ハード・コアのレビュー・感想・評価
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今の時代になんて映画をぶつけてきたものか!
古い原作を現代に映画化したことで、ずいぶんと新たな意味合いが生まれたように感じる。極右団体に所属するその日暮らしの若者の鬱屈が社会全体に向けられていることで、右とか左とかに相手を分けて騒いでいる人たちすべてに対して「まがいものめ!」と唾棄しているかのような。もちろん山下監督がそういう政治性を押し出しているわけではないのだが、マイノリティの憂鬱みたいなものに怒りのエネルギーを加えることで、脱力しながら進む映画でありつつ、なにか突き刺さるようなメッセージ性が宿ったように思う。『トゥルー・ロマンス』でトニー・スコットが脚本を変更したラストにも似た、原作とは違うラストの展開には賛否があるだろうが、それもこのキャラクターたちへの愛情がほとばしった故ではなかったか。佐藤健のニヒルな演技もとてもいい。
なんだかやみつきになるこの妙演。クスクス笑いが止まらない
平成の奇書とはよく言ったものだ。そんな原作が平成の終わりにまさかの映画化を迎えるのも宿命と言うべきか。この特殊すぎる味わいを損なうことなく、社会の底辺でこだわりと生きにくさを持って堂々と這いつくばる男たちの相貌を色濃く浮き彫りにする。その点、さすが山下監督。深刻になりすぎず、かといってカルトな方向に行き過ぎることもなく、我々は淡々と積み重ねられていくシュールな展開に終始ニヤニヤ笑いを浮かべながら、この不可思議で切ない男たちとロボットの友情にじっくり心を寄せることができるのだ。本作の中では誰もが一笑に付してしまう嘘のような現実が思いがけない展開を見せる。しかもその背後に隠された逸話や理由についてはほぼ黙殺された(というより知る由も無い)状態。果たして話が前進しているのか後退しているのかわかったものでは無いが、その宙ぶらりんな状況できりもみする山田と荒川の妙演がクセになる。とことん珍味である。
哲学的に観る「ハード・コア」
山田孝之、佐藤健、荒川良々。好きな俳優が3人も出ていたら、そりゃあ観るでしょ!右翼の活動家が山奥で埋蔵金探し、見た目はポンコツな高性能ロボット、と設定もブッ飛んでいて、何が出てくるのか予想もつかないお楽しみ福袋感ある。
実際観ていて、これは愛の物語なのか?成長の物語なのか?SFなのか?サスペンスなのか?果たして自分は同じ映画を観ているのか?期待以上のブッ飛び加減はスリリングで、最後まで楽しめた。
で、考えるのである。「ハード・コア」というタイトルに込められた意味、いや意義を。
まずはフツーに「核心」かな?登場人物がそれぞれ持ち合わせている、譲れないもの。
特に右近は顕著で、欺瞞に満ちた世間に全く合わせられない。左近なんかは薄々感じてはいても、なんとか折り合いを見つけて上手くやろうとしていて、それなりに世間からはみ出ない範囲に収められる。でも右近はムリ。
もう一つ、「ハード・コア」とは「貧困層」でもある。最近流行りの「自己責任論」的には、右近は自業自得だが、牛山なんかはむしろ世間から強制的に「ハード・コア」であることを強いられる存在だ。
二つの「ハード・コア」が絡み合い、世間という不確かで気味の悪いものを拒み、拒まれ、なんとか世界のなかで居場所を掴み取ろうとする。
上手く世渡りしていた左近もまた、その違和感に後押しされるように、脱出への道を進むのだ。
それぞれがそれぞれのやり方で、現在構築されている「世間」というエクリチュールにNO!を突きつけ、各人が持ちうる最良の構成を求める哲学的な話である。
社会幻想としての「家族」を拒んだ右近が、ラストシーンで見せる笑顔が素晴らしい。
原作にはないラストだそうだが、脱構築主義の視点で観るとある意味完成されたラスト。
右近のしがらみをブッ壊す手伝いを、最先端テクノロジー搭載のロボオがしている構図も面白い。
そんなに難しく考えなくても、ブッ飛びSFコメディとしても楽しめる。荒川良々の演技を観ているだけでも充分満足の良作だ。
宙ぶらりんの落伍者たち
コメディに見せかけてかな〜り重苦しい映画。
実直すぎるがゆえに、あるいは不器用すぎるがゆえにどこにも居場所がない右近と牛山を唯一受け入れてくれたのが見るからに怪しい世直し団体だったことや、商社マンの賢い弟が介入してくるまで超高性能ロボットの真価を理解できず穴掘りや女遊びばかりさせていたことなど、持つ者持たざる者の格差をこれでもかと見せつけられる。
何もかもが間違った世界の中で、それでも正しさという神話に縋る右近たちだったが、結局世直し団体には裏切られ、弟には先立たれる。ロボットは社会との接点をいよいよ断たれてしまった二人を抱え上げると、遥か上空で自爆という「最適解」を実行したのだった。
二人の死後、実は生きていた弟が現金を大量に詰め込んだスーツケースを持って帰還するシーンはもどかしい。さながら『ミスト』のラストシーンのようだった。
落伍者たちの哀愁譚に句点を打つように「完」という文字が映し出され、映画は幕を閉じたかに思われるが、なんと右近と牛山はまだ生きていた。牛山はどこかの孤島で未開部族の女との間に子供を授かっており、右近はそれを見て「感動した」と言う。
言わずもがな右近の実直さとはある意味で旧弊的なダンディズムと同義だ。右近は50〜60年代の映画に出てくる真面目なお父さんキャラよろしく、性的に堕落した女を嫌い、自分だけをひたむきに愛してくれる女を暴力的に求め続けた。
このダンディズムというやつは心の弱さと寂しさの裏返しなので「お前はハードボイルドっぽくして誤魔化してるだけ」という弟の指摘はかなり痛いところを突いているのだが、指摘されたところで右近の価値観が変わるはずもない。変われるんだったら彼はそもそも社会から完全に断絶されずに済んだはずだし。
こうして元いた社会からはほど遠い孤島の村でも、彼は男と女が順当に交わって順当に子供を産む「正しい恋愛」に対して「感動」するのだろうなと思う。
未開の地で旧弊的なダンディズムに浸りながら社会との接点を回復する…それこそがロボットの弾き出した「真の最適解」だったのではないかと思うと右近がひたすら哀れに思えてくる。いくら未開の地でやっていけても「日本社会」からは戦力外通告されてしまっているわけだし。
ただ、日本より劣った社会単位として孤島の未開部族を登場させるというのはちょっと安易すぎるんじゃないかなという気もする。思えば女性の描き方もかなり簡略化されていたし、そういう周縁的な要素のディテールがもう少ししっかりしてたら稀代の名作になり得ていたように思う。
ポスターの空気と作品のチグハグ。
このポスターで打出す空気と作品とのチグハグに不誠実が見える。
細々と本気な世直しの異様と絶望を描くに最適の物語と思えぬ。
快作「マイバックページ」の冴えは何処へ?
山下敦弘では下位だが、次も観る。
康すおんの水割り呑みっぷりだけ印象的。
はみ出しもののの友情と再生物語
『家族なんていらねぇ。俺たちは空だって飛べるんだ』
なんてカッコ良いセリフだろう。
家族に見放された世捨て人のような右近と牛山の不思議な友情にロボ男も加わり。。。
ラストはロボ男は壊れたけど新しく家族をつくるなんて素敵じゃないか。
女性陣もクセがあってよい、
何なんだ、この映画…でもクスクス
昔のコミックが原作の実写化ということだか、いったい、何を目的に、何を伝えようとしているのかは、意味不明。B級ではあるが、気がつけばハマってしまう作品。
左翼のパシリとして、埋蔵金堀りにこき使われ、世の中の底辺に這いつくばって生きている右近にとって、世捨て人のような牛山だけが仲間。その2人の前に突然現れた、ブリキのロボット。そして、エリート商社マンの右近の弟・左近が絡み合う人生ドラマ。
ブリキロボットは、とんでもない力を発揮し、空を飛んだり、埋蔵金を探し当てたり…。しまいには、喋りだし、仲間の1人となり、チグハグな友情までもが芽生えていく。いったい何処に向かっているのか、わからないままエンドロール。エッ、これで終わりって、思わずつぶやいた。(笑)
しかしながら、山田孝之、佐藤健、ヨシヨシとなかなかの俳優陣で、山田君とヨシヨシとのなんとも言えないやりとりに、クスクス笑いながら、ハマってしまう。
山田君の趣味で、やりたい放題プロデュースしたとしか思えない作品。(笑)
好きな2人ではある
個人評価:3.4
とっても山下敦弘らしい空気感と作風。この監督と山田孝之なら、正直どんな脚本でも作品として成立する面白味がある。ただ中身を求めて見てしまうと、損をするので距離を置いた見方も必要。
声明
んー、一昔前に演劇界を席巻してたアングラな作品を思い出すような1本だった。
登場人物それぞれに代弁者的な役割もあって、あれこれ詮索すると味わい深いのかもしれないが、映画館に行かなくて良かったと思わざるを得ない。
偏に小難しいのである。
共感出来る人はおそらく珠玉の作品になるのであろう。役者や演劇が担う一面をこれでもかと担ってる。
社会というシステム自体へのアンチテーゼが存分に含まれてるようにも見える。
そもそも、役者なんて人種はその社会に馴染めない側の人間であり、自分達の正当性を誇示する為には、その社会自体を疑問視せねばならない立ち位置でもある。
その観点から見える不条理なもの。
そおいう背骨があるような気がする。
まぁ、今の世の中が決して居心地いいわけではないが、悪い事ばかりでもないだろうと思ってはいる。
そおいうグレーゾーンもひっくるめて間違ってると言い放つのは、ある種の暴力にも思う。
ただ、そおいう事を明確な言葉と意思を伴って提示しなければ気付きもしないって事なわけで…だからこそ、そもそも社会からはみ出た人間達が「役者」なんて看板を背負い「演劇」って手法で表現する。
それが、この映画の理念なのであろう。
だから、小難しい。
劇中でロボ男の事をAIと位置付け、その見解を示すわけなのだけど、アレは社会に埋没していく人達を指しているのではないかと思うのだ。
ロボット憲章などは、そのまま社会のルールのような位置づけだろう。
「命じられるままに仕事をこなす高性能な労働力」
それがAIに対する見解だ。
さて、誰の事でしょう?
またロボ男は「fartherに教えてもらってない」って台詞を口にする。
それは「マニュアルを盲信する余り思考停止に陥った状態」とも取れる。
最後は2人を抱え上空で自爆する。
結局、レールから外れた側に居場所なんかないって事なのかもしれない。
その後、死んだと思った弟が大金を持って帰ってくる。これは「社会に馴染んだフリをして、上手にルールを使いなさい」って事かもしれないし、別の意味があるのかもしれない。
なんていうかそれぞれがそんな感じで、見たまんま聞いたまんまでいると墓穴しか掘らない感じなのだ。
で、一旦「完」のテロップが入る。
その後にも続きがあって…なのだが、随分ファンタジーな振り方にちょいと違和感。
じゃあ、だからと言って映画として楽しいかどおかって事になると、好き嫌いの話になると思われる。
向いてるか、向いてないか、かもしれない。
この作品を見て印象的なのは役者自身の印象が薄い事だ。淡々としてるせいかもしれないのだけれど、灰汁の強い芝居でありながらも目立ってこない。
それは凄い優秀な仕事ぶりでもあるわけで、結果作品の内容に焦点が合っていく。
作品のメッセージを伝える為のツールなわけだ。
スタッフも役者陣もそれを履き違えるような事はなく素晴らしい仕事をしたと思う。
なのだけど…俺はやっぱ苦手だから2.0、なのだ。
映画という媒体で、佐藤健や山田孝之を軸にこの手の作品をやり遂げたのは快挙とも言えるのだけど…この作品に出資してるのは「間違ってる」と反論されてる側の人達なわけで…それはそれで痛烈な皮肉にもなり得るのだが、映画って媒体になっちゃうと砂上の城というか、どおにもならない矛盾を感じずにはおれない。
つまりは、情熱や反骨というものを金に換算してる人間が少なからずは関わってはいるわけなので…いわゆる資本主義の傘下にはいると思われるので。
釈迦の掌を飛び回る斉天大聖のようで…権力と財力の檻の中からキャンキャン吠えてるような後味。
これが完全に山田氏の自己資産のみで成し遂げたって事ならば、俺は土下座して許しを乞わなけれはならないと思う。
野心溢れる作品だとは思うのだけど…一欠片の煮え切らなさを感じてしまう。
山田孝之と佐藤健が兄弟がこんなにハマるとは
R15+なのはエロがあるから。
佐藤健がオフィスの窓辺で立ちバック
山田孝之が首締めにテレホンセックスに即尺
石橋けいって女優さん良いな
弟が一目見て評した女像ぴったり
それ以外も出るキャラチョイ役全て存在感あり過ぎて飽きない。
右翼とAIロボと徳川埋蔵金が絡んでくるのにまるで違和感なく見られるとは思わんかった。
完の後に1シーン
高崎市足利市小山市
とん平
万福食堂
スナックモア
イマドキの映画のルックにしなくて良い話では。
山田孝之の芝居は上手いけどいかにも役者さんがやってますって感じに見えてしまう芝居で、それは一長一短あると思うんだが、山下監督は自分の作家性で勝負したいとは思わないんだろうかなと。
右翼をやってる冴えない青年の話、これは初期の作品と同じようなテイストに持っていける話だったと思う。どうしてカメラがこんなにパンするんだろう。いかにも物語ですよという撮影なんだろう。
昨今のインディペンデント映画の豊作によって、作家性は物語と両軸であれば再び観客に受け入れられる空気が整ってきているように思う。イケてない男を撮る事には独特の感性を持った監督だと思うのでこの人ならではの映画が観たい気がする。
山田孝之の表情がよかった。 ロボ男はそれほど高性能マシンという感じ...
山田孝之の表情がよかった。
ロボ男はそれほど高性能マシンという感じはしなかったがまあ、いいか。
最後、ロボ男だけ壊れて他の二人は生きていたが、何があったのか。
人を選ぶね、私は大好き\(^o^)/
人を選ぶね、私は大好き\(^o^)/
考えてはいけません。頭を空っぽにしてそのままを受け入れましょう。大好物な作品です。数少ない登場人物の演技も好みです。中でも石橋けいさん大好き!シュシュトリアン時代から応援し続けております。
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