には、どこかで妥協をしてしまう。
妥協しない事でそれ以上にいい作品が産まれる。
全てがいいと言えるもの選ぶのも大変なもと感じた作品でした。
帰還兵の苦労〜サリンジャーの場合
作品も読んだことないので、名前だけ知ってるぐらいのレベルで、どんな人なのかなー?といった興味半分でした。
第二次世界大戦が多くの人の人生を狂わしたんだと思うけど、65年に筆を置いてから逝去するまでの人生も映像化して欲しかったかな。
ウーナとチャップリンの件は驚いた。
サリンジャーのことを知る
ライ麦畑はもちろん若いとき読んで英語版でも和訳でもいかにも新しい文体というか思ってることがそのまま書いてあるような小気味良さ、厭世の共感を味わっだと思う、ジョンレノン殺害犯が、ライ麦畑を読んでいたことも知っていたが、この本が出た当初も共感勘違いのあまりサリンジャーをスモークする人たちがいたこと、父親との葛藤、ユダヤ人であるからこその父親の人生観と息子との隔たり、などが背景に様々あり、戦争体験し、またユダヤ人強制収容所を目の当たりにすることが彼の作家生活や隠遁生活、精神の不安定に大きく影響していたことを知った。もっと破天荒な感じかと思っていたが、そうでもなく、真実をわかってしまうわかろうとする探究しようとする真面目な人にありがちな閉塞感が強く、ユダヤ人である父と自分が免れたホロコーストという如何ともし難い現実と現世の幻想に翻弄された人だったのかなと思う。
J・D・サリンジャーの半生記。
TOHOシネマズで年末年始に実施されていた、TOHOシネマズのスタッフさんの中で笑顔で働く姿が素晴らしく優秀な人を選ぶ「スマイルアワード」という企画に、私も1票投じさせて頂きましたらば、投票者の中から抽選と言うことで、TOHOシネマズの特別ご鑑賞券に当選しましたので、今回は、その特別ご鑑賞券を有効活用すべく、先週の2/4(月)に、TOHOシネマズ二条で『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を鑑賞。
当初は、『蜘蛛の巣を払う女』を観たかったのですが、予想外にも僅か3週間で既に終映してしまっていたので、このJ・D・サリンジャーの伝記映画を観ることにしたのですが、率直な感想としては、今まで、私は、あの有名な『ライ麦畑でつかまえて』の著者であり、長く隠遁生活を送っていた作家ということ位の知識で、その他には何ひとつとして知らなかったJ・D・サリンジャーのその半生の一端を、今回知ることが出来て、観て良かったと思えた作品でした。
J・D・サリンジャーが今年(2019年)1月1日で生誕100周年を迎えると言うことで、それを記念して、彼にまつわる映画がここ最近数本作られているみたいですが、本作はその中でも、名作を生み出したにもかかわらず、その後隠遁生活を送っていた伝説的作家J・D・サリンジャー。彼のその謎に満ちた半生と彼の小説の誕生秘話を描いた、実直な伝記映画です。
お話しの流れ的には、
時は、1939年のニューヨーク。
ユダヤ系の食品輸入業で財をなした父親に反発し、大学中退を繰り返していた20歳のジェリーことジェローム・デヴィッド・サリンジャー(ニコラス・ホルト)は、コロンビア大学の創作文芸コースを受講するのでした。
そこでは文芸誌「ストーリー」編集長でもあるウィット・バーネット教授(ケヴィン・スペイシー)と出会い、短編『若者たち』を書き上げ、出版社に持ち込むがことごとく掲載を断られる中、紆余曲折がありながらも書き続け、最終的には文芸誌「ストーリー」に採用され、ジェリーは作家としての第一歩を踏み出します。
そんな中、ジェリーは、劇作家ユージン・オニールの娘ウーナ・オニール(ゾーイ・デゥイッチに出会い一目惚れするのでした。自由奔放なウーナに振り回されながらも、マンハッタンの社交界に出入りして恋愛を楽しむジェリー。
その一方、作家の仕事の面では、著作権代理人のドロシー・オールディング(サラ・ポールソン)を介して短編小説を出版社に売り込むものの不採用が続くのでした。
やがて、自分の分身とも言える、コールデン・コールフィールドを主人公にした短編小説が、権威ある「ニューヨーカー」誌に掲載されることが決まるのでしたが、その矢先に、1941年、真珠湾攻撃が勃発し太平洋戦争が始まるのでした。内容が戦時下にはふさわしくないという理由から掲載は延期になり、そして、ジェリーも陸軍に入隊し、戦地に赴くのでしたが、ヨーロッパ戦線を巡る間も空き時間を見つけては執筆を続けていたのでした。
しかし、戦争が終わったら結婚するつもりでいた、恋人ウーナが、さる超大物喜劇俳優と親子ほどの年齢の差での結婚をしたとの衝撃的な知らせや、日々激しくなる戦況に神経をすり減らされる中、書くことだけが心の支えになっていたのでした。
しかし、ノルマンディー上陸作戦やその後の戦闘で多数の仲間を失い、さらにナチスの強制収容所での惨状を目の当たりにし、ジェリーは力尽き、ドイツの神経病棟に入院するのでした。
そして、ジェリーはバーネットの元で選集を出版するべく、ドイツで結婚したシルヴィアを伴ってアメリカに帰還を果たすのでしたが、バーネットの「ストーリー」誌の経営難により出版の計画は頓挫し、ジェリーはバーネットに絶交を言い渡すのでした。
その後、短編『バナナフィッシュにうってつけの日』が「ニューヨーカー」誌に掲載され、話題となり同誌と独占契約を結ぶなど作家としてのキャリアは上向きになるのでしたが、戦禍で被ったトラウマが彼を苦しませ続け、最大の目標であった、ホールデン・コールフィールドを主人公にした長編の執筆も進まない中、瞑想や禅文化などの東洋思想との出会いから、生まれ育ったニューヨークの都会の喧騒から離れて、執筆活動を行うことにするのでした。
1950年、ジェリーは戦地でのフラッシュバックに対し、瞑想などを採り入れながら向き合いながらも、遂に長編小説の『ライ麦畑でつかまえて』を完成させるのでした。
それまでのアメリカ文学とは全く異なる斬新な語り口を持った同作品は、出版関係者の間では賛否両論でしたが、実際に翌年に発刊されると読者に大反響を呼んでベストセラーとなるのでした。
一躍時の人となるジェリーでしたが、戦争での後遺症から、マスコミやファンの狂騒や過剰なファンによるストーカー行為から背を向けるかの様に、ニューハンプシャー州コーニッシュという田舎町に転居し、隠遁生活を送ることとなるのでした。
そしてパーティで知り合ったクレア・ダグラス(ルーシー・ボイントン)という女性と再婚。
子供にも恵まれるのでしたが、次第に家族との暮らしよりも創作活動の方に没頭していくのでした・・・。
と言ったイントロダクションの伝記映画でした。
実は、私は、生憎と、J・D・サリンジャーの代表作である『ライ麦畑でつかまえて』を読むのも途中で挫折してしまっていたくらいなのですが、それでも、この伝記映画は面白く観ることが出来ました。
お話しの展開の上で、本作品は、映画としての作り込みが甘いなどといった辛辣な意見も散見しているみたいですが、確かに、戦争体験が主人公であるJ・D・サリンジャーの人生に大きな影を落とす要因になるにもかかわらず、肝心の戦場のシーンが心象風景的にしか表現されていない点を描写不足と不満に感じられる人も居られるかも知れないですが、直接的に戦場のシーンを描かなくても、僅かなシーン描写と劇中の字幕台詞でも、あのノルマンディー上陸作戦や、その後、ドイツの強制収容所の惨状を目の当たりしてきた事も分かりましたので、アメリカの帰還後の後遺症、所謂、今で言うところのPTSD障碍に苦しむのもよく理解出来ました。
ただ確かに、最初のドイツ人の妻のシルヴィアを実家に連れてきたシーンはあるものの、その後はほぼそれきりだったり、各出来事の生じた時期や年月の経過が不明瞭で、やや分かりづらい点など確かに伝記映画としては表層をなぞっただけにも映るといった欠点も見受けられましたが、概ねは、ジェリーことJ・D・サリンジャーの半生は理解出来ました。
J・D・サリンジャーと言えば、映画『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年)の原作本でもある、W・P・キンセラによる『シューレス・ジョー』の小説の中で登場していたので、彼が隠遁生活を送っていたのは、私はその小説の中で初めて知りましたが、ここ最近、公開されている映画『ライ麦畑をさがして』(2001年)や『ライ麦畑で出会ったら』(2015年)でも、サリンジャーを訪ねる若者達が描かれていますが、そういった行動がある種の社会現象化しつつあったのかも知れないですね。
また、本作品の劇場パンフレットを読みますと、1980年のジョン・レノン暗殺犯のマーク・ディヴィッド・チャップマンは犯行現場で『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたり、逮捕後の裁判で小説の一節を朗読していたり、また、その翌年1981年のレーガン大統領暗殺未遂犯も『ライ麦畑でつかまえて』を所持していたりと、偶然かとは言え、この『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドに心酔する若者が過度な異常行動を採りがちな傾向も見受けられるので、サリンジャー自身も、早くから危険を察知して、愛読者からのストーカー行為などから隠遁生活を送らざるを得なかったのも分からないでもなかったですね。
ただ、隠遁生活が逆に伝説化し、謎が謎を呼びミステリアス度が増していくといった悪循環だったかも知れないですね。
2010年1月27日に91歳で亡くなったJ・D・サリンジャーですが、果たして、彼はひとりぼっちでも幸せだったのかなと思うと切なくなってきますが、PTSD障碍から解放されるには、ただひたすらに創作活動に打ち込むしか心癒やされる術がなかったのかも知れないですね。
やたらと挿入されていた回転木馬のシーンなどは、サリンジャーの小説のファンの人にとっては、もしや小説の一節にまつわるような、意味深な演出だったりしていたのかと思いますと、本作品も、また違った楽しみ方が出来るのでしょうね。
でも、私の様にサリンジャーの小説もほぼ読んでないに等しい人間でも、ベストセラー小説を残して、すぐに表舞台から姿を消した1人の小説家の心の葛藤を描いた半生記として読むことも出来ますし、ある若い作家の書籍が出版に至り大反響を浴びるまでといった一連の流れなど観る視点によっても興味深く観ることが出来ますので、特段、J・D・サリンジャーに興味がない人でもそれなりに楽しめる映画にもなっていたと思いました。
配役に関しましては、ジェリーことJ・D・サリンジャー役を演じていたニコラス・ホルトは本当に適役だったと思います。
彼を観ていると、雰囲気的に日本映画界の個性派俳優の柳楽優弥さんを思い起こしてしまいますが、自信に満ちた目や不安げな目、狂気に満ちた目など様々な表情を目だけでも表現出来る素晴らしい若手俳優だと思いましたし、だからこそ『X-MEN』シリーズでもビースト役を演じているのかなとも思いましたね。
そしてコロンビア大学の恩師であり文芸誌「ストーリー」の編集長ウィット・バーネット教授役のケヴィン・スペイシーはさすがの安定感ある演技で上手かったですね。
本当に、あんな事件さえ過去に起こしていなければ今後ももっともっと活躍の場があったのにと思うと悔やまれてなりません。
著作権代理人のドロシー・オールディング役演じるサラ・ポールソンは『オーシャンズ8』の時の可愛らしいコメディパートとは違った実力派女優ぶりを発揮してくれていましたし、『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディ・マーキュリーの恋人役を演じていた、ルーシー・ボイントンもサリンジャーの二番目の妻クレア・ダグラス役で出演しています。
私的な評価と致しましては、
事細かな説明や演出が不足しているために、J・D・サリンジャーの半生を描く映画としては、表層をなぞっただけにも見えなくもないですが、私はそれでも概ねは理解出来ましたし、あくまでもサリンジャーを知る入り口的な作品としてはよく出来た実直な伝記映画だと思いました。
また彼のような戦争体験ほどの凄まじい後遺症ではないにせよ、私も激務から、PTSD障碍を発症してしまい後遺症と未だに闘病していることからすれば共感してしまう点も多々ありましたので、今まで謎だった、何ゆえに隠遁生活をせざるを得なかったのかもサリンジャーの行動も少しは理解出来た気もしました。
ストーリーの演出手法には難があったかも知れないですが、ニコラス・ホルトはじめケヴィン・スペイシーら各俳優陣が凄く好演していましたので、五つ星評価的には、高評価の四つ星評価の★★★★(80点)も相応しい作品かと思いました次第です。
また、この映画を観て、私も読み終えることなく積ん読状態にある『ライ麦畑でつかまえて』の本を改めて読んでみたく思いました。
語られることを拒否した作家の、必然的に寂しい物語
寂しい映画、かな
二週間前に、封切り直後に見て何か書こうかと思いつつも、不思議と書くことがまとまらなかった。それがなぜなのか思い直しつつ、いまの自分としてはそんな勝手な結論に至った
話の筋としては
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かつては上流階級のパーティーに友人たちと出かけて可愛い女の子に声をかけるような、ふつうに社交的な人間だったサリンジャー
しかし、美しいが思わせぶりな彼女との失恋、ノルマンディー上陸の戦場の狂気、そしてキャッチャーという時代の心を捉えた作品の作者となった代償 (近寄ってくるミーハーども、勝手な作品解釈を開陳する輩、おまえも嘘っぱちphoneyかよ!と罵声を浴びせるなりきりホールデンのサイコパス等)
そんなことをへて、世間を避けて、完全なる隠遁生活に入るようになる
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といったところ
しかし、この映画ではそういった話しがわりと簡潔に、なんというか、事象的に描かれている
学生時代に付き合ってた彼女とは、結局勝気でワガママなお嬢様に惚れただけ?
戦争体験が作家に酷いトラウマを残したのだろうが、戦場場面は一部敢えて抽象的心象的に描かれている。そういう人が安穏とした平和な享楽の世界に戻ってくるとどのように感じるのか、精神はどうなるのか。シーモアのように色までわからないようになってしまうのか
自分の文学的才能を初めて認めてくれたマイナー文学誌の編集長でもある大学講師は、自分の作品を初めて掲載してくれ、ぼくは短編作家で長編は書けないと言っていたサリンジャーに、ホールデンを長編にしろと繰り返し励ましてくれた恩師。出版の話で行き違いがあったようだか、それにしても後に、売れた立場のサリンジャーがなぜ困っているその恩師の出版社から作品集を出してやらなかったのか。後にもう一度だけ会うがそれ以外なぜそこまでずっと拒否するのか
最初の奥さんは実家との食事の場面で少し出てくるだけでいつのまにか別れてる
悩んでいるときに出会ったヨガ思想の?先生。折に触れ重要な言葉を授かり、導きを受けているようだが、この人とはどうなったのか
売れた後に一緒になった二度目の奥さん。どんな人だったのか、どんなふうな話をして、人生のパートナーには何を求めたのか。結婚して二人の子供まで設けたのだから彼とて最初から完全な世捨て人だったわけではないだろう。だのになぜダメになったのか
そんなこんなも書き連ねるといろいろ思うが、映画ではこうした心情やいろんな経過などはほとんど描かれない
だから具体的に共感したり気に留まることが少なく、実際に何か書きたくなるようなポイントが見つけにくい
そういったあたりを想像や脚色もまじえて入れていけば、もっと親しみやすい話しになっただろう。ただこの映画としては、なるべく事実として知られてること以外の勝手な解釈や脚色を入れないで描こうとしたのかと思われる。主要登場人物はすべて実名らしいし。そうであればこれは致し方ない
なにせ徹底的に私生活を語らない明かさない人だったらしいから
映画にもでてくる女性代理人が作家の一番の理解者で世間との唯一の接点だったそうだが、何百通もあった手紙のやり取りをサリンジャーの指示によりすべて焼き捨てたらしい(これは映画には出てこない)
手紙には個人的なことが書いてあったのか事務的なやり取りだけなのか知る由もないが、これはなかなか凄い。世間には一切未練はない
エッセイやインタビューなど自分をいっさい語らない、他人にも語らせたくなかったサリンジャーという人に、そういう意味では忠実な映画なのだろう
戦争のトラウマや無神経な世間の拒否、という大枠はわかるものの
人との繋がりをすべてを切り捨てていって、最後には妻と子供とも別れて独り隔絶世界で何十年も生きた人間
映画のラストシーンだと執筆を続けていたようで、他のすべてより執筆が優先するのが真の作家、みたいなかつて恩師が言った言葉で締められるのだが、一人でずっと生きてていったい何について書くのだろう。書くことがあるのだろうか。誰も見せないものを書き続けるってどういうことなのだろう
単に一人で生活しているという孤独だけでなく、何かを人に語りかけたり分かってもらうことさえ拒否するひと
この映画について改めてそのように思い返すと、結局凄く寂しいものをみたようで、自分のことを考えて身につまされる
まあ人は多分に自分の心情を投影してものを見てしまうわけで... 自分にはそんなふうに思えました
誤解のないようにいうと、表面的に陰鬱とした暗い映画とか、そういう事では全然ないです。ふつうに見れます。サリンジャーってこんな人生だったんだというのは知ることができましたし、サリンジャー自身に興味がなくても小説家が売れるまでの修行時代とか、戦争体験とか、ニューヨーカー誌とか、人の勝手とか人の孤独とか、そういうことに興味があれば勧めできます
例えばbannanafish が一語ということにニューヨーカーが抵抗した、とか。たしかにそんな単語もともとないですから(笑)
(ちなみにここのやり取りの字幕は少し違和感がありました。たしか、一語にするのはdoesn’t make any sense 意味を成さないとか編集者が言うと、サリンジャーは二語にするのはmakes too much senseと言い返すのですが、字幕では、意味が限定されすぎる、というようになっていたかと思います。でも意味が「限定」されるって訳を見ると、彼は何を言いたかったのだろうと悩んでしまうのではないかと。文字通り「意味を成しすぎる」と、相手の言った慣用句をそのまま裏返して聞いたことのない表現にして返した当意即妙です。文脈の中では要はこれは—-シーモアによる—-造語なんだからそのまま使えってことですが、訳はそのまま「それじゃ意味が通り過ぎるんだ」とか直訳したほうが忠実だと思います)
話しがそれましたが、そんなこんなは面白いですが、ただし、内面の詳らかな描写とか人間味あふれるドラマとかを求める人には少し期待はずれに感じるかもしれません
まあ結局作家は作家であって作品ではないのだから、作品を読めってことになりますかね... それをいうとこういう映画としては元も子もないですが。見たあとナインストーリーズをン十年ぶりに引っ張り出して途中まで読み直しましたが、これも結構寂しい話しが多いなあ(笑)
創作とは何か
サリンジャーは、村上春樹の影響で好きになった。特に好きなのが、バナナフィッシュに最良の日だ。帰還兵の精神的崩壊をどうしてこんなリアルに描けるのだろうと思っていたら、これは実体験だったのだとわかり納得できた。過酷な軍隊での日々、精神的に苦境に立たされることで、物語の世界に没入していった結果生まれたのがキャッチャーインザライという作品であるのが面白い。人は、非日常にあっては日常を求め、日常にあっては非日常を求めるものなのだろうか。
彼が、仏教の瞑想に心の平安を求めたことも興味深い。苦しみの肯定から、自分の心の声を見つめ直すことで、サリンジャーは本当の創作に到達することができたのだろう。
見せびらかすための創作ではなく、自己の救済のための創作を、というのは、真の芸術家すべての望みなのかもしれない。若い時のヒット作のお陰で、その望みが叶えられたサリンジャーは幸福であると同時に、創作しなければ救われない苦しみを抱え続けた人間として、生まれながらに不幸であったとも言えるだろう。
一生、印税生活とか羨ましい
「ライ麦畑でつかまえて」の作者がどうやって本を書き上げたかと、戦争によるPTSDとの葛藤の話。
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作家としてこれからって時に戦争が始まっちゃってそこからずっと心を病んで小説が書けなくなるんだけど、謎の僧に助けられて大ヒット作が誕生する。
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でも結局人が怖くなって(ていうか元々コミュ障)僧のストレスは排除すればいいったいう助言で森の中でずっと孤独に暮らすことに。出版もしなくて、死ぬまでただものを書くことだけしてたらしい。
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この暮らしってぶっちゃけひきこもりだし、お金さえあれば自分だってずっと家で好きなことして暮らしてきたいわ(笑)本がめちゃくちゃ売れてるから印税で生活出来るんだよな〜(笑)羨ましい。
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ストレスを排除したおかげか91歳まで生きるっていうめちゃくちゃ長生きやし。
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「ライ麦畑でつかまえて」読んでみようかなって思ったけど映画中に出てきた「崖から落ちそうな子供を捕まえたい」にひたすら??ってなったからしんどそう(笑).
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