Visionのレビュー・感想・評価
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比較的しょーもない(^^;)、意味深なだけの薄っぺらい主張。 「人...
比較的しょーもない(^^;)、意味深なだけの薄っぺらい主張。
「人は孤独になっちゃったから自然の偉大な流れに帰ろう」「破壊と再生は命の本質」とかさ、"いまさら言われてもなぁ"感がハンパねー。
「自然に抱かれる安心」を描きたいんだったら、むしろ雄大な森の映像と音だけたっぷり見せてくれれば足りるのに、素数だのガイア思想だの、使い古された材料で「浅さ隠し」していてげんなり。
トンネルが産道(胎内回帰)のメタファーとか失笑。
森の素晴らしさって、そんなにファンタジーごかしで観せないと伝わらないものか?
自己顕示欲もとい作家性が強いのは結構だけど、だったらもっと感性を磨いて欲しい(苦笑)。
「あん」「光」は好きだったので残念。「萌の朱雀」に退化してどうする。河瀬監督が森を撮ると失敗する?
よく解らなかった、という人は是非読んで
私が河瀨直美監督の作品を観るのは3作目になる。今作「Vision」は中々に骨の折れる作品だった。ストーリーを理解する為、順を追って見ていこう。
物語は紀行エッセイストのジャンヌが奈良を訪れるところから始まる。ガイドの花と列車で興味深いやり取りがある。郷愁(ノスタルジー)についてだ。
花が何気なく発したノスタルジーという単語、それがジャンヌの思いを掻き立てる。「おばあさんみたい」と茶化しながら、フランス語ではノスタルジーとしか表現しようのない、心の深いところに存在する記憶に根差した感情の動き、その揺れを確かに感じている。
時系列が映画の中で前後するので年代順に整理すると、ジャンヌが初めて奈良の森山を訪れたのは20年と少し前。その時村の青年・ガクと知り合い愛を深め合う。
やがてジャンヌは子どもを授かるのだが、ガクは鹿狩りの弾を受け、命を落としてしまう。
子どもを産んだジャンヌだが、彼女は赤ん坊を手放し、その子は村に暮らす不思議な感覚を持つ女性・アキによってガクの両親の家へ運ばれ、息子を失ったガクの両親はその子を育てることを決意する。
その少し後、山には疲れ果てた男・智がやって来て山守として生活していくことになる。
20年が経ち、1人で過ごし続けていた智にアキは「仕事の前に春日大社へお参りする」ように、と言い含める。智にとっては日課でもあったが、社に佇んでいるとジャンヌと花がちょうど到着したところだった。
行き掛かり上2人を泊めることになった智は、ジャンヌが「vision」という幻の植物を探していることを知り、薬草に詳しいアキを紹介する。
1000年に一度現れる、というvisionは計算によればこの秋から冬に現れるはずだという。
ジャンヌは智にガクの面影を感じ、「見たものや聞いたもの、触れたものを誰かと共有したいのだ」と話し、2人は愛しあう。
時を同じくして、智は森がいつもと違う様相を呈していることに不安を感じている。「1000年生きている」と豪語するアキは、森の変化こそがvisionの現れる予兆だと話し姿を消す。
一度フランスへ帰国したジャンヌと入れ替わるように、森に迷いこんだ青年・鈴を助けた智。鈴は智の家に住むようになり、山守の仕事を手伝うようになった。
再び森を訪れたジャンヌは鈴にvisionについて教え、森はいよいよvisionの現れる時期となる。森の象徴とも言える不思議な形の木、その木を中心に燃える輪の中心に倒れている鈴。
消火しようとする智を止めるジャンヌ。彼女には踊るガクやアキが見えている。今ここにvisionがある。そう確信したのだ。
目を覚ました鈴はジャンヌに「お母さんなの?」と尋ねる。鈴はジャンヌが産み、ガクの両親が育てた赤ん坊だったのだ。
ジャンヌが探していたvisionとは、愛であり、その喪失と誕生を享受することこそがジャンヌをこの地に呼び寄せたものなのである。
つまり、この映画のストーリーは「愛」の象徴である恋人と子どもを失った女性が、新しい恋人と成長した息子という「愛」を再び手に入れる物語だ。
まとめてしまうと何だか俗っぽくなってしまうが、ラブストーリーなのである。
visionイコール愛、と簡単に言ってしまうと軽く思えるが、愛は高尚と通俗の間を揺れ動く「生き物」である。愛こそが生命の営みの根源にあり、時にとても神秘的であることを、豊かな自然描写で表現する。言葉はそれを補足するだけにとどめて、可能な限り映像に割り振った印象だ。
きちんと物事の流れをとらえ、奈良の森山の雄大さに挟まれるジャンヌの心証風景を丹念に拾い上げれば、この映画の主題に行き着く。
喪失の思い出と共に一度は離れたこの地へ、ジャンヌを導いたのは「愛」そのものの呼びかけだった。愛はそこに再び現れる。愛した人の面影が、静かな池のさざなみのように、ジャンヌにまとわりついて消えることはない。
とは言え、かなり解りにくい仕上がりなのは否めない。思い返してみて、あらゆるパーツを掘り下げて、やっとたどり着いた感がある。
映像のファンタジックさに気をとられて、物凄い観念的な映画なんじゃないかと思ったほどだ。
監督の妥協のない表現には脱帽だが、もうちょっと優しいヒント下さい(笑)。
よく解らなかった、登場人物が謎だ、何が言いたいのか伝わらなかった、けどジーンとした、みたいな人のお役に立てれば幸いです。
蛇足だけど、エンドロールを観ていた時に「森山未來」ってこの映画を象徴するような名前だな、と感じてしまった。
本当にしょーもない話でごめん。
夏木マリが良い
ジュリエット・ビノシュと河瀬直美目当てで鑑賞しましたが、一番印象的だったのは夏木マリでした。まだまだ色々な作品に出演して欲しい俳優です。『あん』の樹木希林や『二つ目の窓』の松田美由紀も、河瀬監督が撮ると魅力が増してみえるので、女性の感情を引き出すのが上手いのでしょうね。
現在活躍している日本の映画監督で日本の自然をここまで神々しく撮れるのは河瀬直美くらいではないでしょうか。河瀬監督のフィルムからは、自然の美しさではなく『もののけ姫』的な畏怖を感じます。
山の歴史と比べるとひとりの人間の生涯は本当にちっぽけですし不条理ではありますが、それでも人がずっと生命を繋いできた尊さを感じました。舞踊で表現したいのも理解できます。
本作は内容が難解なので賛否両論ありますが、河瀬監督はとても日本の個性を出すのが上手い方ですし、分かりやすくしないところも欧州では受けると思いますよ。個人的に好きな日本の映画監督と聞かれたら、3本の指に入ります。
この映画に出てた岩田剛典さんより夏木マリさんのほうが印象に残ったんですが…
この映画に岩ちゃんが出てると知って観たんですが、岩ちゃんより夏木マリさんのほうが印象に残っちゃいました。
逆に良かったのは夏木さんと岩ちゃんの奇抜なダンス(?)がやばかったです
やっと会えたの~
やはり河瀨作品は音を大切にしてるんだな~と感じた。始まりは夏。木々のざわめき、ツクツクボウシとヒグラシの声、森の中はこんなにも音がするのだと心地よくなってくる。吉野の山奥なので夏が過ぎ去るのも早いのか、木こりの永瀬正敏とジュリエット・ビノシュがベッドを共にする時期には秋の虫の声も聞こえてくる。
素数というキーワードとともに「1000℃→VISION→PAIN」という謎めいたテーマを突きつけてくる。素数というのは他の数字と交わることがないなどと言われると、それを人間の交わりに引っ掛けてるんだなとわかる。交わらない997年というもっともらしい素数に不思議と魅かれていくのだ。
“PAIN”には×が記され、「痛みをとること」という結論。風の当たり方、木々の靡き、雨と光のバランスに違和感がある・・・という智の言葉はアキが去り、犬のコウも死に、そして鈴が現れたことの前兆に過ぎなかった。自ら死を選んだ盲目のアキには心を通して全て見えていたと思われるが、その千年というキーワードは誰から受け継いだものなのだろうか。時折、地元の爺ちゃんらしき人が、伝承について語っていたが、血の繋がりではない何かが伝えていったように思う。そう考えると、アキと同じように智も世捨て人となった(原因はうつ病っぽい)のも、今後VISIONを語り継ぐ語り部としての役割しか与えられてない気がするのです。ただ、恋人を得たので役得ではあるのだが・・・
結局、痛みをとるのは、恋人を誤射で亡くした傷心状態から楽になったジャンヌ。そして、祖父母に育てられていた鈴が母親がいるはずだと惹かれるように森に入って、母親を見つけたおかげで両親のいない心の痛みから解放される。VISIONという胞子は、名前の通り、目に見えないものだったのか。そう考えるとスッキリ。トンネルがメタファーだとも思えるけど、その先には象の墓場のような場所があるという暗さも自然の美しさと対照的だった。
映像がすごい
これどこ?と何度も思うほど、神秘的で美しい。筋は途中でみえたが、映像とキャストの良さで星4。とにかく夏木マリがいい。かっこいい。寄り目すごい。クライマックスのコンテンポラリーダンスは夏木マリと森山未來だからこそ成立し、意図が伝わった。岩ちゃんだけちょっと浮いていたか。もう少し実力派の若手が良かった。ところで主人公の役割は?彼の痛みは何だったのか?ここにきた理由は?森山未來の生まれ変わり?もう少し彼の背景が知りたかった。
ジュリエット・ビノシュとの最強タッグに・・
個人評価:3.5
河瀬直美作品はほぼ全て見てきているが、もっとも暗示的で、はたして自分自身がこの漂う作品の芯を捉えて見れたのか、分からなくなる作品でした。
今までの作品では、土地に宿る道祖神のような魂や、森や土地が刻んでいる記憶など、山々の息衝く鼓動の様な物を作品から感じとったが、本作品はさらに大きなスケールを感じる。
普遍的な様に感じるその山々の魂でさえ、人間と同様に死が訪れ、やがて移り変わっていく。
林業は山を切り開く事で、山を守り育てていく仕事だが、そういった山が死ぬ事で、山が生まれていく、そんな生命の受け継ぎのようなモノも個人的には感じとりました。
それは輪廻など宗教的な表現ではなく、もっと単純で、当たり前の生命の大きな流れの様な。
河瀬直美とジュリエット・ビノシュ。最強すぎる2人なので、見る側は追い付くのに必死になる作品でもありました。
奈良の山間の圧倒的な映像美
河瀬直美×永瀬正敏×ジュリエット・ビノシュ!
河瀬監督のホームである奈良の山間の情景。その映像がもつ力は圧倒的だ。そして山守の男を演じる永瀬には神が宿っていた。彼とビノシュの交わりが山に新たな生命を吹き込む。
自然への畏敬を感じさせる聖なる作品だ。
当て書き
永瀬さんとビノシュ……スピリチュアルな話にも展開にも少し無理あるなーLDHを絡ませたのもな…映像やロケーションがとても良いだけに少し急ぎすぎた感がもったいない。そして、なぜフランス人が必要だったのか…
映像の美しさは素晴らしかった
とても美しい映像。森の緑と紅葉の素晴らしさ、光と影のコントラスト、河瀬監督ならではの美しさだった。
話自体は正直あまり面白いとは言えなかった。いくつかの違和感の中で一番思ったのは子供を捨てた母親が全く苦悩もなく子供に誇らしげに名乗るところ。森で産んでおいてきた子供がその後どうなったか知ってたのかどうか。でもビジョンを探しにきたという。ビジョンが子供だったのか。いや、どっちかというと恋人がビジョンな感じだ。
いずれにしてもそこに納得感がないので共感できなかった。母親にはうけないきがする。
ビノシュのサービス精神に感謝感激
楽しみにしてた作品を見逃してしまうことが最近多くなってきたので、この作品を映画館で観れたことに先ず感激なのだが、本当にこの作品最初から最後まで大好きな作品。以前Mナイト・シャラマン監督のエアベンダーと言うタイトルの作品が私の中で彷彿される。この作品シャラマン監督好みの作品ではないだろうかと思ってしまうぐらいに結構自由に作り撮れてる気がしたのでエグゼクティブプロデューサーが気になってしまいエンドロールを注文してたらEXILEのHIroだった。正直少しウッと思ったがこの作品があまりに好きすぎて逆にHIRO に感謝しなければいけない気になった私は初めてEXILEの曲をダウンロードした。そしてEXILEをカラオケでも挑戦歌うことにした。長々と私のくだりの話が増えてしまったが出演シャラマンすべてが素晴らしいので間違いない作品。映像と音も最高だったので大きければ大きいほどデカデカスクリーンでまた観たい。寧ろ爆音映画祭に選ばれて欲しい作品の一つだなぁと思いながら。締めくくりたい。
ありがとうございます。ビノシュ。
結局
河瀬監督の作品らしく自然の青や緑、光と影の白と黒のコントラストが印象に残る作品でしたが、ストーリーの最後が殺人や赤ちゃん置き去り等々、何だかよくわからない結果だった様な。
正直
理解できない派です。
なんか、やたらと高評価の人がいて、あれ?自分の感じ方がおかしいのか?と思ったけど、最近、低評価の人もいるみたいで、理解できない低評価派です。
全然、あんの方が良かったと言うより、あん以降、だんだんレベルが落ちているのかもね…。
そもそも、ドヤンキーが英語喋れることに違和感がありすぎて、集中できなかった。これなら、言葉は理解できないけどもなんとなく表情と手振りで理解できる超能力みたいな方がマシだったかも?
分かる人は分かるよ感
分かる人分かるでしょ的な、格好付けた芸術振りの、不親切なだけの作品になってしまった。
「光」「あん」が好きだから贔屓目に観てたし、製作まで脚本やその他に時間かけずに撮ったというんで、ハードルだって下げに下げて観てみたが退屈だし鼻につくし、つまらなかった。
そして、観てる途中から「私は分かった」「この作品の良さが分からないのかい?」的な顔してレビューする人々の事が頭に浮かび、うんざりした
がっかり
ただの薄っぺらいスピリチュアル映画やん。
思わせぶりな雰囲気を漂わせながら、これがオチ??
・・・としか思えなかった。
なんとなく深い映画のように思わせて、ちっとも深くない。
「痛み」とか「愛」とか「進化」とか言葉で言われてもねー。
リアルに伝わってくるものがない。
終始、絵空事の世界で終わっている。しまいにゃ、意味不明なダンスでお茶を濁しとるし。
「あん」「殯の森」が良かっただけに、期待外れでした。
映像は綺麗です。今時珍しくはないけど。
合わなかった
フランス人とか金髪の若者とか使う意味がさっぱりわからない
劇中、突如ぶっこまれる「好きと愛の違いってなんだろう?」に失笑
わかる人にはわかるんだろう、人の共感能力はすごい
森は綺麗だったね
LDH picture ついに河瀬監督すらも…
内容は他者が述べているので、あくまで私見ですが。どう考えても納得できる世界観でも展開でもない。と思います。
イメージが先行して作品を作る作家は映画のみならず、どんなジャンルもあるのですが、イメージだけで物事を述べたり演出すると、物語(つまりエンタメ性)から破綻する。だから破綻しないように、イメージたちをつなぎ合わせる必要が生じてくる。起承転結、序破急、3幕構成…イロイロありますが、映画というのはエンタメの側面も合わせています。
この映画は?監督はどちらにふるのか?過去のライブラリから見て、多少の生合成よりもイメージ優先して成功して来た河瀬監督作品、今回もジュリエットビノシュや永瀬さんなどの一流俳優が出演しているし、もはや何もいらない気がするのだが。なぜ?LDH??お金を出してくれたのかもしれないし、もしかしたら監督が凄いLDHと仲が良いのかもしれないですし、その辺りは全くわからないし興味ないですが、僕の感想としては今までの河瀬監督作品とは全く一線を博した駄作になってしまっている。それは多分ほかのLDH作品を見たらわかるように、あくまでLDHは彼らのCM的側面があります。きっと世界的な監督の作品にLDH岩ちゃんが出ることで「はくがつく」と言うような浅薄極まりない発想が透けて見えます。河瀬監督にはそういう側面に触れずに、奈良で凄くちっさな世界で映画を撮っていて欲しかった。
見て聞いて触って感じたことがすべて
河瀨直美監督は本作品と同じ永瀬正敏主演の映画「光」で高評価を得ている。当方も映画館で鑑賞し、高く評価した。
「光」も一筋縄ではいかない作品で、水崎綾女が音声ガイドに挑戦する映画の藤竜也の演技を中心とした幻想的な映像をどう解釈するのか、非常に難解であったが、本作品は幻想的な映像ばかりが最初から最後まで続くような、抽象的で分かりにくい映画である。
舞台は日本の山の中だ。森の映像と音が相当の迫力で表現される。それは時間と空間の表現であり、世界であり宇宙でありそして生命である。産み出して、そして再生する。壊すことは産み出すことと同義なのだ。同じことを繰り返しているようで、少しずつ変わっている。変化の速さは人間の進化と同じくらいゆっくりだ。
永瀬正敏が演じる智は山を守っている。守るというのがどういう基準なのか、人間の独善ではないのか、そのあたりははっきりとは明らかにされないが、神社らしきところで柏手を打ってお参りする場面からすると、智は神の遣いではなさそうだ。
夏木マリのアキは千年前に生まれたと自称する盲目の老女で、映画の中ではシャーマンみたいな存在だ。見えない目で自然を見極め、予言めいた台詞を吐く。
ジュリエット・ビノシュが演じるジャンヌが探しているVISIONとはどういうものなのか。それは人を癒す力を持つという。薬草かもしれないという淡い期待は現実の森で消え失せるが、違う形で彼女の視界に訪れる。
森山未來の岳が無言で踊るのは、そのシーンがジャンヌが見ているVISIONだからだと思う。ジャンヌは山火事を見る。森の中の自分自身を見る。山火事は山を壊すものであり、従って山を産み出すものである。
ジャンヌはフランスで何かを失った。それは多分、素数に関わりのある何かだ。田中泯の誤射は彼女の喪失の象徴かもしれない。それを失ったことで欠けてしまった心の一部を修復するために、ジャンヌは日本の山の中にやって来た。彼女の心は再生できたのだろうか。
姿を消したはずのアキが森の中で踊る。踊りはエネルギーであり生命である。森と同化して山の生命力に包まれて生きる。如何にも幸福そうなアキの表情が作品に救いを齎している。見て聞いて触って感じたことがすべてなのだ。
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