シリアにてのレビュー・感想・評価
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アパートの一室から戦争を描く。その研ぎ澄まされた構造に様々な思いを喚起させられる
いま世界のどこかで起きている出来事を伝えるのが報道の役割だとすれば、映画にできるのはそこに息づく人々の感情の機微を伝えること。そうやって我々が“他者と自分”とを重ねあわせ、共感の倍音を広げていくきっかけを提供することだと思う。その意味でこの映画は、シリア内戦について通り最低限の知識しか持ち合わせていなかった自分に、初めてそこで暮らす人々の表情と感情を伝えてくれた貴重な一作となった。そして本作は描き方にも特色を持つ。戦争や内戦を「面」で捉えるではなく、家族が息を潜めて暮らすアパートの一室という「点」から捉える。そうやって窓越しのわずかな風景、鳴り止まない銃撃、近まってくる爆撃から外の世界を想像させるのだ。演劇的とも言える手法だが、狭い室内でカメラが登場人物の感情に寄り添い続けるアプローチは映画ならでは。非常に研ぎ澄まされた構造と、何よりも俳優たちの存在感に、様々な思いを喚起させられる作品だ。
相関関係が分からない。
何故狙撃した後確かめに来ないか?
何故逃げないか?
何故部屋に押し入ったか?
何故助かったか?
何故あのタイミングで真実を話したか?
兎に角、これからどうするのか?
兎に角、評価に困る。
しかし。
青年のLaptopにダビデの星のシールが張ってあった。まさか、ユダヤ系の人達ではないか?シリアにもユダヤ系の人達は残っている。のでは。
他人の男性が居て、ヒジャブをまとわないのは、イスラム教ではないと見たが。
まさか。
襲う男達もこんなにガラが悪いのか?
プロパガンダ映画には見えるが、誇張していても現実はもっと酷いのだろうから、出鱈目な話として評価したくない。
レバノンも合作しているので、ユダヤ系でなければ、キリスト教でしょうね。
シリア開放機構?
さぁ、どうなんでしょう。
「アサドさんがロシアへ逃げる」って、僕はもう二度とロシアへ行けないね。2024年12/10
シチュエーションムービーの傑作。
マンションの一室だけで描かれた戦争映画の傑作である。どこかで見た事のあるようなエッセンスをどこかで見たことのある手法で展開し全く見た事のない映画として仕上げていく。この作品を鑑賞する為の86分はあなたにとってとても有意義な時間となること請け合いである。
今なお続く泥沼化した内戦をミクロの視点で
今なお続く内戦状態のシリアの情勢をとある家族の24時間を通して描く。 水は出ず、満足な食事もできない。 アパートの一室を出ようものなら、銃撃され、日に何度も危険な人物が訪ねてくる。 そんな生きた心地のしない日々を生き抜こうとする人々から窺えるものを詳細に描く。 なぜここまで泥沼化し、長期化してしまっているのか?解決策など見えてこない。 政治的宗教的な思惑の中、終わりのない争いに「巻き込まれ、取り残された人々」がいるということ。 報道だけでは見えてこない現実がこの作品に垣間見える。決して全てではないし、実際はもっと凄惨だろうが。
戦時下の女性の苦悩を描いた映画
戦時下の女性の苦悩を描いた映画・小説は世界中にある。暴力が支配する世界になると女性の立場が変わり、苦悩することになる。日本の戦時中から現在のミャンマー(ビルマ)・アフガニスタンまで題材は尽きない。首都ダマスカスのアパートの一室での物語だが、戦時下の緊張感が伝わってくる。 私は、紛争前のシリアを旅したことがあるが、親切で明るい人々、アレッポ(ハラブ)やデリゾール(ハサカ)やハマーの美しい街並しか記憶に残っていない。紛争で、これらの街はがれきの山となり、人々は難民となり、ダマスカスよりもっとひどい状況に置かれている。「何でこうなってしまったのだろう」とシリア人も問いかけているだろうが、悲しいかな時間を戻すことはできない。 レバノンへ難民として行けても『存在のない子供たち』のような現状が待っているし、幸運にもヨーロッパへ難民として行けても『レ・ミゼラブル』のような現状が待っている。 シリアと同じようなことが、ミャンマー(ビルマ)・アフガニスタンにおいて現在進行形で進んでいるが、庶民が平穏に暮らせる国になってほしい。
【”激しき戦禍の仲、それでも彼女達は自分の城を守る・・。”今作は戦闘シーンが一切ないのに、緊迫感が尋常でない恐ろしい作品である。】
<Caution!内容に触れています。鑑賞後にお読み下さい。> ー 泥沼化するシリア内戦。史上最悪の愚かしき大統領アサドを始め、戦闘シーンは、一切出て来ない・・。だが、劇中四六時中鳴り響く砲弾、爆撃の音。- ■舞台は、シリアの首都ダマスカス近郊と思われるマンションの一室。 ・戦地に赴いた夫との帰還を、マンション最後の一家となっても逃げずに待つオーム(ヒアム・アッバス)。 ・上階の幼子を抱える夫婦も(爆撃のためと類推)自室に入れ、日々家族を律しつつ、夫の帰りを待つオーム。 ・上階の若夫婦は、この状況を脱しようとし、夫は連絡を取りに外に出るが、スナイパーに撃たれてしまう・・。それを目撃したメイドのデルハニ。だが、オームはその事実を誰にも言うなと口封じする・・。 ー固く、閉ざされた部屋の入口。それでも、窓を破って侵入してくる愚かしき男二人。蹂躙される婦人。ー <舞台はこのマンション内のみで進行するのだが、緊迫感が半端ない作品。 上映時間は、1H26Mだが、あれ以上だと、かなり精神的にシンドイ。 女性の視点から描いた、現在のシリア内戦に対する、強烈な反戦映画である。 見応えある作品。体調が良い時の鑑賞をお勧めする。> <2020年12月18日 刈谷日劇にて鑑賞> ■2024.12.10 2000年に父からシリア大統領を引き継ぎ、多数の内戦を引き起こした独裁者アサドがロシアに亡命した。 戦争犯罪の大罪で、犯した罪を償うべき男だと思うのだが、のうのうとロシアで暮らすのだろうなあ。
マンションの一室から伝えるシリア内戦の悲劇
「ラッカは静かに虐殺されている」「ラジオ・コバニ」「バハールの涙」「娘は戦場で生まれた」に続く自主企画『シリア発見』の第5弾。 一般市民がシェルターとして暮らすマンションの一室を通してシリア内戦の緊迫した状況を伝える。 爆撃や戦闘による凄まじい音や振動。徘徊する強盗たち。表に出ればスナイパーに狙われる。閉ざされた空間の中で逃れることができない恐怖が在った。 出口の見えない内戦の閉塞感を十二分に伝える傑作でありました。
終わりが・・・
銃声と爆発音だけで恐怖感を描こうとしたんだろうけどそれほどでもなかった。母親一人がパニックってそれに家族が振り回されるだけ。突然エンドロールが始まって「ええっ、これで終わり?結局一家はどうなったの?」でした。まあ、政状混乱の国の生きる苦労はわかりました。
怒りだったり
123本目。 コロナ禍での自粛生活に耐えられない人は、この状況じゃ生きられないだろうね。 昨日、別の映画で同じ事を書いたけど、母として、いや女としての本能だろうと思う、守ろうとするのは。 屈辱感を覚えたり憤りを感じ、映画とは分かってはいるけど、あの野郎共、町で見かけたらフルボッコにしてやるなんて思う。 でもこれ、教育現場でも見せていい作品ではと思うんだけど。
ほんのちょっとの希望しかない
シリア内戦を描いた映画の公開が続いている。
「ラッカは静かに虐殺されている」「娘は戦場で生まれた」を観たが、これらはドキュメンタリーで、リアルゆえの凄みがあった。
一方、本作はフィクションである。
舞台はシリア内戦下の、あるアパートメントの一室。
そこにはオームと彼女の3人の子どもと義父、住み込みの家政婦が住んでいる。オームの夫は不在だ。
そこに、同じアパートメントの住民で、爆撃によって自分の部屋には住めなくなったハリマと彼女の夫、そして赤ちゃんが身を寄せている。
そして家に帰れなくなったオームの娘のボーイフレンドもそこに。
朝、物語の冒頭、ハリマの夫が、出掛けてすぐにスナイパーに狙撃されてしまう。
そう、窓ガラスの向こうは戦場。近くで響く爆発音。しかし家には女性と子どもと老人しかいない状態だ。
カメラはほとんど家から出ない。登場人物たちが、家から出られないからだ。
つまり、息詰まる密室劇。
そしてカメラは家の中を動き回る。玄関、ベランダ、浴室、キッチン、リビング、ハリマの居室など。すべての部屋が、重要なエピソードの舞台となり、無駄なく意味を持つ。まったく隙のない脚本には感嘆するしかない。
そして、この隙のなさが全編を通じて緊迫感を高めている。
内戦ゆえ、誰が味方か分からない恐怖さえも、来客の恐怖という形で、家の中だけで描く。この脚本の密度に唸る。
本作が描くのは、そのアパートメントの朝から夜までで、ずっと極度の緊張状態が続いていく。
カメラはほとんどの画面で人物の表情を捉える。登場人物たちは常に死の恐怖にさらされていて、怯え、苛立ち、パニックになり、泣き叫ぶ。つまり、エンドレスのサスペンス。クローズアップに耐える役者たちの演技も見事だ。
地獄だ、と思った。
たった1日がこれほど過酷なら、ここで暮らす人々の生活は、命は、精神はどうなってるのか。
戦争映画が描く過酷さの舞台の多くは戦場だ。
しかし、内戦は、市民の暮らす町が戦場となる。こうした悲惨さを、本作は容赦なく描き出す。
ラスト近く、オームに夫の携帯から着信が入るのだが、すぐに切れてしまう。掛けてきたのが夫かどうかすら分からない。
着信があったこと自体は救いだが、話すことも、無事を確認することすら叶わない。
希望は、ほんの少ししかない。
アパートメントの前に倒れていたハリマの夫は息があり、助け出すことが出来た。だが、このとき、スナイパーはハリマを撃たなかった。昼間に、この家を襲った男たちがスナイパーなのだとしたら、彼らは、また家に来る、ということだ。
そしてハリマの夫が助かるかどうかも分からない。
ここでも、希望はごく僅かだ。
たった、これしかない希望。ほとんど救いがない。
そう、内戦に巻き込まれた市民たちの状況は過酷で悲惨であり、そこには、ほんのちょっとの希望しかないのだ。
これが内戦下のシリアなのだ。
そこは遠い国かもしれない。しかし、ガスキッチンで料理を作り、リビングに大画面テレビを置き、ネットで情報を調べ、スマホを使う。
そこで営まれている暮らしは、僕たちとほとんど変わらない。
映画は夜のシーンで終わるが、その夜が明ければ、また過酷な1日が始まるのだ。
本作はフィクションだが、それゆえ作り込まれた脚本、演出、そして演技は見事で、高密度かつキレのある作品に仕上がっている。
ゆえに本作のメッセージは鮮烈で重い。
また1日が始まる…
シリア内線のなかで常に死の危険ととなり合わせにいる一般市民を描いた作品。 世界一危険な国と言っても過言ではないシリア。そこで生きるある女性が、家族や同じアパートに住む住人と身を寄せ合い生きている1日の様子をみせていく。 皆に対するあたりが少々強く感じてしまうのも、皆をまとめ生きる為には必要な態度と言える。 多少の不満を抱きつつも、確かに皆彼女を頼りにしている。 だが、この厳しすぎる状況の中生き残る為には綺麗ごとばかり言っていられず。。 危険が迫ったとき、最善と思う選択肢が、全員を救えるものとは限らず…。 あんな状況になっても、黙って皆を守ろうとした女性の強さよ… あの悪党どもは何者!?アサド政権や反対勢力が戦っているのはわかるが、あやつらはただの火事場泥棒的な暴漢どもか? スナイパーも何故市民を狙うのか。武装しているわけでもないし、内戦において彼女らはなんの脅威でもないだろう。。 とにかく、今年も多くの作品を見てきたが、これほど悲しくて涙がでそうになる作品はいくつあったか。 このようなことが今も現実に起こっていることが辛いですね。 何が辛いって、壮絶な1日の様子をみせていく映画だが、彼女らにとってはこの命がけの出来事が、たった一度の大冒険などではなく、日常の中の1日に過ぎないこと。 あれだけのことがありながら、明け方のおじいさんの憂いを帯びた横顔をみて、また同じような1日が始まるのだと考えると、何ともやりきれない…。 こういう映画をみて、何か勉強した気になっているだけで、結局何もできないのは辛い。 シリアが平和になってほしいのは勿論、日本もずっと平和が続いていってほしい…ってのは甘い考えなのだろうか。。
一縷の望みと脈打つ不穏さが入り混じる
構成がとても綺麗ででもその中の描写が非常に生々しくてよかった、とりこぼしてしまいそうなくらい細やかな一縷の描写から数々の起伏が生まれると思わせ、衝撃的なシーンもある程度のリアルな時間軸の中に淡々と込められるところは、同じような被害にあったことがあるものとしてかなりリアルに感じた 近寄ったり離れたりする紛争地帯の音響はぜひ映画館で味わいたいところなので満足だった わたしの感性では手に余るところもあったのでまたチャレンジしたい
大幅カット?
ベルリン国際映画祭パノラマ部門観客賞ですか。。。。 残念ながらまったく緊迫感を感じませんでした。いまひとつ戦時中であるという雰囲気が伝わってこず失礼ながらただのワンシュツエーションドラマにしか感じませんでした。もう少し戦時中の雰囲気だったり緊張感が欲しかったです。加えて登場している人物たちのそれぞれの立ち位置も伝わってこず、物語に深みを感じませんでした。 これ、大幅にカットしているんですかね??? つまらなくはないですが、かなり物足りなかったです。 期待し過ぎたんですかね。
これからも傍観者のままでいいのか
つねに銃弾や砲弾が飛び交うシリア内戦下のアパートの一室における密室劇。 フィクションのかたちをとっているが、シリア内戦は今も続いており、同じような、いやそれ以上の惨劇が今も繰り返されている。 内戦下の日常生活をハンディカメラにおさめた「For Sama」は優れたドキュメンタリー作品だが、本作では敢えてフィクションで描くことで現実の凄惨さを訴える重要性を示してくれている。 あまりの酷さに目を向けられない可能性があるため、意図的に現実の凄惨さよりもトーンをおとしているような感もある。 アサド政権を支援するロシアやイラン、反政府勢力を支援する米国、クルド人問題で対立する隣国のトルコ、その他EU、サウジアラビアやイスラエルなどが入り乱れ、さながらシリアの地はBattle Royalのリングのよう。 ユーゴ紛争やアフガン戦争のときもそうだが、最終的にいつも割りを食うのは一般市民である。シリア内戦で亡くなった民間人は約12万人にのぼる。また、難民として国外に逃げざるをえなかった市民は、紛争以前の国民の半数近い約11百万人を超えている。 「これはよその国の話で、平和国家の日本では関係のない話だ」と他人事ですまされるのだろうか。シリア難民問題が国内問題に直結するEU諸国と異なり、日本におけるシリア内戦の報道や論調は驚くほど少なく、日本政府はシリア難民の受け入れを事実上拒否している。 永遠に自分たちは戦禍に巻き込まれないと言い切れないなか、私たちはこの問題に対して傍観者のままでいいのだろうか。
シリアから戦争はなくならない
イスラム教徒はタバコを吸わないし酒も飲まない。少なくとも知り合いのイスラム教徒はそうだった。本作品はシリアの庶民の一日を描いているが、おじいさんはチェーンスモーカーで家族の誰もお祈りをしないことから、この家族はイスラム教徒ではなさそうである。 爆撃を受けたアパートに他の階から逃げてきた親子が一緒に住んでいる。その母親が「神様」という言葉を口にすることから、あるいはキリスト教徒なのかもしれない。そんなことはどうでもいいというなかれ。立場と状況を把握しないことには作品全体が把握できないのだ。 家族が置かれた状況は微視的にはすぐに理解できる。戦場のど真ん中に住んでいて、タイトルが「シリアにて」だからシリアのどこかの市街のアパートであることは間違いない。母親と娘二人と息子一人、それに母親の父親、家政婦、それに遊びに来ていて帰れなくなった娘の彼氏、上の階から避難してきた夫婦と赤ん坊。 いないのは普段はとても頼りになる夫で、仕方がないから夫の代わりに妻が気を張って家族を守ろうとしている。外は戦場で、どこから銃弾や砲弾が飛んでくるともしれない。人心は乱れていて、夫と夫の仲間以外は誰も信用できない。家政婦が目撃した光景についてどうするのか、押し入ろうとする悪人たちにどうやって対処するか。次々に究極の選択を迫られる。ほとんどの住民が逃げた街で、アパートにこもることを選択した家族にとって、戦争が終わることだけがただひとつの願いだ。女と子供と年寄りの家族。あまりにも無力である。 家族の置かれた状況は絶望的で、平和な現在の日本から見れば本当に気の毒なのだが、どういうわけかこの家族に少しも感情移入ができない。どうしてなのかなと考えつつの鑑賞だったが、途中でその理由に気づいた。この家族は母親による専制的な共同体なのだ。戦時中のミニ国家なのである。他人を支配しようとする精神性は戦争へ向かう精神性である。 独裁者たる母親の判断は、街から逃げ出さないでアパートにこもることを選択したことも含めて、必ずしも正しいとは限らない。加えて、長く続く武力紛争の状況下で子供を作ることも理解できない。戦時下で様々なものが不足する中でタバコを吸い続けることも意味不明だ。ただ戦争が早く終わることだけを願っているだけのこの家族の望む将来の姿が見えてこない。 シリアの悲惨な状況は理解できたが、主役の家族に共感できないから、どうしても醒めた思いで観てしまうことになる。家族のその後の運命を案じることもない。この映画の精神性がシリアのパラダイムであるなら、この地から戦争を無くすことは非常に困難であると言わざるを得ない。
緊迫感すごい
緊迫感が半端なく。 口の中がずっと乾きっぱなしになり。 後足悪いほど苦い、戦争のつらさ、戦場で異常になる人間の凶暴さを存分に味わいました。 戦闘に加わりにいった旦那が戻るまで、家族と隣人を市街戦の危険から守るため、自身のマンションをシェルターとしする主婦のお話し。 広場がスナイパーに狙われ、建物が爆撃で振動する恐怖におびえる中、シェルターに強盗が押し入ろうとし…… 部屋の中での描写がほとんどで、具体的な戦闘シーンはないものの、状況が悪化する一方で、ハラハラしっぱなし。 観ていて、シェルター内の人々へ感情移入し、強盗たちをどんな手を使っても殺害したくなりましたよ。 改めて戦争はいかん、と思えた一作でした。 2017年の東京国際映画祭でかかった時は、タイミング合わなくて観逃したんですが、やっとのスクリーン。 つらい内容だけど、観られてよかった。
頭隠して…
内戦下のシリアのアパートの一室のある一日の話。 遠くで鳴り続け時々近づくヘリの音や爆撃音。 アパート前の駐車場はスナイパーに狙われていて、旦那は不在。 家を空けるとすぐに泥棒に荒らされる。 という情勢を背景に、アパートに住む家族と家政婦と、上の階から非難してきた3人家族の嫁と赤ん坊に降りかかる火の粉と人間ドラマというストーリー。 仕切りたがると揶揄される母親と少し緊張感が足りない家族達だけど、いざというときに出来ることはあまりなく、又、その為の準備が足りないことに少し物足りなさを感じるけれど、そこから湧き上がるそれぞれの感情は、大きくないけれどひしひしと感じるものがある。 終わり方も少し物足りないけれど、不安と悲しさと安堵等々が複雑に入り混じったモヤモヤが残るドラマだった。
家族を守り抜く
『スナイパーだ』で始まり、野菜か何かを手押し車で売る男性や客が逃げるシーンから始まる。シリアのダマスカスのMESSEHメザという地区で義理の父と子供三人と近所の家族などを夫が帰ってくるまで守り抜く力強い女性OUM(Hiam Abbath)の話。
Oum は生まれた時、家がなかったと。この住まいに対する愛着がとてもつよく、伴侶が帰ってくるまで家族と共に守り抜こうとしている。家政婦にも子供にも知り合い(?)の息子にも内戦のなかで的確な指示を与え、皆を守っている。しかし、一箇所これでいいのかと思ったシーンがあったが、一階上に住んでいた女性ハリマ(ハリマは夫と共にベイルートに逃げる計画があった。)がレイプされるシーンがあるが、Oumは子供達、家政婦、義理の父などを台所に入れて守り、ハリマを助けに行かなかった。でも、残酷な言い方だが、ハリマの一人を犠牲にすることにより、家族を含めて他の人々を助けることができると考えていたと思う。
この映画で私にとっての圧巻は主人公Oumの二番目の娘である少女が、レイプをされた女性ハリマに謝るシーン。『許してください。怖くて助けに行けなかったんですと。』誰も助けてくれなかったが、レイプをされた女性ハリマはこの言葉によって救われたと思う。
Oumの判断力、自分も家族を守るのが大変なだよと言って泣き言を言わず、一人の時だけ、悲しさを見せるたくましい人で、またハリマに対する慈しみもみせている。でも、家政婦の気持ちを汲んであげていなかったのが残念だが、私はシリアの文化社会構造については詳しくない。どこかに家政婦の気持ちも大切にしているシーンがあったのかも。
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