馬を放つのレビュー・感想・評価
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ゆったりしてるようで油断がならない。
キルギスの田舎の景色が印象的な作品だが、決して牧歌的な映画ではなかった。随所随所に、キルギスという国の変貌や、それぞれの人間の限界、過去の歴史や文化的背景などを暗示する表現が散りばめられていて、景色に心奪われていると大切なサインを見逃してしまいかねない。監督が伝えようとしていることは明確なのに、そのための表現が大胆であり、かつさりげないのである。しかし価値観の変化やグローバリゼーションというテーマなどは日本に住んでいるわれわれにも縁遠いわけではなく、辺境映画だと思って観ると思わぬ不意討ちを食らってハッとさせられる。賑やかな映画ではないが知的で刺激的な時間を堪能した。
遊牧民族の伝統文化と資本主義
キルギスは、日本で暮らしているとあまり馴染みのない国で、こういう知らないものを見せてくれる作品はそれだけで貴重だ。
本作は、伝統的なキルギス文化と民主化以降の資本主義的な価値観の台頭と対立を軸にしている。キルギスの伝統がどんなもので、今の社会はどんな方向を向いているのかよくわかる。
遊牧民族の伝統としての馬の大切さと、現在ではそれは資産家ばかりが所有するものであること。主人公の馬を盗むという行為は、資本に縛られた文化を解放だ。
主人公の妻がロシア語しか解さないことや、かつての映画館がイスラム教のモスクになっていることなど、キルギスが辿った近代の歴史の複雑さが何気ない描写にも刻印されている。モンゴル帝国時代にイスラムの影響を受け、ソ連の一部だったころには言語も含めロシア文化に染まった。独立後、再びイスラムの勢力が強くなるなど、そうした文化の塗り替わりの痕が垣間見える。
自分の知見を拡げてくれる貴重な鑑賞体験になった。
なんだか、たまらない気持ちに包まれてやまないキルギス映画
このところグローバル化と共に小さな声や小さな物語はかき消され、世界の様々な国の映画に触れる機会はむしろ遠のいたように思える。だが、そこに来て本作のようなユニークなキルギス映画に触れると、心の中のあまり起動したことのない感性が刺激され、たまらない気持ちに包まれた。
大自然広がる田舎町。貧富の差も大きく、人々は昔ながらの文化や価値観を忘れかけている。そんな中、本作では冒頭から「馬を放つ人物(馬泥棒)」が明かされており、物語の進展に合わせてその男と行為を徐々につなげて、背景にある理由や考え方を明らかにしていく流れを採る。シンプルかつ大らかなストーリーながら、そこに歴史の流れと彼らの暮らし、その縦軸と横軸がしっかりと描かれ、不思議と観る者の心を打つ。その視座が普遍性に触れる。
主人公の男も良いが、その凛とした妻と無垢な息子がとても良い。久々に映画で、世界の果てまでどっぷりと旅できた気がした。
上映時間90分のキルギス旅行映画!
中央アジアの美しい国。かつてのシルクロードの経由地。ソビエト連邦の解体と共に独立したまだ若い共和国。キルギスについて、そんなことしか知らないであろう多くの日本人の目に、雪を頂いた天山山脈から続く緑の森を、強引に切り開いたのであろう灰色の高速道路と、道路の脇に並ぶ移動式住居ゲルとの不釣り合いが、まず奇妙に映るはず。だがやがて、それがキルギスの現実の一端を物語る風景であることが徐々に分かっていく。主人公の"ケンタウロス"は時の流れに伴い押し寄せてきた資本主義の影で、かつて遊牧民として馬と共存し暮らした同胞たちが、本来の誇りを忘れ去っていくことを心から憂えているのだ。これは、映画を介して見知らぬ国の文化と現実に触れ、そこから日本と日本人の今とを見比べることが出来る、上映時間90分の旅映画。"帰国後"の余韻はけっこう後を引く。
人生万事塞翁が馬 と 考えられないか?
キルギスで2020年に暴動があった事を鑑みるべきだ。そして、この映画は、その直前の現在の大統領(政権)が誕生した年の映画である。
さて、その暴動がどういったものであるかを熟知するべだと思う。
兎も角、キルギス国内の全民族を一つのアイデンティティで果たしてくくれるのだろうか?大半がキルギス人であるが、ロシア人までこの地には入植している。
つまり、全てが遊牧民の子孫ではないと言うことだ。
そもそも、昔からシルクロードの街道沿いなのだから、アイデンティティも一つではないのは言うまでもない。
製作者側に日本も連ねている。そして、キルギスは日本とは親しい。それだけに日本でこの映画を鑑賞した時にどう解釈して良いか分からない。
語られる問題は個人的問題で、民族的アイデンティティの問題ではない。
【”馬は人間の翼である”キルギスの遊牧民文化に誇りを持つ男が、キルギス文化の衰退、人間の悪性化に対し、身体を張って示した行動を描いた寓話的な作品。】
■キルギスのとある村に住む、ケンタウロスと呼ばれている物静かな男。
彼はキルギスに古くから伝わる”人間と神とが友として生きていた”という伝説を信じ、夜な夜な馬を盗んでは野に放つことを繰り返していた。
村では競走馬を奪われたカラバイを中心に、馬泥棒を捕まえるために罠が仕掛けられるのだが…。
◆感想
ー 冒頭と、ラストのケンタウロスが、星空の下、両手を掲げて“解き放った馬”に嬉しそうに乗っているシーンが、印象的である。その姿からは、馬と人間の深い関係性が見えてくるようである。-
・ケンタウロスは聾の女性マリパと幼き息子を愛しながら、生きている。幸せそうである。
・だが、彼やキルギスを取り巻く環境は、文明化という名のもとに人心を揺さぶる。
ケンタウロスが、良く発行酒マクシムを飲むシャラパットと、仲良さそうに話す姿を見た隣の店の中年女はわざわざ、マリパの元に”あんたの旦那は浮気している”と言いに行く姿や、馬を競走馬として扱うケンタウロスの親戚カラバイ。
・女の言う事を信じてしまった、マリパは幼き息子と手紙を残して、家を出る。その手紙を読んで涙するケンタウロス。
ー 女の根拠のない告げ口により、彼の家は崩壊してしまったのだ。ー
・更に、伝道師たちはキルギスの伝統を無視した教えを触れ回っている・・。
ー キルギスは、多宗教の国である。だが、ケンタウロスが信じていたのは、キルギスの騎馬戦士達の守護神、カムバルアダを深く信仰しており、聾の息子にもその思いを熱く語っている。-
<そんな、変貌するキルギスの姿を肌で感じた、ケンタウロスは馬泥棒の罪で村から放逐されるが、隙を見て馬たちを野に放つ。
そして、逃げるケンタウロスは銃弾に斃れるが、シーンは時を同じくして彼の息子が橋の上で転ぶが息子は、”お父さん!”と叫ぶ。
ケンタウロスの魂が、息子に乗り移った瞬間である。
それはまた、キルギス独自の文化が父から子に継承された事も、暗喩しているのである。>
人騒がせなおっさんの話。 あまりに浮世離れしすぎた題材に共感できな...
人騒がせなおっさんの話。
あまりに浮世離れしすぎた題材に共感できなかった。崇高で精神性が高いおっさんかと思えば思わせ振りに浮気紛いの行いをしたり理解ができませんね。
ケンタウロスを放つ
見渡す限りの空、見えなくなるまで続く草原、
そんな雄大な自然の中で暮らすキルギスのひとたちにも、
分断の波がゆっくりと迫ってきている。
ひとがいると、トラブルは起きる。
そんな中、ひととひとの絆を取り戻そうとする主人公。
その方法は馬を解放すること。
かつてケンタウロスと呼ばれた自分たちの民族を解放するために、自分たちの翼である馬を解放する。
馬と一体になり疾走するケンタウロス
インド北方にある旧ソ連のキルギス。モンゴルとの違いが曖昧なほどアジアな国だ。
馬と一体になり疾走する現代の「ケンタウロス」が、変わりゆく世界に警鐘を鳴らす。
映像美も特筆すべき作品だ。
馬を放っても
自分は放たれない。
妻と子どもに誠実に対する男だが、元々は映写技師だった。
妻は手話とロシア語しかわからない聾唖の女性。彼女と映画の話はするのだろうか?
みんな、伝統的な生き方から離れてしまった。そこでは根付いていない宗教が新たな伝統?の座に収まろうとしている。
馬を放つことは男のギリギリの自己表現に思えるが、放たれない彼自身こそ今の馬かな?
ノスタルジーか?アイデンティティか?
アイデンティティをひたすら追い求める男。時代の流れに棹差す男。単なるノスタルジー?
どのエリアでも、どの時代にもあったし、あり続ける事象。
映画を見ながら、ずっと自分自身に問い続けてしまう。
まじめ男のひとり宗教
「ひとり宗教」とでも呼べばいいのだろうか。男は家庭、仕事、社会など生活全般において堅実で篤実で直実で、つまりは超まじめなのである。その反動というわけでもないが男には一点、留置所に放り込まれるにいたるある行為に囚われていた。強い観念の虜となり、男は理性的に自分を制御できる余地をある一面においては持っていなかった。
『なぜそんなことをするのか?』
行為と生活がまず描かれるから、観ている者は理由を探す。こんなまじめな男なのだから、行為は解せなくとも、そこにはまじめな理由があるはずだ。
確かにあった。まじめすぎて誰も理解してくれない理由が。
その理由を述べるシーンが素晴らしい。監督自身の演技だから、言うなれば先生のお手本、さすがである。理由中身の説得力はいま一つでも、人ひとりの全身全霊による切実な訴えがいかに心揺さぶるか。
行為が取り返しつかないほど破壊的なものでなかったことや、縁者の助けもあり、男に対する裁きは情状酌量的措置ですむ。しかし生活を失った男には「ひとり宗教」に走るだけしか道は残されていなかった。男からしてみれば信念不在の宗教など児戯に等しいのだろう。
結論として。
強い主張を持たないストーリーだけに、感想は観る側の思索に委ねられる。その思索の舞台は、風通しよく広々と感じられて自由奔放で透明感あり、なにか翼を得たかのように軽々と高みに飛翔できそうである。ポスターにある放たれた馬と男が両手広げて駈けていくシーンに象徴される開放感の、それである。キルギスの自然と文化がそこにオーバーラップして、護りたいものはなにかを考えさせてくれる。
前半ぼーっと集中してなくて寝そうでしたが後半に話が進んでバチーッと...
前半ぼーっと集中してなくて寝そうでしたが後半に話が進んでバチーッと目が覚めました!
キルギスに興味があったので生活感や服装や景色も興味深かったです。乾燥した大地やけどきれいな風景でした。日本の空気感と似たようなものをどこかに感じました。全然似てないんですが。
不思議な感じのストーリーでした。背景とか意味合いとか深いところを理解できていない気がします。キルギスの文化や考え方に馴染みがないからかな。なんと表現していいのかよくわからない。
最後はせつない。せつないという言葉では全然ぴったりこないけど。何回も最後のあたりを思い返してしまいます。
あとお子ちゃまがかわいかった。
馬は かつては人間の翼だった
キルギスの小さな村で起きた馬泥棒
一体、誰が何のために馬を盗んだのか
キルギスと言われて、なんとなく「あの辺」ということはわかっても、どういう国民性なのかイマイチ分からなかった
けれど、この映画を観るだけで、キルギスの祖先は騎馬民族で
宗教はイスラム教とロシア正教で…というのが分かってくる
そして、人間が豊かになると共に
生活の変化の波がこの町にもやってきて、
人々は自然を敬う気持ちを次第に忘れていってしまう
そのことを嘆く主人公は思い切った行動に出る
騎馬民族の失われつつある伝統と誇りを描いたこの作品
自然への尊敬の気持ちや、自然と共存する生活を失ってしまったのはキルギスだけではない
恐らく、どの国にも起きている問題として観ることができる
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