ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャーのレビュー・感想・評価
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「ライ麦畑」映画化を夢に見て
サリンジャーは短編小説の映画化を許可したものの出来に納得がいかず、以降は「ライ麦畑でつかまえて」を含め自作の映像化を断固拒否したとか。没後も、著作権を管理する代理人がその方針を変えないと表明したので、コールフィールド少年をスクリーンで見るのは著作権が消滅した後だろうか。
さて、そんなサリンジャーの伝記映画が、生誕100周年のタイミングで公開される。後半生は世間と接触を断ち隠遁生活を送ったことが知られるが、そこに至る経緯も含め、作家を志すようになった頃から、第二次大戦の従軍経験で心に深い傷を負ったことなどが明かされていく。主演ニコラス・ホルトは売れっ子だが、良い意味でスター然としていない、普通の佇まいが役に合っている。クレア役は、「シング・ストリート」で主人公が恋する年上の女性を演じていたルーシー・ボイントン。「ボヘミアン・ラプソディ」にも出ていたし、活躍の場を広げているようで嬉しい。
なかなかに面白かった。視聴した結果、JDサリンジャーに更に大きな関心を抱いた。
ダニー・ストロング脚本監督による2017年製作(109分/G)のアメリカ映画。
原題または英題:Rebel in the Rye、配給:ファントム・フィルム、劇場公開日:2019年1月18日。
新海誠の「天気の子」主人公が持っていた「The Catcher in the Rye 」の著者JDサリンジャーが、日本でも大きな影響を与えてきた作家であることは知っている。しかし、彼の作品は読んだことは無かった。
全く予備知識が無しということもあってか、とても興味深く見ることが出来た。
大学(コロンビア大創作学科)の教授ウィット・バーネット(ケビン・スペイシー)が1学生であるサリンジャー(ニコラス・ホルト)と、小説創作で実際にあれだけ濃厚な関わりをすることがとても意外で、ビックリして見ていた。小説を書くことも、実は大学で学べるものだったんだ!と。そして教授自身が文芸誌「STORY」の編集長であることも、日本の文学部教員のイメージとは違っていて意外。
でも、思い出した。日本でも映画界では同様な事例が有り、黒沢清東京藝大教授の教え子(大学院生)が濱口竜介監督であったことを。
若きサリンジャーの恋人が、チャップリンの4番目の嫁になるウーナ・オニール(ゾーイ・ドゥイッチ)で、彼は戦場にいる時、新聞で二人の結婚を知る。恋人が新聞一面に乗るなんて何とレアと周りから慰められていた?のが印象的。
2回目の結婚相手でかなり年下のクレア(ルーシー・ボーイントン)との出会いも興味深く、彼女(2018年「ボヘミアン・ラプソディ」でメアリー役)の初々しさも良かったが、それだけにサリンジャーがただただ創作にだけのめり込んでいき、外部との関わりを遮断し、家庭も崩壊する様が痛々しかった。
米国の小説家というと、ヘミングウェイの印象が大きいせいかアクティブなイメージであったが、サリンジャーは生真面目で偏屈で孤独で、日本の小説家様なタイプに思え、少し親近感を覚えた。
監督ダニー・ストロング、製作ブルース・コーエン 、ジェイソン・シューマン 、ダニー・ストロング 、モリー・スミス 、サッド・ラッキンビル 、トレント・ラッキンビル、製作総指揮エレン・H・シュワルツ 、スコット・ファーガソン 、マシュー・サロウェイ 、クリスティーナ・パパジーカ、原作ケネス・スラウェンスキー、脚本ダニー・ストロング、撮影クレイマー・モーゲンソー、美術ディナ・ゴールドマン、衣装デボラ・L・スコット、編集ジョセフ・クリングズ、音楽ベアー・マクレアリー、音楽監修ジョナサン・ワトキンス。
出演
J・D・サリンジャーニコラス・ホルト、ウィット・バーネットケビン・スペイシー、ウーナ・オニールゾーイ・ドゥイッチ、ドロシー・オールディングサラ・ポールソン、ビクター・ガーバー、ホープ・デイビス、クレアルーシー・ボーイントン。
夢を追う中で
主人公の青年(サリンジャー)は、小説家になる為に毎日努力をしていた。
僕は、ライ麦畑を読んだ事があるけど正直に言うと名作と言われていたが少し難しく感じてしまった。
けれども、この作品は、読む歳や経験によってまた違った作品になるんだろうなとも感じています。
そういう部分に惹かれてしまうのかなと思いました。
この作品は、そんな後に歴史を残す作品を産んだ著者の半生を描いた映画作品です。
なので、「ライ麦畑」の映画化と少し勘違いしてしまいそうになりました。
学生の頃から小説を書き続けて、先生からも否定され続けてもそれでも書き続けた。
そんな中で女性との出会いや戦争というもの体験がどれだけ影響を与えたかは、計り知れないと思う。
この先生との出会いからなければ、これほどの作品も生まれなかったんだろうと感じました。
いい作品を作る為に家族や友人、そして自分にとって幸せと思える時間を全て小説に捧げる。
それによって多くの犠牲の上に作品があると分かりました。
そんな著者が普通の幸せとは、かけ離れた世界で孤独共に筆を握っていた。
それは、誰でも夢を追いかけて叶える事が大事だ!というメッセージの裏にある。叶えた事で多くの犠牲を払う事になってしまう。それでも君にその夢の中に生き続ける覚悟は、あるのか?
そんな強いメッセージを感じました。
夢を追う事と普通に幸せとは、両立する為には、どこかで妥協をしてしまう。
妥協しない事でそれ以上にいい作品が産まれる。
全てがいいと言えるもの選ぶのも大変なもと感じた作品でした。
わたしも
わたしもサリンジャーを見習って何にもないところに住もうかなと思った。とりあえず再来週からその方向に動き出そうと思う。
それとやっぱり資本主義ってよくないと思う。常にサバイバルだし、作品が社会への贈り物じゃない感じがする。
何だかこの映画見るとやっぱりアメリカ人は国に飼われてるように見える。
作家の心の闇
ニコラスホルト扮するジェロームデビッドサリンジャーは、大学の恩師からアドバイスをもらい小説を書き始めた。しかし教授は一生不採用かもしれないと言った。
作家の心の闇を見せつけられた様な展開だったね。まあ恋人がチャップリンと新聞に報じられる仲になってしまったり、戦争でボロボロにされてしまったり。瞑想に救いを求めるも家族まで構わなくなり夫や父親としての責任を放棄してしまってるのは如何なものかな。
ライ麦畑でつかまえては残念ながら読んだことが無かったので思わずラクマで購入したよ。楽しみだ。
作家たる人の人生。名作が生まれ至るまで。
サリンジャーが自分を突き通していなければ「ライ麦畑でつかまえて」は生まれていなかった。彼が意思を突き通すことができたのは、自分を信じられるほど描くことが生きることになっていた日々にあると思う。
本編では、ライ麦畑でつかまえてに辿り着くまでに彼に起きたことや心の動きを辿ると共に、作家たる人格になるきっかけを与えた、ウィットが彼に掛けてきた言葉や行動と師弟愛を知ることができる。
創作家の切実な声、創作のためのアドバイスはじめ、記憶に残したいドラマチックな台詞がいくつも。文学作品をベースにしている洒落感や言葉への配慮も好きでした。
サリンジャーと編集者との会話からなぞることができる彼の人となり。
「Bananafishは2語では?」「いや1語にする。意味を限定したくない」
「ノルマンディーに上陸したとき、この原稿の一部を担いでいたし、収容所を解放したり、入院してた間も書いていた…ぼくを救った作品です。」
サリンジャーのことを回想するウィットの言葉。
「間違いなく人生で最も価値のある25ドルだった」
描くことが生きることでもあったために、それを脅かす社会から孤立せざるを得なかったことも理解できる。
晩年も描き続けていたことが真実ならば、もう彼のアイデンティティを脅かすものはないから、人生をかけて描いてきた物語が世に出ていくことを願いたい。
時は流れてしまったけど、物語は伝っていく限り生き続けるし、作家は誰かの心で作品が生き続けることを望むと思うから。
帰還兵の苦労〜サリンジャーの場合
作品も読んだことないので、名前だけ知ってるぐらいのレベルで、どんな人なのかなー?といった興味半分でした。
第二次世界大戦が多くの人の人生を狂わしたんだと思うけど、65年に筆を置いてから逝去するまでの人生も映像化して欲しかったかな。
ウーナとチャップリンの件は驚いた。
サリンジャーとくにライ麦畑が好きな読書家のための映画
トイレで頭から水を被り、ジャズ奏者に声をかけられるシーンや、セントラルパークの池のアヒルのくだりなど、小説の活字から私が創り上げたはずの情景と映画の映像が殆ど同じだった。
本編でも語られていた「作者の声」や「説明が多過ぎる、読者を信じて」などのセリフと上記活字と映像のシンクロから、サリンジャーの声は多くの読者と本作のスタッフへ正確に伝わっているのだと感じた。
ライ麦を読んでないという立脚点
サリンジャーを読んだことがないw。
実家のじぶんにあてられた部屋の書棚に「ライ麦畑でつかまえて」があった。
上半分青く、下半分白く、らくがきみたいな顔が描かれてある。
(読んだ人なら)だれもが見たことある白水社のやつだ。
おそらくじぶんで買ったものだ。
開いて読み始めたことはあった。
たぶん一度や二度でなく、なんども読み始めた、はずである。
だが、今もってサリンジャーを読んだことがない。
映画はサリンジャーが作家を立志し、曲折を経てライ麦畑でベストセラー作家になり、やがて隠者になるまでを描いている。
サリンジャーの人生は戦争の影響が大きい。
『1942年、太平洋戦争の勃発を機に自ら志願して陸軍へ入隊する。2年間の駐屯地での訓練を経て1944年3月イギリスに派遣され、6月にノルマンディー上陸作戦に一兵士として参加し、激戦地の一つユタ・ビーチに上陸する。(中略)その後の激しい戦闘によって精神的に追い込まれていき、ドイツ降伏後は神経衰弱と診断され、ニュルンベルクの陸軍総合病院に入院する。』(ウィキペディア、J・D・サリンジャーより)
もともと繊細な人でもあったところへ、戦争後遺症がのしかかって、彼はますます人嫌いになる。極端にナイーブな人物像は、主演ニコラス・ホルトにぴったりだった。
だがその人となりには毀誉の両極がある。
優れた文才の一方で、妻をないがしろにし、恩師に不義理をし、ついに出版もやめて俗世間とのかかわりを悉く断つ。
むしろその偏屈ぶりが主題の映画だった。
余談だが、映画はそのまま「My Salinger Year」(2020)につながる。まるで後日譚/続編のようにつながる。
(邦題マイ・ニューヨーク・ダイアリー。隠遁者になったサリンジャーに代わって、世界中から大量に届くファンレターの処理をするエージェント、のアシスタントの話。サリンジャーは一切出てこない。)
ところで、読んだこともないじぶんが言うのもしつれいな話だが、サリンジャーはわりと一発屋な感じなのかな(すごく寡作なのかな)──と映画を見ていて思った。
だとしても、それはとほうもない一発だった。
なにしろ「ライ麦畑でつかまえて」は世界30ヶ国に翻訳され、累積販売部数6,500万部。現在も毎年25万部が売れ続けている。(──とエピローグのテロップに書いてあった。)
書き終えた「ライ麦畑でつかまえて」を担当に渡すシーンがこんな台詞だった。
サリンジャー:『ノルマンディーに上陸したとき、この(原稿の)一部を担いでいたし、収容所を解放したり、入院してた間も書いていた・・・ぼくを救った作品です。』
担当者:『(初稿を読ませてもらえるなんて)光栄だよ。戦争の話?』
サリンジャー『問題を抱えた青年のクリスマス休暇の話です』
JDサリンジャーという人は、数多の人びとに愛された20世紀最高の作品を書き上げながら、ぜったいに他人に理解してもらえないじぶんという人間を、一生涯持て余しつづけた人間だった。──という映画。
さて、サリンジャーのライ麦畑といえば、村上春樹のお気にでもあり、山の手の文化人ならたとえ読んでなくても、読んだことないなんて言えない──そんな御用達の必読書。(だと思う。)
ゆえに「サリンジャーを読んだことない」と白状するのは田舎の百姓のわたしでさえいささか恥ずかしかった。
なんども断念したがまた読み始めようw。
3.3良作ではあるが
教授が非常によく、あの場面だけで大いに価値があった。
が、全体的に物足りなさを感じるのは「ライ麦畑でつかまえて」を読んだことがないからだろうか
”全ては本に書いてある”が如く、主人公の感情が曖昧に感じられた
それが狙いだったのだとしても、まさに「視聴者」を置いてけぼりにしていると言えるのではなかろうか。
サリンジャーを見ていても、世の中の「天才」と言われた才能を有する者たちは、それを分解すれば才能とは「続けられた」才能と言えるのかもと感じた。
大いなるひらめき、誰もかけないと言われたものも死屍累々の数をこなした先にあるのではないだろうかと感じた。それは努力の天才とも言われ、努力と天才は紙一重なのかもと見ていて思った。
しかし、「それに」囚われてしまうと、他のすべてをシャットダウンせざるをえない。マルチにタスクを振り分けるとパンクしてしまうのだろう。本作を見ていて、自分だったらどう有りたいかも考えられて良かったように思う。憧れの職業を”なんの見返りもなく”ただ挑戦できるか。これが世間一般で言うところの「天才」の構成要素なのかもと思った。
少し学問としての文学を学びたくなりました。
少しかじりたくなる
文学にあまり精通していない自分でもサリンジャーのライ麦畑をミーハー心で読んでみたいと思わせられた、もうそれだけで個人的にこの映画は十分成功だと思った。しかも私は青少年という年齢でもなければ、過去の時代の独特の抑圧にも無縁な人間で到底ライ麦畑が刺さるとも思えないにも関わらずなので。
これといった盛り上がりポイントもなく20世紀の文豪の半生が描かれているのに、史実を淡々と描く画面に、掴む力があるというか。2時間弱の時間を引っ張っていけるのは史実であるのはもちろんだが、制作陣の方々の力なんじゃないかなと思った。
サリンジャーのことを知る
ライ麦畑はもちろん若いとき読んで英語版でも和訳でもいかにも新しい文体というか思ってることがそのまま書いてあるような小気味良さ、厭世の共感を味わっだと思う、ジョンレノン殺害犯が、ライ麦畑を読んでいたことも知っていたが、この本が出た当初も共感勘違いのあまりサリンジャーをスモークする人たちがいたこと、父親との葛藤、ユダヤ人であるからこその父親の人生観と息子との隔たり、などが背景に様々あり、戦争体験し、またユダヤ人強制収容所を目の当たりにすることが彼の作家生活や隠遁生活、精神の不安定に大きく影響していたことを知った。もっと破天荒な感じかと思っていたが、そうでもなく、真実をわかってしまうわかろうとする探究しようとする真面目な人にありがちな閉塞感が強く、ユダヤ人である父と自分が免れたホロコーストという如何ともし難い現実と現世の幻想に翻弄された人だったのかなと思う。
サリンジャーを知る。
ライ麦畑も読んだことなけりゃ、
サリンジャーも名前しか知らない。
ただ傑作とされてる事は知ってるので、
さてどんな人だろう?と思って観たら、
見応え充分。良い伝記映画だった。
今で言う不良少年、野望に満ちた少年が
戦争によって狂わされてしまう様子が描かれてて辛かった。
僕も漫画家をやってるので、
作家の生き方はわかってるつもりだけど、
ここまで孤独になって、自分を掘って行くのは大変だし、
こうはなれない憧れと畏怖入り混じった感情で最後まで
観た。
自分の才能を見せつけてるための作家活動か?
と言う問いには頭を殴られてるような衝撃があった。
そりゃサリンジャーには一生なれんわな。と。
成功を収めてからも、
いや成功を収めてからの方が悩んでるサリンジャーを観て
戦争がなかったら、そうなっていたのか?
と思ってしまう。成功を素直に喜んでいたのかも…
ライ麦畑も戦争を経験したからこその作品だし、
戦争がサリンジャーにもたらした成功と苦悩は
計り知れない。
サリンジャーファンの方には、
発表はしなかったけど描いてたんだ。と言うラストは
胸が熱くなったのかな?
いかにしてサリンジャーは青春の権化となり得たか?を知る作品
自分は何か特別な存在だと思う反面、何の価値もない人間なんじゃないかと感じたり…、生きるとは何だろうと考え始めていた18、19歳の頃。出会ったのが『ライ麦畑でつかまえて』であった。
大人の作った社会に疑念を抱きつつ、大人になりきれないホールデン少年は、まさに自分の分身のように感じ、刺さった。大学の《好きな作家とその魅力》という課題でこの作品を取り上げたほどであった(その内容は忘れてしまったけど)
お陰様でその後、他の作家と作品にハマったので、作中の読者達のように取り憑かれ続けることはなかったけれど、『ライ麦畑でつかまえて』は間違いなく青春のバイブルとして刻み込まれたのである。
そのサリンジャーの伝記映画である。
まず91歳まで生きたとは知らなかった。しかも結構なブルジョワ育ちで、親子関係も悪くない。意外である。何かの寂寞感に迫られている彼の作品から想像出来ない。戦争体験が影を落としているのは分かった。
彼の作家としての人生を辿るには充分な作品ではあったが、彼の素晴らしさはやはりその創作物の中にしかないと感じるものであった。
願わくば彼の遺稿が活字となり、手に取る日が来ますように。
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