「もし愛なら、そのあとに続くものは・・・」博士と狂人 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
もし愛なら、そのあとに続くものは・・・
世界最高峰の辞書といわれる「オックスフォード英語大辞典(OED)」誕生にまつわる驚きの真実の物語の映画化。
19世紀半ば、英国オックスフォード大学で進められていた新たな辞書編纂作業。
しかしながら、膨大な単語の量に作業は頓挫しかけていた。
これまでの言語学者だけでなく、新たな視点を盛り込んで作業に拍車をかけるべく選ばれたのが、独学で多数の言語を極めたジェームズ・マレー(メル・ギブソン)。
彼の編纂方針でカギとなるのが、用例採取。
過去の文学・文献の中から、その単語の用例を抜粋し、語意の変遷を明らかにしようというものだった。
しかし、用例採取は容易ではなく、マレーは民間人の助けを借りることにした。
そんな中、マレーのもとに多数の稀少用例を届け出るものがいた。
その彼は、米国南北戦争で精神を病み、妄想による精神錯乱から殺人を犯して英国の精神病院に収監されている米国元軍医ウィリアム・チェスター・マイナー(ショーン・ペン)だった・・・
といった内容で、辞書編纂の中心を担うマレーと、塀の中から協力するマイナーのそれぞれの物語が交差していくさまが描かれていきます。
マレーは、辞書編纂の中心作業を担うが、在野の言語学者であり、貧しい家の出であることから大学などの高等教育を受けていない。
さらには、イングランド人で占められる言語学者のなかにおいて、彼のスコットランド育ち、スコットランド訛りは蔑みの対象になっている。
マレーにはそのようなハンディキャップがあるが、映画ではもう一方のマイナーに比重が置かれて描かれます。
映画の巻頭は、マイナーの殺人とその裁判の顛末であり、この時点では、彼の特異な言語能力(読書力と記憶力)は明示されていません。
精神病院に収監されてから、看守のマンシー(エディ・マーサン)から、本を贈られ、その本の間に辞書編纂の協力者を求める案内が挟み込まれたあとに、マイナーの秘めたる能力がわかることになります。
殺人を犯したマイナーですが、誤殺であるがゆえにそのことを深く後悔しており、被害者の遺された妻イライザ(ナタリー・ドーマー)と遺児たちのことが気になり、自身の米軍退役後の年金を彼女たちに贈ろうと決めるわけですが、その仲立ちをするのが看守のマンシー。
マンシー役のエディ・マーサンは『おみおくりの作法』の主役のひとですが、ここでも味のある演技をしています。
当初、マイナーの援助をかたくなに拒否していたイライザですが、マンシーの仲介でマイナーと面会。
やはり最初は拒絶の態度ですが、次第に軟化。
マイナーから字を教えてもらうまでに至り、心が絆されていきます。
絆されたイライザが、マイナーに贈る短い文が、この映画の肝です。
「If love....Then what?」 もし愛なら、そのあとに続くものは何?
イライザから赦しを得ることなど許されるはずもない、そんなことは自分自身を許せない、と考えていたマイナーは、こののち苦悩と狂気のどん底へと落ちていきます。
心身共に衰弱したマイナーのもとを訪れるマレーの言葉が、マイナーを救います。
「If love....Then...LOVE」 もし愛なら、そのあとに続くものは、やはり愛だよ。
辞書づくりの映画と思わておいて、帰着点は愛。
かなり、じーんと胸に来るものがありました。