「まじめ男のひとり宗教」馬を放つ ピラルクさんの映画レビュー(感想・評価)
まじめ男のひとり宗教
「ひとり宗教」とでも呼べばいいのだろうか。男は家庭、仕事、社会など生活全般において堅実で篤実で直実で、つまりは超まじめなのである。その反動というわけでもないが男には一点、留置所に放り込まれるにいたるある行為に囚われていた。強い観念の虜となり、男は理性的に自分を制御できる余地をある一面においては持っていなかった。
『なぜそんなことをするのか?』
行為と生活がまず描かれるから、観ている者は理由を探す。こんなまじめな男なのだから、行為は解せなくとも、そこにはまじめな理由があるはずだ。
確かにあった。まじめすぎて誰も理解してくれない理由が。
その理由を述べるシーンが素晴らしい。監督自身の演技だから、言うなれば先生のお手本、さすがである。理由中身の説得力はいま一つでも、人ひとりの全身全霊による切実な訴えがいかに心揺さぶるか。
行為が取り返しつかないほど破壊的なものでなかったことや、縁者の助けもあり、男に対する裁きは情状酌量的措置ですむ。しかし生活を失った男には「ひとり宗教」に走るだけしか道は残されていなかった。男からしてみれば信念不在の宗教など児戯に等しいのだろう。
結論として。
強い主張を持たないストーリーだけに、感想は観る側の思索に委ねられる。その思索の舞台は、風通しよく広々と感じられて自由奔放で透明感あり、なにか翼を得たかのように軽々と高みに飛翔できそうである。ポスターにある放たれた馬と男が両手広げて駈けていくシーンに象徴される開放感の、それである。キルギスの自然と文化がそこにオーバーラップして、護りたいものはなにかを考えさせてくれる。
コメントする