「哲学的に観る「ハード・コア」」ハード・コア つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
哲学的に観る「ハード・コア」
山田孝之、佐藤健、荒川良々。好きな俳優が3人も出ていたら、そりゃあ観るでしょ!右翼の活動家が山奥で埋蔵金探し、見た目はポンコツな高性能ロボット、と設定もブッ飛んでいて、何が出てくるのか予想もつかないお楽しみ福袋感ある。
実際観ていて、これは愛の物語なのか?成長の物語なのか?SFなのか?サスペンスなのか?果たして自分は同じ映画を観ているのか?期待以上のブッ飛び加減はスリリングで、最後まで楽しめた。
で、考えるのである。「ハード・コア」というタイトルに込められた意味、いや意義を。
まずはフツーに「核心」かな?登場人物がそれぞれ持ち合わせている、譲れないもの。
特に右近は顕著で、欺瞞に満ちた世間に全く合わせられない。左近なんかは薄々感じてはいても、なんとか折り合いを見つけて上手くやろうとしていて、それなりに世間からはみ出ない範囲に収められる。でも右近はムリ。
もう一つ、「ハード・コア」とは「貧困層」でもある。最近流行りの「自己責任論」的には、右近は自業自得だが、牛山なんかはむしろ世間から強制的に「ハード・コア」であることを強いられる存在だ。
二つの「ハード・コア」が絡み合い、世間という不確かで気味の悪いものを拒み、拒まれ、なんとか世界のなかで居場所を掴み取ろうとする。
上手く世渡りしていた左近もまた、その違和感に後押しされるように、脱出への道を進むのだ。
それぞれがそれぞれのやり方で、現在構築されている「世間」というエクリチュールにNO!を突きつけ、各人が持ちうる最良の構成を求める哲学的な話である。
社会幻想としての「家族」を拒んだ右近が、ラストシーンで見せる笑顔が素晴らしい。
原作にはないラストだそうだが、脱構築主義の視点で観るとある意味完成されたラスト。
右近のしがらみをブッ壊す手伝いを、最先端テクノロジー搭載のロボオがしている構図も面白い。
そんなに難しく考えなくても、ブッ飛びSFコメディとしても楽しめる。荒川良々の演技を観ているだけでも充分満足の良作だ。