荒野にてのレビュー・感想・評価
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衝撃的でもそれを見つめる目は優しい
ほのぼのロードムービーと完全に勘違いして観たら、手厳しく裏切られて凹んだけれども、決して悲嘆に暮れた気分のまま終わるものではなかった。
心優しい少年に対してなんたる仕打ちを…と心痛むも、残され生きていく者としてじっと耐えて道を模索する姿を、何となく誰かがどこかで見守っているように見える。
最後一人で街を走るシーンでは、「ああ、この子もう大丈夫だな」と安心させてくれた。
彼は亡くした父と馬を内に抱えて自分なりに折り合いをつけながら、大人になっていく。
少年の世界に向けたまなざし
鑑賞後既に1日経っているが、私の心はまだ荒野にある。
エンドロールが終わっても、衝撃で動けない。こんなになるのは久しぶりだった。
誰にも会わずに家に帰って、誰もいない部屋でワンワン泣きたかった。
2人で暮らしていた父を突然失った少年チャーリーが競走馬としての寿命を迎えたピートと共に、彼の知り得る唯一の肉親である伯母のもとへ旅をする。
作品のあらすじはそのように説明されるが、いわゆるロードムービーとも、少年と馬の友情、少年の成長を描いた作品とも括り難い。
チャーリーの境遇は過酷で、父を失った後も運命は残酷なまでに彼を絶望の淵へ落としてしまう。旅の途中では出会いもあるし、いわゆる「バッドエンド」と言われるような結末は迎えない。しかし、世界は残酷だけど意外にも優しさと愛に満ちているとまとめてしまうのもまた、もったいない。
チャーリーが他者から受ける恩恵と愛を描いていたというより、絶望の淵に落とされても世界を憎みきることはできず、自らも罪を背負い、泉のように愛は湧き出る、そのような優しい世界が描かれていたと思う。
貧困の極限状態にまで至ったチャーリーは軽犯罪を繰り返し、遂には暴力に頼ってしまうが、混乱状態のなか悪態を尽きながらも「ごめん」と言い残す。
全てが落ち着いた頃には、自ら罰を受ける意思が見られるような台詞がある。
自分を捨てた母、ピートに殺処分を言い渡すデル。チャーリーの口から2人を責める言葉は出てこない。「母さんは僕を愛していたと、父さんは言ってたよ。」
やっと自分の居場所にたどり着けたチャーリーがこれまで堪えていた涙をこぼすのは、自己憐憫のためではなく、自分が守れなかった、失ってしまったもののためである。
最後のカット。未熟で純粋な少年が世界に向けるまなざしは、不安に揺れながら穏やかで、優しい。
〜〜〜
ちなみに思ってた5倍くらいしんどかった。
いちばんしんどみが凄かったのは、「どこから来たんだ?」と警官に聞かれたチャーリーが、虚無の顔でこれまでに転々と暮らしてきた土地の名を、つらつらと順に述べるシーン。
彼の居場所のなさを突きつけられて、すごくショックだった。
チャーリーくん(役者さんもチャーリーくん!)、ほんとうに優しい良い子…強く強く抱きしめてあげたい。
荒野にて
馬が好きなので、何気なく見に行った。なんと私の好きなポートランド市でロケしたものと判明、うれしいなんだかついてる映画の予感!
案の定地味だが詩情あふれる馬と少年のふれあい~ポートランドに競馬場があったなんて、知らなかった残念!~少年を取り巻く大人たちが、今の米国をそのまま反映してリアル、子どもを親身に構う余裕のない大人たち、ほんとに大丈夫なのか とすら思わせられ寂しい。
伯母さんがいて、しかもまともな人で、ほんとによかった。
この結末がなければ救われない、日本はこの国と同盟なんてマジですか?
叔母を訪ねて三千里みたいな映画❗
星🌟🌟🌟🌟最初は馬と青年の逃避行のような物語かと思ったのですが…意外と奥が深い良い作品でした❗他の方も書かれてましたが主人公チャーリー役をチャーリーブラマーが上手にナィーブで繊細な青年を演じていて感情移入して観れました❗馬ピートとの突然の別れは悲しいですがラストハッピーエンドで終わって良かったと思います❗救いのある映画で楽しめました❗映像が凄く綺麗でした❗あと馬ピートが可愛いかったです❗
Search for Hope
Lean on Pete
荒野にて
アンドリュー・ヘイ監督
父親は息子チャーリー16歳、に対する愛はあるが、自己満足の愛であり、本当のチャーリーの気持ちを理解してあげていない。父親の死後、叔母を探しにオレゴン州ポートランドからコロラド州のデンバーを抜けてワイオミング州のララミーまで、旅を続けてやっと叔母を探しあてる。
ここで、チャーリーが競走馬ピートと荒野を歩きながら会話するシーンが一番好きだった。誰にも自分を出せなかったが、ここで、はじめて自分をさらけ出しているのが、かわいそうに思えた
デンバーの街中で仕事を探しているシーンも、ドラッグやアルコールに手を染めるわけでなく、望みをなくさず前に進む素晴らしかった。やっと、ララミーの図書館について、おばさんのうちに案内されるんだが、ここで受け入れられてもらえるのか半信半疑の戸惑いが手に取るようにわかった。彼の言葉で、高校に通いたい。そして、フットボールができるか叔母に確認するシーンでは思わず、嗚咽してしまった。ポートランドでは高校に通うことができない上、その前に住んでいたワシントン州のスポケンではフットボールの選手だったが、引越しによって中断されてしまったから。
こういう作品は全世界に共通する問題なので、愛を見つけ出すことができて、今までの苦労が報われたね。
社会の荒野
天涯孤独な少年の冒険物語。大人目線では無謀と思える冒険で決して褒められる行動ではないが、誰もが一度は経験する社会という荒野の荒波。心が何度も折れそうになりながらも何とか持ちこたえる少年を新星チャーリー・プラマーが見事に演じている。
2019-113
少年の孤独。支えたもの。求めたもの。
最終的にチャーリーは、支えたものを失いましたが、求めたものを手に入れた、って言う話。
Lean on Peat は、孤独から競走馬に「もたれかかってしまった」15歳の少年の物語。ま、寂しかったのは叔母も同じだったみたいで。
アメリカの田舎風景の撮り方が、兎に角好き。カメラの動きも、始まってすぐに好きになりました。ワンカットで180度をゆっくり回転しながら、チャーリーの住処、時間、境遇を示唆する表現に降参しました。と、光線、印影の使い方。初めて足を踏み入れた競馬場のキラキラした明るさ、浮き立つチャーリーの立ち姿。荒野を横断するチャーリーの疲労感も光と印影で。良かった!
物語の方はフラットで小さくコジンマリ。このくらいがちょうどいいや。心の拠り所まで辿り着いた少年は悪夢に苛まれて寝付く事が出来ず。叔母さんに泣き付き嗚咽。母親の(様な)優しさを求めて荒野を越える少年の物語は、早朝の街をランニングするチャーリーが、(おそらく)自宅前で緩んだ表情で家を眺めるシーンで終わります。夢の様な家と、家族を得た幸福そうな顔がふわっとした気持ちにしてくれました。良かった。かなり。
良い映画
ピート(馬)の最後は突然に…
何だかんだ言っても、動物は所詮動物でした…(笑)
そんな最後にちょっとポカーンとするしかなかった(笑)
*チャーリーの旅路はなかなか波乱万丈だったんですが、なぜか今ひとつ感情移入出来ず…
*それは、たぶん、アメリカの原野がちょっと、あまりにも途方もなく広大に見えたから…だと思う(笑)
アメリカ人にはリアルに訴えて来るもんがあるんでしょうね…。
*ラストシーン、見知らぬ土地で借りてきた猫みたいな顔をして、自分の居場所を確認するチャーリー君の表情が良かったです…
…チャーリー君のアイデンティティはなおも揺らぐのでした(笑)
馬以外ではダメ男描写が光る
現代アメリカインディペンデント映画らしい映画。
なので平均的に描写か巧み。特にクズ男まわりが非常にいい。そのリアリティ。クズ男と寒々としたアメリカの景色と馬。
馬のあのシーンだけはまじビビった。
【幾つもの喪失を乗越え、前に進もうとする少年の姿に涙が滲んだ作品。】
ー 良い邦題だと思います。(原題:Lean On Pete 何の意味だろうと観ていたら、荒野を共に旅する競走馬の名前だった)。ー
◆感想
・物心ついた時には母は家を出ており、母親代わりとして慕った叔母も容易に会えない土地に移り住み、粗野だが息子を愛する父親も”あること”により、帰らぬ人になる。
・孤独な中、家計を支えるために世話をしていた愛する競走馬と共にある決意を胸に、北米の荒れ地を旅する事に・・。
<と書いているだけで、悲壮感溢れる映画のようだが、荒れ地の朝、晩の美しさ、時折会う人々との色々な形での交流。
そして、少年の的確な時折の判断、行動に感心する2時間であった。
飽くことが無い。そして最後にたどり着いた場所。涙が溢れた作品である。>
<2019年5月2日 伏見ミリオン座で鑑賞>
爽やかな感動を覚える
アメリカの田舎は日本の田舎よりもずっと田舎である。自動車がないと不便なところは同じだが、田舎でもバスが走っている日本と違って、広大な土地のアメリカでは自動車がないと本当にどこにも行けない。西部劇では馬を駆って走っている。かつては馬車も大活躍したが、今では自動車だ。
馬に乗っていた名残は競馬の形で残っていて、趣味としての乗馬も盛んである。競馬も大人気だ。現代の日本の競馬の主流血統であるヘイルトゥリーズン系のサンデーサイレンスは、アメリカの三冠レースであるケンタッキーダービーの勝ち馬である。
アメリカにはサラブレッドが走る競馬だけではなく、一回り小柄なクォーターホースによる短距離レースもある。本作品の原題になっている「Lean on Pete」はクォーターホースの競走馬で、父親と二人暮らしの素直な少年と関わることになる。
本作品の舞台はポートランド。時代はというと、スマホを持っているのがお金持ち風の人たちだったことから、普及率の変遷を考えると舞台はおそらく2010年ころだ。いろいろあって父親と二人暮らしをしている16歳の主人公チャーリーは、馬の世話をして賃金を得るようになったが、ある事情が発生したため、馬を連れて旅に出る。
行き先はワイオミングの伯母さんのところだ。かなり前の記憶だけが頼りである。ポートランドからララミーまでは1800km以上ある。日本で言えば鹿児島から札幌までくらいだ。16歳の少年とクォーターホースにとっては果てしない道のりである。行き着いたとしても伯母さんに会えるかどうかはわからない。半端ではない勇気で少年は邁進する。16年という少ない人生経験ながら、善でも悪でも持てる力のすべてを発揮して、少年はピートとともに前に進む。
映画は必ずしも主人公の味方ではない。つまりリアリズムである。人間は食うに困れば何でもする。それを咎める者もいれば許す者もいる。長い旅の中で、少年は極限状況を次々に経験しながら、急速に大人になっていく。しかし魂のエクササイズはそれに追いつかない。なんとかなるという空元気と心細い本音、人を信じる気持ちと信じられない気持ちの間で揺れながら、少年は前に前にと進んでいく。それしか彼の生きる道はないからだ。
少年が主人公ではあるが、少年の旅に寄り添っているうちに、自分の半生を追体験したような気になる。少年の旅は少年だけでなく、世の人の人生そのものだったのだ。ラストシーンでは少年の魂がようやく落ち着いて、不安と恐怖と、それに悪い心を洗い流すようだ。素晴らしいシーンである。人生を力強く肯定する世界観に爽やかな感動を覚えた。
雰囲気はいいけど
途中馬関係なくなるし、壮絶な経験をした少年が何か学んだのかよくわんないまま普通の生活に戻っちゃうし、何よりスティーブブシェミとクロエセヴィニーの使い捨て感がシネマライズ世代からするとあり得なかったです。
厳しくも優しい感動作
クライマックスの思わぬ感動でこの作品の意味を知った。
15歳のチャーリーは、物心がつく前に母親が家出したようで、父親との二人暮らし。父親の稼ぎが少なく生活は困窮していたが、競走馬リーン・オン・ピートの世話をする仕事を得た。
間もなく父親が不倫相手の夫に殺され、そして老いて勝てなくなったピートの殺処分が決まり、幼い頃母のように慕っていた叔母を探すため、ピートを連れ出し荒野へと踏み出した。
アメリカ北西部の大自然は美しくも過酷極まりなく、タイトロープの上で風に吹かれるが如き緊張感。死を想起した。
そしてクライマックスが……ホントいいです。チャーリーと一緒に泣きました。厳しくも優しく、映像美も特筆すべき感動作だ。
面白かった
アメリカの田舎しか出てこないので時代設定がよく分からなかったが、会話の感じから12〜13年前位なのかなと思った。
少年が最初からずーっと独りぼっちで、唯一のコミュニケーションが馬とだなんて辛すぎる。毒親問題を根っこにした、16才の地獄めぐりの話だった。最後に降って湧いたような安息の瞬間が訪れるが、ハッピーエンドには程遠く、やっとの事で自分が居ても許される場所に辿り着いただけ、という。
居場所のない少年。 病院、警察、そして馬の仕事を教えてくれた師、様...
居場所のない少年。
病院、警察、そして馬の仕事を教えてくれた師、様々な大人が差し伸べる手をも振り切る。
その手は振り切るためにあるのか?と思うほどの勢いで。
荒野の中のファンタジーな世界に脇目も振らず、果てしない荒野を突き進む少年の顔は、たくましく一種の気迫を感じる。
少年の求める安らぎは決して欲張りでない。
住宅街の窓からもれるあたたかな食卓の灯りや、記憶の奥に潜む美味しい香り。そんなささやかであたりまえで、心を潤してくれるもの。
心を開くとき、やっと本当の少年の顔が見えてくる。
過酷な米国最下流社会の現実にヒリヒリする
米国北西部のオレゴン州の小さな町。
15歳のチャーリー(チャーリー・プラマー)は父親とふたり暮らし。
まるっきりの貧乏所帯で、チャーリーは学校にも通っていない。
毎日の日課は、朝のランニング。
父親が、同僚の女性を連れ込んだある日の朝、日課のランニングでいつもと違ったコースを走ったところ、小さな競馬場があることを知る。
別の日、また競馬場まで足を延ばして、厩舎地域に入り込んだところ、老調教師のデル(スティーヴ・ブシェミ)からパンクの修理を手伝ってほしいと声を掛けられる。
それを契機に、チャーリーはデルの下働きをするようになり、一頭の競走馬リーンオンピートと出逢う・・・
というところからはじまる物語で、馬と少年の心温まる物語かと思わせるが、さにあらず、米国下流社会の厳しい現実が描かれます。
チャーリーの父親がどのような仕事をしているのかは描かれないが、実入りが少ないのは明らか。
冷蔵庫にはほとんど何も入っていない、家具もテーブルとベッドぐらいしかない。
調教師のデルの生活も厳しく、日本の中央競馬・地方競馬の比ではなく、管理する馬は6頭ばかり。
馬主兼調教師で、僅かばかりの賞金と仲間内での掛け金と、廃用になった馬の売却代金で生計を立てている様子(廃用馬はメキシコで食肉になってしまう)。
その上、競走馬といっても、いまではあまり人気のないクォーターホース(サラブレッドではなく、せいぜい4分の1マイルまでしかダッシュの効かない超単距離馬)。
管理馬のうち、若い2歳馬はスピードダッシュ力もあり、期待していたが、レース中に腱を痛めてしまい、廃用。
そこそこ走る5歳馬ピートに期待をかけ、毎週のように走らせるが、それが祟って、まるで能力を出せないようになってしまう・・・
と、競馬好きななので、ここいらあたりの描写、ほんとうにヒリヒリします。
中央競馬で1勝をあげた馬は、ここに描かれた馬たちと比べると、超エリート、選りすぐりといってもいいでしょう。
ついにピートも廃用が決まり(売却用競争というのがあり、勝って賞金を得ないと売却されてしまう)、居ても立っても居られなくなったチャーリーは、小さな馬運車もろともピートを奪って逃走してしまう・・・
と、ここから日本タイトルの『荒野にて』となる次第。
荒野の彷徨は寂しく厳しく漠たるもので、ロングで撮った映像が美しい故になおさら痛々しい。
荒野でピートを喪ったチャーリーは、その後、都会の街へと辿り着くが、そこでの現実も厳しい。
炊き出し先で知り合った男に助けられ、彼が住むところに導かれるが、ボロボロのトレイラーハウス。
仕事はメキシコからの移民たちに奪われ、年齢を重ねた大人には、職などない・・・
と、もう逃げ場なし、出口なし、どん詰まりの行き詰まり。
そんな米国の現実を丹念に、感情過多にならないように演出したアンドリュー・ヘイの手腕は見事。
その後、チャーリーにも希望を見出すことが出来るので、ラストは少しホッとします。
ラストは、長い長いチャーリーのランニングシーン。
立ち止まり、振り返るチャーリーだが、もう過去は振り返ってほしくないと、切に願いました。
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