田園の守り人たちのレビュー・感想・評価
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小学校の先生が戦場の英雄として故郷の村に戻る所から話が始まる。 子...
小学校の先生が戦場の英雄として故郷の村に戻る所から話が始まる。
子供たちのつぶらな瞳が彼を見つめる。そして、ドイツを敵国として紡いだ詩を一人の少年が朗読する。
その時、彼はこの戦いの虚しさを知ったのだと感じた。
さて、後半のストーリーは男目線なメロドラマに変わってしまう。
アメリカが第一次世界大戦に参戦するのは1917年からで、アメリカは土壇場で見事に戦勝国になって、ドイツから多額の戦勝金を取っている。駆け込みでお金の為に参戦したとする見方もある。また、その多額の賠償金が第二次世界大戦の引き金になった事は史実である。
さて、そんなアメリカ兵が、銃後のフランス農家で戦争に行って夫不在の人妻を相手に、欲望を燃やしていただろうか?また、お金を渡して、フォ◯ドソンやマコ◯ミック等の農機具購入の援助をしていただろうか?そもそも、フォ◯ドソン(アメリカ製)を買えるお金や現物が、フランスにあっただろうか?この農民はロバや牛まで手放しているのに。
つまり、出鱈目感が払拭出来ない。
まぁ、それはともかく、1919年に生まれたこの息子は、1939年の開戦時に丁度二十歳になる。
そして、最初に登場したつぶらな瞳の子ども達も戦争の被害に合うことになる。
それを、主題にしていれば、この映画は傑作だったが。
また、第二次世界大戦後パリを占領していたナチス・ドイツとパリの女性が関係を持った歴史がある。彼女達は終戦後、衆人の中で髪の毛を切らされる。そんなヘイト行為があった。フランシーヌの最後の行為がそれを語っているのだろうか?
因みに、バルビゾン派のミレーが描いた風景をこの映像と比較する事が多いが、寧ろ、印象派のモネの絵のようだ。
因みに因みに、落ち葉拾いは貧農を描いた絵で、この映画に登場するフランシーヌよりも下層階級の農民。土地が持てないロマとかユダヤの民と言う説もある。
女性の怖さでしょうか
ミレーの落ち穂拾いのような美しい田園風景。
徴兵された働き手たちに代わって、
自分たちの土地や暮らしを守るため懸命に働く女性たちの物語・・・、
では終わりませんでした。
母は強し。
家族と築いてきたものを守るために
身を粉にして働く強さは美しいものでしたが
家族を守るためなら、
自分たちのために誠意を尽くしてくれた罪もない人
(でも、家族とは認められない人)を
裏切り切り捨ててしまう怖さ。
戦時中の極限状態とはいえ
歯車を狂わせた
人間の罪の深さを見せられている気がしました。
あの子はどうなったのでしょうか。
幸せになって育って欲しいと願いました。
戦争なんかやめて!と銃後は叫んでる
男と女、女と女。いろんなことが起きるけど、男が戦争に従軍している、銃後の農村状況だからこそ起きること。不安、哀しみに押し潰されそうな銃後の女たちは、戦争なんかやめて夫を父親を我が子を早く返してよ!と叫びたい。
先の大戦の日本でそんなことを言おうものなら、周りから非国民と罵られるので、銃後も頑張るぞ!などと言っていたと聞くけど、本当は同じように、早く返して!と叫びたかったんじゃないかな。
美しい田園風景と美しいだけではない人の暮らし
二人の女性の対比。
それなりの資産をもち、守るべき家族がいて、ときに冷徹な判断を下す人と、
聡明さと誠実さ、若さ、健康以外のものを持たずに家を訪れた人と。
戦争の悲惨さ、工業技術の進歩は、田園生活に影響を与えるが、田園風景は変わらない。
二人の女性が、共にあまりに聡明なので、彼女らの人生の選択が、果たして本当に理に適ったものなのか、僅かな違和感が残る。特に、女主人がなぜ優れた農場の後継者として身寄りのない若い女性を受け容れる度量を持ち得なかったのか。
質素だが美しい木綿の衣服、節くれだった農夫の指、若い女性の肉体美。100年前の農村のリアリティに引き込まれる。
それだけに、アメリカ兵がするVサイン(普及するのは20年後のはず)、フランス陸軍中尉がしている薄く小型の腕時計(当時パイロット以外が日常的に身につけられただろうか)、が引っかかった。
新人女優のイリス・ブリーの今後に期待。
銃後を守る女が、自立した新時代の女に成長する様を、1900年代初めの美しいフランスの田園風景を背景に描き出す
ミレーの絵画そのものの田園風景の中で、戦地に赴く男を見送り、迎え、死に涙するだけの女たちの中で、若きフランシーヌだけが、自立した女に生まれ変わって行く。
彼女が髪を切り、清々しい顔つきで唄う様は若きコレットの姿を彷彿とさせられた。〈髪型がそっくり 当時の流行りだったのかな〉
あるカットを除いて、全く戦闘シーンのない反戦映画でもある。
銃後を守る女たちの健気な物語…ではない
途中で眠気がさすのは退屈だからではない。(長いのもあるけど)演出のペースが一定だからだ。戦争にとられて男手の少ない田舎で過酷な農作業を黙々と続けていく女たち(爺たちはワイン飲んで働かないし)。だが、そんな女たち(も含めた農民たち)も決して一枚岩ではない。フランシーヌに対する仕打ちは現在の目から見れば確かに酷いが、当時としては当たり前のことだったのだろう。フランシーヌがどれだけ心優しく賢く働き者であっても、その土地に代々住んできたものにとっては、所詮は「どこの馬の骨ともわからない」(今では死語ですかね)流れ者でしかないのだ。民主主義発祥の国フランスでもそうだったというのは少々ショックではあったが、どこの国でも田舎の保守性は変わらないということだろう。私は奈良の田舎で生まれ育ったので因習・保守性はよく分かる。日本の田舎では昭和40年代でも「土地のもの」と「よそ者」との区別は厳然として存在していた。フランシーヌの良さを誰よりも分かっているからこそ、ナタリー・バイ扮する母親は断腸の想いで憎まれ役を引き受ける。農村というコミュニティの中で世間体を、家族の名誉を男たちに代わって守るために。アメリカ映画であれば、ジョルジュの誤解も溶け母親も認めてメデタシメデタシとなるだろうが、そうならないところがフランス映画か。それでもやりきれなさは残るが、ラストのフランシーヌの笑顔に救われる。
1915~1920年代、農地を守る女性たち
女性は、自分たちの農地を守り、男性は、戦地に赴く。
舞台は、1915年から20年の5年間で、第一次世界大戦の戦時中が時代背景で、男性は、フランスからドイツの戦場に向かう。そんな時代の男と女の関係を描いている。映画の流れは、非常に単調である。
映像は、実に時代を映し、ロングショットが多く、ミレーの描いた「種をまく女」の画のようで映像は美しい。主に農地を守る女性目線で描かれている。戦地に行った男性を待つ女性の心情を細かく描いている。
冒頭映し出される、首のない敗残兵の静かな場面は、映像だけでも凄まじい。ジョルジュのうなされる悪夢の中、フラッシュバックでガスマスクをしたドイツ兵と現れる場面があるが、ドイツの「毒ガスの研究」を思い起こされて、ドキリとさせる。
話の流れは非常に単調ではあるが、女性が農地を守る。まさに「田園の守り人」という印象を描かれている。
後半、アメリカ人が残していった「トラクター」が、「農地における機械化」を語っているように感じた。
フレンチ昼メロ
第一次世界大戦下フランスのどこかの小麦畑を営む農園で旦那はおらず娘の夫や息子が出征していく中、農園を守る母娘と使用人達の話。
確かにそういう設定ではあるけれど、始まってみたら恋愛とお家事情と世間体というロドロというか陰険というかなドラマ。
結構荒波が立って悪くはなかったけれど、家族側の方の終わり方が面白くない。
ゲスくてもそうじゃなくても良いけど、もう少し何か欲しかった。
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