希望のかなたのレビュー・感想・評価
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気になってた『枯れ葉』を見逃して悔やんでるタイミングで、u-nex...
気になってた『枯れ葉』を見逃して悔やんでるタイミングで、u-nextに大量のカウリスマキ作品が入荷されてたので公開期限の迫ってるこの作品から観ることに、初のカウリスマキ
移民問題は大きな問題なんだろうと思う
でもあくまで淡々と、派手な演出も大きな展開もなく見せることで、正直あまり自分とは無縁なコトだと思っている移民問題も、普段の自分の生活に置き換えて考えることができた、って言うと少し大袈裟過ぎる気もするけど、、、
スーパーヒーローも聖人君子も出てこない
人間には長所も短所もあるし、頑張って真面目に生きてても理不尽なことだらけだし小突かれることだってある。
なんなら苦しいことの方が多いような気さえするんだけど、それでも日常の中で人の優しさに触れてほっとしたり、クスっと笑ってしまうようなことがあって、そういう部分をピックアップして生きてる、生きていくしかないんやなとそんな風に思う作品だった。
そういえば報われない内容の映画を観た時や絶望的なラストをむかえる映画を観た時も、その中に何か希望や光を見つけて納得してる自分がいる。
それに似てるような気もするな。
犬は結局捨てなかった
フィンランドがとうとうNATOに加入してしまったことが、残念で仕方ない。でも、仕方ないね。
この映画はそれを予感しているね。
イデオロギーのいっぱい詰まったジム・ジャームッシュ(ナイト・オン・ザプラネット♥パーマネント・バケーション♥)みたいであり、ロイ・アンダーソン(ホモ・サピエンスの涙♥)も見え隠れする。
それでいて、目一杯日本をディスる。(かもめ食堂かなぁ)♥
涙で終わらせない力強さが感じられる。相変わらず、悪者はいないけど、笑い事は目一杯する。そして、狡猾に生きる♥
難民問題
フィンランドといえばサンタさんの国なので温かい国民性と思っていたが欧州評議会によれば反移民感情を示す国民も少なからずおり人種差別も問題と指摘されているらしい。アキ・カウリスマキ監督もフィンランドの移民政策は恥ずべきことと公言しており問題提起としての本作を製作したのでしょう。
ただ監督の持ち味でもあるのですが説明的な表現は嫌うので人物の動機的背景などが分かりづらくビクストロムがどうしてああまでカリードに尽力するのか、善人にしては品行方正というわけでもないし・・、元は服のセールスマンという職業から推察すると彼はユダヤ系だったのかもしれませんね。(Wikiによるとたフィンランドのユダヤ人は主に服売りとなって成功したとあった)
監督は親日派ですからわさびがあんな盛り方をする訳はないと知っていてのギャグ、ただ、コメディセンスは微妙ですね。おそらく監督は劇伴の注文には仕方なく感情表現を用いたのでしょう映像とのちぐはぐさが際立ち、本当はそういうシーンだったのかと副音声解説のように思えます。作家性とはいえ面倒な監督です。難民映画では「グッド・ライ いちばん優しい嘘」の方がハートウォームで好みですが使命感に駆られて作っているのでこういう顛末になったのでしょう。
人間の美醜両面を見つめながら
カウリスマキ作品はいつ観ても安定の癒しを得られたのだが、本作は少しばかり薄暗い要素が増えたように感じた。
石炭の山から姿を表す主人公カリードの登場場面や、わさびの使い方を一体どこで学んだんだと吹き出してしまった寿司店への方向転換など、随所にいつものユーモアは感じられた。
だが、最先端の教育制度などで知られるフィンランドにあっても、人種間の諍いや偏見は避けられない問題になっているのだということをまざまざと見せつけられるエピソードの数々に、監督自身が笑うに笑えない状況なんだよ、という秋波を感じた。
それでも人間は基本的に善であると一縷の望みを託したであろう、脇を固める人物たちの無償の優しさは、カウリスマキ作品の根っこに常に根ざしている。
難民収容施設で親しくなったイスラエル人の友人は、いつか裏切るんじゃないかと思いながらハラハラしていたのだが、それこそ自分の偏見を最後に思い知らされて恥じ入った。
絶望的な状況にトドメを刺されたように見えるラストシーンでも、カリードの目は希望に満ちたかなたを見つめていた。彼にとって、そして、祖国を追われ、今も悲惨な生活を余儀なくされている人々にとって、希望とは何か考えさせられる作品だった。
難民は他人事ではない
シリアからの難民問題は、すごくタイムリーな話題だ。それなのに、今まで日本でのほほんと暮らしてきた自分は、彼らの苦難をどこか他人事として話題にしてきたところがある。言い訳をするなら、日本ではあまりに難民の情報が少ないことを挙げさせてもらう。でも、ネットで調べればいくらでもわかることを、どうして調べようとしなかったのだろう。なんだか、今まで何も知らずに難民問題を語っていた自分が恥ずかしくなった。
映画全体がとても静かで、古い邦画を思わせる。登場人物もみんな表情があまり変化せず、じんわりとした雰囲気を楽しむことができた。
結末がわからないまま放り出されたような終わり方なのは、難民たちの運命が現在進行形で放り出されたままであることを暗示しているかのようだと思った。
あれで終わり?えー?悲しいやんかー。
アキ・カウリスマキを、ずっとアキ・カリウスマキだと思っていました。「過去のない男」は見たことあったはず?と思ってましたが、記憶にも記録にもないので多分カウリスマキは初めて見ました。
「ル・アーヴルの靴みがき」は見たいと思いつつ見れてないです。
語り口はコントのような感じなんだなーという印象。
対象との距離が保たれたドライでシュールな人物描写です。
カーリドの珍道中はおかしさと切なさがないまぜです。
カーリド自身の希望を見つける話ではないんですね。
妹を助けたいという希望を叶えた話です。
しかも妹をエジプト人に偽装してフィンランドで暮らさせることは拒まれ、妹は名を捨てずに亡命申請を選ぶんです(つまりカーリドと同じく認められないことが明白)。でもそれが彼女の望みならばということで、カーリドは妹を見送る。
そしたら全編を通してチラチラ出てきてたネオナチにぼこられてカーリド重症。なのに川辺で初めての満面の笑みを見せて終わっちゃうんです。
え?え?カーリド可哀想すぎやん?やだ死ぬの?やだよー!!
そんな気持ちで叫びそうでした。
シュールなユーモアでほっこりほっこりで終わるんだと思ったら、客観的に見ると悲劇で終わる。
でも本人は満足気。
外野の私が彼の選択についてとやかくいう筋合いはないけどさあ。カーリド…自分の幸せも探してよ。さみしいやんかぁ。
ということで、悲しいまま突き放されてしまってわたしショックよ、という感想です。
かっこよかったー
平和な日本で生きていてもいろんな矛盾や不条理にぶちあたります。
まして戦争なんて、なんの落ち度もなくても突然いろんなものを奪われ、考えるひまもなく、生きるために、行き先のない苛立ちをぶつけることもできず、現実をただただ受け入れる。
もしも妹も死んじゃってたらカーリドはあんなに強く生きていたんだろうか。
人が誰かのために懸命に生きようとする姿は心を熱くしてくれますね。
見ててすごく強さをもらった。
カーリドが窓ガラス割って強制送還から逃げて一気に世界が変わりました。画面が生き生きと明るく突っ走るような疾走感に包まれて。
そこからボスに出会いちょっとズレてる人が集まったレストランだったけど、収容所で知り合った友達も含めみんなまっすぐな心で、カーリドを助ける以外の選択肢を思いついてないところが最高。
いい奴らでうれしかったです。
法律や規則を破ってでも助けるべきという判断をした仲間たちはほんとにかっこいいです。
あんな風に年を取りたいです。
自分の心でいろんなことを感じながら選び人生を歩きたい。
ああいう心はいつまでも忘れたくないです。
音楽の使い方や趣味、美術も好みです。
ゆるさやシュールなジョークもすてき。
アキさんは昔々に何本か観たけどこれが一番好きです。
めっちゃめちゃかっこいい映画です。
名作です。
人の為に生きて初めて人は人となる
第67回ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞作。
日本でもフィンランド人映画監督、アキ カウリスマキのファンは多くは無いが、確実に居る。彼は今年で60歳。何度ハリウッドに招へいされても、鼻で笑って動ぜず、ヘルシンキで、頑なに自分の映画を製作している。英国のケン ローチと共通しているのは、社会の底辺に生きる労働者、失業者など、市井の人々に照明を当て、それらが現実社会で踏みにじられる姿を映しとりながらも、そのような人々の中にある本当の良心と強さを描き出して見せるところ。彼の作品には、一人として美男次女が出てこない。愛も恋も露出もない。泣いたりわめいたりするオーバーアクションや、いたずらに銃撃戦や効果音で恐怖感をあおったり興奮させられることもない。市井の人々が、黙々と働き、言葉数は少ないが、見つめ合い、理解し合う。その深さはとめどもなく深淵だ。
アキ カウリスマキの映画「ル アーブルの靴磨き」は、何年も前に観た映画なのに、一コマ一コマを思い出すことができる。何て良い映画だったろう。あれから何百本もの映画を観て今日に至っているが、この映画ほど見た後、熱いもので胸が満たされ、人の幸せをひざまずいて祈りたくなるような気持ちになった映画は、他に無かった。人の良心というものが、どれほどこの社会に無くてはならないものか。わかる者だけが良心に従い、わかるものだけ同士で小さな幸せを分かち合う。それはそれを圧倒的多数の人々や一般社会や社会機構の「良識」をはるかに超えたところにある。ほとんどの人には忘れられた本当の良心のありかを、アキ カウリスマキの助けを借りて、見つけられた人々は、わたしは幸せだと思う。
ストーリーは
ヘルシンキ。
港にトルコから石炭を積んできた貨物船が着く。
石炭のコンテナの中にかくれて全身を石炭のすすでまみれた男が埋まっている。この男カーリドは、シリアのアレポから爆撃で家族親族のすべてを失い、たった一人生き残った妹を連れて脱出してきた。トルコ、スロベニア、ハンガリーと難民としてドイツに向かう途中、ハンガリアでネオナチに襲われて暴力をふるわれているうち、妹と生き別れになってしまった。それ以降カーリドは、必死で妹を探して各国の難民キャンプや、難民の流れつく土地を探して回っている。トルコの港で再び、ギャングに襲われ逃げ込んだところが石炭のコンテナだった。石炭の行先がヘルシンキだったと知ったのは、コンテナを乗せた貨物船が到着した時だった。
カーリドは妹を自分一人で探し出すことは無理だと知って、ヘルシンキの警察に出頭して難民申請をする。申請をして難民審査を受ける間、フィンランド政府は妹を探し出してくれるかもしれない。難民収容所で、カーリドは、アフガニスタンから来た難民の友達ができた。彼はパスポートや最小限の荷物を持って国を出ることができたカーリドと違って、自分の身分を証明できる書類をもたずに国を追われたために、難民審査に時間がかかり、すでに何か月も収容所に居てフィンランド語も少し話すことができた。早く社会に出て仕事をしたいという彼はアフガニスタンでは看護師だった。カーリドは彼の持つ携帯電話を使って、アレポに残っている友人に妹の消息を聞くことができるようになった。
収容所で審査結果が出る。「シリアのアレポは、危険な戦場とは言えない。無宗教のカーリドに命の危険はなく、帰国して生活することができるので、難民とは認められない。」という予想はしていたが、冷酷なものだった。結果が出た以上、彼は難民ではなく不法移民扱いとなり、即座に強制帰国となる。朝早く警察が迎えに来る。
カールドは、何が何でも妹を見つけ出さなければならない。すべての家族が殺され、家長として妹を見つけ出し保護してやらなければならない。それができなければ、自分だけ生きていても仕方がない。彼は夢中で難民収容所から脱走する。ネオナチの襲撃から逃れ、警察から逃げ回り、そして、レストランの駐車場で、そのオーナーのヴィクストロムに出会って助けられる。
ヴィクストロムは、長い事ワイシャツのセールスマンをしてきて疲れきり、アルコール中毒寸前の妻との愛情も薄れ、妻と別れて家を出た。全財産を現金に換えて、高級秘密クラブのカジノに向かう。生きていてもツマラナイ。自分の人生など博打のようなものだった。とことんまで落ちて行ってみよう。
ところが捨身の彼はポーカーで運を掴み、たった一晩で全財産の数倍の現金を手に入れる。人生、棄てた物じゃないと言うことか。その足でビジネスアドバイザーに会い、勧めに従って売りに出ているレストランを買い取った。
レストランには、全然やる気のないコックと、ウェイトレスとドアマンが居た。前オーナーから給料未払いの災難に遭っていた3人の従業員は、そのままレストランに勤め続ける。慣れないレストラン経営をやってみてヴィクストロムは、余り収益が上がらないので、流行の寿司レストランに模様替えしてみるが、客が入らず、またミートボールを出すレストランとして営業を続行。彼は、駐車場で見つけたカールドを新たに雇用して、贋の労働許可証を偽造してやり、彼に寝食できる場を提供する。カールドは、エジプト人となり、名前を変えて、献身的にレストランで働きながら、妹を探す。
そんなある日、カールドは難民収容所で仲良くなった友達から、妹の居場所が分かったことを知らされる。妹はリトアニアの難民収容所に居る。一刻も早くそこから妹を助け出さなければ、二度と妹と会えなくなる。ヴィクストロムは、長距離運送トラックを雇って妹を収容所から探し出して、ヘルシンキまで’連れて帰る手配をする。港で妹を待ち構えるカーリド。遂にヴィクストロムのおかげで、カーリドは妹と再会することができた。これからは兄として妹を守ってヘルシンキで一生懸命妹のために生きて行きたい。
しかし妹は、エジプト人の名前で兄と生きることを望まない。しばらく会えないでいた内に、妹はすっかり自分の考えをもつ大人になっていた。彼女はシリア人として本当の自分の名前で、誇りをもって生きて行くと言い張る。その妹は明日、警察に出頭して難民申請をするという。おそらく兄同然、難民審査で難民認定は受けられないだろう。再びシリアに強制送還されて死んでいくのか。しかし、兄は妹の考えを変えることはできない。
その夜、カーリドは再びネオナチに襲われてナイフを腹に受け、深い傷を負う。
ヴィクストロムは、この夜、小さな店をやっていた元妻を訪ねる。妻は、「あなたが出て行った日から一滴もお酒を飲んでいないの。」という。その元妻にむかって彼は、「レストランの女マネージャーを探しているんだ。」と。二人は微笑み合う。
翌朝、ヴィクトロムはカーリドの部屋が、すっかり片付いているのを発見する。残された血痕。何があったのか。当のカーリドは、警察署の横で妹を待っていて、出頭する妹を抱きしめて、送り出す。港の見える公園。横になったカールドに、すっかり慣れた捨て犬が会いに来る。犬を抱きしめる、笑顔のカーリド。
というおはなし。
死んでいくカーリドには犬がそばにいてくれる。彼は妹のためにやるだけのことはやり、そして妹がもう自分のことを必要としていない、すっかり大人になったことを知って、満足して死んで行ける。
ヴィクストロムは、と言えば、昔の女房と再び何とかやっていけるだろう。無償の援助を、カーリドにし続けた彼の驚異的な親切心と、良心と、市民社会の一員としてのヒューマンな良識。援助を必要とする難民を保護しない冷酷な社会と、難民を襲うネオナチの不理屈。生きた人をシンナーをかけて火をつけ、ホットドッグといって面白がって殺すことができるネオナチという先進国にはびこる者たち。
それでも、それでも市井の人々が、名もなき市民が、金も権力も持たないごく普通の人々が、自分のできる範囲で困っている難民に当然のこととして手を差し伸べる社会のありように、アキ カウリスマキ監督は希望をつなげようとしている。
映画の中で、カールドは一度として笑わない。避難民としてどれだけの苦難を負って来たかが想像できる。彼は自分はどうでも良い。彼の使命は妹を探し出し自分の保護のもとに置くことだけだ。その日が来るまで、彼はヴィクストロムに拾われて、労働許可証が出て安心して寝食できるようになっても、友人とビールを飲んでも、好きな音楽を聴くことができても、決して笑顔をみせず一貫して無表情だ。
その彼が一度だけ笑顔を見せる。最後の最後、死んでいく自分に可愛がっていた犬が会いに来てくれた時だ。そのことが泣かせる。
妹も笑わない。兄という保護者を失い、少女ひとりリトアニアに避難民としてたどり着くまで、何があったか、どんな酷いことが続いたか、想像を超える。ヴィクストロムの援助で、やっと念願の兄に遭えたが彼女は笑わない。二人は堅く抱き合うだけだ。わたしたちは笑顔を忘れた難民たちの姿をみて、いかにシリアからヨーロッパに逃れた難民が厳しい旅路を経験したかを、考えてみることができるだけだ。
戦禍を逃れてヨーロッパに流入する難民の立場は、受け入れ各国が厳しさを増す中、状況が困難になるばかりだ。2011年、この監督の作品「ル アーブルの靴磨き」は、ベトナム移民のチャンとともに靴磨きでその日その日を、カツカツの生活を送るマルセルは、ガボンから密航してきた少年のために、大金を作ってロンドンに居る母親のところまで見送ってやることができた。しかし、今回の2017年作の映画では、シリアからの難民カーリドの命を助けてやることができなかった。
しかし、ヴィクストロムは、人間としての良心をもって、これからも難民や困っている人々、無力な人々の力になるだろう。それが人間というものだ。
人の為に生き、初めて人は人となる。(トルストイ)
アキ カウリスマキの映画には、どんな状況にあっても人は人の良心のために勇気を奮い立たせることができる、そんなことを教えてくれる。
ダークチョコレートチップな後味
フィンランドに亡命した難民達とその後の話。紛争に巻き込まれ逸れてしまった妹に会う事だけを糧として新しい生活を始める主人公。シリアスなメインテーマながらユーモラスなシーンが多いので、会場全体からクスクスと何度も笑い声が聞こえてきた。にも関わらず、あらゆる絃楽器を効果的に使って移民難民の酷な現状も同時に訴えかけてくるバランスとテンポの良さには圧巻の1時間半だった。静かに畳み掛けてくる。
希望の別の側面
シリア内戦から逃れてフィンランドにやって来たカーリド(シェルワン・ハジ)。
難民申請をするが受け入れられるかどうか。
内戦で唯一生き残った妹も道中ではぐれてしまった。
一方、フィンランド人中年男のヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)は妻と別れ、衣料品店もたたみ、あまり流行っていないレストランのオーナーに落ち着いた。
そんな接点などなさそうな二人だったが、強制送還から逃げ出し、行き場を失ったカーリドが一晩求めた寝床は、ヴィクストロムのレストランのゴミ捨て場だった・・・
という物語で、『ル・アーヴルの靴みがき』につづく「難民三部作」の第二作目だそうな。
ならば、前作との関連が強いかと思うとさにあらずで、前々作『街のあかり』との関連がかなり強いように思えました。
ヴィクストロムのレストランで働くふたりの男性を演じているイルッカ・コイヴラ(カラムニウス役)とヤンネ・フーティアイネン(ニュルヒネン役)、それに収容施設の女性役のマリア・ヤンヴェンヘルミの3人は『街のあかり』の主要人物を演じた役者さんだし(他のカウリスマキ作品には出ていない)、カーリドはフィンランド人ではないシリア人(『街のあかり』の主人公は体制崩壊後の旧ソ連領からやって来た)と共通点があり、さらにレストランに拾われる犬の名前コイスティネンは『街のあかり』の主人公の名前。
それに、映画全体を包むタッチが、いつも以上にシリアス。
まぁ、ヴィクストロムのレストランではズンダラなユーモアもあるにはあるのですが、カーリドがフィンランド解放軍を名乗るネオナチ風の一味に狙われ、暴力により傷つけられたりと、かなり殺伐した印象が強いです。
と、本作はこれまでのアキ・カウリスマキ作品と比べると、どこか印象が違ってみえました。
たしかに、音楽や煙草や犬や日本好き描写など、各々のアイテムは揃っているのですが・・・
また、前半、カーリドとヴィクストロムをそれぞれ別に描いたエピソードのタイミングの悪さは、あれれ、どうしちゃったんだろうといった感じでした。
たしかに、カーリドのエピソードだけを詰め込んでやってしまうと、あまりにシリアスで辟易するのかもしれませんが、ヴィクストロム側のズンダラなユーモア、必要だったのかしらん。
なんだか、サーヴィス精神を出して、ユーモアシーンを入れ込んだんじゃあ、とも思ってしまいました。
さて、ラストシーン、傷ついた主人公に寄り添うのは『街のあかり』では女性だったけれども、本作では別。
もう、ひとは助けてあげられないのだよ、とは思いたくはないのですが、なにせ原題(英語タイトル)は「THE OTHER SIDE OF HOPE(希望の別の側面)」。
希望には別の顔があるんだ、っていうのは、うーむ、やっぱりシリアスすぎるかなぁ。
みんな良い人
アキ監督の描く人は良い人が多くて安心して見られる。この映画も誰一人として悪人はいず、自分の嫌いな暴力シーンは無いが、その中で海外の移民問題が重くのしかかる映画だった。
反動も広がる欧州でのマイノリティへのあたたかい眼差し
大晦日の1本目は渋谷のユーロスペースでかかっているフィンランド映画『#希望のかなた』。中東からの難民受け入れという欧州のコンテンポラリーな問題を、ところどころコミカルなシーンを交えて描いた作品。
静かなカメラワークに、登場人物に必要以上の会話をさせず、むしろモノのアップや人の動作のカットで多くを語るミニマルな感じは、(しばらく観ていないから記憶違いもあるけれど)昔好きだったクシシュトフ・キェシロフスキの映画を思い起こさせた。
そのうえ、音楽も必要以上には流れず、路上や飲食店のバンドなどの生演奏や、ジュークボックス、ラジオから流れる音楽を除くとBGMはない。それゆえ、逆に、ところどころで登場する歌は意味を持つように感じられて、意識が向けられる。
このように基本的に静かな作品の中で、淡々と滑稽なものを畳み掛けてくる中段での演出はとてもシュール。
欧州に広がる極右主義についても触れつつ、草の根の、そしてルールからは外れているにはせよ基本的には善意によってマイノリティへ助けの手を差し伸べる一般市民たちのあたたかさが描かれている。年末に見るのに良い作品。
2017年 通算52本目(目標まで1本)
感想:★★★★☆
すげー良い映画
本当に良い映画でした。本作を形容するときに、「良い」という使われすぎている言葉が何故か一番しっくりくると感じています。ウェルメイドとかではなく、良い。グッドな映画。
自分の店のゴミ出し場に居座っていた外国人のホームレスと殴り合った後、スープを飲ませて、さりげなく「ウチで働かないか?」って、なんて良いんだ!と感動しました。物語の起点になるシーンなので一般的な山場ではないんでしょうが、このシーンにアキ・カウリスマキのあたたかさが凝縮されていると思います。
道徳的に素晴らしいとかそういうことではないんですよ。困っている人に手を差し伸ばすことは、互いに助け合って生き残って来た社会的生物である人類ならば自然とできる行為だと思うので、ヴィクストロムの行いはまぁ自然と言えるでしょう。
しかし、この娑婆世界を生きていると、身を守ったり欲をかいたりするので(それも自然だけど、自分を守る方の自然)、困っている人に手を差し伸べるような、他者への自然な良い行為ってなかなかできないと思います。しかし、ヴィクストロムは当たり前のことのようにシレッと、のっぺりした無表情でそれをやる。良い!人間って良いじゃん!しかも自然!って思ったのです。
この映画は基本的にこのような、本来持っている人間の良さが溢れているので、鑑賞後は守る方の自然さよりも手を差し伸べる方の自然さを大事に生きよう、みたいな所に立ち戻ることができたような気がします。
一方、カーリドが語る生々しい難民の物語はすごくリアル。本当に悲劇で、しょうがないとかとても言えないですよね。情報として見聞きする難民問題では、ひとりの人間の出来事として想像するのは難しいですが、当事者の語りを聞くことで彼の悲しみや怒りを感じることができる。
そして、ヴィクストロムがカーリドに手を伸ばせたのも、こういった生々しい痛みを想像できるからこそなのかもしれません。そこがまた誠実で嘘臭くない。
純粋なハッピーエンドと言えない雰囲気も、なかなかグッときました。やはり妹も強制送還なのか、カーリドは病院で手当てしてもらえるのか…ビターな後味にはカウリスマキの義憤と厳しさを感じます。
映画を観て、世界を変えるのは鑑賞者ひとりひとりの行動にかかっている、と問われているように思いました。
クラッシックなアナログフィルムのぬくもりのある映像も素敵だし、ブルース感強めの音楽も最高。犬も可愛ければカーリドの妹はすごい美人。寿司屋を含めて、間を活かした脱力ギャグもキレがあった。
あたたかいけれど甘やかすようなヌルさは絶無。生のエネルギー大爆発、みたいな派手さはないけど、丁寧で隙のない硬派な名作だったな、との印象です。
カウリスマキ監督は本作を最後に引退する、と宣言しているとのこと。しかし、映画監督とプロレスラーの引退宣言ほど信じられないものはないので、きっとそのうちシレッと、のっぺり無表情で戻って来るでしょう。
という訳で、次回作も期待してます!
力み過ぎのような…
難民問題を取り上げるにあたって、力が入り過ぎたようで、アキ・カウリスマキ特有の軽やかなユーモアや洒脱さが薄れてしまったようだ。掲げたテーマがどれだけ重たくても、それをユーモアで上手く包み、愛でまとめる手法が空回りしたような作品。彼独特の間も、逼迫された青いトーンの映像で、暗さが漂う。それが狙いだったのかもしれないが、鑑賞後に重たさが残る。ケン・ローチ風のアプローチにも似た手法で、このような作品に仕上げたということは、ヨーロッパに於ける難民問題は相当深刻なものだと推測出来る。極右のチンピラに主人公が刺されたシーンが全てを物語るようだ。
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