「奥さんはすごくいい人」詩人の恋 shunsuke kawaiさんの映画レビュー(感想・評価)
奥さんはすごくいい人
ヤン・イクチュン演じる主人公は詩人で小学校で詩を非常勤で教えている。稼ぎは月30万ウォン。日本円で3万円。詩なんか書いて、ゲイジュツで飯が食えるか?
食えるのである。結婚していて奥さんが稼いでいる。1人で生活が出来ないなら愛する人と2人で仕事して慎ましく生活できればそれでいい。庶民的な結婚がきっちり描かれていて素晴らしいが、特殊な点は夫が詩人であるという点だ。
詩人で稼ぎも少ない上に、精子もかなり薄いため子供を作るのが難しい。詩人仲間のうちで詩を披露すれば、綺麗なことばかりうたって、現実の悲しみや辛さがうたわれていないと非難される。詩もまだ大成していない。つまり夢みるゲイジュツ家は不具者という扱いだ。
それでも彼を愉快に見守る奥さん。ほんとにいい人だ。こんなにいい人と一緒にいられること自体がファンタジーである。辛めの批評をする詩人仲間に言われた、"現実と向き合わない"彼の詩的世界にしか存在しえない人。
落ち込んでいる彼に近所にできた店のドーナツをすすめる奥さん。美味しくて元気になり、ドーナツにハマり通いつめていくと、そこには若くてハンサムな青年がアルバイトをしている。
そんな彼が若くてキラキラして見えていたのに、実は家庭問題を抱えて貧しいため学校も辞めてアルバイトをしていることが明らかになる。
辛い他人の現実を突きつけられ感情移入していくうちに主人公は、その青年を救いたい気持ちが強くなっていく。青年その人やその青年の抱える現実の辛さに惹かれていく。それが、ホモセクシャルな関係であるかのように描かれる。結局、本当にホモなのかどうかはわからないままだが。
夢みるフワフワした詩人が辛い現実を目の当たりにして、詩人としての腕を上げていく。自分の現実には無頓着なくせに他人の辛い現実には非常に敏感である。他人の辛い現実への異常なほどの執着。
この異常な執着こそが詩人の恋といえるもの。ゲイジュツ家は自分自身の人生よりも他人の人生に人一倍関心をもちそれを作品にして多くの人を感動させることができる。自分自身のことはあまりにもつまらないから、他人の人生にハマり、それを詩にして、芸術的に成果をあげようとした。主人公は奥さんとの関係を捨てて一緒に2人で生活して、君は大学に言ってやりたいことを見つけるべきだともいうまでになる。そこまで他人の人生に介入する。だけど、所詮は他人の人生である。変態扱いされてしまう始末。こんなに想っているのにどうして?青年との関係を詩にして文学賞を受賞したとき、君を利用したというセリフをはき、少し冷静になったようだが、彼のことが気になって仕方がない。しあわせな自分の家庭生活よりも他人の人生に介入したくて仕方がないのだ。
そんな裏で、訳の分からない詩人の奇行に付き合い、子供が欲しいという庶民的なしあわせに一生懸命な奥さん。この人こそが、夫のゲイジュツを支えていることは間違いない。主人公は自分の人生には興味がなく、そういう身近に素晴らしい存在がいても無関心。こんなゲイジュツ家を愛してくれる、現実にはありえないような素晴らしい存在こそが実はほんとの夢であり、芸術なのではないか。こんないい人現実にはいない。
他人の辛い現実を知って自分の詩的世界を広げること以上に、身近に詩的な夢的な存在がいるということに気づけない。こっちのほうがもっと辛い。