博士と狂人のレビュー・感想・評価
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『舟を編む』イギリス版
どこの国の言語であっても辞書編纂作業は似たようなものなんですね。殺人を犯した人間だって編集に参加するなんてのも素晴らしい話だ。日本なんて私立探偵が辞書の編集者やってますもんね・・・金田一耕助・・・ちょっと違うか。 ようやく完成したかと思ったらAからBまで・・・凄い量だよ、さすが英語!当時は世界の4分の1を支配していたというから、どんどん新しい言葉が生まれてくる。16世紀から17世紀までの単語が足りないとか、ちょっと考えられないくらいの膨大さ。また、古語にもこだわる辺りがすごいわぁ。 新しい言葉がどんどん生まれて、単語そのものも意味もどんどん変化する。「問題な日本語」なんてのも流行ったけど、インターネットの普及によってさらに新語が誕生している。その変化を許容するのもいいけど、雰囲気を「ふいんき」と読むのは許しがたい。何が嫌いかといって、語感が日本語っぽくないからだ。ウインクとかポリンキーとかオインゴボインゴみたいな感じがする。まぁ、使いやすい若者言葉もいっぱいあるけどね。 ショーン・ペンの過剰なまでの演技は震えがくるほどだったけど、イザベラがそこまで赦しから愛情に変化するもんかね。まぁ、似たような話は多いし、理解もできるけど、長女の反応を見てると、胸が苦しくなってくる。全体的にはもうちょっと地道な作業をメインにして貰いたかったし、政治的な部分は不要だと思いました。
これはもう
役者陣がすごい。ショーンペンはもちろんメルギブソンもそして他の人たちも俳優が演じているという気がしなかった。オックスフォード大辞典ができるまでのこれは実話を基にしているのかな?基盤となるものがあればそれを直したり追加したりするのは簡単だけどその基盤を作るのが大変なんだよね。
まぁ、そうですね
実話ベースってことでとても含蓄のある作品だったと思う。 ショーン・ペンの演技が特に秀逸。 十分に面白いし見る価値があるとは思うんだけど なんだか心に残るものはそんなになかった。 辞書をつくるってすごいことだとは思うけど。
はくらんきょうき
原作はイギリスの作家、サイモン・ウィンチェスターの1998年の著作「博士と狂人:世界最高の辞書オックスフォード英語辞典の誕生秘話」。 で、ウィンチェスターのウィキペディアに、以下の一文を見つけた。 『1998年にメル・ギブソンがこの作品の映画化権を買い取り、20数年を経て映画化された。』 (サイモン・ウィンチェスターのウィキペディアより) 1998年といえば、まだギブソンはリーサルウェポン(の4つ目)をやっていた。 なんか、すごく打たれた。ほんものの映画人は、小説に感銘をうけると、いつか映画化することを夢見て、買い取る。そして何年かかっても、ほんとに映画化する。 映画の能書きに「構想ウン年」が安易に使われることがあるが、野望も宿心もない奴が、使っちゃいけない。つくづくそう思った。 英語辞書の編纂(へんさん)の話。 へんさんを調べたら『いろいろの原稿や材料を集めて整理し、書物の内容をつくりあげること。編集。』とあった。 映画では「引用」探しが描かれている。 引用=そのことばが使われている文献をさがす作業。それも世紀毎の文献をさがして、意味の変遷もしらべあげる。 マレー博士(ギブソン)はそれを一般から公募するが、容易に集まらない。しかも編纂人は博士をふくめ数人しかいない。 ところで、じぶんは、いままで映画レビューをしてきたが、そのなかで、ひんぱんにウィキペディアから引用してきた。 このレビューでもやっている。 ウィキペディアだとパッと3秒でその言葉にたどりつく。 パッと3秒でコピペできる。(当然ウィキからの引用であることは明記しています。) ウィキを使うと、なんも知らなくても、なんか、いっちょまえに、わかっているような体裁のレビューができる。ウィキペディアさまさま、である。 が、1870年代。ウィキペディアなんかなかった。インターネットもなかった。 紙媒体である書物からの引用は、博覧強記のなせるわざである。広く厖大な読書量。──だけでなく「この言葉はあの小説のあそこで使われていたぞ!」という記憶と閃き(ひらめき)の為せるわざである。 その作業に意外な人物からの佑助を得る。 ギブソンは気負っていた。監督のFarhad Safinia(P.B. Shemran)はアポカリプト(2006)の共同執筆者である。監督は初で、おそらくギブソンは自分で演じながらも指図をだせる旧知にチェアマンを任せたかった──のだろう。 配役も本気。ショーンペン。Natalie Dormerと名優Eddie MarsanやSteve Coogan。 20年かけて揃えた布陣だった。 編纂作業には体制との攻防がある。 あわせてマイナー博士(ペン)の贖罪が描かれる。強迫性障害によって良人をころした彼は、未亡人を経済援助し許しも請うが、結局彼女に免罪されることが我慢できない。──許されることが許せない。 淡い岡惚れを畏れた彼はみずからを去勢し、自我をうしなう危険な荒治療にも承諾する。強烈な自己処罰感情。むずかしい役をこなしたのはショーンペンだったからこそ──だろう。 辞書は、どんどん新しくなる言葉とのせめぎ合いである。その描写が映画中にもある。Steve Cooganが演じた共同編集者が、マレー博士に、炊事場の若い下女たちの話し言葉を聞かせる場面だ。 むろん映画中は昔だから昔のことばだが、ひとびとの使う言葉が刻々と変わりゆくこと──は昔も今も、ずっと常につきまとう問題である。それを拾うのが辞書の役目だと、この映画は言っている。 じぶんは無教育な一般庶民だが、けっこう文を書くので、きらいな日本語がある。 たとえばらぬきがだいきらい。ばかにしかみえない。だけど、辞書となれば、個人嗜好を言ってられない。らぬきが一般化するなら、それも立派な新しい日本語とみなさなければならない。そうやって変わりゆく時代(時間)と闘いながら、AからZまで一語一語、やっていく──わけである。 その──完成までに70年かかった、気の遠くなるような作業の端緒をマナー/マイナーの両博士がやったんだ──と映画は伝えている。 (紙媒体の)辞書をひかなくなって、もうどれくらい経つだろう。 一生涯かかっても使わない言葉は山ほどあるだろうがじぶんなりにいろんな言葉を使って文を書きたいとは思う。 感慨深い映画だった。
気が遠くなるような…
編纂に70年もの月日が掛かったとは。。言葉は時代とともにを変化する。それを過去の文献から、文例も載せ、意味の変化を記していく。ストーリーはその辞書の編纂の大変さもさることながら、博士と狂人という二人の人生にスポットを当てている。冒頭、この二人がどこでどうやって交じるのか謎だったが、互いに出会えたことが、その後の人生を大きく変えた。キリスト教の赦しも大きく影響を与えている。マイナー博士はその後彼女と会ったのだろうか。
2人とも博士であり狂人では?
オックスフォード英語大辞典の創刊に関わった2人の博士の物語。ノンフィクションの原作の映画化。70年の歳月をかけて制作したとのこと。お疲れ様でした。 狂人のマイナーに夫を殺されたイライザが、マイナーを憎んで、最初のうちはお金の援助も断っていたが、お腹を空かせた子供達のことを考え援助を受けることに。当然受けていいことだが、会いに行ったり、好意を抱くのは不自然な気もする。 局長の治療法はインチキくさいが、なんとか逃れることが出来てなにより!
辞書を作る
メル・ギブソンとショーン・ペンが演じていてなかなかの重厚感を感じる作品だった。 辞書を作るなんて普通に考えればすごい事ですよね。 70年かけて作り上げたそうだけど、言葉は生き物、70年の間にも新語が生まれているだろうし。 まさに狂人・変人でなければ出来ないんじゃないかと思ってしまう(^^; 日本の映画「船を編む」をチラッと思い出しました。
さすがショーン・ペン。だけど。
一言「ちょっと、盛り込みすぎるかなあ」。 実話が元です(こういうの最近多い。好きだけど)。 「世界に大英帝国・女王陛下のおことばを知らしめるために」。 オックスフォード大辞典を編纂する話。 なんですが。 言葉の文例(用法)を、国民から広く募集→本に募集文を挟む→受刑者が手にする。 メルは編纂者、ショーンが受刑者(元外科医)のWキャスト。 「獄中人と編纂者が言葉のやりとりで、少しずつ友情を育んでいく」。 そんな話を脳内で描いていたのですが、ちょっと違う。 矛先は「天下の大英帝国辞典に、獄中人が関わっていたとは何事だ!」と。 段々話が悪い方向に進んでいく、思いがけない展開。 多分戦争時にPTSDになり、神経をやられた元外科医役。 ショーン・ペンさすがのど迫力。結構引きました。 獄中での描写もご飯中には、遠慮願いたい箇所もあったり(個人的に)。 史実なのでラストは「そっか、そっか」でしたが。 辞典の話と、受刑者とその被害者の話、友情話。結構どれも重かったしなあ。 「舟を編む」の世界とは、全く異なる事を書いておきます。 おすすめではないけど、こういうことがあったを知るのにはいいかも。 イギリス映画の名バイプレイヤー、エディー・マーサンがいい仕事してました。
大辞典
確かに題名だけ見た時はジキルとハイドのお話かと。実際は学士号を持たず独学で言語学を追求するマーレー、精神を病み殺人を起こした軍医マイナーの二人の人物を中心に英語辞典を製作していく過程が描かれる。 かなり大変な作業、完成まで70年かかったと最後に触れられるが気が遠くなる。 二人とも博士であり、狂人であるが、周りの圧力もありながらも温かく守ってくれる人々もいて、紆余曲折あったが完成に向けて進んでいく。 ミスターマンシーがいい人で救われる思いだった。
勤勉に
オックスフォード英語辞典の編纂の物語。一人の学位のない学者のあきらめない志と、狂人による無私の協力によって進められた過程が驚きでもあり、またさすがオックスフォード大学と感心。 実話の難しいところは、どこまで史実でどこから製作によるものかって言うのがからないところ。この映画ではキーパーソンとなる狂人に殺された男性の未亡人と、狂人の恋ってなんだか嘘っぽいし余計だなーと思いながら、まさか本当にあったのかな、ともやもやしながら見てました。ネットで見る限り、想像みたい。だとしたら、最も不要なパートで、編纂のあたりを詳しく知りたかったな。 興味深い話だから、もう一度BBCあたりのドラマでみてみたいと思いました。 それにしてもチャーチルってだいたいどんなときでも登場するからびっくり!
実話とそうでないところの違和感
を感じた。 実話オンリーでも良かったのでは。 創作部分に無理があって違和感を感じた。 言葉の魅力に溢れていて、それは心ときめいた。 そのあたり、もう一度観たいと思う素晴らしさ。 聖書の「原初に言ありき(始めに言葉があった)」を、思い出した。
狂人
名優二人の共演、その期待に違わぬ重厚さ。 考えるのが嫌になるほど気が遠くなる作業。どのようにプロセスを構築していったのか興味がそそられる。用例があっても、その解釈は議論が必要だろうし、どのようにしたのだろうか?説明はコンパクト。ヒューマンドラマや政治劇に時間が費やされたが、マレーの挑戦にこそフォーカスして欲しかった所
言葉の天文学
個人評価:3.0 2人の名優によるなんとも骨太作品。 言葉の起源とその設計図は、天文学の様に宇宙の神秘にも迫る学問だと感じさせられる。 言葉は生きており、生物のように感じられ、知恵を身につけた人間にとって、言葉の歴史は、人間の知性の歴史とも思える。 ただ内容は興味深かったが、面白味には欠ける作品でもあった。
始めたら信念を持ってやり遂げて
映画「博士と狂人」(P・B・シェムラン監督)から。
映画(英語版)「舟を編む」の表現がピッタリだったし、
もちろん、私の「お気に入り」に仲間入りした作品。
邦画「舟を編む」と違い、やや重たいストーリーだけど、
久しぶりに、重厚な作品と出会い、メモも溢れた。
貧しい家庭に生まれ、学士号を持たない異端の学者マレーが、
豊富な知識と根気が認められ、編集責任者を任される。
彼は、その時の喜びを家族に、こう伝えた。
「今までやってきたことを全て生かせる。
完成させるには気力がいる。
私はすべての言葉を調べて、定義する責任者になる」と。
それに対し妻は、しばらくしてこう励ます。
「迷いと恐れを捨てると約束して欲しいの。
始めたら信念を持ってやり遂げて」と。
あなたがこの仕事を受けるということは、
家族と過ごす時間を減らすことに他ならない。
その大切な時間を使うのだから、中途半端は許さないし、
それを認めた私たちに後悔をさせないで・・
そんな切実な気持ちが込められていて、胸を打った。
一生に一度の人生だからこそ、このフレーズは重かったし、
24時間、365日、そして数十年をかけて挑む大きな仕事って、
それを支える人たち(特に家族)の理解が必要だよなぁ。
マレーとマイナーの固い絆に胸を打たれた…
辞書の編纂というと「舟を編む」を思い出してしまうが、もちろん両作品ともその苦労が綴られている。しかし、本作はそれ以上に学歴とか、病気とかが描かれている場面が多い。マレーは学士号を持たないゆえに、一部の学者から冷たい目で見られるし、マイナーは精神病院にいながら、その信じられないほどの言葉の知識を披露している。あの有名なOEDが何十年という歳月をかけ、ただ意味を説明するのではなく、その歴史的使用まで網羅しているのはかくも苦労があっただろうと思う。二人のがんばりがなければ、完成に漕ぎ着けなかったに違いない。しかも、二人は同じ場所で切磋琢磨した訳ではなく、お互いの場所で努力を続けたのだ。そこが尊いと私は思う。しかも、マレーはただマイナーを利用したのではなく、面会に行ったり、最後は彼を救おうとした。一緒にいなくとも、二人には固い絆があった。何てすてきな関係だろう。私は、二人が羨ましく思った。
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