「ウェイ・ダージョンの恋愛時代」52Hzのラヴソング よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
ウェイ・ダージョンの恋愛時代
ウェイ・ダージョン監督のこれまでの作品は台湾の歴史を題材としたものが並ぶ。
この流れを期待していた観客にとって、今回の作品はまったくの肩透かしとなる。この作品は現代の恋愛劇、それもミュージカル映画である。
しかし、これまでの作品でナショナリズムや民族問題の中で流転する人々の心と運命を描いたのと同様に、この作品では、恋愛という価値観に翻弄される人々を描く。
映画で表明されているのは、恋愛こそが人生を豊かにし、その夢を信じない者には幸せが訪れることはないという、現代社会のイデオロギーである。あらゆる価値観の中で恋愛こそが例外的な優位にあるということが描き出されている。
例えば、レズビアンのカップルに、役所の合同結婚式に同性愛者が参加する資格はないと伝えた職員が、恋人の有無について訊かれた瞬間に逆に差別される弱者となる。今や、同性愛者であることを理由に公的なサービスを受けられないことよりも、恋人を持っていないことのほうが、他人が触れにくいナーバスな問題なのである。
恋人を持たないことが、社会的弱者とされる価値観はもちろん台湾特有のものではない。しかし、登場人物の年齢が、舞台が現代の台湾であるからには非常に重要な意味を持つ。
映画の終盤、レストランで向かい合う花屋の女性と菓子屋の男性が互いの年齢を確認し合うのは、単に恋愛の重要な条件となることを示しているだけではない。女性が33歳、男性が31歳というのが現在の年齢ならば、彼らが生まれたのは台湾の戒厳令が解除された頃になる。
つまり、彼らは戒厳令下の台湾を知らない世代なのだ。この国民党独裁の時代を知らずに大人になった彼らには、自らのアイデンティティを問う民族や政治の問題は遠い世界の話で、恋愛こそがもっぱら自分が何者であるかを規定する。
どこにでもありそうな恋の話を、歌にのせて語るという、この冗長な娯楽作品にも、ウェイ・ダージョンの醒めた歴史観を垣間見ることができる。