「語られることを拒否した作家の、必然的に寂しい物語」ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー 雨はにわか雨さんの映画レビュー(感想・評価)
語られることを拒否した作家の、必然的に寂しい物語
寂しい映画、かな
二週間前に、封切り直後に見て何か書こうかと思いつつも、不思議と書くことがまとまらなかった。それがなぜなのか思い直しつつ、いまの自分としてはそんな勝手な結論に至った
話の筋としては
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かつては上流階級のパーティーに友人たちと出かけて可愛い女の子に声をかけるような、ふつうに社交的な人間だったサリンジャー
しかし、美しいが思わせぶりな彼女との失恋、ノルマンディー上陸の戦場の狂気、そしてキャッチャーという時代の心を捉えた作品の作者となった代償 (近寄ってくるミーハーども、勝手な作品解釈を開陳する輩、おまえも嘘っぱちphoneyかよ!と罵声を浴びせるなりきりホールデンのサイコパス等)
そんなことをへて、世間を避けて、完全なる隠遁生活に入るようになる
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といったところ
しかし、この映画ではそういった話しがわりと簡潔に、なんというか、事象的に描かれている
学生時代に付き合ってた彼女とは、結局勝気でワガママなお嬢様に惚れただけ?
戦争体験が作家に酷いトラウマを残したのだろうが、戦場場面は一部敢えて抽象的心象的に描かれている。そういう人が安穏とした平和な享楽の世界に戻ってくるとどのように感じるのか、精神はどうなるのか。シーモアのように色までわからないようになってしまうのか
自分の文学的才能を初めて認めてくれたマイナー文学誌の編集長でもある大学講師は、自分の作品を初めて掲載してくれ、ぼくは短編作家で長編は書けないと言っていたサリンジャーに、ホールデンを長編にしろと繰り返し励ましてくれた恩師。出版の話で行き違いがあったようだか、それにしても後に、売れた立場のサリンジャーがなぜ困っているその恩師の出版社から作品集を出してやらなかったのか。後にもう一度だけ会うがそれ以外なぜそこまでずっと拒否するのか
最初の奥さんは実家との食事の場面で少し出てくるだけでいつのまにか別れてる
悩んでいるときに出会ったヨガ思想の?先生。折に触れ重要な言葉を授かり、導きを受けているようだが、この人とはどうなったのか
売れた後に一緒になった二度目の奥さん。どんな人だったのか、どんなふうな話をして、人生のパートナーには何を求めたのか。結婚して二人の子供まで設けたのだから彼とて最初から完全な世捨て人だったわけではないだろう。だのになぜダメになったのか
そんなこんなも書き連ねるといろいろ思うが、映画ではこうした心情やいろんな経過などはほとんど描かれない
だから具体的に共感したり気に留まることが少なく、実際に何か書きたくなるようなポイントが見つけにくい
そういったあたりを想像や脚色もまじえて入れていけば、もっと親しみやすい話しになっただろう。ただこの映画としては、なるべく事実として知られてること以外の勝手な解釈や脚色を入れないで描こうとしたのかと思われる。主要登場人物はすべて実名らしいし。そうであればこれは致し方ない
なにせ徹底的に私生活を語らない明かさない人だったらしいから
映画にもでてくる女性代理人が作家の一番の理解者で世間との唯一の接点だったそうだが、何百通もあった手紙のやり取りをサリンジャーの指示によりすべて焼き捨てたらしい(これは映画には出てこない)
手紙には個人的なことが書いてあったのか事務的なやり取りだけなのか知る由もないが、これはなかなか凄い。世間には一切未練はない
エッセイやインタビューなど自分をいっさい語らない、他人にも語らせたくなかったサリンジャーという人に、そういう意味では忠実な映画なのだろう
戦争のトラウマや無神経な世間の拒否、という大枠はわかるものの
人との繋がりをすべてを切り捨てていって、最後には妻と子供とも別れて独り隔絶世界で何十年も生きた人間
映画のラストシーンだと執筆を続けていたようで、他のすべてより執筆が優先するのが真の作家、みたいなかつて恩師が言った言葉で締められるのだが、一人でずっと生きてていったい何について書くのだろう。書くことがあるのだろうか。誰も見せないものを書き続けるってどういうことなのだろう
単に一人で生活しているという孤独だけでなく、何かを人に語りかけたり分かってもらうことさえ拒否するひと
この映画について改めてそのように思い返すと、結局凄く寂しいものをみたようで、自分のことを考えて身につまされる
まあ人は多分に自分の心情を投影してものを見てしまうわけで... 自分にはそんなふうに思えました
誤解のないようにいうと、表面的に陰鬱とした暗い映画とか、そういう事では全然ないです。ふつうに見れます。サリンジャーってこんな人生だったんだというのは知ることができましたし、サリンジャー自身に興味がなくても小説家が売れるまでの修行時代とか、戦争体験とか、ニューヨーカー誌とか、人の勝手とか人の孤独とか、そういうことに興味があれば勧めできます
例えばbannanafish が一語ということにニューヨーカーが抵抗した、とか。たしかにそんな単語もともとないですから(笑)
(ちなみにここのやり取りの字幕は少し違和感がありました。たしか、一語にするのはdoesn’t make any sense 意味を成さないとか編集者が言うと、サリンジャーは二語にするのはmakes too much senseと言い返すのですが、字幕では、意味が限定されすぎる、というようになっていたかと思います。でも意味が「限定」されるって訳を見ると、彼は何を言いたかったのだろうと悩んでしまうのではないかと。文字通り「意味を成しすぎる」と、相手の言った慣用句をそのまま裏返して聞いたことのない表現にして返した当意即妙です。文脈の中では要はこれは—-シーモアによる—-造語なんだからそのまま使えってことですが、訳はそのまま「それじゃ意味が通り過ぎるんだ」とか直訳したほうが忠実だと思います)
話しがそれましたが、そんなこんなは面白いですが、ただし、内面の詳らかな描写とか人間味あふれるドラマとかを求める人には少し期待はずれに感じるかもしれません
まあ結局作家は作家であって作品ではないのだから、作品を読めってことになりますかね... それをいうとこういう映画としては元も子もないですが。見たあとナインストーリーズをン十年ぶりに引っ張り出して途中まで読み直しましたが、これも結構寂しい話しが多いなあ(笑)